18
限りなく源流に近いマナに触れ、外へと引き出す。
瞬間、ローグティアが強く光り輝いた。
黄金の穂と同じ色に染まっていた花びらが、純白へと色を変えて枝という枝に一斉に咲き誇る。そして花一つ一つの中心から光の球体が生まれて空へと立ち昇り、さらに細かな粒子となって、今度は地上へと降り注ぐ。
「お……ぉ?」
光に触れた木人たちに、再度の変化が現れた。
変質したときと同じように、パキパキと小さな音が体から生じる。古くなった殻が役目を終えて、剥がれていくように。
樹皮のようだった全身の皮膚が落ちると、内側からは人の肌が現れる。
ややあって光の雨は降り止み、ローグティアもまた、静かに佇むだけの樹へと戻った。ただし例がない程に花を咲かせた姿と、すっかり色を変えた花びらはそのままだ。
「あ……。う、動ける。動けるわ!」
自らの体が意思通りに動くようになったことに気付いた人々から、一斉に歓声が上がった。その中に、元気のいい泣き声も混ざっている。
「ママー、ママー!」
「大丈夫よ。すぐお母さんの所まで連れて行ってあげるからね」
母を求めて泣く少女を慰めている女性は、知人だろうか。それとも縁も所縁もない他人か。
(……別に、どちらでもいいが)
体中の呪力を使い果たした気分で、エルデュミオは地面に直接座り込み、息をつく。
「あ、あの……。大丈夫ですか」
互いに抱き合って魔物からの解放を喜び合う者たちの中から、数人が我に返った表情をしてエルデュミオの元まで歩み寄ってくる。
膝を突き、顔色を窺うのを鬱陶しげに手で追い払う。
「問題ない。それより無駄にはしゃぐ余裕があるなら、さっさと丘を下りて警備軍の詰め所にでも行ったらどうだ」
マダラを取り逃した今、彼女たちを生きて取り戻せたのは僥倖だ。危険人物として指名手配し、広く周知させる必要がある。
声を掛けられたときに顔ぐらいは上げたので、エルデュミオの周囲に集まっていた人々には、その瞳の色が見えた。
どこの誰かは分からずとも、王族に連なることだけは間違いない、身分を主張する金の瞳だ。
「は、はい。でも、あの……」
貴族に提案されれば、それはほとんど命令である。リーゼのように常識から一本外れた胆力の持ち主ならばともかく、大抵の人間は即座に従う。
実際、女性もうなずきはした。だが何かに迷うように動き出そうとはしない。
「――エルデュミオ様!」
妙な空気で場が気まずくなる前に、坂を上がってスカーレットが戻って来た。後ろには元に戻った住民たちを連れている。
「ご無事ですか」
「無事ではないが、概ね問題ない。……お前は?」
スカーレットが駆け寄るのと同時に場所を開けた女性たちは、いずれもほっとした顔をした。
放っておくことなどできないが、どう接すればいいのか分からない貴族への対処を行ってくれそうな人物が現れたことへの安堵である。
「私は問題ありません」
「そうか」
離れ離れになったあと、スカーレットも木人の毒にやられたのはほぼ間違いあるまい。肌が見える箇所には打ち据えられた痕が残っていたし、衣服にも傷が付いている。下の体も同様だろう。
「お前が正しかった。僕が愚かな命を下したせいで、苦労させたな」
「いえ。結局、正しかったのはエルデュミオ様ですから」
「想定外の結果で良しとするのは好みじゃない」
幸運が味方しなければ命を落としていただろう判断が、正しかったなどとはとても思えない。
「ともあれ、今日は戻って休みましょう。今後のことを考えるのは、明日からでもよろしいかと」
「そうだな。……スカーレット、手を貸せ」
「はい」
伸ばされた手を取り、億劫な体を引き上げる。
散歩程度の気分で登れるなだらかな坂さえも、今は酷く疎ましい。
(……酷い有様だった……)
豊穣の調べに到着し、部屋に帰るなりエルデュミオは泥のように眠りについた。
その代償は翌朝支払うことになり、清々しい朝日と反対に非常にうんざりとした目覚めを味わう。
起きて一番にしたことは、風呂に入って身形を整えることだ。
(草やら土やら埃やらを付けたまま眠るなど。あまつさえそんな無様な姿を他人に晒すなど。あり得ない)
あり得てはいけないのに、そうなってしまった。心の底から腹立たしい。
全身を洗い流して清潔な服に袖を通し、ようやく人心地つく。
ベルを鳴らしてスカーレットを呼ぶと、彼は昨夜の騒ぎを窺わせることなく、今日も完璧な佇まいだ。
「おはようございます、エルデュミオ様」
「ああ。朝食を頼む。軽めでな」
「承知いたしました」
スカーレットが呼び出した宿の従業員と話している間、ぼんやりと窓から表を眺める。何となくだが、人出が多い気がした。
値段が張るとはいえ宿は宿。町中の空気は伝わってきやすい。
(何かあったのか?)
「――警備軍が見事賊を討伐して、凱旋してきたそうです」
「ああ、それでか」
見て分かるぐらいに訝しげな顔をしていたのだろう。戻ってきたスカーレットに教えられて納得した。
「さらわれた住民は全員見付かったのか?」
「全員は確認できていないようです」
伝わってきているのは第一報のようだ。それでも帰って来た被害者と再会できた者もいるだろうし、もう日常を脅かされなくてよいとなれば、安堵の気持ちが広がるのは自然だ。
しかしエルデュミオの立場からすると、まだ何も解決していないに等しい。数日前とは状況が変わった部分もある。
「賊の巣穴にいた者に関しては、問題ないだろう。だがすでにセルジオの方に回されていた者には、療養が必要だ」
生贄予定がローグティアの丘に連れてこられた人数だけであるはずがない。必要人数に達していたのなら、犯罪を続ける理由がないからだ。
第二弾、三弾のための生贄要員が用意されていた可能性が高い。
マダラの話し振りからして、生贄にされようとしていた人々は何かしら魔力の干渉を受けている。それを調べる必要があった。
「はい。オルゲン殿にはそのように取り計らうよう伝えましょう。――今回の件、どのように周知させますか」




