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「ふざけているのはお前だろう。裁炎の使徒はその特殊性ゆえに、適性のない者は選ばれない」
ドライの言葉は一部、事実である。裁炎の使徒は身寄りのない孤児を引き取り、そのための教育を与えて構成されている。
ただし、絶対ではない。適性がないと判断された者は早々に候補から外される。
暗殺任務を負える人材に育て上げる途中、結果に至る行程の中で一度でも、僅かにも忌避感を見せた者は、その瞬間に除外されるのだ。本人のためにも、組織のためにも、国のためにも。
例えば、人を騙す行い。嘘をつくことへの良心の呵責。他者を傷付けることで自分も傷付く、正常な精神の持ち主たちだ。
そういう人間はどれだけ能力が優秀だろうが、向かない。だから初めから外されることになっている。
そうした子どもたちは普通に十五まで孤児院で過ごし、社会へ出ていくことになる。何も知らない一市民として。
(始めから素養がない奴に、能力を惜しんで馬鹿をやった奴がいるか、もしくは後から唆されたか)
どちらにしろ、彼女を裁炎の使徒に残す判断を下した者は失策を犯したと言っていい。『ドライ』を冠しているのだから仕事の実力はあるのだろう。しかし裁炎の使徒にとって最重要なのはそこではない。
「自分を哀れむのは結構だが、奪ってきた命のことも忘れるなよ。まあ、それができない奴だから残っているんだろうが」
「それはあたしのせいじゃない。あたしに命じたお前らだけが、罪を負うべきでしょう。あたしは被害者よ」
「望んできたのはお前だ。常に」
もしドライが人の命を惜しめるような人間なら、彼女はここにいない。
「あたしは、あたしが気持ちよく生きるための選択をしてきただけ。それの何が悪いの。始めから栄光が約束された場所で、成功の道筋しか存在しないお前たちに、あたしが悪いなんて言わせない!」
「時間の無駄だな」
ドライの生まれが恵まれていなかったのは、主張の通りだ。エルデュミオの生まれが恵まれており、どこまでも安泰で成功の道が開かれているのも。
だがそれでも、ドライが自分を哀れみ、それを理由にして、自身も人から奪って踏みつけにしてきた事実は変わらない。
「……ええ、本当に。だからあたしはずっと、自分の自由のための選択をする! 誰にも否定なんかさせないわ!」
バキンッ。
何を思ったか、ドライは唐突に自分の腹を拳で殴った。その服の下で、硬い物が割れる音がする。
途端、高濃度のマナが周囲に溢れた。
「!」
その感覚は、つい先日感じたものと同じ。記紋術具を壊したときとまったく同じだ。
自爆か、と思ったのも一瞬。溢れたマナは帯を描くように収集し、ドライへと注ぎ込まれる。
「嘘!?」
「そ、そんなことをしては――」
マナの過剰摂取による死亡は避けられない。普通なら。
「ふっ……。ふふふ」
リーゼとルティアの上げた動揺の声を聞き、ドライは小気味よさそうな笑みを見せた。その足から赤い血煙が立ち上り、かなり深かったはずの傷を瞬く間に回復させていく。
「お前を殺して、あたしは自由になる!」
「!?」
ドライの言葉が終わるか終わらないかの瞬間、エルデュミオは右側頭部に大きな衝撃を受けた。次いで走る激痛。視界の角度がおかしい。斜めだ。
そこでようやく自分が右側から殴られ、宙に浮いている状態だというところまで理解が追いついた。小島の半径を軽く超えて吹き飛ばされ、盛大な音を立てて湖に落下する。
「っ、は!」
急いで水面から顔を出す。丁度背後から斬りかかったリーゼが、ドライの腕の一振りで橋の中程にまで吹き飛ばされているのが見えた。おそらく、端から見たエルデュミオも似た状態だったのだと思われる。
(人間の力じゃないッ)
エルデュミオをどかしリーゼを払い除け、ドライの左手がルティアを捕らえようと迫る。ナイフを携えた右手は、すでに振り上げられていた。あの力では、骨ごと頭を貫きかねない。
ばちっ。
だがドライの手はルティアに届くことはなく、彼女が構築した防御呪紋によって弾かれる。エルデュミオとリーゼが稼いだ時間は無駄ではなかった。
舌打ちをして、ドライは右手のナイフを不可視の盾に突き立てる。ルティアが更に呪力を注ぎ、破ろうとする力と、維持しようとする力がせめぎ合う。
「く……っ」
じわじわと、盾の歪みが大きくなっていく。切っ先が沈み、ドライはついに左手もナイフに添えた。
エルデュミオが小島まで戻り、土の上に這い上がれたのはこのときだ。
(どうする!?)
すでに剣に呪力を通し、切れ味を上げる呪紋は発動させている。だがそれでも心許ない。
駆け寄り、斬りつける。それ以外の選択肢はない。だがそれでドライを止められる気がしなかった。腕の一振りで払われ、吹き飛ばされれば、次はもう間に合わない。
だからといって、迷っている時間もなかった。今この一瞬で行動を決めて実行しなければ、結果は同じだ。
立ち上がり、駆ける。その視界の先、湖を越えた位置で不自然な光の反射を見つけてしまう。
それは輝きの強い金属の放つ光。やや不格好な――まるで植物の枝と蔦で構成したような、奇妙な弓を引いたマダラが番える矢に付けられた鏃だった。
(ここに来てかッ!)
距離があり過ぎる。マダラを止めるのは不可能だ。
手が矢羽を離れ、番えられていた矢が放たれる。だがその軌道が妙だ。ルティア、エルデュミオ、リーゼ――そのいずれも標的にした物ではない。
「この……ッ!」
一直線に飛んできた矢を、ドライはナイフに添えていた左手を離して掴み取る。恐ろしい動体視力と反射神経だ。
マダラはそれを始めから予想していたのか、ドライが触れた瞬間、矢は弾け飛ぶ。内部に仕込まれた細かな棘を、ドライの手に突き刺した。
「うぅっ!!」
毒でも塗られていたか、焦りの声を上げたドライは左手をナイフに戻してルティアの盾を破ることを優先した。
澄んだ高音を立て、盾は貫かれた一点からヒビを広げ、粉々に砕け散る。盾を破った勢いのまま、ドライはルティア目掛けて突進し――
ドッ!
「ぅく……っ!」
追いついたエルデュミオが全体重をかけて突き出した剣に左胸を貫かれ、動きを止める。普通の人間であれば致命傷。エルデュミオもそのつもりでやった。そしてそうでなければおそらく貫けなかった。




