④怖い男の人に絡まれました。
私は閉館時間まで滞在し、図書館を出た。
気まずい空気を吹っ切る為にレポートに集中したのが良かった。
締切まで余裕を持ってメール提出が出来た。
達成感を味わいながらキャンパス内を歩く。
正門に向かって歩く団体とすれ違う。
これからサークルの飲み会らしい。
声が大きくて、どこで何するか聞こえてくる。
「あの子だよ。メゾン・ラビットでワイシャツ干してる子」
ビクンッ。
団体の中にいる女の子が私のことを話す。
「へぇ~、脚長いね」
「もっと派手な子かと思った」
男子の声が私に届く。きっと遠慮なんかしてないんだ。
「ああいう子が一番エグいから。
正直自分ら好きでしょ。
狙ってないように見せかけて、見え見えだからキツイわ」
女の子の辛辣で理不尽な言葉も飛んでくる。
「うん、ゆるパーカー大好きー」
ギャハハと笑い声が響いた。
私はアパートから近い西門から帰る。
駅から遠い西門の利用者は、近隣に住む学生だ。
私に気付いてもあからさまな反応はない。
人通りが少なくて暗いけど、注目されない分落ち着いて帰れる。
速やかにアパートに入り、階段を昇る。
2階の廊下に誰もいないことを確認し進む。
バンッ!!
「じゃーな! ブス!」
一番奥のドアから男が飛び出した。
厚みのある身体で、真っ赤なスウェット姿だ。
坊主頭で厳つい顔をしている。
坊主男は閉まったドアをガンッと蹴っていた。
その瞬間、私の中で危険信号が鳴り響く。
すぐワザとキョロキョロする。
「すみません、階数間違えました」
坊主男の視線を無視して私は踵を返す。
でも駄目だった。
「待てよ! お前、木下かすみだろ!」
私は「違います!」と言い返そうとしたが、坊主男が走って近付いた。
私の腕を掴み、無理矢理振り向かせる。
「やっぱ、木下かすみだぁ。
間近で見ても可愛いじゃん」
声、掴まれた腕の力、視線。
私は恐怖で声が出ない。
身体も動かない。どうして!?
「部屋に入れろよ」
私の心臓に、目に見えないナイフが突き刺さる。
「いや、です……」やっと口が動いた。
「はぁっ? お前、立場分かって言ってんのか!」
立場って何よ。
私はアンタのことなんか知らない。
なのに私は名前も顔も家も知られている。
あんなワイシャツ、干すんじゃなかった!
私の足は震える。
このままじゃ駄目のはずなのに、何も出来ない。
「さっさと鍵開けろ」
坊主男の目は赤く凄みが増す。
口元は笑っているようにも見える。
「おい! 離せよ!」
別の声がした直後、私は後に引っ張られる。
スラリと指の長い手が、私の肩を掴む。
「マサトさん……?」
「ああ? 誰だ? 横取りするなよ」
「今すぐこのアパートから出ていってください。
警察呼びますよ、先輩」
坊主男から離すために、マサトさんは私を自分の身体ぴったりに寄せている。
背中から彼の鼓動の激しさも伝わってきた。
「馬鹿なこと言うなよ。
誰に向かってほざいてるのか、分かってんのか?
俺はアレースだぞ」
マサトさんの手が少し緩んだ。
「僕はアポローンだ」
坊主男は一瞬で表情を変えた。
そして姿勢を正し、頭を下げた。
「先に言ってくださいよ。失礼いたします。
でも、青田買いはちょっとズルいっすよ」
マサトさんは顔を後ろに向け、坊主男が階段を降りて行く様子を音で確認していた。
「はぁー、焦ったー」
マサトさんは大袈裟にため息をついた。
彼の手はもう私から離れていた。
私はサッと身体の向きを変えて、マサトさんの方を見る。
「ありがとうございます……」
「びっくりしたよね。多分もう大丈夫。
早く中に入って休みなよ。
僕も友達の部屋に行くところだったんだ」
マサトさんは階段の方へ向かう。
でも私はその場から動けなかった。
部屋に入りたくない。
あんな乱暴な奴までが知っている。
ベランダから無理矢理入ってきたらどうするの?
