04章:衝撃
04章:01*無能
クガの頬を何者かが舐める。ザラリとして生温かい。動物だろうか。ぼんやりと目覚めつつある意識を促し、体を起こすと、今の状況がどうであったのかを思い出した。
連合と帝国の交渉が始まろうとする中、帝国の第四日子のシュルヴェステルが率いる巡礼騎士団が武装蜂起した。が、幸いにも連合の不手際から延期された会談のお陰で、政府高官らの死傷は免れた。とは言え、巡礼騎士団らの配下が各地でテロを起こし、帝国と連合とは異なる第三勢力として名乗りを挙げた事実は、一晩にして世界中に知れ渡り、その動向が注目される事となった。
今、クガを含む先の連合一隊はトルデリーゼらが隊長を務める大隊下に組み込まれている。先の戦闘での活躍からノノアの評価は高くなった。対して当初の目的も果たせず、且つ今いる場所でさえ十分な活躍を見せられないクガは自らの価値と意義に疑問を抱き、そして毛ほどにあった自信も失っていた。特別なマテリアル・イーターを与えられた。少なくともそんな事実に僅かばかりのプライドを感じていた。が、実際は何ら役に立てていない。何度かの暴走は確かに強力だったが、最近は鳴りを潜めている。何よりもそんな不安定な能力は戦場において無用の長物だ。足手まといどころか、邪魔でしかなかった。
現在、各地に連合と帝国の混成部隊が展開している。本格的な高官らの交渉を前に決まった対巡礼騎士団特別法案……通称ヴァスチアン法。締結された場所に因んで名付けられたこの法案は、過去の因縁はさて置き、目下、危険な人物であるシュルヴェステルや巡礼騎士団の排除を効率良く進める為、帝国と連合の密な連携を行い、且つ速やかな巡礼騎士団討伐を可能とさせる為に各国での渡航を緩和するなどの内容でまとめられている。
とは言え、巡礼騎士団が持つマテリアル・イーターの暴走?による魔獣への変態は大問題だった。これが可逆的なものかどうかは未だ分からないものの、各地で散発する巡礼騎士団らしき騎士による政府施設への攻撃は、害獣?が仕掛けているとの報告がある。他方、襲撃後、その害獣の目撃情報が消えている事から、巡礼騎士団は可逆的な変態が可能と今のところ推測されている。つまり、追跡が難しい為、今は対策が後手になっているのだ。
そんな中、帝国からブルトンの提供があった。先のメイナード博士からのブルトン・シイ量産型に対し、より並列的な術式の処理を可能とするヘイ・試作型だ。試作型と言っても十分な量産体制が整っている。試作型と呼ばれる所以は、理想とするスペック達していないだけだ。マテリアル・イーターの基本性能・宿主の能力を強化する仕様を落とすものの、単純な術式の詠唱をマテリアル・イーターに任せる力がある。シイ量産型は宿主が術式を詠唱する必要があるのに対し、随分と戦術の幅が利く代物だ。連合は帝国の技術協力に感謝すると共に、マテリアル・イーターの研究で彼らが随分と先を行っていることに驚いてもいた。
先延ばしにされる交渉の席。だが、共通の敵の登場によって確かに連携は良くなっている。そんな中、クガが配置された政府の施設に巡礼騎士団が現れた。確率の問題……襲われていない施設にやや重点を置く、その結果が報われた。と言うべきか。だが、魔獣と化した、巡礼騎士団零九番隊所属アレスの猛攻を前に、中隊規模の一団はいとも容易く薙ぎ払われる。
「我らが王――大いなる世界の後継者! シュルヴェステル様! 万歳!!」
魔獣アレスの遠吠えが恰もな嗤いとなって鳴り響いた。ひとり、ひとりと混成部隊の兵士や騎士を踏み潰して行くアレス。目的地であるその先には連合所属の国家が持つ大使館がある。クガは動けない。まるで風船が弾けるように人の体が潰れ、血が噴き上がる。殺される。死にたくない。そんな当たり前の動機が起き上がるも、現実に体は動かない。助けて。助けて。と未だ信じた事のない神に勝手な願いを呟いた。
が、直後、アレスを襲う攻撃。象よりも大きいだろう巨体が横に崩れる。辛うじて立ち止まり、攻撃された方を見るアレス。そこにはひとりの男性がいた。特徴的なのは四肢のマテリアル・イーター。何が違うのか明確には分からない。だが、そこに漂うプレッシャーは圧倒的で、異質なものだった。
「ガオウ大隊長!」と誰かに呼ばれた兵士……いや、騎士でもない屈強な戦士は、魔獣アレスへと向かって行った。激しい攻防が始まる。ぶつかるたびに、巨石が衝突するような炸裂音が響き、突風ほどの衝撃波が広がる。その傍らで気圧され、驚愕するクガ。一方でガオウが見せる強さに見惚れ、羨み、妬み……そして何処からと知れない殺意が沸いてきた。
俄かにガオウがアレスを圧倒し始めただろうか。丈夫と言うよりは頑丈、頑丈と呼ぶよりは遥かに硬い甲羅や表皮も気付けば罅割れ、剥がれ落ちていた。剥き出しとなった体からは血が滲み出、突起物などの角も折れ、息も苦しそうな短さとなっている。アレスがやや前傾姿勢となる。体を覆っていたマテリアル・イーターが不思議な事に皮膚の上を移動し、上半身に集まりだした。今までにないくらいに硬そうな、積層構造の外皮を盾に、破城槌ほどに太い角が首と背中を繋ぐ辺りから迫り出した。どうやら必殺の一撃をお見舞いするようだ。
ガオウも迎え撃つつもりだ。まるで地面へ穿つように足を衝け、両腕のマテリアル・イーターを組み合わせた様子から、アレスの攻撃を迎撃、回避するのではなく、受けきるつもりだ。が、ガオウとて今までの攻防で負傷している。防ぎ切る事が可能とは思えない。いや、アレスの変形を考えれば、側面からの攻撃には無防備と見える。如何にも迎え撃つ……と言ったパフォーマンスを見せただけで、ブラフとも考えられた。
