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写ガール 〜神谷結衣の純愛恋写  作者: 瀬賀 王詞
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第1章 1 天才カメラ少女 神谷結衣


 レンズは素早くイケメンをとらえた。体育の授業中で、イケメンはサッカーボールを蹴っては、太陽に負けないほどの笑顔を見せている。シャッター音が屋上で続けざまに響いた。ニコンの一眼レフカメラD90を構えた少女は、バズーカ砲を構えた兵士に見える。砂埃で汚れた制服を気にする様子もなく、寝そべって被写体のイケメンを狙う。

「望遠レンズでも、ちょっと遠い……おーい、イケメンくん近くにおいで」

 少女はそうつぶやきながら、ポケットからあんパンを取り出し、袋を口で豪快に破ると大口でかみついた。カメラのレンズは被写体のイケメンから離れることはない。連射の音がコンクリートに軽やかに響く。グラウンドで笛がなり、男子が砂埃をあげて集まった。少女は時計を見て、ふうとため息をついた。タイムリミット。起き上がるとカメラと三脚をバッグにしまった。

「あんな男のどこがいいんだろう。佐和子、大丈夫かなあ……」

 少女はあんパンを飲み物なしで完食すると、屋上から見える街並みを眺めた。二時間目の終わりを告げるチャイムが鳴る。それが鳴り終わらないうちに、校内放送でいかつい声が怒鳴った。

「1年4組。神谷結衣。すぐ職員室に来なさい!」

「はい!」

 神谷結衣はダッシュで屋上の階段を駆け下りた。


 生徒数千二百三一人の中で、生徒指導の高山先生によく呼び出される女子生徒はこの少女を除いてはいない。進学校でまじめな生徒が多い中、まれに喫煙で指導される男子生徒はいるが、女子生徒が高山先生に呼び出されるのはここ数年見ない光景だった。

 高山先生は汗を拭きながら麦茶を飲んだ。神谷結衣は直立不動で立っている。高山先生が麦茶で喉を潤している間、結衣は高山先生の乱雑な机の上をじっと眺めていた。

「神谷……」高山先生は、まだ麦茶を喉に残したまま言った。「屋上で何をしてたんだ? いいや、何を撮ってたんだ?」

「何も撮ってません。体調が悪くなって保健室に行こうと思ったんですが、屋上から景色を見た方が気分よくなるかなって、思いまして……」

「神谷のいいところは嘘をつかないとこだ。俺はそう思ってる。グラウンドから見えたんだよ、おまえのバズーカ砲がな。いい天気だから光がよう反射しとった。生徒も何人か気づいとったぞ」

 神谷と呼ばれた女子生徒は、唇をかんで天井を見上げた。

「過去二回、同じ罪で呼び出されてるおまえじゃないか。言い訳なんてできまい。入学して二週間で生徒指導部にお世話になる女子生徒なんて初めてだ。ああ、これは前言ったな。おまえの写真好きもここまでくると度が過ぎる。仏の顔も三度までと言うが、俺は仏じゃないけども、今回までだな、大目に見てやれるのは。後は写真部顧問の雨宮先生に任せるが、今度問題を起こしたら写真部に迷惑がかかる、そう思ってくれ。なんか言うことあるか?」

「いえ、高山先生の分かりやすいご指導で、わたくし見事に改心いたしました。わたくしとしましても、写真部に迷惑はかけられませんから、深く反省して、二度とこのようなことがないようにいたします。ご指導ありがとうございました」

「二度とじゃないだろ?」高山先生は帽子を手に取ってニヤッと笑った。「じゃあ、俺は授業だから。おまえも制服についてるほこりを払って、早く授業に行きなさい」

 高山先生は体育教官室を出た。結衣が制服をはたくと、教官室にほこりが舞った。

「おいおい、外でやってくれよ」

 高山先生は苦笑いをして言った。


 結衣を廊下で待っていた有村佐和子は、結衣を見つけるなり走り寄った。

「大丈夫だった?」

「もちのろんよ」

「放送で結衣の名前呼ばれてびっくりしたよ、もー」

 結衣は佐和子を従えるようにして二階の女子トイレに入った。掃除用具入れの扉を開くと、カメラバッグと三脚が箒と一緒にぶら下がっている。

「あった……」結衣は安堵の笑顔を見せた。「高山先生がカメラを見せろって言わなくてよかったよ」

 カメラをバッグから取り出して電源を入れる。二人は3インチの液晶画面に食い入る。イケメンの笑顔が次々と再生された。

「やっぱ、めっちゃかっこいい! 沢木先輩!」佐和子が胸の前で手を合わせて小さな声で叫んだ。

「ベストショットはこれだね」結衣はイケメンがサッカーボールを蹴り損ねたかっこ悪い一枚を見せた。

「かわいいー。おちゃめー、沢木先輩!」佐和子は結衣からカメラを奪う。

 結衣はやれやれ顔で携帯電話を出し、電卓を起動させる。

「そんじゃあ、商談に入ろうか、佐和子。基本料金が千円となっております。ほんでっと。基本料金には写真の現像5枚がセットとなっておりますが、追加は1枚につき100円でございます」

「データもほしいんだけど。SDカードで」

「はいはい、パソコンのデスクトップ、携帯電話の待ち受けにするわけね。フォトCDも作るのかな? あんだけのイケメンですからねえ。夢が広がりますねえ。SDカードはプラス千円です。ご令嬢の佐和子様には痛くもかゆくもない料金となっておりますんで、はい。おっとそうだ! 高山先生に見つかって怒られたリスク料金を500円プラスさせていただきますね」

