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写ガール 〜神谷結衣の純愛恋写  作者: 瀬賀 王詞
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第1章 6 天敵水橋登場!

 土曜日の部活はたいがい外に出る。

 今回のテーマは寺院。寺院内外の風景を各自で撮り、ベストを一枚現像して評価し合う。写真部は部長班と副部長班に分かれて活動する。写真部の顧問、雨宮先生の指導で、部長班と副部長班で競争させ、技術力アップを図るのだという。写真部伝統のフォトバトルだ。

 結衣たち一年生は副部長班に割り振られていた。まどか部長班は小川区の高来寺、結衣たちは池辺区の元徳寺に来ている。まどか部長に会えないことに結衣は一抹の寂しさを感じた。

 十時に現地集合。境内で副部長の篠田夏樹が出欠を確認していた。三年三名、二年五名、一年六名の参加だった。本堂に入ると寺の住職が現れ、寺の歴史や仏教の話を始めた。本堂の中央には金箔張りの御本尊が据えてあり、撮影してよいということだった。滅多にない機会ということなので、人気を集めることは確実だった。住職の話はみっちり五十分あり、ちょっとした授業だった。十一時から十二時までの一時間が撮影時間。

 結衣は人気を集めるだろう御本尊は後回しに、しばらくは境内を散策することにした。結衣に従って一年生は全員外に出た。五人のうち男子は二人で行動し、女子三人はそれぞれ思い思いの場所に散った。

 結衣は寺から離れ、丘に登り、元徳寺全体をカメラに収めた。そして町の中の元徳寺。喧騒とした町と、鬱蒼とした森の中の元徳寺を対比させて撮影した。続いて丘を下り、お寺周りを歩いた。石垣と並木の小さな通りを行く人を風景の中に収めた。 

 結衣の後をつけるように、人影がひとつ揺らめいていた。結衣は境内に入り、本堂を正面から撮った。睡蓮の花を広角レンズで撮影するためレンズ交換をしていると、一年生女子が結衣を呼び止めた。

「神谷さん、いいかな……」

 結衣は顔を上げて声の主を見た。

「……水橋さん。いいよ」結衣は微笑んだ。

 写真を撮るのは個人的な活動だから、撮影活動のときに群れるのは御法度だ。写真には個性が反映されるから、撮影のときには自分の中に入り込み、没頭する必要がある。ただ多少の情報交換は許された。

「いい写真、撮れた?」水橋玲奈は高い声で訊いた。

 結衣は撮った写真を再生して見せた。水橋は液晶画面をのぞき込む。

「あ、丘からの写真。上まで行ったんだ。やっぱり違うね、神谷さん」

「そんなことないよ」

 二人は木陰に据えられたベンチに座った。

「水橋さんの、見せて」

「あんまり撮ってないの」

 水橋はカメラを首から外して結衣に手渡した。結衣は液晶画面に写真を再生した。写真には結衣が写っている。カメラを構える結衣の写真、カメラを構えない結衣の写真。

「水橋さん、どういうことかな?」

「わたしのテーマは、神谷さん……なんだ」

「オウムみたいでごめんなさい。どういうことですか?」

「わたし、あなたに憧れて写真部に入ったんだ」

 水橋とは、同じ部員だから普通に話はしてきた。しかし、水橋の態度にそれらしい様子は見られなかった。結衣を妙にきらきらした目で見るとか、一緒に行動したがるとか。

「そんな風には、見えなかったけど……」

「わたし、ほら、恋愛と一緒で、奥手なんだよね。好きな人の前では、自然にできなくて。今日は、思い切って告白した感じ……」

「わたし、そんな趣味ないですから、ごめんなさい」

「あー、大丈夫です。そんな感じじゃなくて。神谷さんの噂は聞いてましたから、中学の時から。カメラ好きだから、カメラ雑誌見るでしょ? 『写女』とか。神谷さんが特集されて載ってたの、読みましたもん。【天才カメラガール】の記事。その人と同じところに住んでて、憧れない方がどうかしてます。他の一年生もそうじゃないかな? ただプライドがありますからね、簡単には仲良くなりませんけど。入学式で神谷さんを見て、わたし決めたんだ。写真部に入ろうって。わたし、バスケ、やってたんだけどね」

