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やり直し聖女の恩恵  作者: 長月遥
第七章 虹が織る歴史の旗
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「逆にお前は、そう裕福ではなくとも幸せではあったわけだろう?」

「ですね。大変なことは、まあ数えればありますけど。誰にだってありますよね。その範囲は出ていないです」

「僕の育ちも同じだ。受けた教育を含めてな。――それでも僕は、間違いなく幸せを感じてもいたから」


 苦しかったし辛かったが、踏み止まれたのは真実、両親から愛されていたからだと今は思う。

 この世界を見限ったルーヴェンやヘルムートとの違いは、愛されていたか否かに限る。


「だが、苦難が多い道であることは否定しない。お前にはもっと、穏やかで心安らぐ相手が待っているかもしれない。対して僕が言えるのは、努力するという約束だけだ」

「わたしたち自身のことは、いいです。でも努力で周囲が変えられますか?」


 己で決めた親は自己責任だ。しかし、生まれる場所を選べない子どもを不幸にしてはならない。健やかに育てることができないと分かっているのなら、諦めるべきだ。


 しかし貴族であるエルデュミオが己の血を残さない選択肢はない。結婚と子孫を残すのは同義だ。


「愛妾、とかって話ならさすがにお断りします。貴方のことが好きだからこそ、きっと辛いから」

「安心しろ。正妻として娶るし、他に妻を迎える気はない。そして先程の答えだが、変えられない奴は僕たちがどう働きかけようと変わらないだろう」


 人は影響を受け合う生き物だ。理解して、歩み寄ってくれる者もいるだろう。だが期待し過ぎてはいけない。


 他人の行動は変えられない。自分を変えられるのは自分自身のみなのだから。


「だからこそ、僕たちの世代で周囲に血筋以上の友を作る必要がある。そもそも、万人に好かれる人間もいないんだ。否定してくる奴ら以上に肯定してくれる友がいれば、決して不幸なだけではないはずだ」


 公爵家に生まれる以上、謀略とは離れられない。目に見えた弱味として悪意の的となるのも確実だ。

 だが何の瑕疵もなかろうとも、口さがない者たちはあげつらう部分を見つけるものだ。その点においては変わりない。


「そして友の言葉こそを重視して、悪意を鼻で笑い飛ばせる強さを与え、支えてやるのは親の務めだろう」

「まあ、ですね。どこにいたって人様に悪意を向けてくる奴はいますし。なぜか」

「僕がお前にこの申し出ができるのは、聖神教会に所属している間だけだ。還俗しても、聖王のときに迎えた妻を離縁しろなどと言う輩はいない。それは聖神教会の主義を蔑ろにする行いとなるから」


 現状、聖神教会に反感を抱かれたい者はいない。その状況をエルデュミオはこれからも守っていく必要がある。自分とリーゼのために。


 それでも、影で悪し様に言われるのは想像に難くない。

 しかし影は影だ。表立って言えない環境にはなる。


 だがエルデュミオが用意できる状況は、どう頑張ってもそこまでなのだ。


「――分かりました。謹んでお受けします」

「少しぐらいなら考える時間はあるぞ。いいのか」

「いいです。だって考えたって気持ちは同じですし。時間がもったいないですね? それこそ、聖神教会に所属して、庶民で許されている間に学ばないといけないことが大量にありますですね?」

「それは、まあ。だが無理はしなくていい。お前を貴族の社会に引き摺り込むのなら、護るのは僕の務めだ」

「却下です」


 エルデュミオはリーゼに貴族の振る舞いを徹底しろと言う気はなかった。求めるとしても可能な限り、だ。

 しかしリーゼは違うらしい。きっぱりと拒否する。


「受ける以上は、わたしにだって義務です。ディー様や家族が恥ずかしくない立ち居振る舞いを身に付けなくてはいけないです。そんなところでケチをつけられるのは面白くないですし」

