フルコース、満漢全席、ホテルの晩御飯
空が赤く染まり太陽が地平線の向こうへと沈みかけ、一等星たちが輝き始めた頃。
このホテルは宿泊用の部屋にも数人が晩さん会を行える規模の豪華な夕食用テーブルが置かれていた。ほかにも広いジャグジー、十人ほどがゆったりと話ができる高級な革で仕立てられたソファを備え付けたリビング、外を見渡すことができるバルコニー。この国最高の宿というのは伊達じゃない。
「うめっ! うめっ!」
与一は次から次へと広いテーブルに運ばれてくるごちそうを口に詰め込んでいた。料理の素材は与一たちが市場で馬車の中から見たものも数多く、見事に調理され食卓に並んでいる。どれも元の世界では見たことの無いものだが、美味しさは与一が今まで食べてきたすべての食べ物を上回っているのだ。
「おいしいです~」
アルメラも野菜と彩り豊かな果物をほおばる。
「特にこの肉! めちゃくちゃうまいんだけど、なんの肉?」
与一がこんがりと焼けた謎の肉のステーキを指差し、セニオリブスに聞いてみた。
「ドラゴンの尻尾肉でございます。最高級品です」
「え、ドラゴンの肉って食べられるの?」
「美食家が死ぬ前に食べる肉はドラゴンの肉と相場が決まっております」
「やらかした……」
最初に遭遇したドラゴン、まだ残っているだろうか。
『すみません……』
「いいよ、しかたない。未知の元素だもん」
与一ががっくりしていると、隣で控えていたメイドのイリスがスライスした果物を浮かべたガラスの水入れから、フルーツの色が溶け出した透明感のある水を与一たちのコップに注ぐ。
「これは柑橘水です清流から湧水を汲んできて柑橘類の果汁を加えたものです」
試しにアルメラが一口飲むと、
「これ気に入りました! すっごくおいしいです!」
体を小刻みに震わせ、テンションが高くなるアルメラ。
与一も飲んでみると、たしかにレモンやライムの香りをさらに良くした風味が口いっぱいに広がる。
「エルフのお客様が好むので用意しました」
凛として与一に毒舌を吐く少女、口だけではなくメイドとしても有能だった。
「デザートです。与一様」
セニオリブスが与一の目の前に一皿のケーキを置く。
「なにも頼んでいないのに俺の欲しいものを用意しだと……っ、まさかエスパーか?」
「一流の執事は主人の望むものを見抜くことなど造作も無いことです」
「この人……できるっ!」
それにしてもサービスの質は人をみればわかると言うが、業務に関してはセニオリブスもイリスも超一流。さすがに与一も自分の世界のことを話すだけで泊まれるとは思えない高級ホテルだ。気が引けてくる。
「いいのかガンドムント。こんなに高級なホテル、しかも二つもとってくれて」
「これでも王国の騎士だからね。少なくない給料をもらっているから大丈夫さ。というか経費で落ちる。たぶん」
姫のための土産話で一流のホテルをおごる。しかも経費、正気の沙汰ではない。
『これは生活レベルを落とすのに一苦労しますよ……』
「その心配はないさ。ドラゴンを倒せるくらいのものならギルドで引く手あまただ。簡単にここの宿代も稼げる。強い冒険者はそうやって日銭を稼いで暮らしている者もいるからね」
『需要と供給ですね』
「そんなに人手が足りていないのか」
「慢性的に冒険者不足だからね。今朝から死ぬほど忙しい」
ガンドムントを見ればわかる。めちゃくちゃ大変なやつだ。彼の顔を凝視すれば死相が見えるだろう。
「そういえばアルメラの親とかは心配しないかな。電話するか」
『電話は無いです』
急に静かになるアルメラ。
「実はわたし、一人なんです。村からも追い出されて、行くあても無くて……」
部屋が一瞬、静まり返る。
詳しくはわからないが察する与一。異世界なので色々複雑な事情があるのだろう。気にしないふりをしてアルメラにいつも通りのバカを演じながら、すっとぼけた声で彼女に話しかけた。
「なんだ俺と一緒だな。だったらしばらく一緒に居ようよ。この国のこと全然わからないから教えてほしいな」
「いいんですか? あ、ありがとうございます!」
アルメラを見ると少し目に涙が浮かんでいたが、与一のいつも通りの態度に安心して涙を拭く。
少し感動してセニオリブスが目頭を押さえる、それをイリスが表情を変えずにハンカチを渡していた。
「なんだ、てっきりパーティを組んでいたんだと思っていたけど」
「今日知り合ったんだ。実は奴隷は嘘なんだよね」
「確かに奴隷のふりをしていたほうがいいね。さらわれる可能性があるから」
与一の心遣いに少し微笑むガンドムント。
「それにしても君はすごくラッキーだよ。エルフ族の治癒魔法は一級品だからね」
「そうなのかアルメラはすごいのかー」
はえー、すっごい。と気の抜けた顔でアルメラに尊敬の眼差しを向けると、アルメラは手を細かく振り、謙遜する。
「そんなことないですよ、ご主人様に比べたらわたしなんて全然で」
「そんなことはない、エルフの回復魔法はどんな人間でも喉から手が出るほど欲しがるはずだ」
「でも本当にすごいんですよ、ご主人様はドラゴンを一瞬で倒しちゃったんです」
「ドラゴンを一瞬で……ほう」
急にガンドムントが与一に熱い視線を送る。同時にセニオリブスの眉がピクリと動いた。
