人生初の修羅場タイム
「姿が見えないと思っていたら」
表情には出さないがセニオリブスのまとうオーラはただごとではない。そりゃあそうだ仕事をすっぽかされたら責任者としては穏やかであるわけがない。
ホテルのフロントにピリピリとした空気が漂い始める。
すっぽかした原因を作った与一としては非常に居心地が悪い。
「すみません、諸事情で与一さんと一緒にいました」
その言い方だとあらぬ誤解を受けそうだ。嘘でもいいから古代エジプトみたいに今日は二日酔いなので休みますとか言えなかったのだろうか。
「……」
セニオリブスは沈黙を保つ。人が行き交う王国一のホテルの中でセニオリブスの半径三メートルだけ吹きさらしになっているようだ。
ちらりと与一の方をみるセニオリブス。彼の眼光は狩る者の目をしている。さしずめ与一はヘビに睨まれたカエルだろうか。コリエルを持っている者からすればこの星を破壊すれば引き分けなので問題ないが、それ以外の生き物は失神ものだ。
「はぁ……実はですね」
かくかくしかじか。
さすがに諸事情で片付けるのはまずいと判断した与一とコリエルはこれまでの経緯をセニオリブスに説明した。
「ほう……イリスがそこまでするとは珍しい」
「勘違いしないでください。アルメラさんのためです」
一瞬だけ与一を見つめたホテルの支配人は人を殺せそうなオーラを消し去り、特になにか言うこともなくイリスを開放した。
「……お客様の観光案内、ということにしておこう」
与一たちの雰囲気が吹きさらしから要人が行き交う王国のホテルに戻る。
「罰は特にない。お前がこれ以上消えると困る。後で詳しく報告するように」
そう告げると寡黙な支配人はホテルの奥へと戻っていった。
「おかしいですね、いつもならもう少し小言を言うんですけど」
いぶかしげに首をかしげるイリス。というか小言ですむのか。
与一は無断欠勤を許してくれる異世界に伸びしろを感じながら自室へと行くことになった。
◆◆◆
与一が住んでいた元の世界ほど湿度は高くはなく、非常に気候が安定しているため過ごしやすい。この国全体がリゾートや避暑地に適した場所といえる。
アルメラが帰って来られるようにテラスの窓を開けると、雲の隙間から月明かりが差し込んでいる。先程の騒ぎなどどこへ行ったのか、与一は安らぎの時間を堪能していた。
与一が華やかな装飾がある室内でくつろいでいると、ノックの音と共にイリスが軽い食事とお茶を持ってきた。
「どうぞ」
与一がお礼を言うと、イリスはこれまで見たこともない笑顔を返す。
テーブルに置かれたお茶を味わう。
イリスが少し得意げにすまし顔をするが、それも当然だ。
絶品のお茶の風味が鼻腔をくすぐる。
香りもさることながらケモミミ美少女が入れているお茶なのだ。美味しくないわけがない。
「はー、エルフが商人をボコったあとに飲むお茶は最高だわ」
「これも与一さんがかばってくれたおかげです。おかげで怒られずに済みましたっ」
メイドは与一に弾けるような笑顔を見せる。
先程からイリスの物腰や声音が若干柔らかくなっているのを感じていたが、その異変に若干の戸惑いを覚えながら、イリスと更に友好を深めようとした。
「イリスさんはどうしてここで働いているの?」
メイドは黙る。
少し間をおいてからイリスは重い口を開いた。
「高級な宿ほど私が誰なのかをとやかく言う人が少なくなるからです」
もしかして地雷を踏んだか? 室内が気まずい雰囲気に包まれる。
さすが与一、仲良くなろうとしていきなり地雷を踏むなんて、なかなかできることじゃないよ。
『金持ち喧嘩せず。それは元の世界でも同じことです。もちろん例外はいますが』
「とにかくありがとう。お礼をしたいから何かほしいものがあったら言ってね」
その言葉を聞いた瞬間、ケモミミメイドの目が見開き、前のめりになりながら与一に顔を近づけ目を見つめ始める。
前かがみみに与一を覗き込むイリス。さながら年上の姉が少年をからかうような格好だ。
「あ、あの……こんなこと聞くのも変なんですけど、与一さんはアルメラさんとはどういった関係なんですか?」
「主人と奴隷という設定のなにか。奴隷って言っておくと変なこと言われないと思ったからやりました」
「そう言う事じゃなくて……恋人とかじゃないんですか?」