 水橋はシュートを決めるジェスチャーをして笑った。

「そっちのほうがよかったと思うけど……」

 結衣は自分より高い位置にある水橋の顔を見て言った。自分の存在のせいで他人の人生を変えてしまったことに罪の意識を感じる。

「身長はあるんだけどね、動きが鈍くて……補欠の中では一番うまかったんだ」

「水橋さん、その写真のことだけど……」

「どうですか? 撮られる側になった気持ちは?」

「あんまりいい気分じゃないな。この写真、デリートしてくれたらうれしいけど」

 結衣は水橋にカメラを返した。

「えー、いい写真ですよ。カメラを構えた結衣さん、ほんとに雰囲気があって、かっこいいんだもん。それに……結衣さんの写真を欲しいっていう人がいて……」

「だれ?」

「けっこういますよ。人気ありますから。結衣さんには申し訳ないけど、少し稼がせてもらいました」

「わたしの写真、売ってるの?」

「ごめんなさい。でも、結衣さんも同じことしてるって知って、罪悪感、なくなっちゃったんです」

 結衣は呆然とした。寒気を感じて空を見上げると、大きな黒い雲が覆っていた。

「何人ぐらいに、売ったの? わたしの写真……」

「二桁になりました」

 水橋はそう言って指を二本立てた。結衣にはそれがピースに見え、久しぶりに怒りを感じた。

「できればもう、やめてくれない? わたしも、もうしないことにしたから」

「わかりました。神谷さんに嫌われるの、嫌だし。でも、これっきりにさせてください。一回引き受けたもんで」

「依頼したの、だれ? よかったら教えてくれないかな?」

「えー、それは……企業秘密ですよね、やっぱり」

「水橋さんも、わたしにこのこと言わなくてよかったんじゃないかな?」

「そうですね。やっぱり罪悪感感じて、懺悔したくなったのかな……結衣さんにしてみたら気になりますよね」

「……うん。どうかな」

 結衣の、知りたい気持ちの中に、どうでもいい気持ちが入り混んできた。依頼した相手の名前を知ったところで、それでどうするかといえば、なにもない。知らない人ならほっとけばいいし、知った人だと嫌な気持ちになる。結衣が、相手の名前は知らなくてもいいと思ったとき、水橋の口からは名前が告げられた。

「内村昇平……」

 突然雨がぱらついた。水橋は小さな悲鳴を上げて立ち上がった。外に出ていた部員は本堂に集まる。結衣はすぐには動けなかった。

「濡れるよ、神谷さん……」水橋は声をかける。

「みんな集まってくれ」副部長の声が聞こえた。

 本堂に入ると、住職の計らいでお茶が出た。住職にお礼を言って解散となった。雨はすぐあがり、分厚い雲の隙間から日差しが見えた。

 駅に向かう途中、二年生の女子が結衣に話しかけてきたので、水橋と話す機会はなかった。駅のホームで水橋はバイバイと手を振った。


 珍しくテンションの低い娘を、母親は気に掛けていた。父親は無事鹿児島に到着し、金環日食の撮影準備に大わらわということらしい。夕方、結衣は父親と携帯電話で話したが、いまいち会話に気乗りしない様子だった。

 父親がいない休日の喜びとは、おいしいケーキでもほおばりながら、母と娘水入らずでおしゃべりをすることだろう。ここ数日元気のない娘に、母親は娘の好きなショートケーキを買っておいた。

「結衣、ちょっと降りてこない?」

 夕食後、部屋から出てこない娘に、母親は一階から声をかけた。結衣は目をこすりながら降りてきた。

「寝てたの?」

「考え事してたら、いつの間にかうとうと……」

「結衣、ケーキ、食べよ」

 母親は結衣にケーキの入った箱を見せた。結衣は洗面所で顔を洗った。結衣がテーブルに着くと、母親はテレビの音を落とし、カップに紅茶を注いだ。

「小森のおばさんからいただいた紅茶よ。銀座に行ってきたんだって」

 結衣は黙ってケーキに小さなフォークを差し込んだ。食べ慣れたせいだろうか、甘みがあまり感じられない。

「うん、おいしい! さすがに『森福』のショートケーキは絶品だね」結衣は言った。

 結衣は、悩んでいる姿を母親に見せて、心配させてはいけないと思った。同時に、あれこれ詮索されるのも嫌だった。

 母親は、世間の母親と違って、娘の世話をあまり焼かない方だ。温かく子どもの成長を見守り、いざという時に子どもを救ってくれる。結衣が疲れているときは、ビタミンBを多く含む食材で料理をしたり、ケーキなど買ってきたりして,間接的に応援する。「おかえりー」「いってらっしゃいー」と大きな声をかける。ぐっすり眠れるように、天気のいい日は布団を毎日干した。

