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エルデュミオがラトガイタへと遠征している間にも、聖王就任式典の支度は着々と進んでいた。
戻ったエルデュミオがやることといえば、式次第を覚え、挨拶の原稿を作って練習することぐらいだ。
「僕が言うのもなんだが、よく日程を変えようと思わなかったな」
諸国から賓客も招くのだ。やっぱりできませんでしたは通じない。
「本当に、貴方が言うのもですね」
エルデュミオに苦笑して見せてから、クロードは取り置いてあった挨拶状をまとめて片付ける。
今はもう時間がないが、近いうちに目を通す必要があるだろう。
「貴方は戻ってくると思っていましたから。間に合う前提で進めさせました」
「さすが、元聖席だ」
自分の意見を押し通せるだけの力が、今もあるらしい。
「誰にとっても、ラトガイタの異変を収めて凱旋するエルデュミオ様を迎えるのが最善ですからね。勿論、戻られなかった時のための代案も用意はありますが……。もう不要です」
「不要だな。だが、助かる」
どのような事態になったとしても、格好がつくように準備はしていたということだ。
今回は活かされずに済んだものの、先々を考えれば頼もしさしかない。
「ラトガイタは、いかがでしたか」
「主犯には逃げられた。世界の危機は継続中だ」
「……それは、残念でした」
エルデュミオの答えは、クロードの期待には添わなかった。彼の声は分かりやすく落胆している。
「だが、時は近い。奴が目的を達成するか、僕たちが止めるか……。次の邂逅が最後になるだろう」
「そう、ですか」
クロードの視線が自然と外へと向く。今は一見平和に見える、平時と変わらない風景がそこにある。
だが間違いなく、破滅の時は迫っていた。
「どうぞ、勝って戻ってきてください、聖王陛下」
「勿論だ。そのためにここにいるんだからな」
迷いのない強気の発言は、こうした時にこそ望まれる。
不安がないのではない。自信があるわけでもない。やりきらねばならないから言い切るのだ。
「ああ、そうです。つい昨日、イルケーア公爵が到着されたそうです」
「そうか」
「聖神教会としては問題ありませんが。思い切ったことをなさいますね」
クロードはエルデュミオが聖王を辞し、爵位を継いで貴族に戻るつもりであることを知っている。
彼自身も貴族の出であるから、エルデュミオの選択がどれだけ困難かをよく理解していた。
「聖王でい続ければ、歓迎されるだけだと思いますよ?」
「ふん。余程僕を引き留めたいらしいな」
「はい、勿論」
にこりと笑ってクロードは肯定する。
相手を快い気分にさせ、望みの言葉を引き出すのが交渉というもの。自尊心をくすぐることを即興でてらいなくやってみせるのはさすがと言えた。
「だが、断る」
「残念です」
本気の、しかし冗談で隠したやり取りをしつつ、エルデュミオは優先して短い手紙をしたためた。
「これを、父上に頼む」
「承知いたしました」
「それから、僕はそろそろ世界の危機に対しての話を進めようと思う。ここはもういい。ついでに誰かを捕まえて、ルティアとリーゼを呼んでくれ」
「分かりました。では、失礼します」
手紙を携え、クロードは一礼して執務室を去る。
居場所が分かっている二人だ。必要以上の時間はかからず、見込み通りに訪れてくれた。
共に入室してきた二人だが、表情には明確な違いが出ていた。
迫力のある微笑みを浮かべたまま、ルティアは実に美しくエルデュミオに挨拶をして見せた。
「ご機嫌麗しく、聖王陛下。こうしてお目にかかれる時を、一日千秋の思いでお待ちしておりました」
「僕が悪かったから、誰かに聞かれたら誤解されそうな言い方はよせ」
「……むぅ」
少し頬を膨らませて不満を訴えてから、ルティアは表情を戻す。
「色々と言いたいことはありますが、まずは――無事に会えて嬉しいです。エルデュミオ」
「ああ、僕もそう思う。ストラフォードでは変わりないか」
「はい。皆よくしてくれます」
貴族たちがルティアに協力的なのは、国民からの支持率が高いことと、不安定な情勢のためだろう。金眼であるルティアの価値が高まっているのだ。
少なくとも、ルティアが子どもを無事に産み育てるまでは命の危険はさほどあるまい。
保険であるエルデュミオが国外に出てしまった、というのも大きいと思われる。
「ルーヴェンを、追うのですよね」
「勿論だ。ただし、聖王就任式典の後でになるが」
「……大丈夫でしょうか?」
ルティアは不安そうだ。無理もない。
言っているエルデュミオとて、それが正しい判断である自信などないのだから。
だが――
「そうせざるを得ないんだ。今のままでは邂逅したところで、僕たちはルーヴェンに敵わない。セルヴィードへの信仰心を高めなくては」
「……分かりました。それでは、わたくしが足止めに行きましょう。今日わたくしを呼んだのはそのためですね?」
「頼めるか」
「勿論です。幸い、イルケーア公爵がツェリ・アデラに滞在していますから。国の代表として祝辞を送るにも、公爵ならば不足ありません」
国家の代表たりえる地位があり、エルデュミオの親でもある。
「ならフェリシスを連れていけ。それと、スカーレット」
「エルデュミオ様が動けない以上、仕方ありませんね」
ルティアは金眼だが、神樹の寵児ではない。神聖樹の元へと辿り着くのに、そして辿り着いた後も行動するために、スカーレットかアゲート、エルデュミオの力がいる。
ただ、アゲートは就任式典の演出の関係上動けない。必然的にスカーレットが適任となる。
「僕は式典を済ませ次第、リーゼと共に向かう」
「はい」
「ルーヴェンがすぐに現れない可能性もあるが、気は抜くなよ」
「……はい」
近しさはなかったとはいえ、兄弟として過ごしてきた間柄だ。いざ直接敵として見えようとなれば、複雑な心地となるのも無理はない。
それでも、ルティアの瞳も声も迷ってはいなかった。
ルーヴェンが現れるまで、ルティアたちは神聖樹の近くで待機することになる。その際に必要となる食事等の補給は本神殿に戻ってきて行う。
マナの道は遠くて近い。スカーレットが共にいれば、行き来に時間もかかるまい。