与一には言っている意味がわからなかった。どれだけ頭をひねっても脳みそをスプーンでマゼマゼされているかのように理解できない。
「いや、あいつとはそんな関係じゃないよ。出会って二日だぞ」
「時間がたてば付き合うんですか?」
「それはお互いが決めることであって……ってなんでそんなことを聞くんだよ!」
要領を得ない会話に困惑する与一。
イリスがその耳を動かし、彼の答えを一字一句聞き逃さないように万全の準備を整え、本題を切り出す。
「アルメラさんはエルフですけど……その、気にならないんですか?」
イリスは唇に手を当てて与一に聞く。
「どういう事?」
「異種族間だと一緒になることに抵抗がある人が多かったりするんですけど、与一さんはどうなのかって、気になって」
謎の生物、人外、不思議パワーありのなんでもござれな世界でエルフも人間も糞もあるか。
「俺の国ではそんなこと気にするやつはいないよ。絵と結婚してるやつもいるしね」
『三か月ごとに嫁を変えていますね』
一クールで可愛い子がどんどん出てくるからね。しかたないね。
まさかと思いながらイリスに聞いてみる。
「まさかツンツンしてたのってそれが原因?」
「それは元からです」
「おっとエリートツンデレだったか」
「でも、少しうれしいです」
彼女の獣耳がピンと立ち、この日一番、というか今までで一番の笑顔を見せた。
「イリスさんもなかなか大変なんだな」
「この国では異種族の扱いはこんなものです」
与一はその言葉を聞いて非常にストレスを受けた。元の世界ではありえないようなことが平然と行われていることと同時にそれを現地の人間が受け入れていることが衝撃だった。
まあ、そんなことを彼女に伝えたところで意味が無いので、とりあえず適当なことを言ってお茶を濁すことにした。
「今度俺の国に連れて行ってあげるよ」
「……! ありがとうございます。楽しみにしていますね!」
一瞬だけ驚いた顔をしたイリスだが、我が世の春を迎えたように身を震わせ歓喜する。
『そういえば明日はどうしますか?』
ある意味、時空間を切り裂いてもとに世界に戻るほうが簡単ではないかと思えるほどの甘ったるい空間をぶった切るために、コリエルが明日の予定を聞いた。
「明日こそはギルドに行くよ」
「あ、それなら明日朝食のときにいいものを渡します!」
「うん……?」
「それと今度から私のことはイリスと呼んでください」
与一が聞き返す間もなく、イリスは去り際にいたずらっぽく笑みを見せた後、退室した。
ある種の台風だろうか、最後はケモミミメイドの勢いに押し切られ唖然としたままホテルの部屋に残された与一。
するとベランダから何者かが着地した音がした。
まあ、コリエルのセンサーを持ってすれば、誰が来たかなどは光の速さで特定できるわけだが、そんな無粋なことはするはずもない。ヘタに報告すれば修羅場に自ら身を投じる事になるかもしれないのだから。
「……」
与一が振り向くとそこには案の定、銀髪のエルフ、アルメラがいた。
「よお、おかえり」
「まさかとはおもうが誰にでもそんな甘い言葉をささやいているんじゃないだろうな?」
与一には彼女がなにを言っているのか理解不能なのだが、そこら中が地雷原とかしていることだけはわかる。
だが心配はいらない。高性能な地雷探知機コリエルがあるのだ。地雷の百個や二百個、秒で処理して見せるだろう。
「そんなことあるわけないだろ! いい加減にしろ!」
まったく、そんなわけが無いのに。場所が場所なら鼻でスパゲッティを食べると賭けをするところだ。
テラスの椅子に腰掛け、全く信じていない表情のエルフ。半開きの眼で睨みつけられるとさすがに与一にも来るものがある。
「おい魔導石どうなんだ?」
疑惑の念の矛先はコリエルにも向かう。
『……すみませんもう眠いので寝ます。起こさないでください』
コリエルがOSをシャットダウンしたような効果音を出して反応が消える。与一に生命の危険が無いと判断しての戦略的撤退かもしれないが、残念ながらそれは判断ミスだ。
選択肢を間違うと与一は死ぬ。
社会的に。
「おいコリエル!」
地雷探知機が無念の故障のようだ。だがまだ大丈夫。一番簡単な地雷探知の方法がまだ残されている。
踏めばいいのだ。地雷を。
「では証拠を示せ。私との約束が嘘ではない証拠を」