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やり直し聖女の恩恵  作者: 長月遥
第一章 黄金が視せる啓示
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「……」


 ローグティアの方からも神聖樹に干渉ができる、ということを、言われてからようやく気が付いた。


 だがそれはおそらく、エルデュミオだけの意識ではない。


 神聖樹はマナを生み出す源泉なのだ。巨大な力そのものが、何であれ影響を受けるなど考え難い。


 蟻が地面に穴を掘って巣を作ったからといって、大地が割れることを危惧する者はほぼいまい。

 しかしその巣穴に毒を流し込めば、地に沁み込む。もしその巣穴が大地の中核にまで繋がっていたら、どうか。


「なので、よろしくです」

「分かった」


 初めて会ったときにリーゼが死にかけたごろつきを助けたのは、本当にローグティアへの影響を心配しての部分もあったのかもしれない。


 エルデュミオがはっきりうなずくとリーゼも肩の力を抜き、今度こそ宿屋への道を引き返して行った。

 その彼女の背を見送ってから、エルデュミオはローグティアの丘へと向かう。


 かつてこのレア・クレネア大陸は一つの帝国が支配していた。皇家はマナの扱いに長けており、その力によって歴史上最大の栄華を誇ったという。


 特に金の瞳を持つ者はマナとの親和性が高く、帝位の条件の一つだった。


 帝国が瓦解して多くの国に別れた後も、金の瞳を継ぐ王国の多くは帝国時代の慣習を踏襲している。ストラフォードもそのうちの一つだ。


 頂上に着き、ローグティアの元まで歩み寄ったエルデュミオは、その樹の幹に触れてみる。


 生命の温もりと、雄大な存在に優しく見守られているかのような安心感。ローグティアには人の心を安らがせる力があるのだろう。


 その神聖さには、一欠片の曇りもない。


(……考え過ぎ、か)


 無駄に構えた自分の心境に馬鹿馬鹿しくなって、エルデュミオは手を離す。その指先が幹から離れようとした刹那。


 花も葉も、すべてが枯れ落ちていくローグティアの幻影が脳裏に流れる。だが、異変は枯れるだけに留まらない。


 根元から樹皮が硬質化していき、やがて枝には水晶の葉が生い茂る。咲き誇る花は、雪の結晶のように繊細で美しい。


 だが、その禍々しさはどうか。何物をも寄せ付けない佇まいで、変異したローグティアは周囲からも急速に緑を奪う。


 比例してローグティアは輝きを増し、熟れた花が世界へ舞い飛ぶ。


 空に、海に、大地に。新たな形のマナを沁み込ませて行く。世界を揺るがす魔物の大歓声が、あらゆる地域で轟いた――


「――ッ!」


 緊張のせいだろう。反射的にエルデュミオは拳を握った。

 そのせいで指がローグティアから離れ、映像が途切れて現実へと帰ってくる。


「……冗談だろ。僕は神事とは無縁だぞ……」


 頭を振りつつ、見た映像をどう解釈するべきかを迷う。


(さすがに、夢や妄想の類ではないだろう)


 ささやかに起こりつつある異変の果てが、エルデュミオの見た映像の世界だとでも言うのか。

 枯れ落ちた花びらやリーゼの不吉な話のせいで、そんなことが起こるはずがないと切り捨てられない。


(ローグティアが見せるのは、過去の話だけだと思っていたが……)


 しかしよく考えてみれば、未来を予見した聖女の件もある。マナと親和性が高い者ならば起こりうることなのかもしれない。


(ルチルヴィエラのローグティアには、すでに研究員が派遣されている。ここで僕が騒ぎ立てるより、まずはそちらの報告を待ってもいいだろう)


 エルデュミオがまずやるべきは、自身の所領の平穏を取り戻すことだ。

 ただ一つ、はっきり心に決めたことがある。


(この地に穢れを持ち込むのは、徹底して止めておこう)


 どうやらリーゼの進言は正しそうだと、認めざるを得なかった。




 数日後の夜、洞窟に潜む仲間たちに『上からのお達しで解放された』と報告をさせるため、捕らえていた賊の一部が解放された。同時に、警備軍が動き出す。


 名目上は逃げた賊の捕縛。その実は壊滅を目的とした討伐隊の出陣だ。


 当然、エルデュミオ自身は討伐隊には参加しない。あとこの町で彼がやるべきことといえば、賊の潰滅を見届けて、情報が洩れていないかを確認するだけである。


 さらわれた人々の追跡も含めてリューゲルはしばらく物々しくなるだろうが、そこまで監視し続けるつもりはない。


「……しかし、なぜリューゲルで人さらいなのだろうな」


 警備軍所属の呪紋士が街灯に明かりを点していくのを部屋の窓から見下ろしつつ、ふとそんな疑問を口にする。


「と、仰いますと?」

「リューゲル一帯の町は、基本的に穀倉地帯だ。仕事も農耕が主で、治安も安定している」

「はい」


 土地が豊かなおかげで食糧は豊富。ストラフォード国内全体と比べても、値段は安い。開発しきれていない土地も多く、その気になれば仕事にありつけない、ということはない。


 賊徒に落ちる必要性があまりない土地柄なのだ。


 しかも周囲がそういう状況なので、人をさらったところで買い手は少ない。人を商品として扱う、人道に外れた行いをする同類の元まで辿り着くのに、どれ程の距離を進むことになるか。


 ともかく効率が悪い。下手をすれば売値よりも、道中の食費の方が高くつく。当然、発覚や逃亡の可能性も高まる。


「まさか賊に身を落とした者が、危険を承知で故郷が恋しくて離れがたい、という訳もないだろうしな」


 利でもなく、情でもない犯罪。だが必ず、理由はあるはずだ。


「上手く役人を抱き込めたから、という説はいかがでしょう」

「惜しいな。他の犯罪であれば納得できるんだが」


 スカーレットの答えは絶対にあり得ない、とまでは言えないが、かかるリスクの解消まではいかない。


「気になるのでしたら、明日にでも当人に聞く、という方法もございます」


 たかが十数人程度の賊の討伐。一日もかかるまい。

 片付いたあとに警備軍の詰め所に足を運びさえすれば、欲しい情報は得られるだろう。


「……そこまででもない」


 取るべき行動を考えて、エルデュミオは結論を出す。

 要は、解決すればそれでいいのだ。


(知性も怪しい連中の思考など、考えるだけ無駄か)


 もしかすれば、それこそ何も考えていないのかもしれないのだから。


 明かりを点し終えた呪紋士たちが別の通りへ移動してしまうと、動くものが一切なくなる。息を殺した静寂の息苦しさは、決して夜間のせいだけではない。

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