アレスがガオウへと飛び込んだ。今までにない加速、飛び出し。ガオウの体勢がブラフだとしても予想外の速度に対応は遅れる――――いや、ガオウは端から受け止めるつもりだ。もはや巨大な地震が大地を揺らした瞬間のような衝撃。突風どころではない、津波のような衝撃波が広がり、地面も耐え兼ねて窪み、罅割れる。
受けきった。が、ガオウも無傷ではなかった。右の腕は吹き飛ばされてしまった。が、アレスに反撃の余裕はなかった。即座に変形したガオウのマテリアル・イーターが鎌首をもたげるように突起物を伸ばし、鎌のような薄い刃を剥き出しとなったアレスの側面に突き立てた。深く突き刺さる刃。元になった人と同じような骨格なのか、見た目通りに四足獣のような骨格なのか分からないものの、どうやら骨の隙間を縫うように突き立てられた刃は無数の動脈を傷つけ、心臓のような急所に届いたのか、勢い良く鮮血が噴き上がった。
よろよろとバランスを崩すアレスの弱々しい動きに合わせ、噴き上がる血飛沫の高さも低くなる。遂には膝を折り、倒れ込むアレス。僅かに痙攣したかと思うと、ピタリと動かなくなった。死んだ?と疑う余地もない変化がアレスに現れる。体を魔獣へと変えていたマテリアル・イーターが爛れ始め、中からは負傷し、ボロボロとなった人の姿のアレスが現れた。生きているかもしれないと疑うのも難しいほどに硬直し、苦悶する表情は、アレスが死んでいる事を示していた。
「ふぅう――――」
ガオウも尻餅を付く。誰かがガオウの腕を持って近付く。クガをそれを目の前で見ていた。目の前?この腕を持っているのは――違う、自分か。
「あぁ、すまない。まだ、くっ付く……かな」
切れた腕の回りでマテリアル・イーターが細い糸のような、太い触手のような突起物を生やし、切れた腕を繋げようと蠢いた。クガはボンヤリとその様子を見ていた。これがマテリアル・イーターの、恐らく上級のそれが持つ再生か。先の強さも魔獣が相手でなければ一騎当千にも匹敵するだろう。もし、このマテリアル・イーターを断片でも良い――……ブルトンと同じように吸収出来たら、自分は強くなれるのだろうか。などと言う想いがクガの中に沸き起こった。
「若いな。新兵か……。無事で良かった。若い奴から死ぬのが戦争だからな」
辛うじて癒着したらしい腕を庇いながら立ち上がるガオウは、クガの他、まだ無事と見える混成部隊を見渡すと言った。
「動ける奴は負傷兵を運ぶんだ! 可能な限り死者は出すな!」
クガはハッとした。そうだ。自分は役立たずだったからこそ、今は他に役立つ事をしなければ。ガオウに頭を下げたクガは、無事ではなかった体の痛みに耐えながらも、救助活動へと参加した。
「くそ……一体、何人がやられたんだ」
首から上が消え、代わりに水をぶちまけたような血溜まりを広げる死体。引き千切られた体のパーツの数々。肉片。臓物。もはや人ですらないものを見渡したガオウは、空を仰ぎ見る。王位継承者が正面からテロを仕掛けてくるとは思いもよらなかった。この戦闘だけでも数十人以上が死んだ。まだまだシュルヴェステル配下の巡礼騎士団は数十人といる。もし同じような変態が可能な上、編隊を組んで王都や主都に強襲を仕掛けれてくれば、どんなに警備を布いても政府高官を守る事は出来ないだろう。と思えるだけの力がアレスにはあった。
「全力が出せなかったとは言え、この体たらくでは……」
何も守る事が出来ないかもしれない。と危機感を改めて実感したガオウが歩き出そうとしたときだった。予想以上の負傷の所為か。或いはリミッターを付けたままの全力が影響したのか。繋げた筈の腕の癒着が甘かったようだ。危うく繋がった腕が落ちそうになった。
「――最悪、このウガルルムに頼る事になるか……」
自分の体を癒す特別仕様のマテリアル・イーター・ウガルルムを調整する必要性を感じたガオウは、数少ないプロトタイプ成功例の皆に覚悟の有無を改めて確認すべきだろうと考えていた。
04章:02*才能
マテリアル・イーターの亜種、或いは変異体。と言う今までにないカテゴリーに分類されていたノノア。本体となるマテリアル・イーターの部分が寄生し、主要な臓器……ノノアの場合は脳の一部や目など、頭部の幾らかを補うようなものは今まで存在しなかった。元来、武器として外部に形態を成すものが、内部で能力を上げるのは、確かに過去の研究で試験的な製作が行われていたが、実績はなかった。だが、連合に所属する諸国家の住人と言う理由で、現在、連合と帝国の一時的な共闘関係が成立しているも、その情報の共有は出来ず、一方的な情報開示しかされていなかった。
術式の威力は、損傷級、破壊級、鏖殺級、殲滅級、神罰級となる。個々人が持ち得る能力は鏖殺級を限界としており、余程の熟練者や天才でなければ到達し得ないと考えられていた。その効果が及ぶ範囲は詠唱者の能力にもよるが、複数人が重ねて詠唱する事でその範囲を広げ、威力も上げる事が可能だった。ただ、先の魔獣リオネラ戦に於いて見せたノノアの術式の展開技法。人数を増やすアワセ、技量を上げていくヒトエとは違う、『アワセと範囲』に反比例させ、『ヒトエと威力』を相対的に上げる圧縮的な手法――マトイが確認された。これは仮説だけだった術式の新たな展開技法だった。
術式を行う為の仮想空間装置が見える。ような気がする。それがノノアの目の特徴だった。具体的な形ではなく、心象風景のような、或いは違和感を言語化しただけとも言える虚数構造体が見える、と例えるノノアの目の理屈が分かれば、それはマテリアル・イーターで随分と先を行く帝国に対抗し得る技術になる可能性があった。ノノアはリオネラ戦後、その待遇は良くなり、一方で研究への協力も今までより強く求められるようになった。
今日はクガが一時的に戻ってくるらしい。第四日子のシュルヴェステルの件で激動の中にある今、クガはその配下である巡礼騎士団の魔獣アレスとの戦闘があったそうだ。出来れば色々と話したいと思ったが、憔悴しきった様子のクガを見ると、随分と久しぶりに顔を合わせたような気がした。が、予定されていた実験や検査のスケジュールから話す事は叶わなかった。
