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やり直し聖女の恩恵  作者: 長月遥
第八章 無が降り積もりし景色の先
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「まず、貴国の預かりになっているこちらの犯罪者を引き取らせてもらう」

「……承知いたした」


 ラトガイタ王からすれば、ヘルムートは完全に外の人間だ。不利益を被ってまで護る相手ではない。

 まして王の心はすでに決まっている。揉めるような案件ではない。


 むしろ王の関心は、その先に移っていた。


「エルデュミオ殿。これだけは釈明させてもらいたいのだが、我々はルーヴェンとそこの男が、マナ枯渇と魔力化の犯人だと知っていて庇っていたわけではないのだ」


 ラトガイタを世界から非難させないために、何としても被害者になるしかない。


「今でこそ貴殿の手によって先代聖王の過ちが明らかになったわけだが、それまでのジルヴェルト殿は間違いなく、フラマティア信仰の指導者であった」

「貴殿の言う通りだ。ましてルーヴェンは貴方にとって甥にあたる。心情的にも、無碍にはできなかっただろう」


 エルデュミオとしてもラトガイタと敵対するつもりはない。勿論、庇うつもりもないが。


「しかし僕はストラフォードにいた時に警告はしていたはずだ。残念ながら、現在の惨状が貴国の判断が招いた結果であることは揺るぎない」


 ラトガイタ内でも責任を取ることになるだろうが、エルデュミオの知るところではない。


「王よ。先代聖王はその役目を果たさなかったが、僕は違う。自国の弁明は、必要な場でするべきだ」

「……承知した」


 聖神教会は不干渉。

 それだけでも、ラトガイタとしてはありがたいだろう。


「ときに、ヘルムートを連れて行くのであれば、メルディアーネの身はいかがなさるつもりか」

「ああ……」


 エルデュミオの見立てでは、メルディアーネはルーヴェンの計画の中に入っていない。入っているとしても、利用する相手としてだけだ。


 メルディアーネは自分がルーヴェンを支配していると思っていただろうし、何なら前回の半分ほどまでは事実だったのかもしれない。


 しかし今回は違う。


(とはいえ、自らの意思での共謀は事実。メルディアーネにも責任は問わねばなるまい)


 ヘルムートの身柄の話としていたときとは打って変わって、ラトガイタ王は表情を動かさないよう、意識して努めていた。


 血を分けた妹だ。心の内は表面に表れている以上に穏やかではあるまい。

 それでも彼はエルデュミオが口にする前に、自ら切り出した。すでに覚悟はしているのだ。


「――ざけ、ないで! わたくしは知らないし、関係ない。そこをどきなさい、無礼者!」

「殿下、どうぞ潔くなさってください。ラトガイタのためにも……」


 扉を隔てた廊下側で、言い争う声が響く。

 ラトガイタ王は息をつき、エルデュミオに「失礼」と断ってから、扉を開いた。


「メルディアーネ」

「兄上……。これは一体、何の真似です。血を分けた兄妹であるわたくしを、まさか罪人として扱うおつもりか」

「そのまさかだ、妹よ。お前も王族ならば分かっていよう。国のために、お前の首を切る時が来たのだ。自業自得の部分もある。あと私がお前にしてやれるのは、最後の慈悲を請うことだけだ」


 最後の慈悲――自害を仄めかすラトガイタ王の決意は、相当追い詰められている。さすがに兄の本気を知り、メルディアーネは絶句し、蒼白になる。


 そして兄の先にエルデュミオの顔を見付け、表情を憤怒のそれへと変えた。


「エルデュミオ・イルケーア……!」

「久しいな、メルディアーネ殿下。貴方がルーヴェンと共に、フラングロネーアから逃げた時以来か」

「控えろ、メルディアーネ」


 険悪さを隠しもしない妹の態度に、むしろラトガイタ王の方が慌てた。

 しかし仇敵を見つけたと言わんばかりのメルディアーネに、ラトガイタ王の言葉は届かない。


「なぜお前なの」

「僕が何だと?」

「なぜ、お前ごときが金眼を持ち得て生まれたの。その瞳は、最も高貴なわたくしの血筋で現れるべきだった」

「――」


 一瞬、感情に任せて怒鳴りつけようと体が動きかけた。

 しかし幼少期から刷り込まれた教育が、エルデュミオを抑える。


(感情に任せたところで、何も解決しない。何も得られはしない。目の前の相手を見ろ。己の感情のみしか見えていない、愚か者の姿を)


