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十六回目のお断り

 ディアモント伯爵家のリビングでは一家四人――当主夫妻と嫡男ヘンリー、長女リリーナが顔を突き合わせ、真昼の太陽さながらに輝く金色の髪とは裏腹に揃って浮かない表情をしていた。


 彼らの視線が向けられているのは、テーブルの上に置かれた一枚の紙きれだ。白く滑らかな質の良い紙には達筆な文字で、こう記されている。


『大変申し訳ありませんが当家の長男ビリーと、リリーナ様との婚姻の話はなかったことにさせて下さい。リリーナ様がさらなる良縁のお話と巡り合えますよう、心からお祈りしております』


「――これで十六回目ですね」


 家族全員が死の宣告を喰らったかのように暗く沈む空気の中、最初に口を開いたのはヘンリーだった。若干二十歳にしてすでに父より落ち着いた雰囲気を持つヘンリーは紙の端をつまんで持ち上げ、目の前でヒラヒラとかざしてみせる。

 十六回目というのは他でもない。彼の妹であるリリーナの婚約が、こうして書面でもって断りを入れられた回数だ。


 リリーナ・ディアモントは、早くも十五回も婚約が破談になっている。


 そんな貴族たちの認識が改められるのに、さほどの日数はかからないに違いなかった。




 誕生日を先日迎え十七歳になったばかりのリリーナは、世の令嬢たちの例に漏れず十五歳で社交界デビューを果たした。

 それからというもの可愛らしい見た目をしたリリーナは瞬く間に評判となり、デビューとほぼ同時にはじめた結婚相手探しもきっとすぐ終わるだろう。周囲からはそう思われていた。


「すごいよ、リリーナ! 君宛てにね、侯爵家から婚約の申し込みが来たんだ!」


 興奮に息を弾ませた父がディアモント伯爵家と親交の深い侯爵家からの書状を手に居間に駆け込んで来たのも、デビューから間もない頃だった。

 信じられないような良縁の話だが、もちろんリリーナ側から断りを入れる理由はどこにもない。そうして嫡男が相手に決まり、美男美女カップルの誕生に両家だけでなく、社交界も暖かな祝福ムードに包まれた……はずだった、のだが。


 いよいよ正式に婚約関係を結ぶという段階になり、先方から一通の書面が届けられた。中を改めてみれば、その後何通も届くことになるものとほとんど変わらなかった。


 つまるところ「婚約の話はなかったことにしてほしい」という内容だ。


 しかし相手の方が高位貴族だとは言え内容が内容だけに、はいそうですかと黙って引き下がるというわけにもいかない。書状が届くなり父はすぐ侯爵家に宛て、破談にすると決めた理由を聞かせて欲しいと返信を送った。

 何か失礼なことをしでかしてしまったのなら謝罪しなければならないし、そうでなくとも自慢の娘という親の欲目が働いて判断が曇っているのならば、それも改めて行く必要がある。


 ところが、二週間後に侯爵家から届けられた返事はさらに歯切れが悪かった。


 リリーナは何も悪くない、非はこちらにある、誠意を持って相応の謝罪をするから今回は退いて欲しい。


 謝罪させたくて書面を送ったわけではない父は戸惑った。ただ、話がほとんどまとまりかけていた婚約を一方的に解消するという、大きな決断に至る説明が欲しかっただけなのだ。それがどうだろうか。肝心な部分には何一つとして触れられていない。


 しかも話はそれだけでは済まなかった。追い打ちをかけるかのごとく、一月後にさらなる事件が起こったのだ。


「……とんでもないことになったね」


  そう告げる父の顔は蒼白を通り越し、色そのものを失くしていた。どちらかと言えば精神的な疲弊を隠し切れずに右手で顔の半分を覆いながら天井を仰ぐ。


 父の態度は無理もない。

 リリーナと婚約するはずだった侯爵家嫡男が他家の令嬢との婚約を書面で発表した。しかも二人は三月前にとある夜会で出会ったばかりという、父の言葉通りとんでもないおまけつきだ。


 三月前と言えばリリーナとの婚約を解消するより少し前の時期になる。道理で侯爵家の反応はリリーナは何も悪くない、非はこちらにあると一点張りだったわけだ。

 おかげで先方の態度に納得は行った。婚約寸前で他の令嬢に目移りしたとあっては体面が悪いどころではない。

 それでも後になって人を通して真実を知らされるより、当人の口から聞いた方がまだましではないだろうか。



「災難だったわね」

「あまり気を落とすこともないわよ」

「きっとまたすぐに良縁に恵まれるわ」


 公の場に出れば、普段さして親しくもない令嬢たちも含めて、慰めの言葉を次々とかけられた。


 リリーナ自身は破談に際し、さほどショックを受けてはいなかった。

 伴侶となる侯爵家嫡男に多少なりとも好意を持っていたが、それは異性に対するものとして育ってはいなかったからだ。そして相手も同じ気持ちだろうと薄々察してもいた。

 だから心を寄せる相手が出来たのなら、破談になるのもしょうがないと思った。


 侯爵家嫡男の気持ちはリリーナにも分かる。

 リリーナだって、出来れば想い想われる相手と結ばれて幸せになりたい。問題はそんな相手が今はいないことと、現れる気もしないことなのだが、それとこれとは話が別だ。


 けれど、事情だけは隠さずに話して欲しいというリリーナの考え方に理屈として筋が通っていたとしても、感情として実行はしにくいことなのだろう。


 一方的な都合で土壇場になって婚約を白紙したこと、それによって不誠実の誹りを受けることはどちらにしろ変わらないのだ。ならば無責任な噂話というものに責任を丸投げしてしまおうと考えるのも、もしかしたら自然な流れなのかもしれない。

