89
「何と……!? セイン夫妻は、貴方の家族ではありませんか! そのような罪深いことを……」
じりじりと後退して距離を取りつつも、聖職者として思う所があるのかクロードはヘルムートを責めるような言葉を口にする。
「家族? あいつらがか。笑わせるな」
本来、世の誰よりも信頼ができるだろう間柄の相手を、ヘルムートは鼻で笑って切り捨てた。
「あいつらが私に与えたのは、体裁のための最低限の養育と、生まれたことへの恨み言だ。私とて、選べるのならば誕生などしなかっただろうさ。だが生まれた以上は仕方ない。死の苦しみを腹の立つ相手のために選んでやるのも業腹だ」
だから、ヘルムートは生きることを選んだ。自分の存在そのものが復讐であることも理解していたためもある。
勿論それは、諸刃の剣でもあっただろうが。
「勝手に私を作ったのだから、養育程度の義務は果たしてもらわねば困る。感謝は恨み言で相殺だな」
それは理性で言い聞かせた結果であり、抱いた感情がどうであったかはすでに行動が示している。
「私を求めてくださったのは、殿下だけだ」
遠い昔に思いを馳せるかのように、ここではない場所へと視線を向けつつヘルムートは呟く。その瞳に宿るのは哀愁だ。そして、強い共感。
(共感? なぜだ。その生を渇望されて生まれてきたルーヴェンとヘルムートでは、境遇が違う)
だがそれはおそらく、エルデュミオが持つ情報が足りていないせいだ。ヘルムートの感情の方が正しい事実を示しているのは間違いない。
「ゆえに、あの方の望みを私も支えよう。そのためには――どうも、貴殿は邪魔だな。エルデュミオ・イルケーア」
すでに抜き身にした剣の切っ先をエルデュミオに向け、ヘルムートは平坦な口調でそう言った。
「己に賛同しない者を暴力で屈服させて進む道に、正しさなどありません。悔い改めなさい」
そしてそのエルデュミオを庇うために前に立ち、シャルミーナも背中に負った大剣を抜刀する。
「ルーヴェンの望みとは何だ? 各地のマナを大量に吸い上げ世界を枯れさせ、何を成そうとしている」
「この世界は、創世の仕方を間違えた。生まれで価値を付け、容色で価値を付け、能力で価値を付けて、他人を蹴落とし貶し合い、奪い合う。この歪んだ世界を理から正す」
「正気の沙汰ではないな」
「只人が、世界を俯瞰して観れるものか。領分を弁えろ」
怒りを露わに責めたアゲートへ、ヘルムートも同等の怒りと嘲笑を持って返す。
「神も人と変わらんな、セルヴィードの神人よ。己の支配下にある領地が失われ、真なる自由を得る世界が存在することが、そんなに腹立たしいか。強欲な!」
セルヴィードの名前にシャルミーナが一瞬反応したが、それを口にすることはしなかった。剣もヘルムートに向けられたままだ。
「神の都合はともかく、だ。今この世界に愛着のある者からすれば、お前らの言い分の方が余程迷惑だぞ、ヘルムート」
「そうかもしれん。だが、知ったことではない」
己の正義が立場を変えた誰かの悪であるのを承知の上で、ヘルムートは切り捨てる。
「己が今満たされているから、隣に泣いている者がいても構わない。そんなことよりも己の幸せを壊すなと喚く身勝手な輩の意思など、なぜ汲んでやらねばならない」
「暴論だな」
だからエルデュミオも、ヘルムートの主張を一顧だにせず切り捨てた。
見知らぬ他人を救うよりも、自分のために、自分の大切な者のために小さな箱庭を護ろうとすることまで責められてはたまったものではない。
ヘルムートの主張にも一理はある。それこそ、隣で泣いている者に手を差し伸べる余裕がある者はそうするべきなのだ。
だが、現実はそうではない。
だからエルデュミオにはヘルムートを説得することはできないし、ヘルムートはすでに充分絶望して、決めてしまったのだ。引き返すことはすまい。
彼が救いの手を欲していたとき、その手を伸ばしたのがルーヴェンだけだったから。
「貴殿がそう言うのは分かっていたよ、エルデュミオ。――お前も『そちら側』の人間だからな!」
唇に乾いた笑いを貼り付けて言ったヘルムートは、言葉が終わると同時にエルデュミオへ向けて駆けた。
「やらせません。――四精霊の盾」
シャルミーナが発動させた呪紋によって、全身を囲う半透明のマナの障壁が発生する。生半可な攻撃であれば、この呪紋一つで全てを弾ける。
しかしヘルムートに動揺はない。輝く白銀の剣を振り被り、まずは進路を塞ぐシャルミーナへと袈裟懸けに振り下ろす。
神銀と同じ輝きを持つその剣に、エルデュミオは強い違和感を覚えた。
「待て、それに触れるな!」
「っ!?」
警告は遅かった。迎撃のためにヘルムートと打ち合ったシャルミーナの大剣は、触れた瞬間に半ばから折れる。
その展開を見越していたヘルムートの剣筋は的確だ。シャルミーナの左首筋から右脇に抜けて、胴を両断する軌道を採っている。
事前に張った四精霊の盾も、大剣と同様彼女を護る役には立ってくれまい。
「不壊の光燐よ!」
剣に神呪による不滅の光を纏わせ、割り込んだエルデュミオがヘルムートの剣を受け、弾く。
自身で発動させた呪紋への干渉であれば、よりよく分かるというもの。
「貴様その剣、マナ喰いマナで精製したものだな!」
無防備なシャルミーナの大剣と違い、エルデュミオが乗せた神呪は喰われはしなかった。
しかしその輝きは予想よりも更に弱い。フラマティア信仰が強いツェリ・アデラでは、魔神の権能は本来の力を発揮できないのだ。
「勝手に名を付けるのは止めてもらおう。『これ』の名前は『創世の種』だ。創世の種で打たれたこの剣は、そう――銘をつけるなら楽園への導手といったところか」
「何を不遜なッ!」
叫ぶと同時に、いつぞやドライを貫いた弓をいつの間にか構えていたアゲートの手から、番えられていた矢が放たれた。
狙いは剣だ。飛来する矢を、ヘルムートはやや表情を険しくして打ち払う。
矢に触れた瞬間、楽園への導手はその器を歪ませた。改変されたマナが本来あるべき形へと再構成しようとしたのだ。
しかし、叶わない。ほんの僅か逃げたものの、大方のマナはヘルムートの支配下にあるままで、楽園の導手の姿にも変化はない。
「くそ……っ」
「神人といえど、ツェリ・アデラで振るえる力はこの程度か。丁度いい。貴様だけは必ずここで屠ってやろう、瑪瑙の神人よ!」
「させると思うか!」
ヘルムートの前に立ち塞がり、エルデュミオは正面から切り結ぶ。鍔競り合う力が、重い。
「騎士とも呼べぬお飾り部隊の隊長が、私の剣を受け止められるなど……思い上がりも甚だしい!」
己が鍛えてきた力を証明しようとするかのように、ヘルムートは強引に腕力で押し込んできた。刃を挟んで顔が近付き、視界がヘルムートで埋められる。




