二人のお姫様
これは、【八百比丘尼】と【人魚姫】をベースにした百合話となっております。
「ふふっ、これは、なかなか」
「こちらの作家様、新作を出されたのですね。
前作より、とても、エッチィです」
実家から届けられた荷物。
安全のために、女官と侍女たちが中を調べてくれる。
他の妃たちの場合はどうか知らないが、今ナターシャ付きの女官と侍女たちの間で飛び交うのは、中身である創作物への感想等などである。
内訳は健全なものが三割、一般的には不健全とされているものが七割である。
健全な三割の作品は恋愛、冒険、推理小説とジャンルは様々である。もちろんホラーもある。
残りの七割、その全てが女性向け同性愛作品の数々だ。
侍女や女官達に人気なのは、後者だったりする。
「ミズキはいいですね」
一緒に添えられていた手紙。
それを読んで、ナターシャはポツリとそんなことを漏らした。
そこに書かれているのは、友人であり義姉の近況ばかりだ。
例えば、男爵領での創作活動を活発、発展させるために同士を募って自費制作の創作物、それを発表する場を作って定期的にイベントとして開催していることとか。
そのイベントからプロになる者が現れ始めているとか。
そんなことが実に楽しそうに書かれているのだ。
それは、自由だった。
かつてはナターシャも持っていた自由。
何処に行くにも自分の足で行けた。
あの頃の自由。
(仕方ないとはわかっていますが)
今のところ、以前の面談以来ナターシャの元に国王は来ていない。
そもそも正室ではなく側室、それも低位の側室だ。
国王を拒んだのは事実だし、それを後悔はしていない。
後悔しているとするなら、それは、ここに来てしまったことだ。
男爵の田舎娘、だから側室としても釣り合わない。
断れなかったとはいえ、やっぱり言えば良かったかなとも思ってしまう。
有り得たかもしれない人生、それを夢想してしまう。
もしも、ここに居なかったらおそらく大学に行って、教師とかそっちの仕事を見つけてそこそこ楽しく生きていたに違いない。
それこそ低位とはいえ貴族なのだから、少し上の貴族の家の侍女として働いていた可能性もある。
「しかし、ナターシャ様は本当に色々な作品を読んでいるのですねぇ。
こちらなんて、女の子同士の恋愛モノですよ」
侍女に呆れ半分に言われ、懐かしさに浸っていたナターシャはそちらを見る。
「男爵領では普通に書店で並んでいますよ。
王都では、同性恋愛モノは規制の時期が長かったですから珍しいでしょう?」
「えぇ!とっても!!」
侍女もそうだが、女官も男の子がくんずほぐれつしている、王都ではやはりまだまだ珍しい絵物語をそれはそれは熱心に読んでいる。
そしておそらく、検閲であることを忘れている。
側室ではあるが、ナターシャにも公務が割り振られている。
女官とは正室、側室の公務をサポートするいわば秘書のようなものだ。
そして侍女は、そんな妃たちの身の回りの世話をする者達で、仕事内容がそもそも違う。
この場合の検閲は、どちらというと侍女の仕事なのだがナターシャ付きとなった女官は見事に同性恋愛モノの沼に落ちてしまい、これも仕事と称して堂々とナターシャの荷物をチェックしているのである。
元気よく答えた侍女に、ナターシャは苦笑する。
些か、受け入れるのが柔軟な気がするのだ。
(これも、ミズキの遺した傷痕、というと少々イヤミになりますかね)
下世話な話云々もそうだが、そもそも同性恋愛モノは王都では忌避されてきた。
その理由は様々だ。
逆に言えば、様々な理由を付けてでも忌避させてきたのだ。
頭が悪くなる、影響を受けて子を生すという生産性が下がる等など。
しかし、そうやって徹底的に追い出した同性恋愛モノは図らずも、ミズキという旅の大道芸人によって、当時の若者へ浸透して行った。
それを取り締まろうともしたが、そもそもミズキの演じる【紙芝居】のみでの公演で、さらに何を演るのかはその時にならないとわからない。
紙芝居がなんなのかわからない、さらにはミズキは調査員が来るとその勘の良さで察して別の話を演っていた。