「こんにちわ」
今日の検査担当は珍しく帝国側に籍を置く研究者だった。聞けば国籍は共和国である事から中立的な立場として、またパフォーマンスとして連合から帝国への情報公開の意図もあり選ばれたらしいクララ・フェアフィールドと言う名の女史は、男ばかりの業界にとって得難い存在だった。女であるノノアにとっても気兼ねなく検査を受けられる。だが、助手としてひとりの男が一緒だった。仮面……と言うよりはマスクに近い物を被っている。聞けば顔を実験の事故で傷付けてしまったそうだ。クレタ・ヤーダルバオトと紹介された。
検査はクレタの詠唱する術式を観察し、その虚数構造体をイメージで構わないから図化する事をメインに進められた。恐ろしく細かい検査だった。数をゼロコンマ以下から読み上げるような感覚に陥る。ノノアの感覚的な評価を仔細に体系化しようと言う態度が見て取れる。
「技量は誓詞、填詞、褒詞、寿詞、祝詞。人数は視唱、詠唱、朗唱、奉唱、絶唱。範囲は掌握、鉄槌、投擲、掃討、制裁。威力は致傷、破壊、鏖殺、殲滅、神罰とあるのは分かる?」
ノノアの感覚では、褒詞、朗唱、鉄槌、鏖殺が自分の限界と言う認識だった。それを基準に調査した結果、従来の評価やその根拠を見直す必要が指摘された。また、自身の主観的な表現になるが、仮想空間装置は技量には影響されず、その構造体は同じらしい。同様にその出力とも言える威力もその構造体に依存する。つまり、入力の多寡で出力の多寡が決まると言う憶測が立てられた。
「目ところから奥の部分がメインかな。同じようにブルトンを取り込む事は出来るのですか?」
クララが尋ねると、クレタはノノアの前に幾つかのブルトンを並べた。形状、色合い、臭い?、雰囲気など個々に違うものを感じる。実際に取り込ませるのは、規約に抵触する都合出来ないらしいが、ノノアは多分出来ないと印象を覚えていた。ブルトンと呼ばれるそれに妙な嫌悪感が連想される。クガの持つマテリアル・イーターの温かみや匂いは心地良いと思うのに。多分、オリジナルから派生したものだからだろうとの認識だった。加え一般的なマテリアル・イーターのように外部の物質を取り込むような口がない点も挙げられる。
ノノアのそれは唯一無二の変異体。今後、その調査が進めば同様の亜種も作られるだろうが、今はまだ先だった。それに帝国と連合の和平交渉が進み、条約が結ばれれば、戦術的用途としてのマテリアル・イーターは不要になる為、学術的な利用以外での登場もなくなる。市場としては縮小するだろうとも考えられた。
「今日はこのくらいにしましょう」
クララは調査を終わらせた。予定よりも早い時間だ。同性ゆえの気遣いか、ノノアを気遣ったようだ。何やら思うところ……話してはいないが、クガと会いたい、と言う無意識のそれを読み取ったのかも知れない。嬉しい提案だ。と戸惑いながらも快諾したノノアはさっそくクガの下へ走っていった。
「可愛らしい妹さんね」
まだ幼いノノアの苦労をそう言って同情したクララの言葉に、クレタは「そうですね」と苦笑を返した。
クガの部屋の前に立つノノア。久しぶりにゆっくりと話が出来ると思っていた。部屋の中では疲れ果てた様子のクガがいた。近付き、隣に座る。色々と思いが交錯する。話したい事があったのに、何故か言葉が出てこない。向こうの方が傷付き、疲れているのだろうと知りつつも、ノノアはクガの肩に寄り添った。
単純な話だった。寂しかったのだ。サクラメントの神隠しで行方知れずとなった兄のディーノを探したいと思っていただけなのに、紆余居説を経て、今はそこから遠い場所にいる。頼れるのも、甘えられるのも、懐かしいのも、クガしかいない。気付けばノノアはクガを押し倒し、その胸に顔を埋め、泣いていた。
クガも思うところはあった。辛い、空しい、情けないと自身を非難したい気持ちがあった。だが、より幼いノノアの心労は察して余りある。自分の気持ちに嘘を吐いても、今はノノアを優しく慰める事しか出来なかった。
翌日、クガは思いも新たに訓練を開始した。付け焼刃だとしても、新たに取り込んだブルトンを使いこなすには慣れが必要だった。術式の併用。それを使った戦術の構築。何よりも自分のマテリアル・イーターの最大の能力、暴走を意図して発動し、制御する事が急務……と言うか、今の自分が考え得る、文字通りの奥の手になるだろう。過去の経験を思い返せば、瀕死の重症を負ったり、死にそうな局面になっとき暴走していた。
休息に施設へ戻っていた何人かの顔見知りを相手に試行錯誤を繰り返したが、成果も手応えも得られなかった。疲労だけが残った。やはり実戦ではない所為か、重症を負っていない所為か。原因を考えればキリがない。そもそも他のマテリアル・イーターの何が根本的に違うのか、分からないのだ。トルデリーゼらの紹介もあり、何人かの帝国の技師と相談する事も出来たが、秘密なのか、原因不明なのか、暴走の根拠は明らかにならなかった。
それに他の問題もある。ひとつはウラカン討伐後に謎の人物から受け取ったブルトンらしき結晶体をどうやら誤って吸収してしまったらしい事だ。もし、あの帝国の施設から流出したブルトンの一種だとしたら、自身のマテリアル・イーターにどのような効果があるのか、不安であるのと同時に疑問も残る。
と、そこへ連合の上級騎士がやって来た。予てからクガのマテリアル・イーターの噂を聞いていたらしい。たまたまこの施設に訪れる都合があった彼……トール・ハンマーシュミットは、クガにとって良い相談相手になった。彼もガオウのようにマテリアル・イーターの特殊な展開、複数所有する稀有な存在だ。帝国にもどうやら多くの特殊なマテリアル・イーター所持者がいるようだが、クガも末席ながら連合に所属するひとりだ。幾らマテリアル・イーターの研究で先を行っているとは言え、クガは帝国を相手に全てを詳らかに相談する事は出来ないのだ。