僅かな変化を見逃さなかったコリエルが与一だけに聞こえる音声で語りかける。
『与一、もしかしたらあまり力を見せないほうがいいかもしれません。危険視されたら今後に響きます』
「たしかにちょっと控えたほうがいいかもな」
小声で与一が答えると横で座っているアルメラが大あくびを始めた。睡魔に襲われ、目が半開きになりウトウトと意識が落ちそうになるのを必死で揺り戻す。
「眠たいのか? 今日はいろいろあったし無理せずに寝たら?」
「ふあぁ~、すみません先に寝ます。おやすみなさい」
「では私が案内します。アルメラ様、こちらへ」
セリオリブスに誘導され、目をこすりながらアルメラはもう一つの部屋へと移動していった。
「エルフは日が沈むと同時に寝るのか」
「いやそんなことは聞いたことがないけど」
『疲れたのでしょう』
「ちょうどいい、二人きりで君の話が聞きたかったところだ」
聞きたくてウズウズしていたのだろう。ガンドムントが少し前のめりで興味津々な顔を見せる。
「まずはなにから話そうか……とりあえず、もう星の海しか最後のフロンティアが無くて――」
イリスが食後の飲み物を運んでから気を利かせて退出した後、与一とガンドムントは非常に気が合い、話は弾んだ。
与一は自身のいた元の世界が歩んだ歴史、科学技術、社会体制、時々コリエルを混ぜてそれらを面白おかしく喋る。彼が本当に信じたのかどうかは与一にはわからない。ただガンドムントと語り合う時間は非常に楽しかった。
◆◆◆
「き、君の国はすごいな……正直信じられない」
時が立つことも忘れ、あたりが暗くなるまで雑談をした二人は一段落してフルーツジュースで喉を潤していた。
「まあそれが普通だと思うよ」
「僕の国はいったい後どれくらいたてばそこまで発展するんだろう」
『あと数百年もすればそうなります』
「ま、それじゃあ困るんだけどね」
魔法があるなら発展も早くなりそうだ。元の世界に帰りたい与一はそんな期待をしてしまう。もっとも魔法がある時点で発展もクソもない気がするが。
「しかしそんなにすごい国からいったいなぜこの国に来たんだい?」
「気がついたらこの国にいた」
「転移魔法でも暴発したのかな?」
「とにかく帰りたいんだけど帰れないから少しの間この国に居ると思う」
『帰ったら何をするんです? あなたにそこまで元の世界に執着がありましたか?』
「元の世界では何もしなくても金が入ってきて国からどうか遊んでくださいと言われるんだぞ! 帰ってグータラして異世界転生物を読みたいにきまってるだろ!」
「もしこの国にいるならギルドに登録してみるといい。ドラゴンを倒せるほど強いならギルドでも引く手あまただろう。この宿に滞在し続けてもお釣りがかえってくるよ」
そう言うとガンドムントは席を立ち、
「じゃあ僕はそろそろ行くよ。鍛錬する時間なんだ」
「修行してから寝るのか、大変だな」
「任務の最中だからね。明日もまた街の外で魔物狩りさ」
「魔物って具体的にはどんな奴なんだ?」
「人型の種族が魔族、ドラゴンみたいなモンスターが魔物、結局人間に害があったり敵対的な種族をそう呼んでいるだけだよ」
「この傲慢さ、これは元の世界の人類と同類ですわ」
『逆に安心しました』
ガンドムントは部屋を出る直前で何かを思い出したようにピタリと止まり、与一に釘を刺してくる。
「さっき話したこととかぶるんだが、エルフは人間とほとんど関わらない上に森に住んでいるから魔族か異種族なのか定義があいまいなところがある。変な人間に襲われないように気をつけてくれ」
与一は分かったと返事をしてガンドムントを見送ったが、特にすることもなく、まだ寝る気もなかったので王国最強と言われる騎士の鍛錬を覗きに行くことにした。
◆◆◆
明るいうちは宿泊者が散歩する中庭も日が落ちた今ではすっかり静まり返り、ガンドムントの剣が空気を切り裂く音だけが響きわたる。
月明かりがガンドムントを照らし、遠目からでも彼の鍛錬を見ることができた。
「月が二つある」
『すごいですね』
彼の剣の腕前は少し離れたテラスから見学している与一でもはっきりとわかった。
「太刀筋が見えない」
『さすが王国最強の騎士ですね』
すぐそばにはショートソードも置いてあるがわざわざ大剣を使っている。ドラゴンと戦うには長さが足りないのだろうか。
「ガンドムントの名を受け継いだからね、他の者に負けることは許されないんだ」
ガンドムントが拳を強く握りしめ、自分に言い聞かせるようにつぶやく。
「マジかよ襲名制なのかよ」
「かれこれ千年以上続いている名前だ。その名にかかる重圧も千年分さ」
『この国はどのような歴史があるのですか?』
「僕も正確にはわからない、ただ千年前に大災厄が起こったと言われている」
それと、と付け加えて王国最強の騎士は、
「今まで言わないでいたが彼女は古い伝承にある千年に一度現れるというダークネスエルフかもしれない。伝承では銀髪のエルフと言われていたそうだ」
与一は呆れたように手を振る。
「……いやいや、迷信じゃん。アルメラがかわいそうだろ。そんなことあるわけないね、絶対」
その直後、与一の後ろでなにかが着地した。
「私の事を話しているのか?」
「ア、アルメラ! どうしてここに?」
声のする方へ目を向けるとそこには銀髪のエルフが立っていた。