そのため、奇跡的にも同性恋愛モノは規制されることなく、一部の王都の民の間で広がっていくことになる。
ただ、【古城の女城主】はその話の凄惨さと運の悪さから怒られてしまい、王都では演れなくなったのだが。
「え、うそ」
手紙を読み進めていくと、ナターシャの顔色が驚きに変わった。
送られてきたのは、本だけでは無かったのだ。
急いで、残りの箱を手当り次第開けていく。
そして、それを見つけた。
「ナターシャ様、それはなんでしょう?」
「額縁、にしては奇妙な形をしていますね」
侍女と女官が、ナターシャが荷物から取り出したそれを興味深そうに見る。
それは、紙芝居をするためにミズキが使っていたものと同じデザインの木枠だった。
紙芝居の舞台である。
それも使い古された、ミズキのお古かと思いきや新品だった。
一緒に、様々な作品の紙芝居が箱に収められている。
手紙には、ミズキの筆跡で、
【公務で孤児院へ訪問し、子供たちに読み聞かせをすることもあると聞きました。
どうぞ使ってください。
親交のある職人と画家、それぞれに協力してもらいました。
紙芝居が傷んできたら、連絡してください。
また別の作品を送ります】
そう書かれていた。
嬉しさに、ナターシャの顔が綻んだ。
自由は無くなったけれど、楽しみはあるのだ。
ちなみに、送られてきた紙芝居の六割が怖い話で、四割が冒険話や恋愛モノだった。
***
さて、これはナターシャはあまりよく知らないことなのだが、そんなミズキが去ったあとの王都では、【紙芝居】という娯楽が無くなり、それを楽しみにしていた者達のなかには、気鬱になる者が人知れず多発した。
男爵領で言うところの、ロス症状だ。
この場合は【紙芝居ロス】とでも言えばいいだろうか。
そして、その中に居たのだ。
お忍びでミズキの公演を見に来て、さらに紙芝居ロスになった貴族の子弟が。
それも結構多かった。
お忍びで紙芝居を見に来ていた側室の中にも、紙芝居ロスになる者がいたほどだ。
後に、ミズキが様々な作家を生み出している領を統べる男爵家へと嫁いだことが社交界等で伝わった。
ここで紙芝居ロスに陥っていた者達が、水面下でかなり頑張って動いた。
おそらくミズキの紙芝居のファンだった側室が、一番頑張ったかもしれない。
その結果、見事にミズキの嫁いだ男爵家、その家の娘でありミズキにしてみれば義妹にあたるナターシャを側室として召し上げることに成功した。
その側室は、本来かなり内気な性格でいまだにナターシャへ茶会の招待すら出来ずにいた。
しかし、今日は違った。
その側室は、いわゆる中立派とされている侯爵家から輿入れした姫だった。
ナターシャの輿入れを正室のアザリーナに説得させるため、水面下で動き、さらには男爵領の創作物をプレゼンした女性である。
真剣に執務机に向かっていた彼女は、やがて一通の手紙を書き終える。
その横には先程まで捌いていた書類の山がある。
これから女官が、各部署へ持っていく書類だ。
サインをするだけだが、中々骨が折れた。
鈴を鳴らして侍女を呼ぶ。
「これを、ナターシャ様へ」
侍女は主人に言われるまま、その手紙をナターシャの元へ届けた。
受け取ったのは、何故か顔を赤らめ笑顔になっているナターシャの侍女であった。
検閲という名の秘密の読書会をしていたとはとても言えない。
なので、ナターシャ付きの侍女は適当に取り繕って手紙を受け取りナターシャへ渡した。
「あら、珍しい。お茶会のお誘いですね」
侯爵家から輿入れした側室、リリアの侍女から案内が来たのでナターシャは目を丸くした。
来訪者もそうだが、アザリーナの暇つぶしで物語りを所望されない限りナターシャの元へこのような手紙が届くことは、まず無い。
手紙もそうだが、その認められた中身にとナターシャは驚く。
私的なものなので気軽にお茶と物語りを楽しみたいから、ドレスでは無く軽装で来て欲しい旨などが書いてある。
これも後宮の洗礼の一つかなと思いながら手紙を読み進めると、そうではないとすぐにわかった。
なんというか、リリアはミズキの紙芝居の大ファンであることが、それはそれは熱心に書き連ねられていたのだ。