「斬ってみればいい。MEが最も活性化するひとつの現象が、MEが宿主から無理矢理切り離されそうになったときだ」
トールがその手のマテリアル・イーターを武器の形とする。振り上げ、クガにその意思を問い質した。
「お願いします」
クガは左腕を横に伸ばすと、トールの爪をそこで受け止めた。だが、トールの爪はクガの腕を切れずにいた。一見すれば寸止めに見えたが、確かに爪は腕に触れていた。見た目に変化はない。にも拘らずトールのマテリアル・イーターはクガの腕を傷付けられずにいた。
「!」
思わず遠退くトール。その目の前で俄かに変化を見せるクガのマテリアル・イーター。今まで肘から先だけの変化だったのに、その変形が肩の方にまで上ってくる。暴走していると言う感覚はない。だが、生気を吸われていくような脱力感に襲われる。マテリアル・イーターが左腕を覆い、更にその範囲を広げようとしていく中、クガは膝から崩れ落ちた。
04章:03*蹂躙
トルデリーゼら率いる混成中隊が巡礼騎士団第零七番隊に所属のクラウスと交戦していた。既に魔獣化しており、その強さに圧倒されていた。戦力は半数以上が失われ、増援の目処こそ立っているが、今は勝てる要素が無かった。が、何よりも最悪だったのは、先に増援が駆けつけたのは向こうだった言う事だ。
巡礼騎士団第十三番隊所属のハニエル、伍番隊所属のトロネ。何れも魔獣化しており、トルデリーゼも四肢のマテリアル・イーターを開放している。だが、先のリオネラ戦でも明らかだったように、それでも不十分だった。残存戦力は既に三割を切り、あらゆる作戦行動も展開出来ない限界に達していた。
「ッぁあああ!!」
ハニエルの牙がトルデリーゼの脚を噛み千切った。バランスを崩したところへクラウスが圧し掛かる。腕が拘束され、拉げ、潰れる。もはや叫び声さ途切れるほどの苦痛がトルデリーゼに襲い掛かる。
クラウスの口が開く。人の顔の名残さえないその頭だったが、開かれた口には下卑た笑みが伺える。まるで昔に自分を陵辱した犯罪者に通じる。ただその頃のように逃げたいと言う意思はない。抗おうと言う怒りも恐怖もない。世界を混乱に陥れようとするテロリストを排除しようと思う、そんな使命感しかなかった。
「お前らは隷属すべきなんだ、我らが真の王、シュルヴェステル様に!!」
満を持して近付いてきたトロネの振り上げる腕がトルデリーゼの頭へと叩き付けられた。が、それは直前で止まっていた。いや、トルデリーゼに届かなかっただけだ。その頭上、彼女を覆うように四肢のマテリアル・イーターを開放したオホトがいた。腹部を貫くトロネの爪からは大量の血がこぼれていた。マテリアル・イーターの治癒力を以ってしても回復は難しい。このまま安静にすれば一命は取り留められる可能性は残っていたが、それを期待する余裕さえなかった。
オホトを貫いた爪が、腕がトルデリーゼの顔を切り裂いた。幸いにも、いや、不幸にも……オホトが犠牲になったお陰で致命傷は避けられた。だが、口角から頬には深々と爪が突き刺さり、耳は削ぎ落とされてしまった。目は残った。無事だった。なら敵を見失う道理はない。と、トルデリーゼはマテリアル・イーターを変形させる。その切っ先が覆い被さるクラウスのやや薄い腹部を傷付けた。
微々たる傷とは言え、不意の一撃にクラウスが飛び退いた。その隙に転がったトルデリーゼがハニエルの拘束から脱出する。そんな状態のトルデリーゼの視界に事切れるオホトの姿が映る。幾らマテリアル・イーターの力でも、二つに千切れた上半身と下半身を繋ぐ事は叶わない。優秀な部下だった。今はその献身に報いる以外に手向けられるものもなかった。
残った兵士らがトルデリーゼを介抱しようと駆けつけてくる。だが、彼らも重症だ。トルデリーゼは思う。巡礼騎士団は特別なマテリアル・イーターを使っているのだろうか。いまだその詳細は知れないが、恐らくマテリアル・イーターの研究で最先端を行く帝国から流出した技術である可能性は高い。ならば、特別なものを使っているとは限らない。何らかの使い方の違い。自分にも同じ事が出来るのではないか。と思い立った。
「下がって……」
もはや残る部下に、暗に撤退しろ、と伝えるしかないトルデリーゼは、マテリアル・イーターがどのようなときに活性化するのか考えた。死に際だ。即死ではなく、それに通じるほどの重症。マテリアル・イーターに備わった本能的な機能の暴走が最も可能性の高い方法だった。心臓を潰さず、脳を傷付けず、だが、相当な重症を負う。勿論、マテリアル・イーターの核を傷付けにだ。
にじり寄る魔獣達。五体不満足の体で立ち塞がるトルデリーゼ。再生は既に始まっているものの、体力もなく、血も多く失っている状況ではそれも儘ならない。覚悟は決まった。自身を庇い、絶命したオホトの骸が文字通り魔獣達に足蹴にされたとき、トルデリーゼはボロボロの体を前に進ませた。
「!」
魔獣さえも驚いた。蹴り飛ばしたオホトの死体が動き出したのだ。マテリアル・イーターが無数の糸を伸ばし、離れた上下の体を捜し始める。そうか。死んでも終わりじゃないのかもしれない。マテリアル・イーターにはまだ底知れぬ何かがある。それが魔獣化の因子。或いは人の意思か。何れにせよ、今の瀬戸際、トルデリーゼにはひとつの閃きが降り立っていた。
もし、マテリアル・イーターのコアを取り込んだらどうなるだろうか。実験や事前の説明では鉱物として取り込むとの結論が出ている。それはマテリアル・イーターが宿主と不可分であり、単独では物体でしかなく、生物ではないからだ。だが、今のオホトのように死してなおも動く……生きているかもしれないマテリアル・イーターを取り込んだと言う仮設も実験も聞いた事がない。人としては最低の行為だろう。死体とは言え、人を喰うのだ。
