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閑話 王太子の事情

「占い師エスメラルダの元を"淡く輝く月の紋章"を持つ令嬢が訪れたそうです」


 数枚の紙の束を手にしながら報告するクレフを一瞥すると、キースは再び手元の書類へと視線を落とした。

 そこには一人の令嬢の姿絵と、彼女にまつわる情報が子細に渡って記されている。十九歳を迎えても未だ婚約者の一人も決めようとはしない王太子の元へ、ほぼ毎日送られて来る婚約者候補の釣り書きだった。

 王太子妃の座に娘を就かせる為、年頃の娘を持つ貴族は熱心なことだ。キースの目線を追ったクレフは、差出人こそ違えど内容にはさして変わりのないそれに目を細めた。報われることのない努力を、そうとは知らずに続ける貴族たちにわずかな憐みの念すら抱かないでもなかった。


 不愛想だが人が悪いわけでもないキースが婚約者を迎えない理由をクレフも知っている。

 表向きこそ候補者選びに難航しているというスタンスを示し、貴族から提出される釣り書きにも目を通してはいるが、キースは特定の条件に当てはまる令嬢以外を娶ることは出来ない。


 そう、"淡く輝く月の紋章"なるものを、魂などと言う目には見えない場所に刻まれた相手以外とは。


「令嬢の名をお聞きにはならないのですか」

「それがリリーナ・ディアモント嬢以外の名なら聞こう」

「では、私からお伝えすることはありませんね」


 クレフは苦笑し、机の上の釣り書きの束と自らが持つリリーナ・ディアモントに関する報告書とを入れ替えた。もっとも、彼女の存在はキースも知っているし、今さら新しく知り得る情報も記されてはいないだろう。

 何しろここ二年ほどの間に十何回も婚約が破談となっている令嬢なのだ。噂好きの貴族などどこにでもいるし、嫌でもキースの耳に入る。その境遇から、彼女が紋章の片割れではないかという見当は早いうちからつけられていた。


 家柄やリリーナ自身の素行がどうであれ、紋章を持つのならばそれだけで他の選択肢はない。それでも王太子妃に相応しくない要素は水面下で揉み消すなりする必要はあった。だから多少の調査は行っていたのだが、幸いにしてディアモント家もリリーナも清廉潔白と証明されている。


「少し一人になりたい」

「畏まりました」


 理由は尋ねずにクレフが部屋を出るとキースは何もない中空を見上げ、静かに息を吐いた。


 キースが成人を迎えれば、いよいよ婚約者の選定に本腰を入れるよう周囲の突き上げは厳しくなるばかりだろう。もちろん、自分の立場を思えばいつまでも曖昧に済ますことは出来ないと分かっている。


 けれど。


 彼女が見つかって良かったと安堵する一方、ずっと見つからないでいて欲しかったとも思う。

 そうしたら、キースは愛のない政略結婚を何の躊躇いもなく選べた。打算だけで選ばれた相手の令嬢に申し訳ない気持ちを抱かないではない。しかし状況を鑑みても、ある程度は政略結婚へ理解のある令嬢を娶ればそれなりに上手くやって行ける。そう自負はあった。


 紋章の片割れが見つかったという話は、すでに両親の元へも届けられているだろう。そうなれば国の行く末の為、国王がリリーナとの婚姻を推し進めるのは時間の問題だ。


「……国の為、か」


 キースの唇の端が自嘲気味に釣り上げられた。


 彼女を失ったのは(・・・・・・・・)国の為(・・・)だと言うのに。

 国の為に彼女を犠牲(・・・・・・・・・)にしたのは(・・・・・)王である自分(・・・・・・)だと言うのに。


 それでもまた会いたいと願い、会えると分かれば会いたくなかったと、勝手なことばかりを願っている。



 自分が生まれながらにして"光り輝く太陽の紋章"などというものを魂に持つと教えられたのは、七歳になる誕生日の朝の話だ。その頃はまだ楽しいものであるはずの誕生日は王家お抱えの占い師から昔話を聞くという、何も楽しくなさそうな予定に塗り替えられてしまった。

 七歳に理解させるには些か難しいような、偉大な王にまつわる伝説はそれがいかに大切な話なのだとしても、わずか七歳のキースには興味もなく退屈なものでしかない。


 けれど話を聞いているうちにキースは、それが本当に作り話なのかと疑いを持った。

 口頭で受け継ぐ以上、長い時を経る間に真実が少しずつねじ曲がって行くことは当然あるだろう。ただ、そういう問題とは別に、子供心にどこか落ち着かない引っ掛かりをいくつも覚えていたものに納得が行く部分もあったのだ。


 キースはその話を(・・・・・・・・)本人として体験(・・・・・・・)している(・・・・)