加えて、ナターシャが輿入れしたことにより後宮に設置された図書館。
そこに並ぶ蔵書、作品の数々。
それらへの礼と感想まで、なんというか、かなりの熱意をこめて書かれていた。
何も知らない者が、その部分だけ読んだら恋文と信じて疑わないだろう。
「ミズキの言っていた、同士というものですね」
是非とも作品について語り合いたい、いわゆる大人の事情で王都でも後宮でも読めない作品についても教えて貰えたら幸いである、そう手紙は締めくくられていた。
すぐにナターシャはリリアへ返事を書いた。
侍女に頼んで手紙を持って行ってもらう。
リリアから提案されたお茶会の日は、三日後だ。
その日取りでナターシャは了承した。
ナターシャについては、アザリーナ派、カタリーナ派それぞれの派閥に属する令嬢から話は聞いている。
リリアの知らない物語りをそれぞれの令嬢達に語って聞かせたことも知っていた。
それを聞いたリリアはとても悔しかった。
自分も聞きたかったのに、と。
楽しみたかったのに、と。
そこに浮かぶのは、ナターシャの話を聞いた者たちへの嫉妬だった。
ズルいズルいと思うのに、行動に移せなかった。
内気な性格が邪魔をして、茶会の誘いすら出来なかった。
そんな彼女がどうして、今回このような行動に至ったのかと言うと、後宮にいる令嬢達だけではなく、国王にまでも叫び声を上げさせたと聞いたからだ。
そして、つい先日、国王の渡りがあった。
その時に、確認したのだ。
国王は、そういえばリリアもそういった世俗的なものが好きだったことを思い出した。
話の種に、と自分の情けない挙動は言わず、ナターシャが語った物語りについて軽く話したのだ。
ここで、リリアの中で内気な部分含めた諸々が瓦解した。
そして、瓦解してからが早かった。
今まで迷っていた茶会の手配を済ませ招待状を送り付けた。
ナターシャの方が身分が下なので、余程のことがない限り断るわけが無いとリリアは計算していた。
リリアの計算通り、ナターシャから茶会に参加する旨の返事が届いて、ようやく彼女は冷静になった。
どう思われただろうか?
ミズキの紙芝居の大ファンでもあるものだから、常識的な人が見たらドン引きするような感想まで添えてしまった。
床をのたうち回った後、頭をダンスホールの大理石にでもぶつけて死んでしまい衝動に駆られたが、我慢した。
今死んだら、ナターシャの知る物語りが聞けなくなってしまうからだ。
震える手でナターシャからの手紙を開く。
そこには、義姉への想いに対する礼と、実家である男爵家から図書館には並べることの出来ない作品の数々が届いたことが書いてあった。
そして、もしかしたらリリアの好きな作品もあるかも知れないから、タイトルやストーリー、ジャンルを教えてくれたら持っていく旨が記されていた。
舞い上がってしまうのは仕方ないだろう。
ずっとロスだったのだから。
もう一度聞きたかった物語りが聞けるかもしれない。
そう考えると心が踊った。
まるで、恋する乙女が愛する相手から愛を囁かれた時のように鼓動が早くなる。
さて、そんなリリアの1番のお気に入りは【古城の女城主】だったりする。
あの物語の中のような凄惨な事件を起こす気はサラサラないが、それでもどんな方法を用いてもずっと美しくありたい、という部分にはとても共感出来たのだ。
あまりにも内容がショッキング過ぎて、封印されてしまった作品だ。
しかし、あの拷問の場面は、とてもゾクゾクした。
あの作品のような言いしれないゾクゾクは、他では体験できなかった。
またあの話を聞けるかもしれないという期待が、リリアに筆をとらせ走らせた。
気づけば、到底一回のお茶会では読み聞かせ出来ない作品のタイトルを、手紙に羅列していた。
リリアは、そんな自分自身にドン引きした。
結局、手紙を書き直して、ナターシャへ送ることにした。
そして、お茶会当日。
主催のリリアも、招待されたナターシャも軽装だった。
場所は、リリアの部屋である。
「リリア様、この度は茶会にお招き頂き恐悦至極に存じます」
「こちらこそ。ご足労頂きありがとうございます!
