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やり直し聖女の恩恵  作者: 長月遥
第一章 黄金が視せる啓示
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(それから我がイルケーアの所領で勝手な真似をした愚か者を斬らなくては。立て続けだと感付く奴がいるかもしれないから、まずは父上に手紙を送って、別の地域に送るとしよう)


 念のために、適当な時間を空けてから始末する方がいい。

 今後の展望を大まかに決め、軽く体を流してから湯船に入る。


(だが僕に査察を勧めたルティアは、真相をすでに知っている、ということになる)


 若干納得はいかないのだが、リーゼから情報を得た、と考えるべきだろう。王宮の騎士団に勤めているフェリシスが、リューゲルの状況を知っていたとは思い難い。


 代官の失態はそのままイルケーアの失態でもあるが、脅しに使うには弱い。


 エルデュミオは都合の悪い部分を全て隠蔽するつもりでいるが、それは単純に、悪評が立つのが面白くないからだ。

 明るみに出たところで、正直然程痛くはない。


(いかに傀儡姫であるルティアだって、この程度が僕の弱みになるとは考えていないだろう)


 では訪れたときに言ってきた、自分を支持することを検討してみろというのが、言葉通りの意味なのか。


(……本気で、王になるつもりなのか? 傀儡としてではなく)


 己の意思を訴えてきたルティアの瞳は、エルデュミオから見ても強く、真剣そのものではあった。

 それでも信じ難い。


(僅か一日の間に、彼女に何があったというんだ)


 傀儡姫ではいられなくなった事態が彼女の身に降りかかったことだけは、間違いない。


「――エルデュミオ様。お寛ぎのところ、申し訳ありません」

「何だ」


 ルティアの変わりように思いを巡らせるのを中断して、エルデュミオは扉の外から声を掛けてきたスカーレットに応じる。


「こちらの宿では、ローグティアの葉の入浴剤が人気となっているようです。試してみてはいかがでしょう」

「ふうん。ローグティアの葉か」


 ローグティアの花や葉は聖なる品として、散ったり落ちたりした物が加工されて出回ることも多い。人々からの人気も高い、言わばはずれのない商品だ。


 地元にローグティアが存在するリューゲルであれば、名産品の一つとなるのは当然だろう。


「悪くない。試してみよう」

「では失礼いたします」


 宿の意匠と名前が書かれた包装を解き、スカーレットはエルデュミオが身を浸す湯の中へと粉末を注ぐ。


 花は柔らかさを感じる甘い香りがするが、葉を加工したというそれは清涼感が強い。

 用を果たすとスカーレットは退出し、エルデュミオは一人で癒しの空間を満喫する。


(気に入った)


 購入して、持ち帰ってもいいかもしれないとさえ思う。


 旅の疲れが出たのか、それだけローグティアが人を安らかにさせるのか。目を閉じると瞬く間に意識が混濁してくるほどだ。


(寝るのは……まずい)


 湯船で溺れ死など冗談ではない。何とか意識を引き止めようとするが、それすら、夢の中か現実かが分からなくなっていく。


 そんな中、ふと耳に笑い声が響いた気がした。どこかで聞いたことがある気もする。

 やがて、気付いた。


(僕の声、か?)


 そうと認識した瞬間、視界が一気に開ける。


 そこはストラフォース王城の、謁見の間だった。居並ぶ臣下たちが全員頭を垂れる中、エルデュミオは中央を歩んで行く。


 その先にあるのは王座。ためらいなく、エルデュミオは席に座った。

 途端、耳元で囁き声がする。


「――貴方が、王です。エルデュミオ様」

「!?」


 あまりに現実的で、そして首を柔らかく絞めてくるような気持ち悪い冷気が全身を覆う。動揺と共に跳ね起きた。


 もがいたせいで湯が跳ね、水面に大きな波紋を描く。


「……はっ……」


 鼓動を早くした心臓の音がうるさい。

 エルデュミオは顔に張り付いた髪をかき上げ――その腕が震えていることに舌打ちをした。


(何だ、今のは)


 異様に現実感の強い夢だった。今でも耳障りな哄笑が頭の中に残っている気がする。


(……耳障り?)


 自分が自然に抱いた感想に、エルデュミオは首を傾げた。


(僕の声だぞ。耳障りなはずがあるか)


 二十一年の人生の中で、声に不満を持ったことなど一度もない。

 だが間違いなく不快だった。目覚めた今でさえ、その感覚が残っている。


(なぜだ。僕は何に不快を感じた?)


 たかが夢。

 そう流してもいいはずなのに、エルデュミオにはそれができなかった。


 気分の悪い夢だったからなどではない感情の理由を意識しないまま、思考の方が先走って考える。


 そして気付いた。頭を垂れていた臣下たちの顔が、誰一人として判別できなかったことに。

 王座という装飾だけを手にして、満足そうに高笑う道化。それが自分の姿をしていたことが不愉快だったのだ。


(形式だけ跪かれて、それを鵜呑みにする暗君だというのか、この僕がッ!)


 しかしそれは誰に言われたわけでもない。ただ自分が見ただけの夢だ。


 夢には、心の内にある願望が現れることがあるという。


 金眼を持って生まれたエルデュミオには、確かに王位継承権がある。ただしその順位はかなり低い。少なくとも、王子も王女も健在な中でエルデュミオに出る幕はない。


 王位を望んだことなどないつもりだった。ルーヴェンやルティアに不満を感じる以上に、エルデュミオは権力構造における秩序を重視している。


(夢が荒唐無稽なのは不思議でも何でもないが……。くそっ。自分が見た夢ながら腹の立つ!)


 ローグティアの香りに包まれて見たとは思えない悪夢だ。


 エルデュミオの体感では然程の時間は経っていなかったが、湯の温度の下がり具合からすると、すでに数十分は経過しているようだ。


「湯に浸かって冷えるなど、何の冗談だ」


 寛ごうなどという気分は綺麗に消え失せてしまった。


 いっそローグティアの香りさえ煩わしくなって、換気のための窓を開ける。

 本来の目的である洗体を済ませ、さっさと休もうと心に決めた。


(……そう言えば)


 目覚めた途端におぼろげになっていくのが、夢というもの。あれほど怒りを感じた夢でさえ、ローグティアの香りが散ると同時に、記憶の中からも薄れていく。


 だから絶対だとは言えないのだが。


(あの夢。僕以外の誰かの声がした、か……?)


 思い出そうとしてみたが、消えていこうというものが鮮明に甦るはずもない。

 緩く首を振り、腹立たしい夢のことは忘れることにした。

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