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「なぜ私が、貴方にそのような嘘をつくと思われるのです?」
「なぜだと? 大体スカーレット、お前は」
スカーレットの言葉をそれだけでそうかと信じられる記憶が、エルデュミオの中にはない。すでに十年以上共にいるはずなのに、だ。
ルティアが傀儡姫を止めたその日――やり直しが始まってからの方が、それまでより余程印象深い。
(印象深いというより……。間の記憶が、ない?)
スカーレットは子どもの頃から付けられている従者のはずだ。その意識がしっかりと存在している。
(しかし、いつから……? 僕はいつ、スカーレットと会った……)
「エルデュミオ」
「!」
名前を呼ばれ反射的に顔を向けると、目の前でパチン、とスカーレットが指を鳴らした。細かな火の粉が爆ぜ、その一つ一つが奇妙に、蠱惑的な光を発する。
「私の話をするのは、まだ早い」
一目見てしまえば心を掴んで離さない、甘美な魔炎の光。宙を舞うそれを無我のまま目で追って――空気に溶けて掻き消えたとき、エルデュミオは目を瞬いた。
「っ……? 僕は、今」
前後の記憶があいまいになって、よく思い出せない。靄のかかった思考が気持ち悪くて、頭を緩く左右に振る。
「……ああ。ルーヴェンの話を、していたんだったか。スカーレット、お前は本気で、あいつがそんな真似をする気概があるように見えるのか?」
「はい」
即答をされた。納得はしていないが、スカーレットの認識も揺らがないのはよく分かった。
「お前、ルーヴェンが嫌いだな?」
「はい。私はあの身の程知らずな愚か者に、心の底から怒りを感じています」
柔らかく微笑を湛えつつ紡がれた言葉には、思わず気圧される威圧を感じた。忌むべき敵を見据える瞳の冷たさに、息を呑む。
「ですから、貴方にはルーヴェン殿下と関わっていただきたくはない。エルデュミオ様の姿と強さは、あれの劣等感を刺激するでしょうから。余計な真似をしてくる可能性があります」
「僕を害するとでも? ルティアならまだしも、僕を狙ったところで誰にも益はないだろう」
王座に関しても神聖樹の件にしても、エルデュミオは中心にいない。関わっているので邪魔と見なされる可能性は高いが、それだけだ。エルデュミオ自身に狙われる理由があるわけではない、と考えている。
だがそのエルデュミオに、スカーレットは首を横に振った。
「いいえ。まだ気付かれていないだけです。だから今は、勝手に潰し合わせておけばいい。……今回は、邪魔などさせない。我々が完全なる勝利を手に入れる。そのために、世界はお前に統べてもらう必要があるのだ。我らが同志。神樹の寵児よ」
愛おしげにエルデュミオの金眼を覗き込み、スカーレットは笑う。その眼差しはマダラがローグティアを見ていたときのそれと酷似していた。
「お、前」
「ああ、しまった。喋り過ぎた」
苦笑いをして身を離し、再度指を弾いて魔炎を生む。
「人間と、こうも長く共に過ごすのがあまりに久し振りないせいか。どうにも気が緩んで困る。それとも、気が急いているのか」
ばさりっ、とスカーレットの背で鳥類の翼が羽ばたく音が響く。部屋の中で起こるには不自然な風の流れが生まれ、机の上の紙束を少し動かした。
どこからともなく舞い落ちてきた黒い羽を、スカーレットの手が掴む。
艶やかな光沢を持つその羽は、どう控えめに表現しようと美しかった。人の視線を捉えて離さない魔性の美は、スカーレットが操る炎と同質のものを感じる。
指先で羽の芯をなぞり、ほんのりと輝きを宿したそれをエルデュミオの額に押し当てた。抵抗もなく体の内側に吸収されると、焦点の合っていなかったエルデュミオの瞳に光が戻る。
「……?」
訝しげに眉を寄せるその様子に、スカーレットは淡く微笑して声を掛けた。
「エルデュミオ様、お疲れなのではありませんか? ルチルヴィエラから戻って、まだ日も浅いのです。無理をなさらずお休みになられた方がよろしいかと」
「……そうだな。頭が動いていない気がする」
はあ、と大きく息をつき、エルデュミオはまだ残っていた紅茶を一気に喉に流し込む。それから時計に目をやって顔をしかめた。
「こんなに経っていたか? 重症だな。――少し休む。片付けておけ」
「承知いたしました」
ふらつきながら立ち上がったエルデュミオを、スカーレットは恭しく腰を折って見送った。
「国王選挙、か」
エルデュミオに命じられ、自らがまとめた資料に手をついて、スカーレットはつまらなさそうに嘆息する。
「神に仇なすあの愚か者は論外として、ルティア王女も望ましくはない、が……。まあ、エルデュミオの足をしばし留めておけるのだから、悪くはない催しか」
一国の王を決めようという重大な物事も、スカーレットにとってはその程度の些事だ。
「私が近くにいないときに、万が一のことがあっては困る。少し早いが、始めるか」
スカーレットは耳に飾った小さな鈴型のピアスを軽く弾く。リン、と澄んだ快い音色を一度奏で、数瞬後、応答するようにもう一度鳴る。
そして何事もなかったかのようにエルデュミオが放り出して行った書類をきっちり区分けしてまとめ、棚に仕舞って鍵をかける。それから執務室を後にした。
まだ魔力慣れをしていないエルデュミオが不調をきたすのは確実なので、護衛を兼ねて近くにいる必要がある。
目的を果たす、その時まで。
(……自分で感じていたより、無理をしていたんだろうか)
スカーレットと話したその日から丸二日、エルデュミオは熱を出して療養を余儀なくされた。まったくもって、時間がもったいない。
ただ無為に時を過ごすのは腹立たしかったので、後半、幾分か回復してからは侍女にお茶の淹れ方を習って過ごした。
日々研鑽を積んで技術を高めている彼女たちの力量に感嘆しつつ、師匠がいいせいかエルデュミオが器用なおかげか、リーゼよりはマシに淹れられるようになったと自負している。人の評価は得ていないので、個人の感想によるものでしかないが。
ともあれやるべきことが遅れたのに変わりはない。普段よりはるかに詰め込んだスケジュールで動いていたのは確かだが、その程度で参るとは思っていなかった。
(少し、鍛えた方がいいかもしれない)
近頃荒事との遭遇率が高いのも、そう考えさせる要因の一つだ。
スカーレットを伴い城に出仕してすぐ、エルデュミオは違和感を覚える。空気が物々しい。
「何か、あったようですね」
「そのようだな」
事情を知っていそうな者を捜してエルデュミオが首を巡らせると、その隣を人影が走って通り過ぎて行った。
「――ルティア!?」




