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「――助かる……」
エリザの迷いのなさに、エルデュミオは敗北感を覚えた。
もしエルデュミオがエリザの立場であれば――受け入れはするだろうが、間違いなく逡巡する。それが自分で分かっていた。
エリザが王族として正しいかは微妙だ。しかし、人としては負けた。そう感じたのだ。
「いいから。その代わり、約束して」
「何をだ」
「勝って」
ごく短く、エリザは告げる。
恩もある。利もある。理もある。
だがそれ以上に、ただ人が成すべきことだからエリザは協力しているのだ。対価に求めるのは貸しでも益でもない。
世のための勝利のみ。
「――当然だ」
託された願いと、そのための献身の重さを痛感しながら、エルデュミオはうなずいた。はっきりと。
「待って。金属の靴の足音です。多分、ヘルムートですよ」
「早く、奥に。ヴァスルール、貴方はあたしの侍女役をやって」
「承知しました」
エルデュミオたちは寝室へと隠れ、フュンフは急いで侍女の装いを整える。足音はまず、エルデュミオが泊まっていた部屋を確認して、次に真っ直ぐエリザの元へと来た。
扉を叩く音に、寛いでいたのを止めて出向いただけの空白を開けて、フュンフが応対に出る。
「どなたでしょう?」
「聖神教会からの使いだ。ある罪人を追っている。部屋を改めさせてもらいたい」
「まあ、冗談でございましょう。姫様には何のかかわりもないことです。そもそもこのような時間に、殿方を部屋に招き入れる淑女などおりません。それとも、女性の同行者がいらっしゃいますか?」
非常識に呆れ返った声を出し、フュンフはヘルムートの訪問を正攻法で拒絶する。
女声も完璧だ。さすがに裁炎の使徒といったところだろう。
「引くと思うか?」
「分からん。賭けるしかない」
声を抑えて訊ねてきたアゲートに、エルデュミオは確証のない答えしか返せない。
「分が悪そうだ。あいつが踏み込むのをためらうような人物はいないか?」
「そこそこの規模の、無関係な他国の貴人でもいれば嫌がるだろうが……」
ストラフォードからラトガイタへと移ったとはいえ、国に所属していることに違いはない。国として孤立しかねない真似、もしくはルーヴェンたちに不利益になりそうな行動はためらうだろう。
「よし。頭を貸せ」
「はあ?」
何をしようとしているかは分からなかったが、とりあえず言われた通りに頭をアゲートの方へと傾けてみる。
アゲートはスカーレットのそれとよく似た黒い羽を取り出すと、エルデュミオの額へと押し当てた。続いて、羽一枚を挟んで自分の額を触れさせる。
「どいつだ。明確に思い浮かべろ」
「勝手に人の記憶を探るな」
文句をつけつつ、適当な相手を思い浮かべる。ラトガイタより聖神教会への貢献度が高く、国力もあり、関係も悪くない国の貴族令嬢だ。
「――よし」
アゲートが額を離すと、床から控えめな発光が生じているのに気付く。呪紋法陣だ。
法陣の中央に置かれた水晶がややあって膨張し始め、見る間に人型を作っていく。
「うわっ。ちょっと気持ち悪いです」
「そうか?」
リーゼの感想に、アゲートは特に気にした様子もなく生成過程を見詰め――完成した。エルデュミオが想像した通りのドレス姿なので、服も含めて一個の作品なのだろう。
分類としては土人形だが、元が水晶の場合は水晶人形と言うべきなのか。
「出来上がってからの方が気持ち悪いな……。完璧すぎる」
「お前がそう言うのなら大丈夫だな。エリザにはこれと歓談していてもらおう」
「悪くない。これの顔を見た瞬間に、ヘルムートは退くはずだ」
万が一にも傷付けられない相手を前に、家探しなどしたところで無駄だ。
フュンフとヘルムートの言い合いはまだ続いている。引き下がらないヘルムートに対して、完全に非難する口調へと変わっていた。
問答を無視して、ついにヘルムートが扉を開ける音が聞こえる。そして。
「――っ」
ためらい、息を詰める気配が伝わって来た。
「本当に踏み込んでくるなんて、あんた、正気?」
「申し訳ありません、エリザ様……」
「いいのよ。貴女はよくやってくれたわ。悪いのはそっちの常識無しだけだから」
嫌悪と侮蔑を隠さない女性たちを前に、それでもヘルムートは一拍、室内に探るような視線を向けたが――すぐに諦めた。
「……失礼した」
「本っ当にね! この一件は忘れないわよ!」
噛み付くエリザと、何より、エリザ以上に冷ややかな視線を送っているだろう水晶人形へと頭を下げ、ヘルムートは踵を返す。
「……貴族社会のルールに救われる日が来るとは思わなかったですね……」
「そういうこともある。同様に、足を引っ張られることもな」
「ですね」
今エルデュミオたちは助けられた側だが、ヘルムートは邪魔をされた。立場が逆なら、勿論結果も逆になる。
「本当に、聖神教会と敵対してるのね」
水晶の淑女を置いてエルデュミオたちが隠れた寝室に入ってきたエリザは、声に緊張を含ませつつそう言った。
「僕たちがこれを持っている以上、仕方ない」
現状、こちらにとっては大して利のない神樹神子録を取り出し、ため息をつく。
「聖神教会に突っ返したらどうです?」
「聖神教会が、ヘルムートたちからこれを護りきれるとは思えない。奴らの手に渡るなら結果は同じだ。後々役立つ可能性がある分、持っていた方がマシだな」
「何の役に立つです?」
「聖王を引き摺り下ろす」
ルーヴェンたちに対して個人的な弱味を持ち、そのために彼らに便宜を図る聖王の存在ははっきり言って邪魔だ。
私情を抜きにしても、聖王という立場に相応しい人物でないことは明らか。席を退いてもらうのが世のため人のため、だ。
マナが奪われようとしている今は、文字通りに。
「大胆なことを仰いますね」
クロードとシャルミーナはさすがにそこまでは考えていなかったようで、戸惑いとためらいを見せている。