「お父さん、どうしてるかな?」結衣が言った。

「どこかの居酒屋で、唐揚げとウインナーで一杯やってるでしょう」

「写真仲間も行ってるから、にぎやかにやってるかもね」

「最後の撮影旅行だから、楽しくやってるんじゃない?」

「お母さん、テレビ……」

 結衣はそう行ってリモコンをとった。音声を上げる。

「どうしたの?」母親は結衣とテレビを交互に見る。

 午後九時前のニュース。スポーツコーナーでNHD杯野球大会が始まると報道している。結衣は画面に釘付けになった。

「うちの学校が出てる……」

「あらあ!」母親は見覚えのある校舎を見て言った。

【今大会の注目は、なんと言っても栄翔高校、内村昇平投手】

 レポーターが練習している野球部を背景にして言う。

【中学時代は西華中学を県大会準優勝に導き、最高球速は高校一年生ながら百五十キロと超高校級。早くもプロのスカウトが注目する逸材です】

 画面にはピッチングをする内村昇平が映った。

「まさか、結衣、同じクラス?」

「……うん」

 結衣は画面から目を離さずにうなずいた。

【昨年、惜しくも甲子園を逃した栄翔高校。内村投手の入学で、初の甲子園出場が期待されます。西光久監督です】

 画面は監督のインタビューに変わった。

 画面が変わっても、結衣のまぶたには、ボールを投げる内村昇平の姿が映っていた。

「すごい人が同じクラスなんだね。話したことあるの? 結衣」

「……ないよ。もちろん。男子とは、あまり話さないし」

 母親は、結衣の言葉に反応した。

「結衣、お母さん、ひとつ言いたいことがあるの……」

「なあに?」結衣は身構える。

 母親はめったに結衣を注意しないし、説教もしない。小言も言わない。だから言うときは怖い。

「あなたはいい娘だけど、男の子を敬遠しすぎるところ、お母さん、気になってたの」

「わかってる……」

「結衣はお父さん好きだから、そんなに心配してないけど、高校生になったら少しは変わってほしいな」

 結衣はしばらく黙った。

「小学校のときのことが、原因なんだろうけど、もう立ち直っていいころよ。世の中には男と女しかいないから……基本的にはね。結衣が将来どんな仕事に就こうとも、とにかくいい男性と巡り会って、幸せになってほしいの。それが、お母さんの願い……」

 母親は、それだけ言うと、立ち上がって食器を片付けた。水道の音は結衣の心までしみこんでくるようだった。母親の言葉に結衣は反抗したことがない。母親の言葉からはいつも愛情が感じられた。

「お父さんは、男はみんなケダモノだから、つきあうのはよせって、いつも言ってる」

「あれは冗談よ。真に受けちゃだめ。さあ、もう勉強しなさい」

「うん……」結衣は立ち上がった。「おやすみなさい」

「おやすみ!」

 少し軽くなった娘の表情に、母親は安堵した。


 机に向かった結衣だったが、ふと思い出して父親の書斎に入った。書棚から、『恋愛論』と書名の入った文庫本を手に取った。

「スタンダール……」

 ついでだから、父親の革製の大きなリクライニングチェアに腰を落ち着けた。

 小さい字に根負けしながらも拾い読みをしてみる。父親がつけたものと思われるアンダーラインが目に止まった。

 

 【恋が生まれるまでは、美貌が看板として必要である】 


 (最初はやっぱり外見から恋が始まるってことか……)結衣は昇平の顔を思い浮かべた。りりしい顔立ちに坊主頭。外見に惹かれたような気はしない。そして、週番最後の金曜日に内村が話した言葉を思い出した。

『そのいとこはさ、きみのことが好きだったんだよね。だからきみがどんな女の子なのか興味がわいてさ』

 興味がわいてさ、と確かに言った。しかしそれは、好きという意味ではないだろうと思った。

 そして今日、写真部の水橋玲奈から知らされた意外な事実。内村昇平は、結衣の写真を水橋に依頼していた。水橋は、内村に自分の写真を渡すだろう。結衣は、恥ずかしさで顔を赤らめた。しかし、悪い気はしなかった。

(やっぱり、わたしも女だな……)