さぁさぁ、ナターシャ様、どうぞ。こちらです!!」
挨拶もそこそこにテーブルに案内される。
ナターシャが連れてきた侍女がその後に続く。
ナターシャの侍女に、リリアの侍女達の視線が集まる。
それもそうだろう。
なぜなら、ナターシャの侍女は大きな、そして重たそうな箱を抱えていたのだ。
その箱の上には、入り切らなかったのか額縁のような物が乗っている。
箱の中身は大体想像がつく。
おそらくリリアが所望した本の数々が収められているのだろう。
しかし、それとあの額縁? 木枠? がどうしても結びつかない。
それを質問できる訳もなく、リリアの侍女達は粛々と仕事をこなす。
つまりは、この側室たちの給仕である。
そして、なぜそんなことをするのか分からないがもう一つ、テーブルの用意であった。
ナターシャの侍女が運んできた箱を置くのかなと思いきや、後で使うからそのままでいいと言われてしまった。
ちなみに、件の箱はそのテーブルの下に置かれていたりする。
お茶とお菓子をテーブルに並べ、側室同士のお茶会が始まった。
雑談に花が咲き、盛り上がって来た頃ナターシャが言った。
「それでは、喉も潤いましたし。始めましょうか」
そして、ナターシャとその侍女がなにやら準備を始める。
ワクワクとリリアは準備が整うのを待つ。
リリアの侍女達も、なにが始まるのだろうと興味津々である。
用意されていたもう1つのテーブル、そこにあの額縁というか木枠を置いて、なにやら絵が描かれた紙をその木枠の中へセットしていく。
それは、リリアの記憶の中にあった懐かしい光景そのものだった。
紙芝居である。
ナターシャはリリアの希望を聞いてくれたようだ。
タイトルを見て、さらにリリアは瞳を輝かせる。
まるで子供のようだ。
ちなみにタイトルは、【古城の女城主】だった。
この話、意外と王都にファンがいたことをミズキは覚えていたのだ。
王様にでも聞かせてみたらおもしろいかも、というミズキの思いつきで送り付けられたものだった。
ナターシャはこれを話す気は無かったが、リリアの好きな話だと知ってここに持ってきたのである。
紙芝居をセットし終えた後、ナターシャがリリアの侍女達を見回して、
「リリア様、あの、本当にいいんですか?」
そう訊ねた。
するとリリアが、
「あ、そうでしたね」
ナターシャの言わんとしていることに気づいて、すぐに侍女たちを部屋から下がらせようとする。
侍女達は訳が分からなくて、戸惑う。
「これからナターシャ様が語るお話は、とても刺激が強いの。
ですから、終わるまで外で待っていて」
リリアにそう言われては、反論出来ない。
反論する気も無いが。
「興味があるなら聞いてもいいんですけど、この話、義姉が王都で公演した時に残酷過ぎると判断されて怒られたものなんです。
リリア様は、この話に耐性があるから良いですが、慣れていないと気分が悪くなるかもしれないんです」
ナターシャからもそう説明される。
そもそも残酷な話、というものがどういうものか侍女達はわからなかった。
知らなかった。
躾のための御伽噺と言えば確かに近いが、近いだけで違うのだ。
そうやって止められると、興味が湧いてくるのが人である。
リリアの侍女はその興味、好奇心に負けてしまった。
そして、その話を聞いたのだが、中盤あたりから後悔する羽目になってしまった。
さらに話が終わる頃には、その内容のおぞましさから死屍累々となっていた。
「なんてものをリリア様に!!」
そう悲鳴を上げる侍女もいた。
「だから、言ったじゃない」
侍女の叫びに、リリアが頬をプクッと膨らませて言い返す。
一方で、
「普通に面白かったですよ?
ナターシャ様、他にはどんな話があるんですか??」
そんな肝のすわった侍女もいて、ナターシャへ気安くリクエストしてきた。
「そうですねぇ。
今日は、リリア様のリクエストのお話をもう1つ持ってきました。
タイトルは【二人のお姫様】です」
可愛らしいドレスを着た女の子と、貝殻や宝石を身につけた人魚の女の子が描かれていて、タイトルも一緒に書かれていた。
死屍累々だった侍女達が、復活する。
全く怖い話には見えないからだ。
異種族間、それも女の子の友情モノかな、なんてホッとする。
当然だが、そんなわけはない。
「どんな話なのですか?」
さっきのこともあるので、簡単にあらすじだけナターシャは言おうとしたが、リリアに止められる。
「聞いてからのお楽しみよ」
そう口にしたリリアの顔はとても美しい笑顔だった。
今日のためにナターシャの紙芝居練習に付き合わされたため、内容を知っている彼女の侍女は笑顔を貼り付けるだけで何も言わなかった。
そうして、ナターシャの紙芝居、第二弾が幕を開けた。
「さて、昔昔のことでございます。
人の住む地の国と、人魚の住む海の国がございました。
この二つの国はとても仲が良く、それぞれの国にはたいそう美しい姫様がおりました。
この姫様達も子供の頃から大変仲が良く、種族の違いなんて感じさせないほどでありました」
仲睦まじい姫達の絵がうつり変わっていく。
「しかし、仲が良すぎたのです」
途端にナターシャの語りが不穏な空気を生み出した。
そして、次に現れたのは二人の姫が唇を重ねている場面である。
これは予想外過ぎたのか、リリアの侍女達がザワついた。
「二人の仲の良さ。
それは、友人としてではなく本来なら異性へ向けられるものでした。
それを知ったそれぞれの親である王様達は大激怒しました。
種族が違うこともそうですが、同性で恋愛など以ての外だったのです」
そりゃそうだ、とリリアの侍女達の間に奇妙な同意が見て取れた。
それと同時に、同性愛というある意味で刺激的な恋物語は侍女達の興味を大いに引いたのだった。
「好きになった人を愛した。
ただそれだけでした。
身分だけなら釣り合いが取れたでしょう。
しかし、二人は人と人魚。そして女でした。
せめて男女であったなら、どちらかが男であったならきっと何かが違っていたのでしょう。
お姉様、もしも私やお姉様、どちらかが男であったなら結ばれたのでしょうか?
