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やり直し聖女の恩恵  作者: 長月遥
第一章 黄金が視せる啓示
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(――あぁ、今、僕はどうやら危険な状況にあるようだ)


 屋敷に設えた豪勢な風呂場の、これまた豪勢な湯船に浸かりながら、彼は唐突にそう思い至った。

 エルデュミオ・イルケーア。それが彼の名前だった。


 湯船に浮かべられたバラの花びらを掬おうと手を持ち上げれば、そこには少しだけ似ている、しかし間違いなく別種の花びらが一緒に乗る。


(これのせいか)


 ローグティアの花。世界を見守る神聖樹に連なる奇跡の花と呼ばれ、本人も忘れてしまったような、古い、そして大切な記憶を呼び覚ますのだという。


 この花を仕組んだ者は、きっとこう言いたかったのだろう。


 ――お前のやったことを忘れない。必ず思い知らせてやる、と。


 エルデュミオ・イルケーアは今年で二十二になる貴族だ。家は公爵であり、エルデュミオ自身は伯爵位にある。母は王の妹で、王子王女とは従兄妹の関係。


 彼が生まれ持った権力は、法を軽視した横暴と傲慢を融通するのに充分だった。


 そう自覚できるのは――ローグティアの花の効果か、エルデュミオに妙な記憶が甦ってしまったからである。


 いや、それを甦ったと表現していいものか。なにしろ『現在』のエルデュミオにはまったく覚えがない。


 だがその記憶が脳裏に過った瞬間、エルデュミオは『甦った』と感じたのだ。


(この僕が。平民ごときに罵倒されるいわれはないし、ましてやそれを処断した程度で問題が起こるはずもない)


 だが直感した。今思い出した『記憶』はおそらく事実だと。


(僕は平民に殺された)


 それがいつであり、どこであるのかという明確な情報は分からない。瞬間的な映像だけが途切れ途切れに脳に差し挟まれた、そんな印象で受け取っただけだからだ。


 そしてなんとなく、なぜ殺されたのかも理解した。


 認めるのは業腹だが、どうやら自分は平民の怨みで殺されたらしい。


(下等な平民がこの僕に手を上げるだと? ふざけている。ふざけている、が……)


 眉間にしわを寄せ、侮蔑を隠さない物言いを思い浮かべてから息をつく。


(……道理では、ある)


 エルデュミオにとって、平民とは労働力の数である。言葉が通じる分、牛馬よりは少し上等な労働力。その程度の認識だ。


 だがなぜだろうか。差し挟まれた映像で、遺体に縋る少女の姿に罪悪感を覚えるのは。真っ赤に充血した目で、自分に石を投げてくる男に怒りを覚えないのは。


 彼らがそういう感情を持つ『生き物』であることに、酷く驚いた覚えがある。


(……こんな物の奇跡に頼るような輩など、僕の敵ではないが)


 指先で花びらを弄いつつ、苛立ちを含んだ視線で眺める。


(少なくとも、一矢は報いたと認めてやる)


 花びらを浮かべた者の意図は別であろうが、エルデュミオは今確かに、思い出したくなかった記憶を掘り起こされて心に痛痒を感じていた。


 ようやく心が落ち着いてきて、エルデュミオは湯船から立ち上がる。


 浴室から出れば、すぐに数人の侍女がエルデュミオの周りに集まり、体と髪を丁寧に拭いていく。


 鏡に映る肢体には、一部の隙も無い。顔立ちも端正で、初見であれば誰でも見惚れるだろう美貌がそこにある。しかしその金の瞳に宿るのは、極めて冷淡な光だけ。


 少し癖のある青紫の髪は、腰の半ばほどにまで伸ばされている。


「――今日、僕の湯船に余計な真似をしたのは誰だ?」


 唐突に口を開いた主の言葉に、侍女たちはびくりと震えを走らせた。

 エルデュミオが使用人の失態に容赦がないのを知らない者はいない。


 主に対して、悪意を向けてきたのだ。探し出して罰するのは当然のこと。


 しかし特に実害のない、指示とは違う花を浮かべることしかできなかった相手でもある。

 そして己の行いに要因があることも察せられる。何を指してのことかは分からないが。


「次はない。お前たちは僕の指示通りに動いていればいい。肝に銘じろ」


 この場にいるとも限らない相手へと、そう告げる。少なくともこれで、話は屋敷中に回るだろう。

 そして言った通り、次はない。


(僕は、死ぬ気はないからな)


 湯船になら細工ができるなどと、侮られるつもりはない。


 着替え終えたエルデュミオは、真っ直ぐ応接室へと向かう。今日は奇妙な来客があるのだ。

 後ろに控える侍従の一人に、客室で待っているだろうその来客を迎えに行かせる。


(しかしあの傀儡王女が、僕に何の用だ?)


 内心で首を捻りつつ――しかしやはり、考えても答えが出ない。


 奇妙な来客とは、エルデュミオの従妹であり、この国の王女でもあるルティア・スペルキュナだ。


(ルティア自身が、僕に用があるはずもないだろう。だが彼女の後ろ盾であるリッツハングマー侯爵とも思えない。用があるなら傀儡の旗頭じゃなくて、自分の手の者を寄こすだろうし)


 相手の思惑が読めないのは不快だ。いらいらとした空気を隠しもしないエルデュミオに、周囲が怯えて息を詰める。


 使用人の変化に興味など持たないエルデュミオは、そんなことにさえ気が付けなかったが。


 自分の思考を切り上げ、到着した応接室へと入る。そこにいたのはルティア本人と、彼女が懇意にしている平民出身の騎士だった。


 自然、エルデュミオの不快指数が急上昇する。


「お久しぶりです、エルデュミオ。今日は貴方に大切な話が」

「その前に、その溝臭い下民を僕の屋敷から追い出せ! お前もよくのこのこと僕の屋敷に入ってこられたな、フェリシス!」


 使用人たちは一体何をしているのかと舌打ちをした。だがそれが無茶であることも理解している。


 ルティア王女が連れてきた護衛だかの名目だろうフェリシスを追い払える権限を持つ者など、この屋敷にはいない。主であるエルデュミオを含めてだ。


「必要がなければ、私としても無用に貴方と接触はしたくないんだが」


 はあ、とため息をついた仕草で金の髪がさらりと揺れる。穏やかで柔らかい眼差しが素敵だと女性に人気の青の瞳も、今は険が宿っていてその名残さえ窺い知れない。


 もっとも、険悪なのはエルデュミオとて同様だが。


「エルデュミオ、どうか話を聞いてください」

「……そうだな。その異臭を叩き出すには、それが一番早そうだ。一体どこの誰のお使いだ、ルティア」

「誰の使いでもありません。単刀直入に言います。エルデュミオ、わたくしの力となってください。きたる国王選挙で、わたくしに貴方と貴方の友人の票が欲しいのです」

「……」


 エルデュミオの渋面は変わらない。が、先程フェリシスの存在を認識したときの憤りとは若干違う。

 不可解さが増して、どう対応すべきか迷ったのだ。


「僕に文官派になれと? 冗談だろう」

「違います。わたくしの派閥になってほしいのです」

「お前の、だと?」


 ルティアの表情は真剣だ。冗談を言っているようには見えない。元々、彼女はそういった冗談が得意なタイプではないが。


 それでも冗談ではないかと疑ってしまう。それぐらい、エルデュミオが持つルティアという少女の印象とはかけ離れていた。

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