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呪杖を使って自身の呪力を増幅させたルティアは、広範囲に治癒呪紋を展開させた。体を貫き、今を持ってなお内側を焼く激痛に耐え、息を殺していた騎士たちから堪えきれない安堵の息が零れる。
体の傷は癒されたはずだが、ルティアはしばらく呪紋の行使を止めなかった。汎用性の高い通常の治癒呪紋から、感覚のみで若干の変化を加えている。マナの多量摂取によって既に壊れている器官へと働きかけているのだ。
ややあって手応えに納得したのか、ルティアは呪紋を止めた。
自身の体に起きた変化だ。騎士たちも理解できたのだろう。敬意を感じた様子でルティアを見上げる。
「それで? どうする。役目のために、命を救われた大恩を仇で返す外道に落ちるか?」
「……口惜しいことに、我々は敗北し、体が痺れて動けないようだ」
口惜しさなど窺えない、淡々とした口調でそんな答えが返ってくる。
「そうか。だったらそうして転がっていろ。――ルティア、フェリシス、ここはもういい」
「はい。では、行ってきます」
騒ぎに乗じてルティアを襲って来た以上、魔物の方も自演だと確定した。大した被害は出ないだろう。ルティアが無事な姿を見せてしばらく経てば、失敗を悟って諦めるはずだ。
後は予定通り、事情を知らずに懸命に戦っている騎士を援護し、このふざけた戦いを終わらせればいい。
自演だと分かったから、壊滅的な被害は出ないと安堵した部分もある。怒りとどちらが大きいかは悩ましいところだが。
(さて。僕はそろそろ執務室に戻るか)
そこで終わりを待つつもりだったエルデュミオの予定は、直後に瓦解する。
ルウ、オオォォォオオッ!!
「!?」
前触れなど一切なく、巨大な咆哮が轟いた。声に宿った魔力がそれだけでフラングロネーアの結界を振動させ、皮膚にまで衝撃が伝わってくる。
寝転がっていた騎士たちが、全員揃って跳ね起きた。
「予定外か?」
「予定外だ。――行くぞ!」
「はッ」
つい数分前に交わした言い訳など通じなくなる機敏さで、騎士たちは駆け出す。足を踏み出しかけていたルティアたちの方が遅れてしまった。
「……ええと」
「どうやらお前を捜している間に想定外の事態が起こり、対応に向かうことを優先したようだな。お前も騎士の援護に出てうろついていたから出会わなくても無理はない」
この状況でするなら、このような言い訳になるのではないだろうか。
「わ、分かりました。では、わたくしも援護に行きますね」
「貴方はどうする?」
「お前の代わりに功績を上げてる部下を下がらせなきゃならないから、そっちに行く」
咆哮一つで結界を揺るがすような魔物に向かってはいかないだろうが、万が一があっては困る。
ルティアの足に合わせる理由はエルデュミオにはないので、告げると同時に走り出した。
王都は相応に広い。通常の身体強化呪紋をかけ、走る速さを上げてもまだもどかしい程に。
城から出て、視界が開けた途端。フラングロネーアが直面している事態を思い知らされることになる。
「な――、何だ、あれは」
「竜族です。地竜族と思われます」
引きつった声を上げるエルデュミオに、スカーレットから極落ち着いた調子でそんな答えが返ってくる。
二本足で立ち上がり、外壁より上の視点から町を見下ろすスカーレットいわく地竜は、悠に全長十メートルはある。
堂々と晒している腹部は外皮がそのまま硬質化している様子で、金属じみた輝きを放つ。背部には下手に触れようものならそれだけで斬れそうなほど鋭い鱗がびっしりと重なって生えている。顔や手足の形状は、竜は竜でも土竜に近い。
断言できるが、地竜などフラングロネーア近郊に生息していない。と言うより、竜が棲んでいるような場所に町を作る人間などいるはずがないのだ。
なぜならば、人間からすれば天災級のその力は、脅威以外の何物でもない。
地竜は結界の内側に、抵抗を受けつつ腕を差し込む。そして邪魔な土を払い除けるがごとく、実に軽々と外壁を薙ぎ払った。そこにいる騎士たちごと。
腕の動きに合わせてごっそりと外壁が崩れ去る。その光景は人々を絶句させ、恐怖に駆り立てるのに充分だった。
「なぜ、竜なんかがここに」
「報復ではありませんか? 己の友が好き勝手に命を使い潰されて、怒らない生き物などいないかと」
「魔物を自壊付きの強化方法で使い捨てにした報復だと? ……本当に、余計な相手を招いてくれるな!」
やった張本人に責任を取ってどうにかしろと言いたいところだが、どうにかできる手段を持つ者がいて、その意思を持っているならとっくにやっているだろう。
自分の通る道を作ろうとしているのか、地竜は外壁を神経質に均し始めた。体当たり一つで吹き飛びそうなものなのに、竜の思考と感性は謎だ。
立ち直った騎士たちが放つ呪紋が地竜に向かうのが見えるが、ほとんどが腕の外甲で防がれている。効果が出ているようには見えない。
(とにかく、まずは僕の部隊員を避難させなくては)
フェリシスが受け持っていた個所に行っているので、下手をすればまだ外壁の外だ。しかも場所は竜が陣取る正門の先。最悪だ。
あまりに絶望的な光景に思わず止めてしまった足を、再び動かす。
「行くのですか?」
「彼らを行かせたのは僕だ。隊員の命は、可能な限り守る義務がある」
巻き込まれて死亡したとしても、逸って勝手に行っただけだと言うことはできる。実際、彼らが死んだらエルデュミオはそう言うだろう。もしかしたら、問題視された時点で切り捨てるかもしれない。
フェリシスやルティアに答えたのは、あくまでも希望込みの見込みだ。
(そうするべきなんだ。僕の、そしてイルケーアの名誉のために)
なのに今、エルデュミオは走っている。行ってしまえば、無関係を貫くのが難しくなるだけだというのに。
この状況で外を歩くような民間人はいないので、遠慮なく全力で走っても誰かにぶつかるという心配がない。真っ直ぐに道を駆け抜ける。
町の終点では、壊された外壁の代わりに近衛騎士が立ち塞がり、地竜の侵攻を妨げていた。
「おおおおおおッ!!」
その一薙ぎで外壁を削り崩した地竜の腕の一振りを、騎士団長であるヘルムートが雄叫びを上げて受け止める。
予定では指揮所で指示をしているはずだが、急変した事態を受けて出てきたらしい。
(さすがに化け物だな)
今地竜を取り囲んでいるのは、ヘルムートを始め第一部隊の中でも更に限られた精鋭だけのようだ。それ以外の者は、離れて補助に回っている。
支援の力もあるのだろうが、それでも人があの巨体と渡り合う姿を見るのは驚愕の光景だ。王座争いの件がなければ、ストラフォードの騎士の力に高揚さえ覚えただろう。
(下手をすればあれが敵か。ぞっとする)