いや、やるしかない。と腹を括ったトルデリーゼは、最後の力を振り絞り、突然の出来事にまだ戸惑う魔獣達の間へ突っ込むと、蠢くオホトの死体にマテリアル・イーターを叩き付けた。どこにコアがあるのかは個人差がある。大概、心臓の付近にある。ならば上半身の骨を剥ぎ、内臓を引っ繰り返し、そこに腕を突っ込むしかなかった。
魔獣達もそれが異常な事だと勘付いた。反撃かどうかは分からない。だが、何かを起こそうとしている、その決心は見て取れた。慌ててトルデリーゼの体を薙ぎ払い、オホトの死体と共に向こうへと吹き飛ばした。元より崩れていたオホトの死体はまだ四散し、無数の肉片が飛び散った。死体と共に地面に突っ伏すトルデリーゼ。赤黒い臓物に塗れ、その仔細は見えない。先の一撃が止めになったのかも知れない。動きはない。
混成部隊はリーダーをなくしても士気が低下しない。そもそも逃げる事も難しい局面だ。死に物狂いで時間稼ぎをしようとしているのだろう。だが、先のトルデリーゼのように特殊な個体はいない。誰かを残すだけで十分だ。と判断したらしいトロネは、クラウス、ハニエルを一応その場に残し、政府施設の敷地内へと乗り込んで行った。中にまだ要人がいるかは疑わしい。逃げ遅れているとすれば、それを助け、護る別の部隊の存在も想定される。トロネは混成部隊に増援が駆け付ける前に事を済ませようと動き出した。
薙ぎ払われる兵士たち。耐える事も儘ならず、その体は両断され、潰され、破壊される。もはや作戦もない。ただの特攻。命を捨てるだけの愚行だ。だが、見た目が獣と化した影響か。トロネは本来の性格とは別に、今は随分と野蛮に、そして残酷になっていた。殺意よりも鋭利に、使命感よりは食欲か。不思議な衝動に突き動かされる。
政府の施設を奥へと進む。壁には気付けば殺していた兵士らの肉片がこびり付いていた。血溜りが小さな流れのように廊下を濡らす中、トロネは見付けた。政府高官など興味ない。強い敵など論外。政治的な交渉や脅迫さえも意味はない。王たる資格、……いや、覇王たる支配者としての証明は、≪~*/_≫で十分に足りるだろう。全てを揃えた時、シュルヴェステルが神になる事を保障するものでもあった。
「本当はもう少し早く助けたかったんだが」
トロネはゾッとした。初めて感じた恐怖。誰も追いかけて来ていないはずの後ろを振り返ると、そこには縊り殺され、引き千切られたであろうかつての仲間達の死体が転がっていた。ハニエルは見る影も無く、クラウスは首から下に体の中から引き抜かれたであろう臓物をぶら下げていた。
「彼女は覚えてないし、忘れてるだろうけど……。でも、彼女のみすぼらしい、無様な姿を誰かに見られるのは嫌だからさ。独占欲? みたいな。だから、全員が死んで、あぁ、殺されるまで待ってたんだけど……、まさか、それが目的だったとは」
死体となったクラウスとハニエルを見せ付けるように、トロネへとその首を放り投げた≪ソイツ≫は、閑かに、けれど侮蔑するように失笑した。
「だったら何も知らないんだ」
トロネは気圧され、後退した。大規模なテロを起こしたでも手にしようとした、目的の≪~*/_≫に背中が当たり、それが落ちても気にする余裕さえも今のトロネにはないように、≪ソイツ≫には本能的な恐怖を覚える。
「何故だ……死んだ筈ではないのか?」
僅かに人の面影を残すものの、≪ソイツ≫の外見はトロネらと同じような、だが、仔細に於いて異なる魔獣らしき姿をしていた。
「さぁ、……彼女を、トルデリーゼを傷付けたからには、相応に苦しんでから死んで貰わないと」
オホトと同じ顔をした、だが、オホトではない≪ソイツ≫。彼が生き返ったとは思えない。ただ同じ顔をしているだけだ。シュルヴェステルが持つ特別なマテリアル・イーターでも、あれほどの傷は癒せない。だから、≪ソイツ≫は、あの混成部隊にいた誰かなのだろうと分かったところで、今、トロネが感じる恐怖と、そこから想像される実力差が埋まる訳でもなかった。
04章:04*作戦
先の巡礼騎士団との戦闘は、経緯こそ不明だが連合と帝国の混成部隊が勝利したようだった。だが、中隊はほぼ全滅。生き残った者は数名。彼らは辛うじて生存出来ただけで、戦闘の行方は知らない様だった。生存者は隊を率いていたトルデリーゼ他、オホト、オシマヅキ、ラインハルト、テトラ、ユイナ、ダイルである。
「巡礼騎士団の出方から、彼らが単に政府施設を狙っているのではないと推測されます」
防戦一方の中、何度目かの報告会で帝国側の参謀がひとりのインジシュカ・クーデルカと、連合側から派遣された特別参謀顧問の智将エレン・トローストらが、どうやら巡礼騎士団の目的と思しきものを発見したとの発表があった。
「恐らくシュルヴェステルらの目的はアモリウタだと思われます」
円卓に並ぶ関係者の一部がざわついた。先日、ノノアと呼ばれる少女が術式の根幹たる仮想空間装置の視認が出来るとの中間報告が届いたばかりなのに、大いなる世界から運ばれたと伝えられる古代の遺物……既に機能こそを失っているらしいものの、可視化され、結晶化した仮想空間装置とも言われるアモリウタは数カ国に渡って安置されている。中には贋物、レプリカなども多く、専門家でもそれの特定は難しい。そもそも伝承だけであって、アモリウタが本当に仮想空間装置なのかは、いまだ検証が足りないノノアの協力も必要だった。
だが、何れにせよ、巡礼騎士団らが襲った施設の殆どにはアモリウタ、或いは仮想空間装置に関わる何かが置かれ、管理されている場所が多い。現場は荒らされており、調査はなかなか進まなかったものの、漸くそれらが無くなっている事が判明した。ただ、飽くまでも可能性であり、ひとつの指針に過ぎず、混成部隊をそれに注ぎ込む事は難しい。とは言え、残り少ない疑わしい各国の政府施設の中に、そのような条件に合うものは少なかった。
