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やり直し聖女の恩恵  作者: 長月遥
最終章 彩で満ちる世界を
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「一応、間に合ったと言えるのでしょうか」

「今の所は」


 幸いにして、世界はまだいつも通りに存在してくれている。


 だが気がかりもあった。リーゼも気にしているのか、視線がよく神殿内にあるローグティアの方へと向く。


(ルティアとフェリシス、スカーレットの状況が分からん)


 ここ数時間、誰の姿も神殿に見られない。神聖樹が在るマナの領域は物質的な『こちら側』とは少々法則が違うのだが、その違いを把握できるスカーレットが同行している。


 緊急時に対応するため、彼らは一定の間隔で順番に聖神殿に戻ってきていた。

 それの意味するところはただ一つ。接触して、場を離れられなくなったということ。


「――……」


 逸る気持ちを抑え、エルデュミオは手を組み、意識して平時の呼吸を繰り返す。


(落ち着け)


 今すぐ駆け付けたい衝動に駆られる。しかしそれはただの悪手だ。今エルデュミオが戦線に加わったとて、時間稼ぎできる時間が少し長くなるだけで終わる。


(式典はまだか)


 扉が叩かれるその時を、急いた気持ちでひたすら待つ。

 と、静かに扉がノックされた。待ちに待った瞬間だ。


「エルデュミオ様、時間です。参りましょう」

「ああ」


 訪れたクロードにうなずき、エルデュミオは席を立つ。そして念のため、リーゼを振り返った。


「僕が戻る前に焦燥に負けるなよ」

「はい。分かってます」


 リーゼの性格上、エルデュミオよりも心的な負担が大きいだろう。それでも彼女は首を縦に振った。


 回廊を抜け、聖堂の扉の前に立つ。普段は一般開放されている区画も今日は閉ざされており、息を潜めたくなるほどの静寂が圧し掛かってくる。


 門の前に立つ聖騎士が直立不動で佇む間を、エルデュミオと、彼の後ろからクロードだけが付き従う。


 神像の少し手前でクロードは道を逸れ、脇に控える聖席たちの後ろに並ぶ。

 本来であれば聖王から聖冠、聖杖を譲り渡されて座を受け継ぐのだが、不徳によって罷免された前聖王は当然この場にいない。


 代わりに第一聖席であるアンヴェルが進み出て、神の像に跪いたあと設置されていた聖冠を手に取る。


「汝、エルデュミオ・イルケーアよ。今この日、この時を以って汝は正式に、現世における神の代理人となり、天地に代わり、間の人々を教え、導き、救う赦しと使命を帯びた。大地より邪悪を駆逐せしめた初代聖王に恥じぬよう、よくよく務められよ」

「初代聖王の意思、しかと承った。冠と杖を降ろすその日まで、聖王の名をお預かりいたします」


 片膝を突いて頭を垂れたエルデュミオへとアンヴェルはうなずき、聖冠を乗せる。そして伸ばした両手に聖杖を。


 捧げ持った聖杖を身に引き寄せてから、立ち上がる。

 振り返ったその目には、場に揃った全員が左胸に手を当てて頭を下げている姿が映る。


「新たなる聖王よ。どうか、民にお言葉を。皆、正しき方が聖座に就くのを心待ちにしておりました」

「ああ。――皆、征くぞ。心せよ。混迷のこの時代、聖座に就き、聖席を預かる我ら一同は、新たな時代を切り拓く先駆者である」

「はッ」


 それがセルヴィードを邪神の汚名から解放することの意であるのは、この場の全員にすでに周知されている。


 変化なく穏やかに時を刻んできた聖神殿にとって、経験のない激動と言える。しかし必要である以上やるしかない。


 その覚悟が、一人一人に伺えた。


 来た道を戻るエルデュミオに付いて、今度は聖席たちも一緒に移動する。目指すは一般開放区の庭に面したバルコニー。


 そちらで、集った民衆へ向けて演説を行うのだ。


 一行が通路に出ると、ひょこり、ひょこりと小動物じみた愛らしい聖獣たちが姿を見せる。そして各々、適当なリズムで一向にくっついてくる。ちょっとしたパレードのようだ。


 聖席たちはさすがに意地で視線をそれほど揺らがせずに歩いているが、戸惑いが眉や口元に表れている者は少なくない。


 階段をのぼり、バルコニーへと進む。姿を見せた聖王と聖席たちに、庭に集った人々が一斉に歓声を上げた。


 歓迎の響きを充分に受け取ってから、エルデュミオは片手を挙げて人々を制した。ピタリと歓声がやむ。


 聞く姿勢の整った何百という瞳が、集中してエルデュミオへと注がれた。


 数はエルデュミオが怯むほどのものではない。しかしこれまでと大きく違うのは、発する言葉の重さだ。


 組織の長としての発言。それは組織そのものを代表して行うものとなる。


(……重いな)


 だが望んで立ったのはエルデュミオ自身だ。己より四つも若いルティアが似た重責に耐えて振舞っているのに、情けない姿をさらすわけにもいかない。そんなことはエルデュミオのプライドが許さない。


