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やり直し聖女の恩恵  作者: 長月遥
第八章 無が降り積もりし景色の先
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「リーゼ。僕は今、ここにいられて良かった」

「はい。わたしも、そう思っています。貴方がいてくれて良かったって」


 ヘルムートの治療を終え、エルデュミオは立ち上がる。念のためにと、リーゼがヘルムートを拘束し始めるのを見る側ら、吸収のための呪紋法陣を増やしていく。


 邪魔をする者がいなくなれば、単純作業の速度は上がる。だがその途中で、奇妙なことに気が付いた。


(繭が薄くなる速度が速い)


 まるでエルデュミオたちだけではない誰かも、マナを使っているような――


「!」


 ふと、繭の頂点近くに異様に眩い光があるのに気が付いた。エルデュミオの呪紋とマナの流れが二分して、一方はそちらへと流れていく。


 何者かなど、聞くまでもない。


「くそっ。何て図太い神経をした奴だ!」


 ルーヴェンだ。


 エルデュミオたちの手を逃れて戦場を離脱したルーヴェンは、表に回って己を作り変える作業を続行していたらしい。


「さすが、ディーやルティアと同じ王宮で育っただけありますねえ」

「全くだな!」


 気弱そうに見せて、その実それ程ではない面の皮の厚さがそっくりだ。

 中で傷付いている部分を押し隠そうとする部分も含めて。


 ルーヴェンが必要としているのなら、むしろ積極的に奪うべきである。


「リーゼ。準備をしておけ。繭が薄くなったら攻撃を仕掛けるぞ」

「了解です」


 呪紋の制御に手を取られているエルデュミオに代わり、リーゼが身振り手振りでフェリシスに意図を伝える。

 アゲートの鈴型通信機は、手が空いていないと言葉を再生できない。


 さすがに長く共に旅をしてきた間柄と言うべきか、フェリシスには上手く伝わったようだった。少し離れているだけのスカーレットには、直接話に行く。


 空の青が繭越しに透けて見えるようになった、その瞬間。


 エルデュミオは風を纏った魔力の矢を放ち、スカーレットは火球を飛ばし、フェリシスは物理的に剣を投擲した。


 が、ルーヴェンも気配を察していたのだろう。まだ残っている繭のマナに執着はせず、ひらりと身を翻して姿を消す。


「ちッ」

「口惜しいですが、仕方ないかと。しかし今度こそ逃げたのだけは間違いないでしょう」

「あいつが欲していたマナも、結構な量を奪ってやったはずだ。少しは痛手になるといいが」

「そちらも上々かと。あの様子では今すぐ神聖樹の元に向かうことはできません。もっとマナと同化しなくては、己が飲み込まれて終わります。御子である貴方とは違いますから」


 別個の存在であっても受け入れられる『子ども』であるエルデュミオとは違うのだ。


 スカーレットの保証に、ひとまずは安堵する。時間がなければ優先順位を覆すつもりはなかったが、ラトガイタを放置していくのはどうにか避けたいとは思っていたのだ。


 間もなく繭は消え、謁見の間にはマナの結晶がごろごろと転がるのみとなった。


「やれやれだな」


 湧き出る毒を浄化する必要もなくなって、フェリシスが息をつきつつ氷柱から飛び降りる。その口調は言葉通りに疲労の色が濃い。体も重そうだ。


「マナが足りなければ、そこら中にあるぞ。少し取り戻しておくか?」

「やめておこう。自然回復に任せるよ。本来、急激なものは何だって体に良くない。緊急でもない限りはね」

「貴方は大丈夫です?」


 いっそフェリシスよりも大量に体内のマナを使ったエルデュミオを、リーゼが心配するのは自然の流れだ。


「マナは問題ない。ヘルムートとやり合った腕の方が痛むぐらいだ」

「ディーはあんまり、筋力なさそうですもんね」

「……うるさい」


 否定したいところだが、直前にフェリシスがやり合えているのを見ているだけに何も言えない。


「まあ、俺の場合は身を立てるために武力に懸けるしかなかったから。そういう意味では、俺とヘルムートは同じかな」


 ヘルムートがフェリシスの実力を認める言葉を口にしたのも、二人にある共通の背景が関係していないとは言い切れない。


「全員、軽口を叩く余裕まであって頼もしい限りだ。スカーレット、ローグティアの場所は分かるか。マナを還しに行くぞ」

「近いですね。城内にはありそうです。向かいましょう」

「ああ」


 今の王宮に動ける者などいないので、どこにあろうが入れるだろう。


「リーゼ、フェリシス。ここを頼む。主にそこの重罪人をな」


 治療はしてあるし、元々頑健な男だ。いつ目覚めて逃亡を図っても不思議ではない。


「分かった」

「です」


 フェリシスたちに場を任せ、エルデュミオとスカーレットは謁見の間を後にする。


 念のためにスカーレットも連れてきてはいるが、おそらく彼の案内は必要ないだろうとエルデュミオは感じていた。


 マナの流れが分かる。


 わざわざ探らなくても、意識を向ければそれで感じ取れるのだ。

 間違っていない証拠に、スカーレットも無言で付いてくるだけである。


 マナを奪う呪紋法陣の影響だろう。帝国の直系を謳う国に相応しく、重厚な荘厳さを随所に感じさせる王宮だが、残念ながら今は色褪せ、風化した気配が漂う。中のマナが失われているせいだ。


 ラトガイタのローグティアは、王宮の中心部にあった。美しく整えられた庭園の中心に、主役として位置付けられている。


 葉は全て枯れ落ち、元の色彩さえ窺えない。花びらも同様だ。何もかもを失った象徴であるかのような、輝きのない無色透明。


(これがきっと、ルーヴェンの心に在る色なのだろうな)


 最も近くに存在した、かつ膨大なマナに影響され、一気に塗り替えられたものと推測できる。

 改めて見せつけられた心性に、虚しさを覚えずにいられない。


 緩く首を左右に振って感傷を追い払うと、エルデュミオはローグティアに触れて同調していく。


(さあ。マナを取り戻せ)


 スカーレットが結晶化したマナを、ローグティアへと移行させる。そして再び、周囲へと循環させてゆく。


 王宮周辺と同時進行で過剰分を一度神聖樹へと返し、そこから各地のローグティアを通じて分配して行ってもらう。


 薄く、広く。大地を伝ってマナの偏った地を癒してゆく。


(ルーヴェンに持っていかれている分はどうしようもないが)


 とりあえず、生き物が近くにあるマナを急速に吸収できるようにはした。今生きていれば、死に絶えるような状態は脱したはずだ。


 ふ、と息を吐いて手を離す。


「マナの流れを捉えるのも、大分上達しましたね」

「神聖樹に至る道までを経験したのが大きいな」


 その訓練がなければ、もっと手間取っただろう。

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