138
「ちぃッ」
ルーヴェンを追うか、繭の処理を優先するか。
一瞬だけ迷って、エルデュミオは繭の処理を優先することにした。
追っても追いつけるか怪しいルーヴェンよりも、今すぐ何とかしなくては死に至るラトガイタ国民の方を選ぶ。
「――フェリシス! 毒の浄化はできるな!」
「できるが、この繭が保有するマナが延々作り出すなら、俺の保有呪力量じゃ到底持たない」
「延々はさせない。そっちは僕がやる。毒がこの謁見の間以外に漏れないよう、しばらく浄化を続けていろ!」
「分かった!」
応じて、フェリシスは氷柱に乗ったまますぐに呪紋の構築に取りかかる。エルデュミオも同様だ。
描くのはリザーブプールに使われている呪紋法陣と同種のもの。マナを集め、別の形を与えることにする。
そうしてエルデュミオが繭の容量を削り始めると、それまで階下に残っていたヘルムートが玉座への階段を駆け上がって来た。
「おい……ッ」
己の獲物の射程圏内に入ると同時に、ヘルムートはエルデュミオへと刃を振り下ろす。後ろに飛び退いて避けたが、構築しかけていた法陣は途中で消失した。
「己の命が、本当に惜しくないと見える。ルーヴェンも部下に恵まれたものだ」
「私の生きる意義は、殿下のためだけにある。だからこそ、貴君にはここで死んでもらわねばならない」
言うヘルムートの身体は、防御呪紋によって淡い輝きに包まれている。
ヘルムートからすればエルデュミオたちの死を見届けてから脱出し、ルーヴェンと合流するのが最善だ。
だがそれよりもヘルムートにとっては、そしてルーヴェンにとっても、エルデュミオたちの殺害が優先される。この仕掛けはそういうことだ。
そして実際に死が迫っても、ヘルムートの意思に揺らぎはない。彼の持つ覚悟と歪みに、エルデュミオは寒気を覚えずにいられなかった。
「生きる理由がぶつかって譲れなくても。それでも何とか話し合いで解決するのが理想ですけどね」
退避していた氷柱の床を蹴り、リーゼはヘルムートをエルデュミオと前後で挟むような位置に下り立った。
「でもわたしは自分の未来を敵に差し出してまで理想を貫くほど優しくないので、生きるために貴方を倒します。これからを共に生きる人を殺させもしない」
「……リーゼ」
「わたしが貴方を護ります。だから、ディー。信じてくれますね?」
フェリシスが毒の処理で時間を稼ぎ、エルデュミオがマナを分離させ、集まったマナをスカーレットが結晶化する。その間、三人をリーゼが護る――というのが、確かに最も効率的だろう。
だがそのとき、誰が一番危険かは言うまでもない。
「そうしてやる、というのが信頼だと言われるかもしれないが、断る」
言ってエルデュミオは呪紋の構築を止めてヘルムートと対峙する。
「お前を失いたくないのは僕も同じだ。無意味とまでは言わないが、お前がいない世界を護ることになれば、僕はきっと虚しさを感じる瞬間が来る」
そしてその一瞬は致命的な隙を生むだろう。
「スカーレット。マナの吸収と結晶化、できる限りで進めておけ」
「人使いが荒い上、非効率的だ。努力はするが」
「神人様だろう。期待しているからな?」
なんとも頼りない返事をしてきたスカーレットを軽く睨むと、肩を竦められた。
「言わなかったか。地上に降りた神人は、地上に生きるものと同じことまでしかできなくなる。ついでに、属性の影響も大きく受ける。今の私はせいぜい人類の達人程度だ」
「充分だな」
「……努力しよう」
鼻で笑って苦情をいなしたエルデュミオに、スカーレットは苦笑をして呪紋の構築に取りかかる。
「ま、二人でさっさと片付けるのも手ですね」
「そういうことだ」
嬉しいのか悔しいのか。少しだけ複雑そうな顔をしたが、リーゼはエルデュミオとの共闘を受け入れた。
(とはいえ正直、それでもやり合えるか怪しいところだ)
何しろ前回は、これより手が多くてもあしらわれた。そのときと比べて、エルデュミオもリーゼも格段に強くなった、と言えるような差はない。
せいぜい実戦を重ねた回数が増えた程度。ヘルムートの研鑽には到底及ぶまい。
(だが、やらなくてはならない)
ヘルムートを倒し、繭の処理を急がなければフェリシスの呪力が尽きた時点で詰む。
マナの塊と化したルーヴェンでさえ散らした灰塵の炎を手に、エルデュミオは床を蹴った。同時にリーゼも動く。
ヘルムートの意識は、七割方エルデュミオに割かれていた。一撃で致命傷になりかねない神呪の威力を警戒しているのだ。
まずは一太刀。水平に構えた突きを放つ。避ければ即座に斬り上げに移行するその刺突を、ヘルムートは誘われるままに避けた。
確実に追撃を許す大振りな回避。ただしその狙いは。
(ちィッ!)
エルデュミオとリーゼの挟み撃ちから脱することだ。
ヘルムートが大きく右手に下がったせいで、リーゼと並んで斬りかかる羽目になる。それでも、追撃の一手は振り切った。
しかしそちらも、正確に見切って払われてしまう。ただし、鞘で。
錬金稀神銀製の、充分に武器にも盾にも使える強度を持ったヘルムートの鞘は、僅かな抵抗の後両断される。それでも、打ち据えた勢いでエルデュミオの刃の行き先は逸らされた。技巧が高い。
(――少し、威力が上がったか……?)
エルデュミオの体感だが、以前よりも神呪が扱いやすく、威力も上がった気がする。
「……あまり神聖教会の威信は傷付けないようにしたつもりだが。まあ前回よりはマシか」
そしてそれはヘルムートも同様に感じたらしい。抑えたかった威力よりも高いらしく、表情が苦い。
(そう言えば、前回はローグティアが魔力化していたのだったか)
大陸中すべてがとは思わないが、多くの土地が魔力化していたのは確かだ。原因はやはり、信仰心を失って魔物の影響の方が強くなったためだろう。
(アゲートの勝因も、その辺りが無関係とは言えまい)
それを嫌がって、ルーヴェンたちが手段を変えるぐらいには。
「残念だが、聖神教会はすでに僕が掌握した。すぐに以前と同じようになるぞ」
「それより前に片をつけるとも。虚勢を張るな。概ね上手く運んだのは私たちだ」
「さあ。どうですかね?」
ヘルムートの宣言を、リーゼは挑発する笑みを浮かべつつ一蹴する。
そしてヘルムートは、リーゼの言葉を否定しなかった。僅かに眉を寄せ、無言で剣を構え直す。
ヘルムートの目的は時間稼ぎだ。次点で、可能ならばエルデュミオたちを倒した後で自らは脱出するというもの。
(僕たちとしては、さっさと片付けなくてはならない訳だが……)
こうして対峙していると、痛感する。隙がない。どう斬りかかればいいのかがまったく組み立てられずにいた。
おそらく、隣でリーゼも同じように感じているだろう。




