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「よし。ここはいい。次に移るぞ」
「ツェリ・アデラに戻るのですね?」
「気が早い。まずはリーゼたちと合流だ。それから送った使者の身柄を確保する。ヘルムートの身柄を預かるのに、ラトガイタにも話を通さなくてはならない」
ルーヴェンが正式にラトガイタに所属していた以上、後の軋轢を避けるためにも必要な工程だ。
「あまり時間はありませんが?」
「分かっている」
こうして世のルールにのっとっていられるのは、ルーヴェンが準備を終えるまでだ。
「だがやらなくてはならないんだ。それが社会を形作っているんだからな」
必要だからと、勝手をしていい道理はない。それでは周りが困ってしまう。
「では、急ぎましょう」
「ああ」
人心が無視できないことはスカーレットも分かっている。忠告以上はせずに、エルデュミオに従った。
まずはリーゼたちのいる謁見の間へと行く。と、すでに騒ぎが起こっていた。
「貴様ら、どこから入り込んだ!」
「城のこの有様も貴様らの仕業か! ヘルムート殿を解放しろ!」
目覚めた衛兵たちが、早くも仕事を始めたらしい。
「勤勉ですね」
「全くだ」
気を失っていた間の経緯など分かりようもない。衛兵たちがリーゼとフェリシスを不審者だと判断するのは無理もなかっただろう。
「いや、まずはこちらの話も聞いてもらいたい。私たちは――エルデュミオ!」
「出番ですよ! 何とかしてください!」
フェリシスとリーゼは謁見の間に戻って来たエルデュミオを見つけるなり、そう声を上げた。
「――何?」
衛兵たちの一部が、リーゼたちが示した方向、謁見の間の入り口を振り向く。視線が集まる中、エルデュミオは指揮を執っている部隊長らしき者の元まで真っ直ぐに歩み寄った。
「この度聖王を継いだエルデュミオ・イルケーアだ。こちらからの使者とは会っていることと思う。断りなく城内に上がり込んだ非礼は認めるが、緊急であったことも理解してもらいたい」
「聖王、陛下……!?」
隊長は困惑と共に、その地位を復唱する。
「失礼ですが、私は陛下の顔を存じ上げません。身の証となるようなものはございますか」
「では手間をかけるが、使者を連れてきてもらえるか」
聖神教会から送り出した使者の方の身分は、ラトガイタ側も認めているはずだ。信用を得られている者の証言は力になる。
「直ちに。――おい、頼む」
「はッ」
側に立つ副官らしき青年が敬礼をして、駆けて行く。
ややあって戻ってきた副官に連れて来られた使者は、エルデュミオを見るなり聖印を切って最上の礼を取った。
「聖王様。このような事態になってしまい、誠に申し訳ありません」
「構わない。考えていたよりはるかに危険な役目になってしまったことを、僕の方こそ謝すべきだろう。大事ないか」
「はい。だるさは残っておりますが、それだけです。急ぎローグティアを確認しに行きましたところ、心洗われるような美しい純白の花が咲き誇っておりました。聖王様のお力の賜物ですね」
「ああ。急ぎ、国中にマナを行き渡らせなくてはならなかったからな」
事態の一部を説明しつつ、功の強調を行って会話で周知させる。
「さて。これで僕の身分は証明できたと思う。そこの二人も、僕が事態の収拾のために連れてきた同志だ。開放してもらえるか」
「はッ」
エルデュミオの身分が確定した以上、一部隊を預かる隊長では手に余る案件となった。
そしてラトガイタはすでに聖神教会と敵対しないことを決めている。隊長にエルデュミオの要請を撥ねつける選択肢はない。
「ではひとまず、客室にてお待ちいただけますか? 陛下と話ができる者に伝えて参ります」
「ああ、よろしく頼む」
隊長自らが案内に立ち、エルデュミオたちを先導する。
その後に付いて行きながら目に入るのは、やはり混乱した人々の姿だ。
中には衰弱して起きられない者もいて、今は緊急を要する人々への対応で手いっぱいのようだ。事態の把握などとてもできていない。
「許可がもらえるなら、僕も治療の手伝いをしたいところだが」
「それは願ってもないことです。しかし聖王様の手を煩わせるのは……」
「聖王の地位とは、むしろそのためにあると考えるが。有事の際に事を収める力があってこそ、王だ」
一人の力ではどうにもできないことを、皆で協力して組織として動き、収めるため。そのための権力だ。
そしてそこには当然、個人としての才覚も求められる。
率先して成すべきを成すからこそ、人の尊崇は得られるのだ。
「ご厚意、深く感謝いたします」
震えを抑えた声で、隊長は是とも否とも言わない定型句を述べた。
彼の身分は決して高くない、とエルデュミオは見当をつけていた。おそらく権力者から理不尽な目にも合ってきているだろう。
(どこの国も変わらない)
目の当たりにした事実が虚しくもある。だからこそ、同時に強く思う。
(ストラフォードは、聖神教会は変わらなくては)
世界が――人々が認める大国となるために。信仰の拠り所として、期待に応えるために。
そういう組織であることを、エルデュミオが望んでいる。
隊長が心を震わせたのは、エルデュミオの答えに理想を重ねたからだ。それは清廉さを演出するためという下心を加味した結果でもあるので、騙している部分が皆無とは言えない。
だが同時に真実もある。抱かせた期待を裏切る真似を、エルデュミオはするつもりがない。
(僕は瑕疵一つない、完璧な聖王として退陣してみせる)
俗世の欲とは無縁の、本物の神樹の神子であるのだと。その評価がリーゼと自分、後の子孫の身を護る。
打算と本心は、半分ずつぐらいだろうか。
丁重に送り届けられた客室で、待つことしばし。
ラトガイタの意思としてエルデュミオと話ができる者として訪れたのは、国王その人だった。
一国の王が予定外の来客に対応する速さとしては驚異的だ。
「お待たせしましたな、エルデュミオ殿。このような状況で口にするのはいささか不似合ではあるが……。聖王就任、お祝い申し上げる」
「ありがとう。この難事の中、貴殿も大事なくて何よりだ」
少し前までは従弟の母の兄――と、遠いながらも親類の括りになっていた相手だが、今は他人だ。
元々さして親交があったわけではないのが救いだが、互いに複雑な気持ちは持っている。
「早速だが、王よ。今は世間話に花を咲かせる時ではない。本題に入らせてもらう」
「ええ」
忙しいのはラトガイタも同じだ。否など唱えるはずもない。