 少なくとも、人々が理想とする聖王の姿はそれではあるまい。


「さて。真実は神聖樹のみぞ知る、と言ったところだろうが。それとは別に僕は僕の意思で、神樹の神子として生まれた意義を果たそうと思う」

「意義ですって……?」


 メルディアーネにとって、金眼とは王座の条件でしかないのだろう。意味の分からないことを言われた、そのままの反応だ。


「貴殿の無知が、世界を危機に陥らせた一因であることは疑いようがない」


 ルーヴェンが世界を創り変えようという暴挙に及んだ理由の一つは、間違いなく母であるメルディアーネの態度だったからだ。


「――……」


 おそらく、本質は理解しなかった。


 しかしメルディアーネは王族だ。己が今、都合が悪いことが起こった時の『責任』を取らされようとしていることだけは理解した。


 そして自分に、抗う力がないことも。


「あ、兄上……」

「……」


 縋るように自分を呼んだ妹から、ラトガイタ王は静かに目を逸らす。


「貴殿への求刑は、民意に基づいて考えるとしよう。ラトガイタ王よ、今、僕の側に彼女を連行できる人手はない。後日そちらから護送を頼む」

「承知した。間違いなく、送り届けよう」

「兄上!」


 悲痛なメルディアーネの叫びを、ラトガイタ王は黙殺する。周囲の兵の温度は更に冷たい。

 彼らにとっては、メルディアーネはすでに他国の人間なのだ。それだけの時間が経っている。


 親近感が全くないわけではないだろうが、それよりも自国に不利益を与えた厄介者という印象が強い。

 例外は実の兄ぐらいだろうか。


「エルデュミオ殿。メルディアーネの罪科に関しては、最早私が口出しする領域にはない。正しき裁きを受け入れようと思う。しかしどうか、法以外の罰にさらされぬように願えぬだろうか」

「無論。聖神協会は私刑など認めていない。殿下にはしかるべき処遇で過ごしてもらう」

「……よろしく頼む」


 エルデュミオへと頭を下げると、ラトガイタ王は背後を振り向き指示を与える。


「メルディアーネを部屋に戻せ」

「は」


 主筋の一人でしかないメルディアーネよりも、主君たる王の言葉が優先されるのは当然。兵士たちは迷わずメルディアーネを拘束する。


「離しなさい、無礼者! よくも、よくもこのわたくしに――」

「ああ、すまない。あと一つ、殿下に聞きたいことがある」

「お前の問いに、わたくしが答えるとでも思って? 愚かな」


 兵に両腕を押さえられ、体の向きも強制的にエルデュミオへと向けられながらも、メルディアーネは冷笑と共に抵抗を吐き出す。


「ルーヴェンは金眼ではない。だが、僕が知る限りあいつの瞳はずっと金だった。なぜだ?」


 幻術などで隠すにも、限界があるだろう。


「手配から逃れるため、整形を行う研究をする犯罪者から聞いたわ。マナで眼球を作り変えるのですって」

「馬鹿な。人体を構成するマナは、非常に複雑で繊細だ。失敗する算段の方が高かったははず」


 それが技術として確立されているのなら、エルデュミオの耳にも入ってくるはずだ。


「ほほ」


 だがメルディアーネは、詰まらなさそうに笑い、言い放つ。


「金眼で生まれてこなかったのだから、仕方ないでしょう。失敗しても証拠がなくなるだけのことよ」

「貴、様は――ッ!」


 あまりに身勝手。あまりに残酷。そして愛情の欠片さえ窺えないメルディアーネの言い様に、発するべき言葉さえ感情に飲み込まれたまま、エルデュミオは一歩踏み出す。


「ディー!」


 直後、リーゼに片腕を抱かれて踏み留まった。

 一方でなじられようとしていたメルディアーネは、驚いたように顔を強張らせて固まっていた。


 だがそれも、呼吸にして数回分。


「お前がルーヴェンのために声を荒げるなんて、何の冗談かしら」

「……貴様の物言い程場違いではなかっただろうさ」


 この件においては、メルディアーネは正しかった。ルーヴェンを顧みてこなかったエルデュミオだ。今更メルディアーネを責める資格はない。


 だが、聖王としては別だ。


「貴殿の冷徹さが、世界の危機を招いた一因であることは間違いないようだ。……己の罪を、よくよく悔い改めろ」


 それでエルデュミオの問いは終わったと判断して、ラトガイタ王は一つうなずき兵たちに指示を出す。


「連れていけ」

「はッ」


 メルディアーネは、今度は抵抗をしなかった。代わりにエルデュミオへと不可解そうな一瞥を送り、連れ去られていく。


「……ディー」

「大丈夫だ」


 気遣う声をかけてきたリーゼ視線を合わせ、無理に微笑おうとして、失敗した。変に唇が歪むだけで終わってしまう。


(結局、宣言通りになったわけか)


 ルーヴェンを責め、その要因の一つだったメルディアーネに責任を問い、幕を引くことになるだろう。

 もしかしたら止められたかもしれない己の立ち位置には言及せずに。


(僕が罪悪感に酔っていたところで、何も変わりはしない)


 抱いた気持ちを、せめて形にするべきだった。未来のために。

 一つ深呼吸をして、エルデュミオはラトガイタ王へと向き直る。


「王よ。僕もただ人の身であるから、できることは限られる。しかしできるだけのことはしたい。差し当たっては人々の治療だ。僕たちも参加しても構わないだろうか?」

「勿論です。動ける人手が増えるのはありがたい」

「では、特にマナの欠乏が酷い者を診よう」


 リーゼを除く三人は、他者にマナを分け与える呪紋を習得している。


「感謝いたします。誰か、彼らを治療室へ案内を」

「はッ」


 進み出てきた兵の後について、治療室へと向かう。

 エルデュミオたちも翌日には発つつもりなので、無理はできない。それでも間違いなく、救える命がある。


 多数の感謝の視線の中、歩く。その途中で気が付いた。


(空が明るい)


 しばらくマナが失われたラトガイタの景色を見慣れてしまっていたからこそ、余計にそう感じる。


「頑張りましょう、ディー。わたしはやっぱり、未来のためだと言われても今ある命を犠牲にするのは反対です。わたし自身も死にたくないですし」

「当然だ。これから、だからな」

「はい」


 個人としても、公人としても認められない。


(ルーヴェン。お前の望みは止めさせてもらう)


 その思いに、最早迷いはない。

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