 自分の中に、自分ではない誰かの気配を感じていること。

 誰かの気配が、その王のものであるということ。

 自分は彼の生まれ変わりだということ。


 そんな自覚を持てば、また新しい感情がキースの中に渦巻きはじめた。


 ――彼女に、どんな顔をして会えばいい。


 いちばん知りたいことは誰にも聞けず、()も答えてはくれなかった。




 リリーナとの婚約は一方的に、かつ慎重に王家内でのみ進められた。キースのしたことと言えばディアモント家に親書をしたため、代理人としてクレフを向かわせたことだけだ。


「直接お会いした感じ、とても素直そうな令嬢でしたよ」


 ディアモント家から戻ったクレフは、初めて面と向かい合ったリリーナをそう評した。

 ぜひ王太子殿下の婚約者に……と、連日のように机の上に置かれていた貴族たちからの書類はもう、キースの元に一切回されなくなった。もしかしたらそこに彼女(・・)もいるかもしれないと目を通してはいたが、根本的には煩わしかった作業から解放されたのはありがたい。

 その代わり、山と積まれるようになった執務用の書類に視線を落としたまま、キースは一言をクレフに返す。


「……知っている」

「そうでしたね。失礼致しました」


 クレフは普段通りに書類を片付ける作業を手伝いはじめ、キースの指定した日は友人の誕生パーティーに招待されているから別の日にして欲しいというリリーナの意思を伝えた。


 一瞬、このままお互いの都合が合わない振りをして永遠に顔を合わせないでいようかとも思った。もちろんそんなことは出来るはずもないが、不誠実な態度だと自覚していても、リリーナを王城へと呼ぶその日をキースは決められないでいた。


「リリーナ様が出席なさるという、ご友人の誕生パーティーの翌週になされば良いだけだと思いますが」


 なかなかディアモント家に使いを寄越そうとはしないキースに痺れを切らしたのか、クレフが進言して来る。

 それはその通りだろう。

 今はまだ、顔を合わせるだけだ。何もすぐさま式を挙げようというわけでもない。


「使いを出したくないのでしたら、パーティーの会場であるシャルドネイト家に直接赴かれてはいかがです。聞くところによるとエドガー様もご招待を受けていらっしゃるようですし」


 初めて二人きりで会うより先に、他に人目のある場で顔を合わせるのは良い案だと思った。

 それにエドガーの動向も気にかかる。派手な浮き名を流すあの従兄弟が、いつリリーナに興味を持って接触するかも分からなかった。


 エドガーがいかに興味を持ったところでリリーナと結ばれることはない。リリーナも今ならそれは知っているはずだ。

 いや――リリーナがそれでもエドガーを選ぶなら、キースの名にかけて手放してやるべきなのかもしれない。


「では、シャルドネイト邸へ足を運ぶという段取りでよろしいですね? 伯爵に連絡は致しますか?」

「長居をするつもりもないし、どこかから話が漏れても面倒だ。伏せておいてくれ」

「畏まりました」


 半ばクレフに後押しされる形でリリーナ本人にさえ知らせることもなく入れた予定に、小さく息を吐く。


 おそらくリリーナも、その魂自体は変わってはいないだろう。

 だからきっと、キースも彼女に心を寄せる。

 けれどその想いは、誰が誰に抱くものなのかが分からなかった。

 キースがリリーナに対してなのか、リリーナの中にいるであろう彼女(・・)に対してなのか。あるいは、キースではなく中にいる()がリリーナや彼女(・・)に抱くものなのか。


 リリーナにしたってそうだ。

 もし彼女がキースに抱く感情があるとするならば、それは誰が、誰に対して抱くものなのか。


 六月の舞踏会で見かけたリリーナは、キースの記憶の中にある彼女(・・)とは違う姿をしていた。

 けれど、リリーナの中にある魂の一部は確かに彼女(・・)と同じものだった。


 かつての自分がどうしても別離を受け入れられなくて、魔女に頼んで印を刻み付けた魂がその奥に眠っているのが分かる。

 気の遠くなるような年月を、彼女(・・)にもう一度会いたい一心だけで重ねて来たもう一人の自分が、今度こそ離してはいけないと強く訴えかけていた。


 うたた寝から目覚めたばかりの、どこかぼんやりとした様子のリリーナに名を呼ばれた瞬間、胸が疼く。

 自分じゃない、けれど自分だった名前。

 リリーナじゃない、けれどリリーナだった名前を思わず呼び返す。


 この感情は、誰が、誰に抱いているものなのだろうか。




 別の形で出会っていたなら、リリーナに惹かれる自分を素直に受け入れられたに違いない。

 けれど、なまじ余計な記憶があるが為にキースはリリーナに対し、どう接したら良いのか、どう接するべきなのかを見失ってしまっている。


「……リリーナ」


 リリーナを家まで送り届けて王城へと戻る道すがら、流れ行く景色をぼんやりと眺めるキースは深く息を吐いた。


 この先どうしたらいい。


 何も知らず、それでもキースと良い関係を築こうと懸命な姿を思い出し、掌の上の黒いタイピンを握りしめた。



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