秘密の逢瀬。
最後の逢瀬。
その短い時間の中で、人魚の姫様は地の国の姫へ震える声で語りかけました。
地の国の姫は、悔しさに拳をキツく握りしめ、返します。
わずかな可能性だが、それは有り得ただろう。
でも、人魚の姫。私は今の貴女を愛したのだ。
そして、それは今後も変わらない。
私は人魚の姫、貴女を今も、そしてこれからも愛することを誓うよ。
この体は国のために差し出そう。
しかし、この心は人魚の姫、貴女のものだ。
地の国の姫の言葉に、人魚の姫は涙をボロボロと流します。
わかっています。わかっているのです。
私もそうです。
私も、そうなのです。お姉様。
ずっと、私はお姉様のことをお慕い続けるでしょう。
お姉様、ごめんなさい。本当は笑顔で見送らなきゃいけないのに。
泣き顔でごめんなさい。
御成婚、おめでとう、ございます。お姉様」
心を締め付けられるような、人と人魚の姫たちのやり取りを、ナターシャは見事に演じ分ける。
知らず、リリアの侍女達は話に引き込まれていくのだった。
「そんな短すぎる逢瀬の後、人魚の姫は海でその名を知らないモノはいない魔女に会いに行きました。
今にも張り裂けてしまいそうな心を鎮める薬が欲しかったのです。
それか、もう二度と恋なんてしない、誰かを好きになったり出来なくなるような、正に魔法のような薬が欲しかったのです。
【海の魔女】の元へ行くと、セイレーンは温かく、恋人と最後の逢瀬を終えた人魚の姫を迎えました。
そうかい。そうかい。
青い春だねぇ。
海の魔女は昔を懐かしむように、そんなことを呟きました。
そして、
今日はゆっくりして行くといいよ。
そう言ってくれました。
海の魔女の家には沢山の石版があり、そこには気をまぎらわすための物語りも並んでいました。
悲しみを紛らわすため、時間の許す限り、人魚の姫はその石版に集中しました。
そして、とある呪術が書かれた石版を見つけました。
それは、本来なら海の魔女しか見られない棚に収められているものでした。
どうやら紛れ込んでいたようです。
人魚の姫は、どういうわけかその石版にとても惹かれてしまいました。
そして、そうすることが当然であるかのように、その石版に手を伸ばしたのです。
あぁ、なんだ簡単なことだった。
人魚の姫はその石版に書かれている内容を読破すると、そう心の中で呟きました」
熱心に石版に目を通していた絵から、別の絵に変わる。
そこには、爛々と怪しく目を輝かせ、狂気に満ちた笑顔を浮かべる人魚の姫が描かれていた。
またもリリアの侍女達がザワついた。
一気にその場の空気を物語りが、人魚の姫が支配した瞬間だった。
展開が不穏になってきた。
止めないとマズイ。
そう思うのに、誰一人口を開こうとしない。
その絵に、物語りに魅入られているのだ。
「人魚の姫は海の魔女に気づかれないよう石版を元に戻しました。
読んだだけで、彼女は悟りました。
石版に書かれていたこと、アレは禁術と呼ばれているものだ、と。
人魚の姫は何食わぬ顔で、海の魔女に礼を言い、帰路に着きました。
その頭の中は、過去にないほどフル回転していました。
それから少しして、地の国の姫の盛大な婚礼の宴が催されました。
事情が事情なだけに、海の国からは祝いの品と手紙が届けられました。
その中に、人魚の姫からの品はありませんでした。
内心ガッカリしている地の国の姫に、2人のことを知り黙認していた侍女が囁きました。
姫様、実は人魚の姫様から内密に贈り物が届いております。