「ひとつの指針として、その、何だ……アモリウタに関わるものが置かれている施設は幾つあるんだ?」
今回の巡礼騎士団対策本部の最高責任者も勤めるラニエロが尋ねると、三つの施設が候補に挙げられる。ひとつは帝国、残るは連合の諸国にあるらしい。参考までにとは考えているが、やはり無視出来ない。アモリウタについて、若しシュルヴェステルらが何かしらの機能を発見したとなれば、何が起きるかは想像さえ出来ない。
ラニエロは多少ながら戦力を偏らせる事を決定した。取り分け帝国の領土内には、さすがに連合をあまり入れたくない思いから、帝国内の施設の警備は帝国軍のみで構成した。他にも真偽の知れないアモリウタがある施設は確認されている為、やはり従来通りの配備が望ましいとの意見もあった。
「だが、朗報もある」
シュルヴェステルに加担する人物が全て特定されたのだ。巡礼騎士団の1、3、5、7、9、10、13、15、18、20番の隊に所属する計48名。内、隊長は6人と言う事だった。現在、倒すか、捕縛されたのは15人。だが、そこに隊長クラスはいない。捕縛した者は全員が黙しており、中には獄中自殺した者もいる。確認された48人中、37人が魔獣化している事からも、巡礼騎士団は一様に魔獣化出来るものと考えられた。
「ただ厄介な者もいる」
確認されていない隊長クラスの中に、かつて帝国最強と評された騎士などがいる事だ。巡礼騎士団零壱番隊長、兼巡礼騎士団長アーロン・ヤルヴィレフト。格闘戦のスペシャリストで最近まで帝国軍に戦術など教えていた教官であり、零参番隊長エマヌエル・ウッフェルマン。十参番隊長の、帝国内最強の術式の使い手であり、その学術的な権威でもあったカジミール・クウィリーノら三人がシュルヴェステルに与していた。
事実上、帝国で最強の使い手が敵となっている。最強の騎士、最強の闘士、最強の術者。そして帝王学に優秀だったシュルヴェステルは優れた参謀でもある。加えて全員がマテリアル・イーターを持ち、魔獣化出来るとなれば、厄介な事、この上なかった。
「何故、今になって巡礼騎士団の詳細が分かったんですか?」
尤もな疑問を呈したのは、連合から派遣されたハンナ・ローズだった。
「巡礼騎士団は帝国の恥部であり、暗部。先王の越権と独断が起こしたものだからだ」
ラニエロは説明した。先王が崩御した前後に組織された巡礼騎士団は、独立の指揮系統を持ち、何らかの遺志に従い作戦を実行していた節があった。中でも世間でサクラメントの神隠しと呼ばれる悪事を働いていた事も確認されている。だが、それが分かったときには既に巡礼騎士団は勝手に消滅、崩壊した……と思われていた。所属していた騎士の多くは再編成され、一部は行方不明となっていた。
「国際的な批判を恐れ、黙っていた、と言う事ですか?」
大使らの指摘にラニエロらが頷いた。場内に嘆息が漏れ聞こえる。今更、弁解の余地もない。かと言って、当時、それを発表したところで今の状況を防げたのかも疑問だ。と言った意見もあり、糾弾は後回しにされ、今は直面した事態にどう対処し、どう責任を果たすかが問題だった。
様々な思惑や事情などが交差する中、対策本部は指摘された三つの施設に多少ながら戦力を集中する事を決定し、部隊の再編成を急がせた。シュルヴェステルが何を起こそうとしているのか分からないが、意味もなくアモリウタを集めている可能性は低い。襲撃される場所が多くなれば、一方で残る施設は減る。と同時に襲撃に参加するだろう巡礼騎士団の数も増える。つまり、後手になれば十数の魔獣を相手に、戦争を起こす……なんて規模の戦闘が起こる事も想定された。まだ、敵が分散して施設を襲撃している内に、敵の数を減らしたい思惑もある都合、やはり多少のリスクを背負ってでも、戦力を集中させる意味は大きかった。
だが、その決断は僅かに遅かった。部隊の再編成の命令が届けられる中、連合国に奉られているアモリウタの施設が巡礼騎士団に襲われた。襲撃したのはカジミール。もうひとつの施設にも襲撃があり、エマヌエルが確認された。残る巡礼騎士団の30人がそれらに従い、強襲した。そして残る帝国の施設に、最強の騎士たるアーロンが接近中との報告が舞い込んだ。
04章:05*最強
偃月刀に分類されるだろう幅広の刀剣。やや細長い半月状で、刀剣と呼ぶには厚い。斬ると言うよりは叩くように使っている。だが、更に特徴的だったのは、盾のように側面を使っている点だろうか。一方の手には、先端に大刀を付けた様な柄の短い薙刀らしき不思議な刀剣が握られている。巡礼騎士団の解体からその行方は知れないとされていたが、生きる伝説との比喩も強ち間違いではなかった。
止まらない。止められない。数百も待機していた兵士が薙ぎ払われている。死なない程度に傷を負わせ、時には恐怖を与える為に殺す。アーロンを取り囲む事は容易だった。だが、取り囲んだところで同時に仕掛けられる兵の数は限られる。精々、十数人。それではアーロンの相手にもならない。剣術に精通したアーロンの間合いは中近距離だ。かと言って距離を取り、術式で遠距離から攻撃しても、多勢の中で動き回るアーロンを的にする以上、互いに誤爆する可能性もあったが、そもそも当てる事も出来なかった。
「さぁ、目の前だぞ?」
目的地を前にアーロンが敵である、かつての同胞らを侮蔑する。その中には屈強な兵士もいただろう。形ばかりではない叙勲を得た騎士もいただろう。腕に覚えのある戦士もいただろう。歴戦の兵もいただろう。報奨に見合う以上の働きを見せる傭兵もいただろう。敵国なら将や長に並ぶ手練のマテリアル・イーターを持つ者もいただろう。だが、誰もアーロンには敵わなかった。
