第1章 7 憂鬱の結衣
月曜日。
テレビでは朝から金環日食のニュースが流れた。今回観測できるのは南九州あたり。九時過ぎに始まるらしい。父親は朝四時から撮影準備に入った。母親の携帯電話にも、結衣の携帯電話にも同じ文面のメールが届いた。
登校し、教室に入ると内村の姿はない。佐和子と写真を見ながら遊園地での感動を思い出している。他の女子にも写真を見せて盛り上がる。結衣は、内村の姿を探していた。前の入り口か、後ろからか、教室に入ってくる内村の姿を想像した。クラスの女子がカメラの撮り方を訊いてきたので、説明に夢中になっていると、急に歓声が上がり、見ると、男子のかたまりの中に内村の笑顔があった。
「すごいなあ、内村」そんな声が異口同音に聞こえた。
テレビに出たことで、内村はすっかりスターになった。女子も内村を見ている。
「がんばってねー、内村くん」
「わたし、内村くんのファンクラブ第一号。はい、受付はこちらー」
高校に入学してから一ヶ月。クラスにもようやく『絆』らしいものが育ちつつあった。
結衣は、内村の様子に異変を感じた。一度も視線を結衣に向けようとしない。
「どうした? 結衣」佐和子が言った。
「ううん、なんでも……」
「見た? 結衣。内村くんがテレビ出てたの」
「……そうなの?」
「四組のスター誕生だねえ。坊主頭だけど、髪をのばせばけっこういけるかも。甲子園とか行くと、女子の人気度もアップするだろうねえ」
「甲子園に行けたらね……行けないかも」
「あれ? 結衣様、なぜかご機嫌ななめ。鵜川先生発案の男女ペア週番制度、効果覿面だったみたいね」
「どういう意味?」
「ずばり、結衣の初恋!」
「ちがうわよ……」
「内村くんが来てから、変にそわそわ、視線が動くじゃない」
「それは……ちょっとコンタクトが……」
「いいのよ、親友じゃない。誤魔化さなくてもさあ」
時間になったので佐和子は自席に戻った。教室も静かになり、いつもの一週間が始まった。
結衣は右斜め前方に座る内村を見た。結衣の視線を左頬で遮断しているような気がした。結衣は頬杖をついて思った。(やっぱり恋なんてめんどくさいな……)
担任の鵜川先生が「おはようー」と言いながら教室に入ってきた。連絡事項だけを告げて出て行った。出際に、週番日誌を次の生徒に渡していた。女子生徒は、週番日誌をめくり、読んでいる。今週の週番も、男女ペアでちゃんとやるのだろうか。
二時間目、物理の授業で特別教室に移動するとき、内村がちらと自分を見たことに気づいた。そのとき結衣はその視線を受け取れなかった。四時間目が終わるとき、それができた。内村に笑顔はなかった。視線のやりとりができたことをうれしく思う反面、内村の投げる視線に曇りがあることが気になった。
「なんか暗いのよ、結衣」佐和子は栞の耳元でささやいた。
昼休み、ランチ後の芝生の上。結衣は食べ終わって部室に行く用事があった。
「ジェットコースターの勢いでジェット・ラブってわけにはいかないか。でも内村が結衣を好きなのは確かよね」
「それを結衣は不安みたい。内村の反応がさ、いまいちみたいだから」
「あいつ、テレビに出て天狗になったかあ?」
「先週、週番やってたときとは、確かに雰囲気違うわ、内村。テレビに出たんだからもっとテンション上がっていいはずよ、お調子者のはずだから。でも、どっちかというと低いもん、テンション」
「内村が結衣を好きなのも、週番をわざわざ替えてもらったというのが根拠だけどさ、考えてみたらそれだけだもんね」
「でも、結衣はその気になったのは間違いないわよ。初恋じゃない? って言ったときのアクションがさ、それっぽいもん」
「ジェットコースターにも乗ったしね」
「先週金曜日、内村にそれっぽいこと言われたか……」
「告白?」
「……一週間の週番でなにかあったか」