でも、ここにいたって意味ない。
分かっているんだけど……さ……。
「木下さん、入らないの?」
マサトさんが再び話しかけてきた。
私は「ヒッ」て声を出してしまった。
「ごめん、心配になって降りてきた。
一人で部屋に入るの怖いよね。
友達の家に行けたり出来る?
合流するまで一緒にいるよ」
そんなの……できないわよ。
友達なんか作れる訳ないじゃない。
私は文句を言いたいのを抑えてこう返す。
「コンビニ、行きます」
「分かった。ついて行く」マサトさんは言った。
■■■■■
バイト先のコンビニに私とマサトさんは入る。
レジには店長がいて、接客している。
客は今その一人しかいない。
「木下さん、こんばんは」
商品棚にいた佐々木さんが声をかけてくれた。
私の顔を見て、表情を変える。
「そちらの兄ちゃんは?」
「知人です」マサトさんは答えた。
「マサトさん、ありがとうございます。
もう、大丈夫です」
私はマサトさんにお辞儀した。
マサトさんも、私達にお辞儀してコンビニを出た。
「トイレ、借ります」
お客様用トイレから出ると、店長と佐々木さんがレジカウンターで話していた。
「木下さん、どうしたの?
とにかく裏で休んでなさい」
店長は40代位のハキハキした女性だ。
佐々木さんの子どもと同級生で、佐々木さんとも昔からの知り合いだそうだ。
私はレジカウンターから、スタッフルームに入る。
更衣室とは別に、休憩や事務作業用の場所がある。
私が椅子に座ると、すぐに店長が入ってきた。
「ごめんね、話すのも辛いかもしれないけど。
怖い目に遭った? 警察に連絡するわよ」
「アパートの廊下で、変な男に絡まれただけです。
さっきの人に助けてもらったんです」
「アパートの廊下で……。
それじゃあ部屋に戻るのも怖いわね。
誰かに連絡して、迎えに来てもらいなさい。
タクシー手配してあげるから」
「大丈夫です。一人で帰れます。
それに近くに住んでる友達とかいないし」
店長の眉間に皺が寄る。
「今は緊急事態よ。
あまり親しくなくても、多少離れていても、信頼できそうな同性の知り合いと連絡取りなさい。
同じアパートに住んでいる知り合いはいないの?」
私は、カナデ先輩のことを思い出した。
エナからアカウントを教えてもらってはいる。
「分かりました……」
私はカナデ先輩にメッセージを送る。
どうせスルーされるだろうし、適当に連絡取れたことにしてコンビニを出よう。
これ以上、店長達に迷惑かけては悪い。
『5分以内で着く』
半ば信じられなかったけど、宣言通り返信から5分以内で、先輩はコンビニに現れた。
「すみません、急に。ありがとうございます」
「遠慮しないで。今日は私の部屋に泊まりな」
カナデ先輩はすっぴんでターバンを巻いていた。
服装はTシャツとカーデガンにハーフパンツ。
完全に室内着だ。
でも、整った目鼻はしっかりとそこにあり、やはりこの人は相当な美人だと思った。
「木下さん、タクシー来たよ」
晩ごはん用のカップ麺などを会計してもらっていると、佐々木さんが声かけてくれた。
「あれまー、可愛いお嬢さんが二人も!」
タクシー運転手は抜けた前歯を見せながら喋る。
「俺の孫とその友達だ。
変なことしたらタダじゃおかねぇぞ。
ヤマさん、アパートは近いんだがな、ちょっとグルっと走らせてから送ってやってくれ。
木下さん、お金は俺が払っとくから気にするな。
ヤマさんと俺は昔からの付き合いだ。
悪いことはしないよ」
「ありがとうございます」
私は何度も頭を下げながら乗車した。
隣にカナデ先輩も乗る。
「おじさん、ありがとう」
「おう。木下さんをよろしくな。
何かあれば、いつでも連絡しな。
これコンビニの電話番号」
先輩は佐々木さんからメモを受け取った。