誰しもが呟いた。敵の強さに慄いた。アーロンはいまだマテリアル・イーターを使っていないのだ。いや、攻撃には使っていないのだろう。どうやら防御……対術式にのみ反応する彼のマテリアル・イーターは術式の相殺、減衰、吸収を行っていた。もし、これが攻撃にも使われたら。もし、彼が魔獣に変態出来るとなれば、もはや手の着けようがなかった。
だが、そんな彼の前に立ち塞がる。今の帝国で最強の銘を与えられた者。ソフィー。既にその身にマテリアル・イーターを展開しており、肩甲骨から肩、そして腕から手に握る剣にまで続く特異な姿をしている。フレーム状で体の骨格を補強するようなアーロンのそれとどこか通じる形だ。
「あぁ、期待した通りだ。お前は、まだ、そこに、いたんだな」
期待した通りの敵が、やはり待ち構えていた事にアーロンは歓喜した。巡礼騎士団の解体と共にシュルヴェステルが掲げる新世界への渡航に協力する都合から行方を晦まし、その後釜に収まっただけのソフィーが本当に帝国の最強なのか。自分自身で確かめたいと予てから思っていたアーロンは、一対一の対決を申し込んだ。
「くそ親父が」
ソフィー・ヤルヴィレフトは呟くと、マテリアル・イーターを展開させる。今の帝国最強が伊達ではない事を証明する為に。剣術では父であるアーロンには敵わない。それは認める。既存の剣術ではどのような才を持っても、努力を持っても、勝つ事は出来ない。ならば、アーロンさえ知らない剣術を使えば良い。と気付いてから、ソフィーが最強を勝ち取るまでは早かった。
「それがお前の剣か?」
親ではない。剣の鬼だった。毛ほどにも覚えのない親子の絆を、ソフィーはその苗字故に背負わされた。だが、今日は文字通り断ち切るつもりだった。
ソフィーの背中から伸びたマテリアル・イーターが腰に携えた刀を、剣を握る。四本の腕で操る四つの、剣、刀、槍、鉈。人間では出来ない、四つの腕を用いた我流の技。アーロンを倒……殺す為だけに編み出した亜種の業。それをアーロンも全力で……いや、まだ人の形を保てる限界で相手する。全身をマテリアル・イーターが覆い、魔獣とは言えないまでも、例えるなら魔人と呼ぶ他ない異形の姿となって、かつての娘を迎え撃った。
搗ち合う剣。だが手数はソフィーが上だった。防御力はさすがに限定的な魔獣化している為、高い。業物を使っているとは言え、超一級の技を以ってしても、アーロンを傷付けるには難しい。だが、所詮はまだ人の形をしている。それに従った動きしか出来ない以上、間接を全て覆う事は無理だった。収縮や膨張をしなければいけない筋肉も一部で露出している。他にも人間であるが故の弱点、脆弱性は見付けられた。
徐々に、徐々に、かすり傷程度ながらアーロンを傷つけていくソフィー。だが、アーロンは魔獣化という奥の手もある。それに極めた剣術の全てを出している様子もない。勿論、ソフィーも切り札以外に奥の手を隠している。ただ、危惧もある。それは慣れだ。対人を想定していないソフィーの技も、アーロンほどの達人になれば剣術ではなく、ソフィーの癖や呼吸から対処法を編み出す可能性があった。タイミングが悪ければ奥の手さえ不発に終わる事も在りえる。
もう少しで絶妙なタイミングに差し掛かる。長引けば不利。決着を付けるなら今かも知れない。そんなときだった。帝国と北の独裁国、そして鉄の森に跨るだろう場所に位置する方から突如爆発音が鳴り響いた。殺し合いの最中だと言うのに、ソフィーは思わずそちらへ視線を向けてしまった。今まで感じた事のない地鳴りだ。だが、一方でその無用心な振る舞いは、アーロンの一撃を誘っていた。殺される。負ける。と思ったソフィーだったが、アーロンの剣は一向に落ちてこなかった。見ればアーロンも同じ方向を望んでいた。
「……っ、のヤロウ。動かしたのか」
そう呟いたアーロンはソフィーを睨み付けると、まるで牽制するように視線を向けたまま、不意に剣を収め、その身を硬くさせていたマテリアル・イーターも解除した。
「どうした?!」
と尋ねるソフィーにアーロンは言った。
「王様が戦争を始めるつもりなんだよ」
どこか寂しげにそう答えるアーロンは、アモリウタを回収せずに引き際だからと後退し始める。ソフィーに追いかける意思はない。いや、体力はなかった。だが、足元から揺れる地面が、ただならぬ事が起きているのだと伝えている。
「何が、始まっ――?」
空を汚す黒い影。まるで火山でも爆発したかのような物々しい空気感だけが、現場から遠く離れた帝国の領土内でも肌に感じる事が出来た。
04章:06*巡礼
帝国の第一日子アルトゥール、第二日子フェルヒテゴットは帝国の城より、それを見ていた。帝国、独裁国、鉄の森に跨って険峻を連ねる通称・龍の塒こと、アジダ連峰。相互の国境も成す険しい自然が広がる場所に、第四日子のシュルヴェステルが率いる元巡礼騎士団が篭城している。遠くからでも見えるそこに、天を貫くほどに高い塔が聳え立っていた。
「あれが……大いなる世界の遺産。月国府。まさか神話級の遺物を本当に目覚めさすとはな」
「あぁ、本気で俺達に喧嘩を売るなんて……思いもしなかったが、」
王位の継承以外にも何かと競ってきたシュルヴェステルがよもや本格的な敵に回るほどの気概を持つとは想像していなかった二人。胸中にあるのは、やってくれたな、と言う評価だった。
「よもや信じている訳じゃないだろうな」
「月にかつての人が、今の神がいるとでも? は、まさか」
一笑に付す。だが、残酷で、現実的な思考のシュルヴェステルも変なところでロマンチストであったのも事実。とは言え、月国府が兵器運用出来るのもまた事実。アモリウタを全て揃えた所で不完全なサルベージとなったであろうが、時間をかければ多少の攻撃機能も蘇るだろう。国境を接し、僅かながら領土を侵された北の独裁国家が黙っているかは定かではないものの、より大きな問題へ発展する前に決着をつけなければ、国内の問題も、国外との交渉も儘ならない。正式な王ではないが、暫定的な王として、今の最高権力者として二人はシュルヴェステルを討つと宣言する事に躊躇が無かった。