「金曜日だけだもんね、スパイしたの。そんときさ、『好き』とかゆう言葉が断片で聞こえたじゃん」
「だったね。やっぱり内村が告白したか? それで結衣もその気になったけど、今週になって内村の反応がおかしいと……」
「男の子だからさ、コクったものの、どんな態度とっていいかわかんないでさ、照れてるだけじゃない? 同じクラスだしさ」
「だからさ、コクるの勇気いるじゃん。本当に告白したのかなあ、内村……」
「思いきって結衣に訊くしかないね」
「……それしか方法ないかしら?」
佐和子は謎めいた目で栞に問いただした。
「……まさか、佐和子……」
決行の日は水曜日だった。
昼休み、現像のため部室に行った結衣の背中を見送ってから、二人は内村を呼び出した。人影の少ない北校舎の外階段の踊り場。
「別に、ビビんなくていいから」と栞が言った。
内村は、二人が結衣と仲のいいことは知っている。
「呼び出したのはさあ、ここにいるどっちかが、あんたにコクろうっていうセッティングじゃないの、まず、はじめに」栞は人差し指を左右に振った。
「わかってるよ」と内村は言った。「きみたちだろ、先週の金曜日、二人だけにしてくれたの」
「はあ?」栞が言った。
「知ってたの……」佐和子が栞を制した。「誰から聞いた? あ、いいや別に。大したことじゃないから」
「きみたちには、感謝してるよ」内村は頭を下げた。
「ということは、結衣のこと、好きなのね」栞がにじり寄った。
「栞……」佐和子は栞に目配せした。
「そういうことなの? 内村くん」佐和子が優しい声で言った。
内村は声には出さないで、やや間を置いてうなずいた。
「こんなことをさ、立ち入って訊くのは、出過ぎたことだと思うけど、あの子ね、純な子だから、親友のあたしたちとしては、放っておけないのよ」
栞は『わかってほしいの』顔で言った。
「結衣には、コクったの?」佐和子が訊いた。
内村は縦にも横にも首を振らなかった。少し空を見上げてから、言った。
「いとこにきみを好きな人がいて、それを聞いてきみに興味をもった、って言ったんだ」
「そのいとこって?」
「三橋一也っていうんだけど……」
「だれよ、それ?」
「……架空の、人物さ……」
「架空の人物? あんた、どういうやつ?」
「まあ、栞、いいじゃない。ところでさ、内村くん。今週になってから、ちょっと結衣に冷たくない? それはどうして? よかったら教えてほしいな。あの子落ち込んでるからさ」
「落ち込んでるの? ほんとに?」
「こら内村、なんでおまえ、うれしそうに言うんだよ!」
栞は内村の胸ぐらをつかんだ。それでも内村は笑顔だ。
「少しは、僕のこと、思ってくれてるわけ? 結衣さん……」
「なるほど……」佐和子は腕を組んだ。「結衣の気持ちを知りたくて、わざと冷たい態度をしていたか……」
「内村、おまえ、もうちょっとストレートにいけよ、豪腕投手なんだろ?」
「ちがうよ……」
内村は首を締め付ける栞の手を優しくほどいた。
「見たんだよ」内村は咳払いをひとつして言った。
「なにをさ……」
「金曜日、結衣さんが週番日誌を書いてるとき、彼女のカメラを触らしてもらったんだけど、そのカメラに男の写真がいっぱい写ってた……」
「ああっ!」
佐和子と栞はうなった。
「嫉妬だっ!」二人で声をそろえて言った。
内村は不機嫌な顔を街の方に向けた。
「それだったら大丈夫」佐和子が言った。「そのイケメン、わたしのカレだから」
栞が笑った。佐和子がにらむ。
「写真の人、知ってるよ。三年生だろ。サッカー部の……」
「わたしが説明したげる」栞が言った。
栞は結衣の『商売』について説明した。内村は誤解をすぐに理解し、顔を明るくした。 しかし、その後だんだんと暗くなった。
「あれ? どうした内村」栞が説明を中断して言った。
「まずいことをしたな……」内村は沈んだ声で言った。