 それに考え方によっては、不誠実な一面を持つ相手と愛のない結婚をしなくて済んだのだ。結果的に良かったと思った方が気も楽だった。


 何より過ぎたことをいつまでも引きずっていても仕方ない。

 侯爵家嫡男もディアモント家への体面を尊重してか侯爵家から除名されたうえ、王都より離れた領地の一部に移ったと噂で聞いた。確かにあれほどの騒ぎを起こしたとあっては、王都には居づらいだろう。

 そもそも、嫡男でありながら大々的に婚約を発表しなかった時点で侯爵家なりに、何らかの話し合いが行われたに違いない。結果、侯爵家の跡取りという地位を捨ててまで添い遂げたいのであれば、リリーナと結婚したところで誰一人幸せにはなれない。


「私は大丈夫ですから、お父様もお母様も気になさらないで下さい」

「無理はしなくて良いんだよ、リリーナ」


 リリーナは縁がなかったのだとすっぱり諦め、次の相手を探しはじめた。両親にはわだかまりがある様子だったが、当のリリーナ本人は侯爵家嫡男を異性として好きではなかった以上、未練も何もないのだし、何よりも婚約を結ぶのはリリーナである。

 いつまでも立ち止まっていたら、あっという間に適齢期も終わってしまうかもしれない。


 本人以上に引きずる両親を説得し、お相手探しを再開したリリーナの評価は、最初の婚約が破談になった後も下がることはなかった。

 もしかしたら、そこにも侯爵家の贖罪の気持ちが働いていたのかもしれない。

 家柄にも本人の見た目や性格にも問題がないことは変わらず、悪評が立つどころかむしろ侯爵家嫡男から理不尽に破談を申し渡された悲劇の令嬢として同情の目すら向けられた。

 人から同情されることは決して良い気分になることではないが、名家の子息が我こそはと名乗りを挙げて縁談の話はいくつも舞い込んだ。


 今度こそ縁談がまとまる。

 リリーナだけでなく両親も兄も、そう思ったに違いない。


 それがどうしたわけか、リリーナの婚約は約二年の間に十六回も破談になっている。

 最近では他の子息たちとは違うというアピールを持って婚約が申し込まれるが、結果は何ら変わらなかった。

 いくら相手と親しく良い雰囲気になろうとも、婚約という段階になれば他に好きな令嬢が出来たと言われ、ふられてしまう。


「私、何か悪いことをしてしまったのかしら……」

「私の可愛いリリーナに限って、そんなことあるわけないでしょう」


 さすがにこんなことが何度も続けば落ち込まずにはいられない。

 しょんぼりとするリリーナを母は力強く否定したが、リリーナの心はなおも沈んだまま浮かび上がらなかった。

 何しろこれで十六回目のお断りである。どう考えても理由がない方がおかしいだろう。


「理由もはっきりとしないままに縁談をお断りされ続けるのも、そろそろ疲れて来てしまったわ。もしかしたら私、気がつかない間にとても失礼なことをして、どなたかの強いお怒りを買ってしまっていたりするのかしら」

「怒り、とは?」


 ヘンリーが興味深そうに尋ねて来る。

 まさか深く尋ねられるとは思わず、リリーナは適当に思いついたことを口にした。


「例えばの話だけど、結婚どころか婚約すら出来ない……呪いとか……」

「そうだ呪いだ、これはきっと可愛いリリーナを妬んだ呪いに違いない!」


 それまで無言だったディアモント伯爵が突如として大きな声を上げ、勢いよく立ち上がった。バランスを失った椅子が激しく揺れるのも全く意に介さず、テーブルをぐるりと回り込んで可愛い愛娘の両手を力強く、しっかりと握りしめる。


「父様が気がつかないばかりに、ずっと可哀想な思いをさせ続けてすまなかったね。どうか無力な父様を許しておくれリリーナ。王都でも評判の凄腕の占い師に見てもらって、その忌まわしき呪いを解いてもらおうじゃないか!」


 名案だと自画自賛して何度も頷くディアモント伯爵に手を握られたままリリーナは目を白黒させ、ディアモント伯爵夫人も夫の考えに惜しみない拍手を送って賛同し、兄のヘンリーは頭痛でもするのか額に手を押し当てて眉を顰めた。



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