他方、巡礼騎士団対策本部では僅かな決断の差から大きな負けを喫した事に、また先の会議で判明したその成り立ちや行動が槍玉に上がった所為か、帝国への避難は多かった。だが、状況が状況だけに、より切迫した中で仲間割れしている余裕もない。連合の関係者は帝国に情報の開示を要求した。帝国の関係者が行動を起こした以上、帝国でその情報が何処かで共有されている筈だろうとの見解があったからだ。
「月国府です」
と言ったのは、監査官の代行として臨時に訪れた帝国の第一日女のヴェルトレーデだった。その名前に聞き覚えのある他の識者もいたようだ。それはもはや寓話でしかない創世記に登場する建造物の名前だった。かつて神に焦がれた人が天上を目指した、人類史上最も高い建物として描かれている月国府は、大いなる世界からの移民が作り上げた何らかの施設だろうとの結論が出ている。実存するか否かは分からない。だが、各地にそれを仄めかす伝承がある事から、その存在は疑いようのないものだった。とは言え、場所まで分かっていたとは初耳だった。
「巡礼騎士団はサクラメントの神隠しを起こしたひとつの背景ではありましたが、その真の目的は各地の遺構の調査。大いなる世界の遺産を発掘する事にありました」
飽くまでも先王が関わった事で仔細は分からない。と前置きしつつ、ヴェルトレーデは先の会議では語られる事のなかった巡礼騎士団の役割や先王の遺志について一通り説明する。
話は十五年ほど前に遡る。先王が謎の死を遂げる少し前の事だ。偉大なる海からの海難者であろう難民が帝国にやって来た。彼は人でありながら、人ではない姿をしていた。名前はディヴィク。その異形の姿故に、伝承として聞かされている古代の人かも知れないと信用されもしたが、化け物でもあった。彼は信用を得る為に、古代の遺産として、マテリアル・イーターの原型を提供した。
「既に失われた古代の知識。その信憑性が故に彼は先王の信用を得ました」
ディヴィクがもたらした知識は、マテリアル・イーターの原型、仮想空間装置アモリウタ、月国府とヒモロギの座標など。マテリアル・イーターの他の技術から、彼の情報が信用に足りると判断した先王は、それらを回収、戦争に利用すべく巡礼騎士団を組織した。と同時にマテリアル・イーターの改造の為、被検体として、また仮想敵国への侵入、スパイの養成を目的に各国の子供を拉致するという行為を推奨した。
「国際的な……犯罪じゃないか」
「先王の仕出かした事とは言え、返す言葉もありません」
だが、十年ほど前、月国府の場所が分かり、その起動にアモリウタが必要と分かった頃、先王が死亡した。暗殺か、老衰か。いまだその死因は分からないものの、その跡を形式的に継ぎ、暫定的な最高権力者となった第一日子と第二日子、そして第一日女の意向により巡礼騎士団は解体。現在、戦争状態である事を理由にその詳細は秘匿された。
「今更ながら帝国は圧政が厳しいとの話があるが」
交渉が無期限に延期された都合、人道支援の有無を判断する為にも聞きたかった帝国の内情について連合側から質問が上がった。
「その悪事を秘匿したが故に、当時の先王の圧政がそのまま、修正される事なく広く周知される結果となっているだけです。今は随分と改善されています」
帝国の話を全て鵜呑みにする事は出来ないものの、ヴェルトレーデの話には信用出来るだけの誠実さが感じられた。
「話を戻そう。月国府とは、結局のところ何なんだ?」
「当時の資料……ディヴィクの話によれば、灯台だったそうです」
「灯台? あんな巨大な物が?」
「それほど偉大なる海は広く、大いなる世界は遠いのでしょう。――ですが、その光は夜空を裂き、大地を抉るとも言われています。そもそも大いなる世界の何処かに在る国が、別の世界……また別の国への牽制として建てた、戦略的な位置付けも強い施設が故に、この世界……連合や共和国なども含むこの辺りの何処へでも攻撃出来るくらいの能力はあるそうです」
つまり巡礼騎士団対策本部は、より広域に、場合によってはこの戦争とは無関係とも言える独裁国や共和国の助力も得た上で、月国府を攻略しなければいけないと言う状況にあった。
「仮に月国府の起動に成功したとしても、その暴走を止める為の予防策、保険もなければ、あんな巨大な施設を動かそうとは思わなかったのではないか?」
「はい。先王はディヴィクの助言の下、月国府に対抗し得る力として、或いは保険としてシジンと言う防御結界、月国府への操作権限妨碍証明書があります。各地に四箇所、そこにその証明書があると聞かされています。ただ、証明書は月国府内での使用が絶対です。つまり」
対策本部の取るべき行動は、各地に四箇所あるシジンの制圧、及び月国府への侵入経路の確保と操作盤の占拠だ。現在の戦力は巡礼騎士団との度重なる戦闘で当初から七割ほどに下がっている。状況故に早急な対処が必要だ。戦力は最低でも四つ、或いは五つに分け、シジンの四箇所制圧と、月国府への侵入を行わなければいけなかった。
「ただ、当時の状況から全てのシジンが調査されたと言う事実はありません。座標だけがはっきりしており、まだ未踏の所もあるでしょう」
だが、想像も容易い。同じ情報を持つシュルヴェステルがシジンに巡礼騎士団を配し、月国府に戦力を残すとすれば、シジンには複数の魔獣が待ち構え、月国府にはアーロンをはじめとした最強の一角がいる可能性が高かった。今までの攻防から複数の魔獣を相手にするには、対策本部の混成部隊はやや戦力的には劣る為、相当な犠牲も出来る事が想像された。