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やり直し聖女の恩恵  作者: 長月遥
第八章 無が降り積もりし景色の先
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「は……っ。では、これは一体……」


 手を上げ、臨戦態勢を解除するように促したところで、伝令の聖騎士が駆けてきた。


「聖王陛下! 緊急のご報告です!」

「ラトガイタに何かあったか」


 エルデュミオの感覚が捕えた異変の発生場所が正しいことを、報告に来た騎士の表情が教えてくれる。


「ご存知でしたか」

「いや。マナの乱れが酷いのが伝わってきているだけだ。方角が分かれば時勢で察せる」


 東方面のマナが急激に国土の一点へと集まって行っている。


 ここまで範囲が広いとさすがに明言できないが、口にした通り時勢でならば答えが導き出せるというもの。


(おそらく、ラトガイタの王都。ルーヴェンがいる場所だ)

「とはいえ、何が起こっているかは把握し難い。ラトガイタはどのようになっている」

「国境のぎりぎりまで、光のドームが突如出現いたしました。ツェリ・アデラよりもラトガイタ王都に近い国々は、国境をも侵食して飲み込まれているようです」

「状況は分かった。下がっていい。それと、クロードを僕の執務室に呼んできてくれ」

「承りました」


 報告を終えると同時に新たな命を受け、伝令は再び駆けだした。


「皆、聞いた通りだ。おそらく今のところは直接ツェリ・アデラに被害は出ないだろうが、間近な異常に住民は不安を覚えていることだろう。巡回を強化し、民心の慰撫に注力してくれ」

「はッ」


 彼らの口から聖王の言葉として上司に伝われば、相応の懸命さで務めてくれるはずだ。


「さて、スカーレット。執務室に戻るぞ。クロードを待たせるのも悪い」

「はい」


 今しがた後にしてきたばかりの執務室へと逆戻りだ。

 鍵を開けて中に入り、クロードを待つことしばし。事が事だけに、クロードもすぐに走って現れた。


「エルデュミオ様、ラトガイタが……」

「分かっている、落ち着け」

「……はい」


 息せききったクロードを制すると、彼は大きく一度深呼吸をして、居住まいを正す。


「これから僕はラトガイタの様子を見に行く」

「お待ちください。エルデュミオ様自身が向かわれるのは、あまりにも危険です」

「そんなことは分かってる。だがこの事態を収拾できるのはおそらく僕だけだし、これを収めるために聖王になったとも言える。聖神教会とて、放置はできない案件だろう」

「それは、勿論……」


 正確には聖神教会の王役割とは言えないし、一組織がどうにかできる事態でもない。


 それでも民は期待する。現世における神の代理人として、奇跡を起こし、人々を護ることを。

 信じているからこそ、普段信仰の象徴として信心を得られもするのだ。


「これを上手く納めなければ、僕の聖王就任も人々の関心を得られなくなる。今すぐ動く必要があるんだ。問答はしない。命令として受諾しろ」

「……可能な限りは」


 エルデュミオとクロードの間に、相手がそうと言うのならばと納得できるだけの信頼関係はでき上がっていない。クロードの応じ方は誠実であったと言えるだろう。


「まず、ツェリ・アデラには警戒を強化させろ。先日のマナ喰い擬きのようなものが再び襲ってくる可能性はゼロじゃない。――が、実際にはあまり心配しなくてもいい。あくまで民心を安んじるのが主目的だと留意しろ」


 逆に、警備の強化で人々に不便を強いるのは本末転倒だ。


「心配しなくてよいのですか」

「喜ぶな。朗報じゃない。相手にとってその段階さえ過ぎた可能性が高いだけだ」


 ルーヴェンが必要だと見込んだマナの量は、スカーレットが読んだ通りほぼ集まっているのだろう。残りはラトガイタ周辺から根こそぎ奪って間に合わせようとしている。

 こうまで派手に動いて、世界の敵になろうとも問題ない。そう判断したと見るべきだ。


(次は神聖樹の元へ行くんだろう。止められなければ、世界の創世が行われる)


 可能かどうかはともかくとして、だが。


「ゆえに、ラトガイタへの干渉も不要。もし独断で動こうという国があれば、忠告はしておいてやれ。事実は大事だ」

「承知しました」

「就任式は戻ってから執り行うので、準備だけは進めておくように。ただし、内密に。それと町の周辺に魔物が現れても、向こうから襲って来ない限りは攻撃するな。分かっているだろうが、彼らはすでに敵ではない」


 魔物がツェリ・アデラの防衛に協力したのは事実だ。助けられた住人も少なくない。

 現実に起こった事である。しかしそれでも尚、クロードは戸惑いを見せた。


 初代皇帝が作り上げた『魔物は人類の害敵』という常識は、レア・クレネア大陸で暮らす全員に沁み込んでいる。


「魔物が敵ではないだなどと……。そのようなことがあり得るのですか」

「マナが魔力化した土地では、すでに共生が始まっている」


 エリザの国であるウィシーズで街道の結界が頻繁に壊されるのは、聖神の呪力に依った呪紋が刻まれているからだ。


 魔物からすればマナを聖神化する道具を壊して、自分たちの弱体化を防いでいるに過ぎない。人を襲いやすくするためなどという意図はない。


 無論、腹が空いたり何かしら理由が生じれば人を襲うこともあるだろう。しかしそれは聖獣とて同じこと。


 もっと言えば、人同士の方が頻繁かもしれない。


「で、ですが、それは――」

「今の聖神教会は歪んでいる。そうは思わないか、クロード」

「は……っ」


 薄く笑んだエルデュミオの瞳を見て、クロードは言葉を飲み込む。


「代を重ねるうちに一部の者共が初代皇帝、並びに聖王の言葉を曲解し、己に都合のいい常識を作り上げてしまった。その歪みが、現状の聖神教会を圧迫し始めている。ジルヴェルトはその中でもやり過ぎて、明るみに出た。時がそれを望んだからだ」


 クロードは聖職者であるが、同時に政治家だ。エルデュミオの言い方で『そういうことにする』のだということを理解した。


 あと彼が測るのはその方針が聖神教会にとって有益か否か。そしてエルデュミオの意図だろう。


「……時代に選ばれたエルデュミオ様のご意思です。従わぬとは言いません」


 事実として、ツェリ・アデラはすでに魔物に護られてしまった。

 悪しき者が集い護る地、魔都と呼ばれる可能性が生まれているのだ。


 悪意のある誰かによって噂が立てられる前に、魔物の悪性を緩和しておくのは聖神教会にも利がある。

 ただし積み重なった歴史上、急な方向転換はできない。臣民が納得できる理屈が必要だ。


「ですが我ら聖席は、初代が残した書を知っています。新しき聖王よ。貴方はなぜ変革を望むのですか」


 魔物の位置付けを変えるよりも、一部の魔物が聖神に従った。今代の聖王にはそれだけの徳がある――と言い張ってしまった方が楽は楽だ。


 だがエルデュミオは根本を変えようとしている。

 否定というほど強くはない。しかし納得できなければ従わない。クロードからはその気配がした。

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