「なにをしたって言うのよ」栞が詰め寄る。
佐和子もきつい表情になった。
「実は……」
内村は、坊主頭をかいて弁明を始めた。
内村のした、まずいことはすぐに現象となって現れた。
木曜日、サッカー部でモテモテのイケメン、沢木は、部活が終わって下校するときに前方を歩く結衣を発見。佐和子と栞は部活延長となっていたため、結衣はひとりで帰った。沢木も大会が近く部活延長のはずだったが、それをサボる性格の持ち主だった。
少女マンガよろしく、イケメンの先輩は、いきなり結衣の肩を抱き、「よっ!」と笑顔を結衣に浴びせた。
結衣は固まったが、「こんにちは……」と言った。
先週、佐和子から頼まれて、屋上からカメラで撮ったイケメンの顔が、すぐ近くにあった。カメラで写したのがバレて、文句でも言われるのかと一瞬身構えたが、イケメンは思いっきり白い歯をきらきらさせて、さわやかな瞳を結衣に向けている。文句ではなさそうだ。
「きみ、神谷結衣ちゃんだろ?」
「はい……」
結衣はかなりの角度で沢木を見上げた。
「あの、すみませんが、手をどけていただけますか? 重いので……」
「ごめん、ごめん……」沢木は結衣の肩を二度軽く叩いて離した。
「なにか、ご用でしょうか?」
「いや、ないよ。結衣ちゃんてどんな子かと思ってさ。噂通り、きゃわいいね」
『きゃわいい』、なんて言われると不機嫌になる結衣のキャラを知らない沢木は、「きゃわいい」を連発する。
「おっと、前方にモス発見。晩飯までもたない空きっ腹を、僕と一緒にチリドッグで満たさない?」沢木は抑揚をつけて言った。
「もちろん、僕のおごりさあ」
「ごめんなさい、わたし、まだ、モスは……」
「マクドがよかったら、朝日町まで行こうか。あっ、ケンタッキー? もしかして」
「あの、帰ったらすぐ夕飯なので……その必要がないというか……」
「あー、なるほど。お母さん専業なんだ。いい家庭に育ってるんだね。今度の日曜日、ヒマしてる?」
「ヒマというか、普通に、余暇を楽しんでます」
「ヨカ? ああ、あの難しい言葉ね。その余暇、ヨカったら俺と楽しまない? な〜んて」
「ごめんなさい、その必要性、感じないので……」
「あれ?」沢木は目を丸くした。「話が違うなあ……」
「話? ですか?」
結衣と沢木はモスバーガーの建物の前で立ち止まった。沢木に女子高生数名が手を振っている。沢木は引きつった笑顔で応えた。
「部活の後輩がさ、一年の神谷結衣ってかわいい子が、俺のこと好きらしいって、言ったからさ。なんかさ、俺の写真も撮ってたらしいじゃん……」
「それは、その……頼まれて……」
「誰に?」
「友達に……わたしじゃないんです。沢木さんを好きだっていう女子は……誤解なんです」
「きみじゃないんだ……。誰なの?」
「……それは、ちょっと、企業秘密で……」
「まあ、いいでしょ。いちいち聞いてたら大変だしね。きみじゃないのか、がっかりだな。でも、確かに後輩は言ってたんだよね。同じクラスの友達から聞いて、確かな情報だって。かわいい子だから、モノにしたらって言うからさ」
「その後輩って、誰ですか?」結衣は訊いた。
「田口だよ。きみと同じクラス?」
結衣はうなずいた。
「あいつ、ぶんなぐってやる!」沢木は怖い顔で言った。
「ごめんなさい。わたしも、勝手に写真なんか撮って……」
「そんなことは、いいんだよ、オッケイ。ジャンジャン撮って。あっ、今度、写真一枚くれる?」
沢木はそう言って結衣の肩をまたポンと叩いた。
「またねっ」と言って沢木はモスに入っていく。その後を目で追うと、窓ガラスの向こうで女子高生に話しかける沢木の後ろ姿が見えた。
結衣は、田口と聞いて憂鬱になった。教室で、田口とよく話をしている内村の姿を思い出したからだ。先週の金曜日、結衣のカメラを触って態度が変わった内村の表情。
結衣は重い足取りで歩き出した。