形として残るものより、消えるものの方が良いと判断されたらしく、とても美味しそうな魚の切り身でございます。
姫様にだけ振る舞われますので、必ずお召し上がりくださいませ。
囁かれた内容に、地の国の姫は花の咲くような笑顔を見せました。
それは、とても美しい笑顔でした」
描かれている絵には、たしかに満面の笑みを浮かべる地の国の姫がいる。
しかし、地の国の姫に、贈り物について囁いた侍女は、とても悲しそうだった。
今にも泣き出したいのを必死に堪えているような、そんな表情だったのである。
登場人物である地の国の姫はそれに気づいていない。
それに気づいているのは、こうして物語りを聞き眺めている侍女やその主のリリア達である。
「程なくして、人魚の姫からの贈り物である調理された魚の切り身が、地の国の姫にだけ振る舞われました。
まずは一口、地の国の姫は魚の切り身を口に運びます。
そのあまりの美味しさに、地の国の姫は大変ご満悦でした。
婚礼の宴から数日後、地の国の姫は人魚の姫へこっそり手紙を書きました。
万が一を考えて、贈り物のことは敢えて書きませんでした。
手紙は2人に理解のあった者によって人魚の姫の元へ届けられました。
そして、さらに数日が過ぎた頃、海の国の大王から人魚の姫が死んだことを知らされるのです。
彼女が亡くなったのは、地の国の姫の婚礼の宴が催された日だったのです。
そして、時は流れ。
人魚の姫との恋も、消失感も過去になりつつあった、そんなある日のことです。
元・地の国の姫そのことに気づきました。
鏡に映る自分が全く老けていないことに気づいたのです。
夫となったとある国の王子は年月を重ねた分、少年から青年へと変わっているのに、姫だけは若いままでした。
まるで、彼女だけ時が止まったかのようです。
最初は気のせいだろうと考えた姫でしたが、しかし彼女はやはりいつまでも若いままでした。
彼女がそれを否応なく認めたのは、自分の子供がかつて人魚の姫と恋をしたのと年頃になった頃でした。
呪いの類だろうか?
しかし、死の呪いでは無いのが奇妙だ。
体調も普通だし。
そもそもいつこんな呪いを受けたのだろうか?
彼女は、この奇妙な現象を様々な魔法使い、薬師などに相談しました。
そして、ついに答えを知るのです。
答えをもたらしたのは、あの婚礼の宴の時に、人魚の姫からの贈り物があると、そう彼女へ囁いた侍女でした。
その侍女は結婚を機に仕事を辞め、故郷に帰っておりました。
しかし、風の噂で元主が己の不老について調べていると聞いて会いに来たのです。
姫様、落ち着いてよく聞いてくださいまし。
婚礼の宴の際、人魚の姫様から贈られたモノは覚えておいででしょうか?
あ、あぁ。あのこの世のものとは思えないほど美味だった魚の切り身のことか?
えぇ、それなのです。
姫様の今の状態は。
元侍女の肯定に、彼女は悲しそうに顔を歪めました。
あの切り身を贈ったのは、人魚の姫でした
何かしらの呪いを、元恋人に贈った。
これが示すのは、つまり、人魚の姫は、地の国の姫を憎んでいたということになってしまいます。
元・地の国の姫は、それも仕方ないと思いつつ元侍女へ聞きました。
教えてくれ、私が食べたものはいったい、なんだったんだ?
元主の問いに、元侍女が唇を噛み締めます。
あの切り身は――――。
元侍女の告白に、彼女は思わず怒鳴ってしまいました。
ふざけるな!! 笑えない冗談だ!!
そんなことが、あってたまるか!!