 悪い気がしないのは、内村昇平が、野球部期待のエースで、テレビに出たからだろうと思った。

 携帯電話にメールが入った。佐和子からだった。

〔明日、十時だよ〕

 結衣はそれを見て、「忘れてた、明日女子会か」とつぶやいた。

 スタンダールの『恋愛論』は、とりあえず借りておいた。


 女子会は、昨日行った元徳寺に近い遊園地だった。中学の同窓会みたいなもので、別の高校に進学した女子6名が加わる。

 結衣はカメラ係で、もっぱら撮影に専念する。当然写真の現像、焼き回しで一儲けするつもりでいる。遊園地から元徳寺の屋根を見て、結衣は御本尊を撮影しなかったことを思い出した。

「佐和子、ちょっと、群れから離れるから」と結衣は言った。

「どこ行くの?」

「ちょっとね……」

「早く帰ってきてね。ランチは十二時ジャストだから」

「わかった」

 ジェットコースター乗り場へ向かう、勇気ある女子八名の背中が、結衣には頼もしく見えた。

 元徳寺は、歩いて十分の距離だった。街のスナップを撮るのは楽しい。写真を撮りながら歩くと、あっという間に時間は過ぎる。結衣は路地に入り込み、人々の生活感あふれる風景をカメラに収めた。

 元徳寺の門に入ると、本堂から読経が聞こえてきた。恐る恐る近寄ると、すぐに読経は終わった。お坊さんが十数人出てきて、住職が見送りに出た。

「こんにちは」結衣は住職に言った。

「こんにちは。やあ、きみは昨日の栄翔高校の……」

「はい。ありがとうございました。それで、ひとつお願いがありまして。わたし、昨日御本尊を撮し忘れたんです。今、いいですか?」

「あなたは幸運でした。読経会がたった今終わりましたからね」

 そう言って住職は、結衣を招くように本堂に入った。


 読経会のあったせいか、御本尊は仏具の照明で色鮮やかに装飾されていた。結衣は驚いて思わず中に入るのをためらった。

「どうぞ。やっぱりあなたは運がいい。今日は読経会で、昨日より仏様がきれいでしょう。あ、昨日もそうしてあげればよかったかな。ところで、運のいいあなたのお名前は?」

「失礼しました。神谷結衣と申します」

「神谷、結衣さん……いいお名前ですね」

「あ、ありがとうございます」

「わたしはしばらく休みますので、心ゆくまでどうぞ。お時間はどれくらい?」

「ほんの少しです。五分くらいで……」

「それでは、いい写真は撮れないのでは?」

 そう言って住職はにっこりと笑った。

「神谷さん、お釈迦様をご覧なさい……」

 結衣は、金色に輝くお釈迦様を見上げた。

「元徳寺のお釈迦様は、他のお寺と違って、表情が穏やかで、にっこりと笑っていらっしゃるんです。なぜならね、お釈迦様も、現代の人々とコミュニケーションをとりたいんです。笑っていると、親しみがわきますものね」

 結衣は、お釈迦様の顔に表情を探した。

「和尚様、わたしには笑っているようには見えません……」

「そうですか? わたしには、笑って見えます。神谷さん、もし、あなたの心に悩みとか、晴れ晴れしない気持ちがあれば、お釈迦様が笑っているようには見えないでしょうね。まあ、まだ若いですから、いろいろありますからね、悩み事。仏教でね、よく『南無阿弥陀仏』と言うでしょう。この言葉は、お釈迦様とコミュニケーションをとるための言葉なんですよ。悩み事があったとしても、南無阿弥陀仏を唱えれば、お釈迦様が笑って見えるかも知れませんよ。それに、写真も、被写体とのコミュニケーションが大切ですよね。お釈迦様を仏像としてでなく、生きた人と見て撮影してみてください。きっといい写真が撮れますよ」

 住職の穏やかな言葉は、結衣の心に清流のように流れ込んだ。

「お釈迦様……ひとつお聞きしたいのですが……」

「神谷さん、あなたおもしろい人ですね。わたくしはただの坊さんです。お釈迦様ではありません。質問ですか、いいですよ」

「ごめんなさい、間違えました。お坊さんは結婚しておられるのですか?」

「はい。お陰様で。よい伴侶を得ることができました」

「お坊さんでも、結婚できるんですね」

「ひとことで仏教といっても宗派というものがありましてね、このお寺は浄土真宗ですが、開祖の親鸞上人には、恵心という奥様がいらっしゃいました。結婚を禁止する宗教ならば、誰も信じる人はいません。人間は男と女しかいないわけですから、幸せになるためには、お互いに大切な存在です。親鸞上人は、恵心という奥様の存在があったからこそ、浄土真宗の開祖となることができたのかもしれません」

