③長身イケメンが私に話しかけてきます。
翌日。講義は午後からだ。
私は朝起きて、洗濯機を回した。
カゴに洗った衣類を入れてベランダに運ぶ。
干しっぱなしにしてた赤いムエタイパンツとボクサー写真プリントのTシャツをさげる。
母の馴染み客のお下がりだ。
ライオンロゴが入ったワイシャツをピシッと皺を伸ばしながらハンガーにかける。
ワイシャツにあった茶色いシミはほぼ取れた。
何度も手洗いして頑張った。
その後もボタンの取れ掛けや、裾のほつれ、年季の入った黄ばみが気になってお手入れした。
気付いたら何度も洗って干していた。
「本当だ。ワイシャツ干してる。うわー」
「ちょっと、聞こえますよ!」
ベランダ下のエントランスから女子の声が聞こえてきた。
聞いたことのある声だ。私は下を覗き込んだ。
「エナ!?」
「あ、かすみ。おはよう……」
エナが女の子と一緒にいた。
チャイボーグメイクをした派手な人だ。
スタイルも良くて、モデルやインフルエンサーみたい。
「どうしたの? 講義は?」
エナは実家通いなのに、何故朝からここにいるんだろう?
「昨日飲み会で終電逃したから、先輩の家に泊まったの」
確かに友達がここに住んでるって言ってたな。
でも昨日と服が全然違う。
「貴女がかすみちゃんなんだ。可愛いね」
先輩が声をかけてきた。
「彼氏ヤバいね。いつから付き合ってんの?」
しまった。
エナに本当のことを言いそびれてた。
講義が一緒でも、話す機会がなかったのだ。
「最近ですよ……」仕方無い。今は話を合わせよう。
「今度パーティーやるなら呼んでね!
私はカナデ。経済学部の2回生。
あとでチャットアカウント教えてね」
エナは焦りながらカナデ先輩の腕を引っ張る。
先輩はニコニコ手を振りながら大学へ向かった。
外干しを済ませて、下着類を浴室で干す。
干しながら色々考える。
パーティー?
カナデ先輩はワイシャツを見てヤバい彼氏って言ってた。
あれはどういう意味?
ムエタイパンツならまだ分かるけど。
あのワイシャツはただのシャツではないと思っている。
凄く生地がしっかりしているし、縫製も丁寧だ。
ほつれや黄ばみは年数経っているからで、それでもクタッとならない良品なのだ。
ワイシャツが入っていた紙袋を調べたら、何十万何百万とする、オーダーメイドスーツブランドのものだった。
あのシャツも特注品なのかもしれない。
でも、そんなのベランダで干しているやつを見るだけで分かる?
分かっても、彼氏が金持ちかも、で終わりじゃない?
何で皆に避けられて噂されなきゃいけないのよ?
浴室の扉を閉め、私は浴室乾燥機のスイッチを入れた。
■■■■■
午後の講義は全部終わった。
今日はバイトが休みなので、私は図書館に行く。
仕上げなきゃいけないレポートがあるのだ。
空いている自習席に荷物を置いて本を取りに行く。
斜め向かいの人が私を見てて、私も視線を向けたらサッと逸らされた。
戻って来たらその人はいなくなっていた。
それだけじゃない。
私が使う席は長机を区切ったものの1つだ。
その机には既に3人が利用してたのに。
座る位置もバラバラで知り合い同士じゃなさそうなのに。
戻ったら空っぽになってた。
フッと隣の長机を見る。
さっきここにいた人が移動していた。
キャラもののスマホケース。嫌でも目に入ったやつ。
ウンザリする。
私はこの人達のことを知らないのに、どうして皆は私を避けるの?
家で書こうかとも考えた。
でも雑誌や新聞も見たいからなぁ。
私は深呼吸して、リュックから文房具とノートパソコンを取り出す。
さっさと終わらせて、趣味読書するんだ!
パソコン画面とノートと資料を交互に見ていく。
こんな感じで良いかなぁ?
私は休憩がてらスマホを手に取る。
「あ……」
「え?」
顔を上げると、背の高い男の人が立っていた。
昨日家の前にいた人だとすぐに分かった。
「ここの学生だったんですね。
あの、昨日は本当にすみませんでした」
男は再び深々と頭を下げる。
周りの視線を感じる。
私は慌てて「座ってください」と言った。
男は私の隣に座った。
近くで改めて見ると、やはり格好良い。
くっきりした目元に彫刻のように整った鼻。
薄めの唇をキュッと閉じている。
引き締まった輪郭。
肌は美白化粧品モデルのように艶めいている。
その額に、黒い前髪がふんわり乗っていた。
紺のジャケットを軽く羽織ってるけど、肩幅がしっかりしてて、コンパクトな顔だから、凄く様になってる。
デニムの脚も長い長い。机の下で折り畳んでる。
「すみません、気を遣わせちゃって」
男は申し訳なさそうに微笑む。感じは悪くない。
「僕は、高富雅人って言います。
マサトって呼んでください。法学部1回生です」
「法学部、凄い!
あ、私は……木下です。生物科学部1回生です」
この大学。法学部だけは群の抜いて偏差値が高い。
某タレント弁護士もウチの大学卒をアピールしてるしね。
「生物科学かぁ。環境? 食品?」
「食品の方で考えてます。
衛生管理と栄養士の資格、両方取りたくて」
「へぇ、じゃあ就職は食品系企業とか考えてるの?
あと、同級生だし、敬語はいいよ」
マサトさんは朗らかに微笑む。
確かにそうだけど、大人っぽい雰囲気だからつい敬語になるんだよね。
「僕は国際政治や外交分野を勉強したくて。
来年はオランダに留学する予定だよ。
去年は高校の交換留学でシンガポールに行ってさ」
うわぁ、全然世界が違う。流石、法学部。
「へぇ、凄いね。
私はそういう目標とかはあんまりなくて。
地元離れて、都会の大学に行きたかっただけで。
行かせてもらう条件が、就職に使えそうな資格や免許を取れること、だったから。
親には看護か福祉にしろって言われたけど、そっちに興味がなくて。
ご飯作るの好きだから、食品の方で。
衛生管理の資格取れたら、実家のお店も手伝えるし」
「木下さんも凄いよ。とても考えているんだね。
知り合いに生物科学部の先輩がいるけど、話してると面白いんだ。
その先輩は管理栄養士資格取りつつ、外資系食品メーカーへの就職を目指してたよ。
食分野は国際的にも非常に重要なテーマだから、学ぶ価値は大きいと思う」
「ありがとう……」
地元離れてとか、実家の店とか、田舎丸出しなのに、そこに一切触れずに、明るい未来を語れるの凄いなぁ。
きっとそうやって素直にキラキラと物事を見てきた人なんだろうな。
私はマサトさんと話すことが楽しくなっていた。
ここ最近学生と雑談とか出来なかった。
私が避けられていることを、知らないのかな?
今も私達を見て、ヒソヒソする人が絶えないのに、マサトさんは食糧自給率の話ばかりしてる。
「あの……」
図書館スタッフボランティアと書かれた腕章をつけた人が話しかけてきた。
「お話される場合は、談話室をご利用ください」
マサトさんは丁寧に頭を下げて謝った。
ボランティア学生が離れると、マサトさんは私のシャーペンを持ち、サラサラとノートに書いた。
『僕のチャットアカウント
@※※※※』
「レポート終わったら連絡してね。
ごめんね、邪魔して」
マサトさんはそう言って離れて行った。