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(ならばまあ、やるしかないということだな!)
リーゼに目線を送り、気付いた彼女とうなずき合い、同時に駆けた。
「――」
あまりにタイミングが良かったせいだろう。二人が交わした目配せに、ヘルムートが警戒したのが伝わってくる。
示し合わせたわけではない。ただの偶然だ。
だがその偶然は、エルデュミオとリーゼの関係性が生じさせたもの。
それが妙に小気味よい。
(なんて、浸っている場合ではないんだがな!)
隙のない相手に、隙を探す方が無駄だ。エルデュミオは真正面から斬りかかる。
当然のように受け止められるが、構わない。
「や!」
横手に回ったリーゼから、体勢を低くした一撃が振るわれる。無視はできず、ヘルムートはエルデュミオの剣を弾く勢いを乗せたまま、リーゼに向けての薙ぎ払いを行う。
自分へと軌道を変えたヘルムートの剣に合わせ、リーゼは短刀を盾の役目に切り替えて刃を受けつつ、自らは滑るように潜り抜ける。
ヘルムートは深追いはできない。すればエルデュミオに背を向けることになる。
舌打ちをしつつそのまま一回転し、再度斬りかかっていたエルデュミオの剣と鍔ぜり合う。
(よし、止めた)
エルデュミオの筋力では、ヘルムートと長く拮抗できない。続ければ押し負け、両断される側になるのは明らかだ。
しかし二人がかりでならば、その数秒で事足りる。
両手それぞれに通常の短剣と幅広のダガーを持ったリーゼが、左右からヘルムートの首を狙う。交差させて掻き切るつもりだ。
気付いたヘルムートの迷いは一瞬。
その一瞬の後、彼は全力でエルデュミオを押し切りにかかった。
「くっ」
引いて、凌ぐことは可能だったはずだ。しかしヘルムートはその選択を取らなかった。
自らの主にとって、最も脅威となる相手を殺すために。
「死ね、エルデュミオ・イルケーア!」
「させないと言ったですよ!」
リーゼの刃がヘルムートの首を捕らえて、裂く。溢れる血が自らの力を失わせる前にと、ヘルムートは剣を押し込んできた。
力負けした刃が外れ、正規の軌道を保ったままのヘルムートの剣が顔面に迫る。
「幻惑の霧!」
咄嗟に構築した呪紋を放ち、自ら後ろに倒れつつ身を捻る。
最後はほとんど勘だったはずだが、ヘルムートが選んだ軌道は、それでもかなりエルデュミオに近かった。
がつ、と音を立てて剣の切っ先が床に当たり、エルデュミオの肌の表面と髪数本を巻き添えにする。
「――ここまでか……。無念」
低く呟き、膝から崩れ落ちる。
リーゼの力では、ヘルムートの首を落とすことは叶わなかった。しかし充分な深さで負った傷は、彼の命を失わせつつある。
最早力を失うだけの体を、剣を支えにしてどうにか上体だけを起こしている状態だ。
「そうだな。ルーヴェンのためだけに戦っていたお前には、そこで限界だ」
ヘルムートは初めから、己が助かる道を求めていない。主であるルーヴェンはすでにこの場を離れている。おそらく、ヘルムートの中では確信があるのだ。
時間稼ぎは果たした、と。
「ふ……」
小さく笑んだヘルムートを見下ろしつつ、エルデュミオは中断させられたマナの吸収に取りかかる。
「一つ聞くが。お前の道は本当にこれでよかったのか?」
「無論……」
迷いなく、ヘルムートは答えた。
「殿下の望みを支えるのが、私の本懐。だが……。殿下の作る新しい世に、然程興味はない。新しい私は私ではないし、殿下も殿下ではないのだから」
「だろうな」
ヘルムートは世界を捨てることを選んだ。この世界で形作られた、ルーヴェンという主のために。
だからこそ、念願が叶おうと新しい世に用などないのだ。
「……悪くない、死に場所だ」
確実にルーヴェンの力となり、しかし彼が失われる瞬間には立ち会わずに済む。
ついにふらりと体を傾がせ、ヘルムートは床に伏し、気を失った。放っておけば彼が望む通りの最期となるだろう。
「ふん。夢見がちなことだ。その年になって、まだ物事が思う通りに進むと思っているのか」
マナを吸収する呪紋を場に定着させると、エルデュミオはヘルムートの側に膝を付く。
「助けるですね?」
「それは少し語弊がある。今命を繋いだところでこいつの死罪は免れないし、誰が弁明しようと僕が必ずそうする」
それだけのことを、ルーヴェンとヘルムートはすでに犯した。
「だが、裁判は行う。こいつらが凶行に及んだ理由は明らかにせねばならない。根本を断つために」
「……ですね」
(起こったことは取り戻せない。そう、神の奇跡でも起こらない限り)
エルデュミオ自身は、その奇跡を得た。
神樹の寵児であったためにスカーレットに見出され、ルティアが運命を変えるために奔走し、その彼女が巻き込んでくれたから。
エルデュミオは今、立場を変えてここにいる。
(神呪は使えても、今の僕に奇跡は起こせない)
時を返すなどという大きな力を行使できるほど、世界は魔力に満ちていない。たとえエルデュミオの命を懸けたところで、同じ奇跡には到達できそうにもなかった。
「ディー」
己の無力に罪悪感さえ抱いていると、そっとリーゼが隣に寄り添い、名を囁く。
「可能性を持たされた貴方が、辛いのは分かります」
実際には成し得ない。なのに、可能性だけは手の中にある。それもまた、エルデュミオの中の罪悪感を増幅させる要因だ。
「でも、忘れないでくださいね。貴方がここにいて、彼らが向こうにいるのは、自分で選んだからです。選ばずにはいられなかった道だとしても、です」
「――ああ……」
神の奇跡は平等だった。踏み止まろうと思えば、ルーヴェンにもヘルムートにもそれはできたのだ。まだ、誰にも被害を出さないうちに。
「こいつらと同じ道を歩みたいと思う者を、生み出してはいけない。為政者として、絶対に」
「はい」
(ルーヴェン。僕とお前が選んだ手段は違う。それでも、目指すものは同じだ。本当は)
ならばせめて、意志を継ぐ。
(人は、学ぶ生き物だ)
そして理想へ向けて歩く。道のりがどれだけ果てしなくとも。