「――初代皇帝陛下と聖王が礎を築いたこのレア・クレネアは、これまで平穏を維持してきた。それは今ここに集う皆を始めとした、善良なる人々が保ってきた歴史だ。まずは長き平穏を、皆で誇ろう」


 社会を作るのは集団であるが、集団を構成するのは一人一人の個人である。


「ローグティアの異変に始まり、平穏が脅かされていることに、恐れを感じた者も多いと思う。事実今、世界は悪意によって侵略を受けている」


 なぜそうなったか。どうやってマナを狂わせているのか。

 方法は分からずとも、自分たちが危険に直面している事態を知らない者はいない。


 実際はさらに危うい状況にあるわけだが――残念ながらエルデュミオはそこまで誠実ではないので、無用に伝えたりはしない。混乱が酷くなるだけだという事実もある。


「悪意はより巨大な悪意を育て、最後には滅ぼし合う。ゆえに、私は宣言しよう。レア・クレネアに生きる全てのものに善意と敬意を抱き、ただ真実に誠実であることを。そして」


 そこで言葉を切り、首を頭上へと向ける。目視できた聴衆はつられるように首を天へと向け、分からなかった者も周囲の様子を訝しんで同様にした。

 その頭上に、影が差す。


「――!!」


 影の正体が分かると、人々は一斉にざわめいた。


 天高くを悠々と飛ぶ威容を見せつけているのは竜の群れ。一体だけでも災害に等しいと恐れられる存在が、十数体の群れを成して頭上を飛んでいるのだ。


 エルデュミオが片手を挙げてその存在を認めていることを示すと、竜たちは満足したように飛び去って行った。


「変革を恐れぬことを」


 竜は、攻撃をしてこなかった。聖獣たちも特別に反応をしなかった。新たな聖王は、親し気な素振りさえ見せた。


 ツェリ・アデラに住むのは、レア・クレネア大陸の中でも敬虔な者が多い。そんな彼らでさえ、戸惑うばかりで否定はしない。


 なぜならこの場に自分たちより余程聖神に近い聖獣がいて、当たり前のようにエルデュミオに寄り添っているから。


「これより先の世界には、善意の連鎖を」


 祈るように厳かに声を降らせて、エルデュミオは踵を返す。

 その背中に贈られるべき歓声は上がらない。代わりに一人が聖印を切って膝を突き、頭を垂れた。


 それは見る間に周囲の人々にも広まり、庭に集まった信徒たち全員が首を垂れるのに、然程の時は要さなかった。


 自分たちを良き未来へ導く神の代理人へと、真の意味で信仰が捧げられた瞬間だ。




「――よし、済んだ」


 自室に戻ったエルデュミオは現人神のような神聖さの仮面をあっさり脱ぎ捨て、普段の調子に戻ってそう言った。


 脱ぎ捨てられていく聖衣を拾って片付けながら、クロードは苦笑する。


「とても信徒たちには見せられませんね」

「見せる気はないが、見られても構わん。訳を話せば納得するだろう」


 大分馴染んだ神官服より、それでもまだしっくりくるストラフォードの騎士服に着替えて、控えの間で待機してもらっていたリーゼと合流する。


「待たせたな。行くぞ、リーゼ」

「はい。でも、大丈夫です? 信仰心的に」


 劇的に変化した、とは言えない。むしろ。


「ほんの僅か、と言ったところだな」


 魔物を――その神である魔神セルヴィードを無条件に拒絶しなくなった者が若干名いる。その程度だ。

 だがどれだけ些細でも、力の増加は無意味ではない。そのほんの僅かが明暗を分けることもある。


 しかし。


「大丈夫です? それ」

「訊くな。これが限界だ」


 ともかく時間がない。


「もう少し時が稼げれば、大陸に話を伝播させてさらなる影響を稼げると思うが、待っていられん。あとは向こうでも時間稼ぎをするしかない」


 周知さえされれば、既に魔力が増大している国々では更なる相乗効果が見込める。レア・クレネア大陸では、聖王のお墨付きというのはそれだけの力を持つのだ。


「だが最後の一瞬まで足掻く。クロード、急いでさっきの僕の言葉を各地の聖神殿へ知らせに走らせろ」

「手配はすでに整っております。ですのでどうか、勝ってお戻りください」

「そのつもりだ。勿論な」


 自信ではない。正しく意思のみを表して首肯して、エルデュミオは執務室を出る。走りこそしなかったが、かなりの大股で速足だ。後をついてくるリーゼが歩幅の差で少し小走りになる程に。


 そうしてローグティアの元に辿り着くと、エルデュミオはリーゼへと手を伸ばす。


「途中で手を離すなよ。修練はしたが、充分とは言い切れない。もしためらいがあるのなら」

「はい、ストップ」


 エルデュミオの弱音を皆まで言わせずに、リーゼは彼の手を取った。


「貴方を見送るだけよりは、断然怖くないですね」

「……そうか」


 きっぱりと言い切られて、エルデュミオも覚悟を決める。


「では、行くぞ!」

「はい!」


 ローグティアのマナと同質のマナを自分たちの周りに生み出して、幹に手を触れる。そしてそのまま『中』へと入った。


 純粋なるマナだけで構成される、世界の源へと。

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