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玉座手前まで進むと、さすがにマナの圧が濃くなる。スカーレットが自分とエルデュミオの周囲のマナ濃度を調整し始めた。
細かな結晶となって振り落ちるマナの中、エルデュミオは不壊の燐光を宿した剣を一気に振り抜く。
剣はただ、通過した。まるで霞の中を通ったかのように、何の手ごたえもなく。
実際、ルーヴェンを構成するマナに変化はない。玉座に座ったままピクリとも動かなかった。
「なら、こちらが先か。――氷雪の終焉!」
天井、マナが糸のように編まれて降りてくる始点を狙って、凍らせようと試みる。
効果は出た。神呪の氷はマナの糸を止め、ルーヴェンへの供給を妨げる。しかし同時に周囲の繭部分が氷をマナへと分解し、排除を始めもする。
速度は驚くほど速いわけではない。供給が断たれた間にと、再度剣をルーヴェンへと向け、振るう。
ガッ。
腕を持ち上げ、一部分だけ硬質な金属へと変化させた表皮で、防御してきた。
「動いたな」
防衛をした。つまりこの状態でなら効くと言うことだ。
「君は本当に邪魔だね、エルデュミオ」
既に人の声帯はないのだろう。体の内側でマナを震わせ、合成音を発して意図を伝えてくる。
「邪魔だと思ってもらえて幸いだ。――スカーレット。上のマナの妨害も任せる。僕はこいつを切るのに集中したい」
「分かった」
それを見送りつつ、ルーヴェンはぎこちない動きで玉座から立ち上がった。
「――灰塵の炎」
そして対するエルデュミオも、剣に乗せる神呪を変えた。
これまで主に、剣を護るために掛けていた不壊の燐光から、敵を焼き払う業火へと。
先程は腕の一部だった硬質化を全身に行き渡らせると、ルーヴェンは一歩、エルデュミオへと踏み出してきた。
「はッ!」
両手で柄を持ち、全力で袈裟懸けに斬りかかる。ルーヴェンは避けない。自分の戦闘技術がエルデュミオに敵わないことを理解している。
代わりに、己を構成するマナを操作する。エルデュミオの剣が捕えた肩の硬度が一層増し、火花が散った。
金属同士が擦れ合ったときのような、不快な金切り音が響く。
エルデュミオの剣は完全に止められてはいたが、効果がないわけでもなかった。その証に、ルーヴェンが剣を受け止めた肩の辺りから、形を失ったマナがほろほろと崩れていっている。
「……邪魔を、するな」
「断る!」
エルデュミオの剣を受けている左肩と逆の右手を持ち上げ、ルーヴェンはエルデュミオへと伸ばしてきた。何をして来ようと、避けるのも容易そうな緩慢な動きだ。
まるで首を掴もうとするかのように手の平を広げて――。
ぱんっ。
手首から先が破裂した。
だがルーヴェンが自らの一部を礫と化す前に、エルデュミオは片足を軸に回転し、ルーヴェンの側面へと立ち位置を変える。
「ツェリ・アデラでお前がマナを撃つのを見せられたからな」
まさか手首から先をためらわず消費してくるとは思わなかったが。
しかしためらわない理由は分かる。本来ならば使った分はすぐに繭に回収されて、再びルーヴェンの元に戻って来るのだろう。
しかしルーヴェンにマナを供給する虹の糸は氷漬けにされ続けており、形を失ったマナは即座にスカーレットが己の支配下に置き、使うことを許さない。
「……」
僅かに、ルーヴェンは震えた。思考の間を空けて、うなずく。
「うん、じゃあ……。これなら、どうだい?」
ルーヴェンは周囲をぐるりと見まわして、呪紋法陣を展開していく。
あらかじめ決められた機構のスイッチを押すがごとくの、簡易的な法陣だ。しかし仕組まれた仕掛けは大掛かりだった。
眉の内壁のあちこちでマナが属性を変え、本来虹の糸になるのだろう奔流の行き先を変える。それは有害な毒へと変化して、空間に溜まり始めた。
「本気か!?」
半ば人を止めているルーヴェンには効かないのかもしれない。だが同じ場所にヘルムートもいるのだ。
「勿論惜しい。ヘルムートは私の唯一の理解者だ。だからこそ分かってくれる。そもそも、事を成せば私もヘルムートも新たな存在へと生まれ変わるのだからね。大したことではない。少し早くても遅くても、誤差だよ」
ルーヴェンの声は平坦だった。本気だとしか思えないぐらいには。
「く――、リーゼ、フェリシス、階段を上がれ!」
毒は空気よりも重いらしく、下へと落ちていっている。上に上がれば少しの時間稼ぎにはなるだろう。
だが分かっているからこそ、ヘルムートが二人を通さない。彼を躱して背を向けながら階段を上がるのは危険すぎた。
「間に合わない、エルデュミオ、足場を作れ!」
言うなりスカーレットは氷柱を生む呪紋法陣を作り出し、フェリシスの足元で発動させた。術者の意思に沿って作り上げられた氷柱が一気に伸びる。頂点にフェリシスを乗せたまま。
さすがにフェリシスも驚愕の声を上げて、氷柱に剣を突き刺し身の安定を図った。
「成程な」
エルデュミオも同様にして、リーゼを氷の足場に乗せて退避させる。先にフェリシスを見ていたリーゼの方は、比較的冷静に対処した。
その間にルーヴェンは、さらに種類の違う呪紋法陣を発動させている。見れば階下のヘルムートも同じだ。
「また少しばかり予定外に時はかかるが、ここで君たちを片付けられるなら悪くないだろう。――ヘルムート」
「はッ」
「ここは任せる。願わくば、新しい世界でまた会おう。今度は、幸福な私たちで」
「はい、殿下。そのときを楽しみにしております」
まだ中途半端にしかでき上がっていないルーヴェンの顔で、表情を細かく作るのは不可能だ。それでも、寂しく微笑んだのだけは感じ取れた。
おそらくエルデュミオたちの邪魔がなければ、二人揃って最期の時を迎えたのだろう。
ルーヴェンは無防備にエルデュミオたちに背を向けて、繭の壁へと向かった。
「待て、ルーヴェン!」
「悪いが、付き合ってはあげられない」
当たり前に拒否をすると、ルーヴェンは繭の壁など始めからそこにないかのように素通りして、外へと出て行った。
殆どマナそのものとなった今のルーヴェンにとって、それこそこの繭は自身と同じような物なのだろう。




