オーパーツ「ペコピン」発見の記録
ジェングーライ共和国の首都キザポンの南にそびえ立つドルルンボフェン山の中腹の洞窟で見つけたこのオーパーツに「ペコピン」と名前を付けよう。
歴史的にそぐわない代物をオーパーツと呼ぶが、このペコピンも、あのレンブウハン半島で見つかったランテンや、あのセッツガー連邦で保管されているコポポポンと同じような扱いになるだろう。
そもそもなぜ私がこのドルルンボフェン山を探索するに至ったかと言うと、それは同じジャクリンの研究者であるセッキーベレン大学の劾權学准教授サトシマサシ氏の著書「ペニーケの謎」を読んだのがヒントになっている。
それまでずっと頭の満頭葉に引っかかっていたホウックヴェの疑問がその著書で、まるでフェンクデンヅしたかのように解消された。
しかし軽率な行動はできないと判断し、一旦、モリボーデ式歴史検証システムでジャユラエオオがザイメンダラレしていないか、また人工衛星ミチコの位置情報と照らし合わせて、このドルルンボフェン山に行き着いた。
それから我がヘンフォリパイポーン大学に許可を取り探索チーム「カラーライ」を組んだ。優秀なゴンボンバンボン君やセレレレイレ君が積極的に参加してくれたものも嬉しい。
しかし簡単にはいかないのが、このジャクリン。すぐにパサキダエの如く難航した。
いくらセボトーンをしてもヨセケリッパシの欠片すら出てこない。探索にも期限があるため、焦りに私の顔も翠椴菩薩のようになっていただろう。
だが転機は訪れた。ゴンボンバンボン君とセレレレイレ君が何気なく話していたおとぎ話「ひだりうで姫」からアイデアが生まれ、光が見えた。
すぐさま二人にもそのアイデアを伝えムルキエン計画を立てた。
それからはあっという間だった。すぐに古代ペロ文明の遺跡を発見し、ケレベンケローニ祭壇を調査をすると、このペコピンが7050個出てきた。
もちろんこれからしっかりと、実際にホドッレモノモノの儀式に使われていたのか、セホドリンダクラインとして扱われていたのかなど、ウェサピリエやテコノギジリウスを使って調べる必要がある。浮かれてはいられない。
残りの記録はヘンフォリパイポーン大学に戻ってから書くことにしよう。
まだまだジャクリンにはわからないことが多い。
これだから研究はやめられない。
22021年14月222日(丙)RM25:99 寿々喜節句