「わかりました。教えていただき、ありがとうございました」

 結衣は頭を深々と下げた。

「あなたは、今どきには珍しい、礼儀正しいお嬢さんですね。あなたなら、きっとお釈迦様も微笑んでくれますよ。それでは……」

 住職は、丁寧に頭を下げた。結衣はもう一度お辞儀をした。


 結衣はカメラを取り出した。しばらくは御本尊の正面に立ち、お釈迦様を見つめた。やはり笑っているようには見えなかった。とりあえずシャッターを切った。正面、サイド、ローアングルから撮影した。結衣は、畏れ多い気はしたが、お釈迦様の顔をアップで撮った。肉眼より色合いが濃くなるように、絞りを僅かに調整しながら撮影する。

【『南無阿弥陀仏』は、お釈迦様とコミュニケーションをとるための言葉なんですよ】

 結衣は、住職の言葉を思い出した。

「南無阿弥陀仏」とつぶやいてみた。「南無阿弥陀仏……どんな意味なんだろう」

 結衣は、南無阿弥陀仏を唱えても、何の心境の変化も感じなかった。ただ、お釈迦様の頭部を見たときに、先週の月曜日に見た内村昇平の坊主頭を思い出した。夕日が内村昇平の坊主頭を金色に染め、まぶしさにしばし呆然としたのを覚えている。お釈迦様の表情が内村昇平の顔と重なった。週番の仕事をしていたとき内村昇平が見せた笑顔。スポーツマンらしいさわやかな笑顔だった。内村昇平の笑顔の残像が、重ねたお釈迦様の顔をなぞり、一瞬お釈迦様が笑ったように見えた。結衣は、すぐにシャッターを押した。

 

 結衣は、住職にお礼を言って元徳寺を出た。住職は食事中だった。十二時を過ぎており、結衣はダッシュで遊園地に戻った。八人の女子会メンバーの怒り顔が脳裏に浮かんだ。

 妙なことに、走ると急に元気が出てきた。なんだか楽しい気分になってきた。

 息を切らして遊園地に戻ると、案の定八人はブーイングを結衣に浴びせた。

「もう、何度も電話したのに!」佐和子が言った。

 結衣の携帯電話はマナーモードになっていた。

「ごめん、待っててくれたんだ」結衣はうれしくなった。

「つーか、満席で、並んでんだよね、ファミレス……」

 城西高校に通う野島沙也香が言った。

「もう、仕方ないよ、ラーメンにしようよ」

「さんせーい」

「結衣、ラーメンでいい?」栞が訊いた。

「いいけど……少し遅らせれば、ファミレス空かないかな……」

「それまで何してんのよ。ここでボーと待つわけ?」

「ねえ、みんな、わたし、あれ、乗りたい……」

 結衣が指さした方角を見て、女子八人は「マジ—」と叫んだ。八人の声はでかく、周囲の人の視線を集めた。

「結衣、どうしたの? 何があったっていうの?」

 佐和子と栞は先週の出来事を知っているだけに、結衣の異変に驚いた。

「怖いって、一度も乗らなかったジェットコースターよ。なんで今、乗りたくなったわけ?」

「自分でもわかんなーい!」

 結衣はジェットコースター乗り場へ走り出した。六人の女子が後を追った。

 佐和子と栞はそれを見送る。

「どういう心境の変化だろ?」

「内村との恋愛、する気になったのかな?」

「……だといいけど」

「ほら、昨日テレビに出たじゃない、内村。結衣も見たのかな?」

「ほんと、すごいやつだったんだね、内村」

「テレビに出たくらいで好きになるわけないか。大体内村がコクったかどうかもわからないしね」

「さっき結衣、どこに行ってたんだろ?」

「小学んとき、恋愛沙汰でいじめられたから、恋しないようにしてたからね、結衣……」

「ふさいでいたものが、パコーンって出てきたんじゃない? よろこんでいいことかも」

 二人はにやりと笑った。

「こうなったら、やっぱりわたしたちが一肌脱がなきゃ」

「行こう! 結衣と初めて乗るジェットコースターだあ!」

 しばらくして、九人の乙女の歓声が遊園地に鳴り響いた。結衣はずっと目をつむったままだった。


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