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写ガール 〜神谷結衣の純愛恋写  作者: 瀬賀 王詞
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第3章 6 再スタート

 翌日の海浜公園。夕暮れ時。夏の色を失った海が、秋への衣替えを始めていた。

 昇平は、左腕で石ころを拾い、海に投げ込んだ。十数球投げ込んでから、漸く結衣の傍に腰を下ろした。

「ごめんな……」と言った。「結衣に、会う気になれなくてさ……」

「水橋さんと、つきあってたんだ……」

「ああ……」

「聞いていい?」結衣は首を傾げて言った。「いつごろ? どれだけの間?」

「中二の十一月から中三の六月まで。文化祭がきっかけだった。同じクラス。中三でクラスが分かれて、そのままお別れ……」

「水橋さん、わたしに憧れて写真部に入ったって言ったの」

「中三の六月、きみを初めて見て、好きになった……」

「初めて聞いた……そのとき、わたしたち会ってたんだ。どこで?」

「高校の体験入学……かわいい子だなって思って、友達に聞いてみたら、きみ結構有名人で……雑誌の『写女』の記事も見たよ」

「水橋さん、まだ昇平のこと、思ってるんだね。だから、わたしに興味があるって、言ったんだ……」

「あいつには、もう、気持ち変わったからって、中三のときに言ったんだ……」

「わたしの写真、水橋さんに頼んだ?」

「なんのこと?」

「わたしの写真を撮ってくれって、水橋さんに……」

「いいや……」

 水橋は、なぜあんなこと言ったのだろう……結衣は考えた。昇平の気持ちを振り向かせたいのなら、そんなことはしないはずだ。昇平が結衣に気があると、結衣に教えることになる。結衣は男嫌いと聞いて、ストーカー的な行為をする昇平に嫌悪感を抱かせようとしたのか。

「結衣に会いたいと思ったけど……僕にはもう、なにもないだろ? 結衣に誇れるものが……僕は野球バカだから。なんだか情けなくて……街をぶらぶらしてた。水橋がすっごい恰好でさ、僕もびっくりしたよ。『いっしょにいていい?』って言うから、いいよって言ったんだ」

「水橋さんが、きれいだったから?」

「……違うよ」

「いいの、誤魔化さなくても」結衣は立ち上がった。

 横に置いていた紙包みを昇平に手渡した。

「はい!」

「なにこれ……」昇平は受け取りながら結衣の瞳を見た。

 結衣は、澄んだきれいな瞳をしていた。

「開けてみて……」

 昇平は紙包みをていねいに開いた。出てきたのはパネルになった一枚の写真だった。

「これは……」

 昇平は眉間に皺を寄せて見つめた。

「あの試合の……」

「そう……」結衣は昇平の横に立つと、頬を寄せて一緒に写真を見た。「わたしが撮った写真。わたしの最高傑作……」

 昇平のゆがんだ顔が写っている。県大会決勝で、英明館高校の四番バッター、松井が打ち返したボールは、昇平の右肘で止まっている。

「この写真が、結衣の最高傑作だって、言うのか?」

 昇平は悲しい顔をした。

「わたしも、最初は、捨てようとしたの。昇平の野球人生を終わらせた瞬間……と思ったら……。悔しくて、苦しくて……。でも、写真を見ているうちに、捨てられなくなった。写真って、なにかメッセージをくれるものなの。撮るのは人間なのに、撮った人間が写真からメーセージをもらう……それが、写真の魅力でもあるんだよね」

「この、写真が……どんなメーセージを、くれると言うんだ?」

 昇平の瞳には怒りが宿っていた。

「この腕が、ダメになった!」

 昇平は、包帯が取れたばかりの右腕を激しく叩いた。痛みで苦痛の表情を浮かべる。

「やめて!」結衣は昇平の腕をつかんだ。

「甲子園に行って、プロ野球に行って、大リーグも……僕の夢は、この一球で終わったんだ!」

「ちがう!」結衣は昇平に食い下がった。

「なにが違うんだ! こんな写真!」

 昇平はパネルを地面に叩きつけた。形がゆがみ、写真の上に砂埃が舞った。

 昇平は結衣を突き放し、堤防の階段を降りた。夕日が今にも沈もうとしていた。

 結衣は写真を拾った。胸に抱きしめると、涙を流した。

「この写真のメーセージはね、昇平くん!」大声で叫んだ。

 昇平は振り返った。昇平の目にも涙が光っている。

「奇跡!」

「なんだって?」昇平は聞き返した。

「奇跡!」

 結衣は数歩近寄って、もう一回叫んだ。

「奇跡?」鸚鵡返しに昇平は言い返した。

「このままで終わっていいの? すごいことを成し遂げた人は、みんな、諦めなかったんだよ……」

 昇平は結衣に背を向けた。

「内村昇平は、それだけの人間なの? 何の努力もしないで、すぐあきらめて……そんな人間だから、神様が罰を与えたのよ、きっと……」

「そんな、奇跡なんて、簡単に起こせるかよ!」

「当たり前じゃない!」

 結衣は昇平に駆け寄った。

「死ぬような努力をしなきゃ、奇跡は起こせない。昇平くんは、その努力さえしようとしないじゃない。努力してみてよ。してみて、ダメだった、ならわかるけど、しないうちから諦めないで。野球バカなんでしょ。野球しか取り柄がないんでしょ。だったら、野球をやるしかないのよ。まだ十六じゃない。来年はダメでも、再来年があるわ。この写真は、昇平くんの新たなスタートよ……」