「そうか」

「そうです」


 力強く言い切ったリーゼに、エルデュミオは苦笑した。


(やはり少々、気が引けて遠慮があるんだろうな)


 しかしそれをリーゼは望むまい。エルデュミオも望んでいない。彼女は庇護すべき相手ではなく、共に歩む同士なのだから。


「感謝する。聖王に就任したら、まずお前との婚約式だな」

「婚約から式があるって、凄いですよね……。なんか浮かれた聖王っぽく見られそうですけど。というか、聖王就任って本当にするんです?」


 リーゼが驚いていた様子だったのを思い出し、エルデュミオはうなずいた。


「言ってただろう。見栄えのいい象徴が欲しいんだ」

「それ、大丈夫です? 象徴として飾られて、大人しくしているわけじゃないですよね?」


 ちらりとリーゼの目が寝室の方へと向いて、戻る。スカーレットの機嫌が良かった理由を察したのだ。


「そのための期間限定でもある。聖神教会にとって利が大きい限り、彼らは僕を排除せず、協力してくれる」


 在位がそう長くないとも分かっているから、多少難があっても黙認される。

 これ以上の醜聞は聖席の者たちも防ぎたいはずなので、就いた後はエルデュミオを聖王から引き摺り下ろそうとはなかなか考えないはずだ。


「神官たちの本拠なのに、何だかなあ、ですね」

「言ってるだろ。神官を神聖視し過ぎるな。ま、中には本物がいるのも否定しないが」


 シャルミーナを始めとして、フラマティア神の存在を感じているような者は、それこそ本当に神官と言っていいだろう。


「しかし組織を運営しているような地位に就いている者たちは、むしろ政治家に近い」


 人の集団を取りまとめて運営し、動かすのだ。自然とそうなる。


「ですか」

「ああ」


 だからこそ、エルデュミオにとっては余程心理が読みやすい。


「ともあれ、今日はゆっくり休もう。付き合ってくれて感謝する」

「いえ、まあ、わたしの話でもあったわけですし」

「――そうだった。ようやく言えるな」


 気恥ずかしそうに頬を染めて言ったリーゼに、エルデュミオはまだ彼女に伝えていない言葉を思い出した。


「リーゼ、お前が好きだ。愛している」

「ぅ……っ」


 鎧うのを止めた本心のまま、微笑みを浮かべてエルデュミオは告げる。

 顔全体どころか首まで赤くして、リーゼはぎこちなく首を縦に振った。


「わたし、も、貴方が好きです」

「……ああ」


 ぎこちなく返された言葉は、体裁など関係なくただ、温かい。本物だからこそ心に響く。


「幸せを感じるというのは、正にこの瞬間のことなのだろう。今だけは、お前と出会う要因となったルーヴェンに感謝してもいい」

「もう。駄目なやつですよ、それは」

「分かっている。だから外では口にしない」


 ルーヴェンたちの行いで苦しんでいる者がいるというのに、あまりに配慮のない物言いになる。被害者の感情を逆撫でする考えだ。


「善人なら、そもそもそんな考えも生まれないんだろうな。充分知っているだろうが、リーゼ。僕はルティアやフェリシス、お前の友人のように善人ではない」

「知ってます。わたしも同じですよ。安心してください」

「お前は僕より優しいけどな」

「どうですかね。同じぐらいな気もしますけど」

「それは光栄を言うべきか」


 エルデュミオの自己評価とは開きがあるが、否定しようとは思わない。できるはずもない。リーゼの抱いた印象は、リーゼ自身のものでしかないのだから。


「引き留めて悪かった。――お休み、リーゼ。また明日」


 立ち上がって身を屈め、リーゼの頬に親愛のキスをする。


 思いっきり硬直してから、不慣れなのがよく分かる下手さ加減でリーゼもキスを返してきた。肌に唇が触れたかどうかというぐらいに、淡く。


「おやすみなさい、ディー様。また、明日」


 恥ずかしそうに、しかしそれ以上に嬉しそうに。そう挨拶を口にした。

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