31
「聖神教会の壊滅前には連絡を取りたいところだな。というか、壊滅というのはどういう状況だ」
「本神殿が魔物の大群に襲われたのですよ。姿形がよく見る魔物でも、一体一体がもの凄く強くて……。別種の魔物のようでしたよ」
「それも神聖樹の魔力化が影響しているのか」
「多分……ですね」
のんびり検証している間があったはずもない。リーゼの答えは曖昧なものになる。
つまりルティアがいてなお神聖樹の魔力化に追いつかなかったということだが、それについてエルデュミオは責めるつもりにはなれない。
エルデュミオ自身、リューゲルのローグティア一本を整えるのでやっとだった。それだけで全身の呪力を使い果たしている。おそらく一人二人では手に負えなくなっていたことだろう。
そうなると、金眼の持ち主の数が少ないことが非常に悔やまれる。
「はっきり言うと、わたし、聖神教会は苦手なのですよ……。よく旅の妨害もされましたし」
「権威を護るためか。本末転倒だな」
クロードの対応を見た後だと、リーゼの言葉には説得力がある。
そうでなくとも、エルデュミオからすれば人間としての信頼性の差で、どちらの言葉を重視するかは決まっているが。
「でも、まあ、今回は大丈夫ですね? ちゃんと聖神教会にも花を持たせて喧嘩しないで済ませられるですね?」
「しばらくはな。……何となく、そのうち足を引っ張ってくる予感はするが」
「不吉なことは言わない方がいいです!」
噂をすれば影、とも言う。胸の前で手を交差させてバツを作るリーゼの主張は、そのまま受け入れておく。
「それが無難か。言の葉は因果を作るという話も聞いたことがある」
「何です? それ」
「神秘学の領分だな。この世の事象は生きる全ての生物によって形作られていて、人の発する言葉もその一つ。ほんの僅かであれ、口にした言葉には間違いなく事象を動かす力がある……という話だ」
とはいえ僅か過ぎて、効果などは現れない。つまりはないのとほぼ変わらない。
だがもしかしたら、そのほんの僅かが一とゼロの境目かもしれない。そういった研究だ。
「なるほど。わたしは嫌いじゃないですよ、そういうの」
「言っていてなんだが、僕はあまり興味がない。現実に起こらない事象など、ないのと同じだ」
「もう。だから希望を込めて口にするんでしょう。そうですね、たとえば――エルデュミオ様に、幸福が訪れますように、とか」
「っ……」
不意打ちに過ぎた。
他人から素直に、裏もなく己の幸福などを願われたのは初めてだ。
実など存在しない、一瞬で空気に溶けて消えた言の葉。だが意味も効果もないとは、断じられなくなってしまった。
ほんの少しだけ、だが間違いなく、エルデュミオの心はリーゼの言葉に喜んだ。
「ということで、もし因果が巡って幸福が訪れたら、わたしに感謝してくれるといいですよ」
「……浅ましい」
「はぁっ!?」
ため息をついて素気無くあしらったエルデュミオに、リーゼは不満に満ち溢れた声を上げる。
「そーゆー態度だから、幸せも運も逃げていくですよ!」
「残念だが、僕の運はいい方だ。イルケーア公爵家に生まれ、金眼を備えている時点で確定している」
「いっそ思いっきり没落するですよ、このボンボン!」
「本気で望んでないなら口にするなよ。後悔するぞ」
「ぅぐう……っ」
もの凄く悔しそうに、リーゼは喉で唸る。そんな様でも可愛らしい、などと頭に過る。
おそらくそれは、リーゼが望んでいないことを認めた行動である、という部分にも起因しているのだろうが。
「お前の言葉は、意外と本当に因果を結ぶ」
「はあ」
「鈍い娘だ。お前に幸福を願われるのは悪くない気分だったと言っている」
「はあ……。……え。えっと、ええ!?」
分かりやすく声に艶を含ませて特別を示唆した言い様にようやく気付き、リーゼはうろたえる声を上げた。どう応じれば分からない様子だ。
「ふ、深い意味はないです!」
「……当たり前だ。ただの言葉遊びの延長だぞ」
「き、貴族の爛れ具合がよく分かる物言いですねっ!」
顔を赤くしたリーゼは、薄っすら涙目でさえある。からかわれたことへの怒りと羞恥だろう。
そういった恋愛ごっこの駆け引きが、社交界での娯楽の一つであることは確か。これが貴族の令嬢であれば、小さく笑って肯定的な言葉を紡ぎ、それで終わりだ。
誰も本気にしないことを前提に、許されない本気の恋を遊ぶ場合もある。恋愛など許されようもない貴族が、心を慰めるための手段でもあるのだ。
だがリーゼは平民だ。エルデュミオとしても、なぜリーゼにそんな言葉遊びを仕掛けたのか、説明しろと言われたらできない。
どんな反応が得られれば満足だったのかも、よく分からなかった。
何かを失敗した気分になって、リーゼから視線を逸らす。その先にローグティアを捉えたのは、意図してではない。
「!」
だがそこに見覚えのある姿を見付け、エルデュミオは駆けだした。
「ちょ――、ちょっと!?」
一瞬だけ遅れて、リーゼも付いてくる。
剣の柄に手を駆けつつ、橋を一気に駆け抜ける。それだけ騒がしければ、当然のように相手も気付いた。
ローグティアの根元に屈み込んでいたマダラが顔を上げ、エルデュミオとリーゼを視認する。表情に明らかな苦々しさが宿った。
すぐにマントを翻し、その場から姿を消す。
「この……っ」
直前までいたはずの場所を斬り払うが、空気を薙いだ手応えしかしない。
「だ、誰です。今のは」
「知らないのか」
リーゼの言葉にエルデュミオは驚く。以前マダラの話をしたときも反応が薄かったが、明らかに偽名なので同じ人物像が浮かばないだけだと思っていたのだ。
マダラは積極的に活動をしている邪神信徒だ。敵対しているルティアたちと、一度も遭遇する機会がなかったとは考えにくい。
「知らないです。誰です?」
「リューゲルでセルジオを操っていた、主犯の邪神信徒だ」
「前はいなかったですね。というか、リューゲルの件に主犯とかがいたのも初耳ですよ。わたしたちにとっての黒幕は、代官殿でしたから」
「……どういうことだ」
前回はただ偶然、遭わなかったとでも言うのか。ならばなぜ今回は、わざわざ遭遇する地点で行動をしているのか。