地の国の姫があの時食べた切り身。
この世のものとは思えないほど、美味であったあの切り身。
その正体は、人魚の姫の肉だったのです」
ここで、リリアの侍女の一人が悲鳴をあげ、別の一人は卒倒してしまう。
他の侍女もほとんどが顔を青ざめさせている。
しかし、肝のすわった侍女だけは、
「へえ、人魚の肉ってそんなに美味しいんですか」
なんて宣った。
すかさず、ナターシャが注釈というか、フォローを入れる。
「あくまでお話なので、ほんとに食べたらダメですよ。
捕まっちゃいますから」
人魚種族がこの場にいたら、怒りだしそうな話である。
そして、そもそも本当にそんなことをするのは人肉を食すのと同じなので、バレたら、ただ捕まるだけでは済まないだろう。
【古城の女城主】もなかなかアレだったが、この【二人のお姫様】という話も中々に狂気が潜んでいた。
「食べる気はないですけど〜。
なんて言うか、その人魚の姫様、重いですねぇ。
重いっていうより、頭おかしいというか。
わざわざ自分を元恋人に食べさせるなんて、普通そんなことしませんよ?」
「まぁ、お話ですから。
あえて言うなら、手作りのプレゼントは嫌だ、を、少し遠回しにした言い方が【重い】ですからねぇ。
ほら、この言い方なら相手を悪者に出来るじゃないですか。
例えば恋敵にそれとなくこれを吹込めば、相手への思いやりもないマナー知らずに出来るでしょう?」
「アナスターシャ様も、中々に辛辣ですね」
「学生時代に色々見てきましたから」
女の戦いはねちっこいのである。
「ナターシャ様、続きを」
ナターシャと侍女の会話が終わらないので、痺れを切らしたリリアが圧をかけつつ先を促す。
「あ、はい。
今は亡き、人魚の姫様が何故そのような贈り物をしたのか?
それしか贈るものが無かったのです。
いつまでも残り続ける物を贈っては、地の国の姫様にお咎めがあるかもしれない。
かと言って、ただの食材を贈ってもきっと記憶の彼方に消えてしまうだろう。
そう考えた人魚の姫様は、記憶とともに後々残るものを贈ることを考えついたのです。
それは、海の魔女の家で見つけた石版に書かれていました。
永遠の命と美を人間に与える妙薬。
それこそが人魚の肉だったのでございます。
彼女は愛する人をそうとは知らず食し、自分の血肉にしてしまったことに絶望し、嘆きました。
そうしてまた歳月が過ぎると、両親、義両親、夫、子供たち、と次々に彼女より先に天に召されていきました。
そして、孫たちもまた大人になって行きます。
彼女だけが変わりませんでした。
なにも、変わりませんでした。
自分以外の大切な人達ばかりが先に天に召されていく。
やがて、そのことに耐えきれなくなった彼女は、昔、人魚の姫と逢瀬を繰り返していた入り江にやってきました。
そこには古い洞窟がありました。
地の国では冥界へと繋がっている、そして海の国では楽園に繋がるとされているとても古く、深い洞窟でした。
今はもう、それを知るのは彼女を含めた老人ばかり。
あぁ、はやくこうすればよかった。
彼女は呟いて、そこに入り、二度と出てくることはありませんでした。
おしまい」
パチパチ、とリリアの拍手が響く。
侍女達は微妙な空気だ。
それもそうだろう、こんなモヤモヤが残る話なんて今まで触れてきたことが無いのだから。
肝のすわった侍女がお茶を入れてくれた。
席について、喉を潤し一休みする。
「ミズキ様に負けず劣らずの演技でした!
面白かったです!」
ずっとロスだったリリアはご満悦である。
「ありがとうございます。リリア様」
さすがに一日に二つも語るとなると疲れる。
出されたケーキがとても美味しい。
「あのぅ、ナターシャ様、不躾なお願いをしてもいいでしょうか?」
肝のすわった侍女が、ナターシャに茶のお代わりを入れたあと口を開いた。
「はい? なんでしょう?」
「とてもお話がおもしろかったので、この際なので陛下が叫んだというお話も聞きたいな、と思いまして」
おいよせ、やめろ、とほかの侍女たちが顔を青ざめさせる。
「あ、良いですね!」
リリアが同調する。
お願いやめて、ほんとやめて、と他の侍女達が涙目になる。
「すみません、今日は持ってきてないんですよ。
そうですねぇ。今日のお茶会のお礼として、今度は私の方でお茶会を開きますから、その時にでも」
ナターシャがリリアにそう提案した。
リリアが満面の笑みで頷く。
こうして詳しい日取りは未定だが、胸糞話を披露する茶会が組まれてしまったのだった。