 結衣は昇平に駆け寄って、もう一度写真を見せた。昇平は大粒の涙を流した。

「昇平くん、わたしを、甲子園に連れてって……」

 結衣は、自分の唇を昇平の口に当てた。お互いの涙が、しょっぱい味として心にしみこんだ。昇平は結衣を抱きしめた。そして声を振り絞った。

「わかった、結衣。やってみるよ。きみを、甲子園に連れていく!」

「ほんとに?」結衣は昇平の顔を見上げた。   二人の顔に笑顔が浮かんだ。

「結衣に嫌われたくないからね」

「嫌いにならないよ、野球やっている昇平は……」

「条件つきか……」

 二人は声を出して笑った。夕日は今にも海に消えそうだった。

「見て、昇平。夕日が沈む……」

 二人は肩を並べて夕日を眺めた。

「あの夕日は沈むけど、明日はまた昇ってくる。昇平も同じ。今、落ち込んでるけど、きっとまた、昇れるよ」

「イエス、ユー、アー、ライジング・サン!」

 突然聞こえた英語に、二人は振り返った。

 見知らぬ外国人が見える……二人。その後ろには、昇平の父親と母親がいる。

「昇平、結衣ちゃん……」昇平の母親が呼んだ。

 結衣と昇平は歩み寄った。

 外国人二人は短パンにアロハシャツという恰好だった。

「コンニチハ、ショウヘイ!」

「サイモン、日が落ちて夜だからコンバンハ、だよ」ともうひとりの外国人が言った。

「ニホンゴ、難しいね。ジョン、後は英語でしゃべるから、通訳頼むよ」

 二人の外国人は昇平の前に立った。

「わたしたちは、大リーグ関係者で、こちらはコロラド・ファイヤーズのスカウトマン、サイモン=フランクリン。わたしはドクター・ジョン。よろしく、ショウヘイ」

 昇平と結衣に握手を求めた。結衣と昇平は思案顔で外国人二人を見比べた。

「昇平、お前が家を出てからすぐに、お見えになったんだ。アメリカの大リーグの方だそうだ」父親が言った。

「アポなしでゴメンナサイ……」ジョンは言った。「事情がありまして……」

 サイモンが英語でしゃべり出した。しゃべり終えると、ドクター・ジョンが通訳した。「ワタシハ、センゲツ、スカウトのためにジャパンに来ました。ホカのセンシュがメアテでしたが、ニュースでキミのピッチングをミテ、チェックしました。キミの、ケッショウを見ました。ソシタラ、アンビリーバブウ、シンジラレナイ、起こりました。ワタシは、キミのビョウインにイキマシタ。ドクターにオファーして、レントゲン写真をもらいました。そして、ドクター・ジョンに送りました」

 ドクター・ジョンは、後は自分がとサイモンを制して言った。

「そのレントゲン写真を見たときは、わたしもショックでした。あまりにもテリブル、ヒドいジョウキョウでしたね。しかし、ウデを見ると、タイヘンなウデでした。ホネや筋肉のシェイプ、カタチがグッドで、モッタイナイ、と思いました。そこで、ワタシなりにケンキュウしました。チリョウ……ナオス方法はまたチイサクセツメイします」

 サイモンが日本語で言った。

「ヘイ、ショウヘイ。アメリカでベースボールをしないか?」

「アメリカで?」昇平はつぶやいた。

 結衣は成り行きをじっと見守った。一寸の光が差し込んでくる気配を感じた。

「イエス!」サイモンは昇平の肩に手を置いた。

「メディカル・サポートはチームで全部します。イキルことは、みんなサポートします」 ジョンは両親に説明した。両親は、困惑の色を眉間に浮かべた。

「チイサイことは、また、セツメイします。キョウハ、ハジメテノあいさつでキマシタ。これが、レンラクサキです」

 サイモンとジョンは名刺を父親に渡した。

「ショウヘイ」サイモンが言った。「アイル、ビーン、ウエイティング」

 ショウヘイはお辞儀をした。

 二人の外国人が去ったあと、父親がつぶやいた。

「とんでもないことになったな、昇平……」

「アメリカなんて……」母親は声を落とす。

 結衣は、黙って昇平の横顔を見つめた。

 昇平の右腕を治す絶好のチャンスが訪れた。ただ、その治療はアメリカで行われる。つまり、昇平はアメリカに行く。

「とにかく、家に帰ろう……」父親が言った。

 昇平は結衣を見た。昇平の瞳には、沈んだはずの太陽が燃えていた。

「ライジング・サン……」

 二人は声をそろえて言った。

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