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やり直し聖女の恩恵  作者: 長月遥
第八章 無が降り積もりし景色の先
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(ならばまあ、やるしかないということだな!)


 リーゼに目線を送り、気付いた彼女とうなずき合い、同時に駆けた。


「――」


 あまりにタイミングが良かったせいだろう。二人が交わした目配せに、ヘルムートが警戒したのが伝わってくる。


 示し合わせたわけではない。ただの偶然だ。


 だがその偶然は、エルデュミオとリーゼの関係性が生じさせたもの。

 それが妙に小気味よい。


(なんて、浸っている場合ではないんだがな!)


 隙のない相手に、隙を探す方が無駄だ。エルデュミオは真正面から斬りかかる。

 当然のように受け止められるが、構わない。


「や!」


 横手に回ったリーゼから、体勢を低くした一撃が振るわれる。無視はできず、ヘルムートはエルデュミオの剣を弾く勢いを乗せたまま、リーゼに向けての薙ぎ払いを行う。


 自分へと軌道を変えたヘルムートの剣に合わせ、リーゼは短刀を盾の役目に切り替えて刃を受けつつ、自らは滑るように潜り抜ける。


 ヘルムートは深追いはできない。すればエルデュミオに背を向けることになる。

 舌打ちをしつつそのまま一回転し、再度斬りかかっていたエルデュミオの剣と鍔ぜり合う。


(よし、止めた)


 エルデュミオの筋力では、ヘルムートと長く拮抗できない。続ければ押し負け、両断される側になるのは明らかだ。


 しかし二人がかりでならば、その数秒で事足りる。


 両手それぞれに通常の短剣と幅広のダガーを持ったリーゼが、左右からヘルムートの首を狙う。交差させて掻き切るつもりだ。


 気付いたヘルムートの迷いは一瞬。

 その一瞬の後、彼は全力でエルデュミオを押し切りにかかった。


「くっ」


 引いて、凌ぐことは可能だったはずだ。しかしヘルムートはその選択を取らなかった。

 自らの主にとって、最も脅威となる相手を殺すために。


「死ね、エルデュミオ・イルケーア!」

「させないと言ったですよ!」


 リーゼの刃がヘルムートの首を捕らえて、裂く。溢れる血が自らの力を失わせる前にと、ヘルムートは剣を押し込んできた。


 力負けした刃が外れ、正規の軌道を保ったままのヘルムートの剣が顔面に迫る。


幻惑の霧(ファントムミスト)!」


 咄嗟に構築した呪紋を放ち、自ら後ろに倒れつつ身を捻る。


 最後はほとんど勘だったはずだが、ヘルムートが選んだ軌道は、それでもかなりエルデュミオに近かった。


 がつ、と音を立てて剣の切っ先が床に当たり、エルデュミオの肌の表面と髪数本を巻き添えにする。


「――ここまでか……。無念」


 低く呟き、膝から崩れ落ちる。


 リーゼの力では、ヘルムートの首を落とすことは叶わなかった。しかし充分な深さで負った傷は、彼の命を失わせつつある。


 最早力を失うだけの体を、剣を支えにしてどうにか上体だけを起こしている状態だ。


「そうだな。ルーヴェンのためだけに戦っていたお前には、そこで限界だ」


 ヘルムートは初めから、己が助かる道を求めていない。主であるルーヴェンはすでにこの場を離れている。おそらく、ヘルムートの中では確信があるのだ。


 時間稼ぎは果たした、と。


「ふ……」


 小さく笑んだヘルムートを見下ろしつつ、エルデュミオは中断させられたマナの吸収に取りかかる。


「一つ聞くが。お前の道は本当にこれでよかったのか?」

「無論……」


 迷いなく、ヘルムートは答えた。


「殿下の望みを支えるのが、私の本懐。だが……。殿下の作る新しい世に、然程興味はない。新しい私は私ではないし、殿下も殿下ではないのだから」

「だろうな」


 ヘルムートは世界を捨てることを選んだ。この世界で形作られた、ルーヴェンという主のために。

 だからこそ、念願が叶おうと新しい世に用などないのだ。


「……悪くない、死に場所だ」


 確実にルーヴェンの力となり、しかし彼が失われる瞬間には立ち会わずに済む。


 ついにふらりと体を傾がせ、ヘルムートは床に伏し、気を失った。放っておけば彼が望む通りの最期となるだろう。


「ふん。夢見がちなことだ。その年になって、まだ物事が思う通りに進むと思っているのか」


 マナを吸収する呪紋を場に定着させると、エルデュミオはヘルムートの側に膝を付く。


「助けるですね?」

「それは少し語弊がある。今命を繋いだところでこいつの死罪は免れないし、誰が弁明しようと僕が必ずそうする」


 それだけのことを、ルーヴェンとヘルムートはすでに犯した。


「だが、裁判は行う。こいつらが凶行に及んだ理由は明らかにせねばならない。根本を断つために」

「……ですね」

(起こったことは取り戻せない。そう、神の奇跡でも起こらない限り)


 エルデュミオ自身は、その奇跡を得た。


 神樹の寵児であったためにスカーレットに見出され、ルティアが運命を変えるために奔走し、その彼女が巻き込んでくれたから。


 エルデュミオは今、立場を変えてここにいる。


(神呪は使えても、今の僕に奇跡は起こせない)


 時を返すなどという大きな力を行使できるほど、世界は魔力に満ちていない。たとえエルデュミオの命を懸けたところで、同じ奇跡には到達できそうにもなかった。


「ディー」


 己の無力に罪悪感さえ抱いていると、そっとリーゼが隣に寄り添い、名を囁く。


「可能性を持たされた貴方が、辛いのは分かります」


 実際には成し得ない。なのに、可能性だけは手の中にある。それもまた、エルデュミオの中の罪悪感を増幅させる要因だ。


「でも、忘れないでくださいね。貴方がここにいて、彼らが向こうにいるのは、自分で選んだからです。選ばずにはいられなかった道だとしても、です」

「――ああ……」


 神の奇跡は平等だった。踏み止まろうと思えば、ルーヴェンにもヘルムートにもそれはできたのだ。まだ、誰にも被害を出さないうちに。


「こいつらと同じ道を歩みたいと思う者を、生み出してはいけない。為政者として、絶対に」

「はい」

(ルーヴェン。僕とお前が選んだ手段は違う。それでも、目指すものは同じだ。本当は)


 ならばせめて、意志を継ぐ。


(人は、学ぶ生き物だ)


 そして理想へ向けて歩く。道のりがどれだけ果てしなくとも。

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