 結衣は合計金額を佐和子に見せた。

「いいけど、帰るまでに仕上げてくれる?」佐和子は依然カメラの液晶を見つめて言った。

「大丈夫よ。昼休みに部室の暗室使うから」

「一応全部現像してね」

「まじ? あいあいさー。佐和子、もう行こうか?」

 二人は乙女走りでトイレを出た。もう定年前で移動速度の落ちた社会の馬場先生を抜いて、三時間目の始まりを告げるチャイムが鳴り終わるころには着席した。馬場先生は『東インド会社』について説明をしていたが、結衣は(パイレーツ・オブ・カリビアンで出てきた、それ)と思ったものの、それ以外は殆どカメラ雑誌の『写ガール』を見ていた。


 私立栄翔高校の写真部は伝統ある文化部として有名だ。写真家で有名な藤堂写美の出身校としてテレビ番組で放映されたこともある。全国高校写真コンクールでは常に上位に入り、学校賞の盾はすでに二桁になった。平成二十五年には先輩の山中仁志が最優秀賞を受賞した。授賞式の写真が写真部部室の全面に飾られている。

 部室に入った結衣は、SDカードをパソコンに挿入し、現像機の電源を入れた。窓を開け、涼しい風に笑みをもらし、弁当を広げた。先輩が部室に来る前に現像を仕上げなければ、現像した写真で妙な誤解を受けかねない。「営業」がばれるのもよろしくない。畢竟、無人の確率の高い昼休み前半に現像するしかなかった。

 高価な現像機が奇妙な音を立て、写真を仕上げている間、結衣は一人で弁当を食べる。弁当を開くと、母親が必ず入れるウインナーの香りが部室に立ちこめた。

 窓をかすめるツバメを見て、ふいにカメラを取り出して構える。右目でファインダーを覗き、左目で窓の外のツバメをとらえる。右手を強く押す。

 肩に温かみを感じ、振り返ると部長が立っていた。部長は顔を結衣に思いっきり近づけ、「なにしてんの?」とカメラの液晶をのぞき込んだ。

「まどか部長!」

「なにこれ? ツバメ? 失敗ね、ピントがずれてる。シャッタースピード、もう少し上げたら?」

「部長のご先祖は忍者さんですか? 全く気づきませんでした」

「うん、あなたに気づかれないように入ったわ。ご先祖は忍者さんじゃないけど。たぶん……」

 まどか部長は椅子に座ると髪をかき上げた。結衣には三年生が大人に見える。殊に皆川部長の色気は圧倒的で、写真を撮るより撮られた方がいいのでは、というのが周囲の一致した感想だった。ただし、さすが部長だけあって全国大会で上位入賞を果たしている。

「ごめんなさい、まどか部長。勝手に現像機をお借りしてますっ」

「勝手にお借りされては困るのよ、神谷結衣さん」

 まどか部長は脚を組んだ。結衣は立ち上がった頭を下げる。コミカルに三回謝った。

「冗談よ、座んなさい、結衣ちゃん」

「もう二度としませんので……」

「二度と、じゃないんじゃないの?」

「そうですねえ……」結衣は数え始めた。

 結衣のカウントが十を超えたところで、まどか部長は吹き出した。

「そんなに?」

「はあ……」

「部室に向かうあなたの姿を何度か見かけたのよ。ほんの何回かと思ってたけど、かなりの重罪ね」

「許していただきたいと思います。これも自分のためではなくて、恵まれない子どもたちのためにやってることでして……」

「詳しく聞きたいわね」

「でも、話が長くなってしまうので、今度改めてというわけにはいきませんでしょうか?」

「簡単にはいかないの? 実はわたしね、結衣ちゃんのよからぬ噂を耳にしたのよ。それが事実なら、あなたの話はたいへん短くてすむと思うの。どうかしら?」

 まどか部長は結衣の手からニコンD90を取ってファインダーを覗いた。ファインダーは蒼白になりつつある結衣の顔面をとらえる。

「噂ですか……」結衣の心中では噂の種をまいた犯人捜しが始まっていた。(いったい誰よ。田中……鈴木……松井……そうだ! 二年の結城貞子があやしい……料金が高いって文句言ったし……)

「あなたの正直な心をこのカメラで写したいわね」まどか部長はレンズを結衣の胸元に向けた。

「まどか部長、わたしご覧のとおり、薄っぺらな人間ですから、お察しのとおり、碌な人生歩んできておりません。どうか、許していただきたいと存じます」

「結衣ちゃんおもしろいわね」まどか部長はカメラを結衣に手渡して笑った。「あなたのしゃべり、なんだか面白いわ。どこで覚えたの? ごめん、今のいいわ、愚問だった……あなたかわいいからつい許しちゃう。得なキャラね。そう言われるでしょ……」

「かわいくは、ないですけど……」

「許してあげるかわりに写真見せて」

「はい!」

 結衣は静かになった現像機から仕上がった写真をまどか部長に手渡した。できたての写真を見るときほど胸がときめくことはない。これは『写ガール』には共通する心理だろう。

「なんだ、被写体はこいつか……」まどか部長はつぶやいた。

 数学の浜田先生を呼び出す校内放送が流れた。グラウンドからも生徒の声が聞こえた。弁当を食べ終えた生徒たちがつかの間の休息を楽しむ態勢に入った。

 まどか先輩は写真を並べ、テスト問題にでも取り組むかのように食い入っている。やがて一枚を取り出して、「これが、あなたの写真ね」と言った。

「わたしの写真?」結衣は聞き返した。

「神谷結衣らしい、写真って意味よ」まどか部長は写真を結衣に見せた。

 イケメンがサッカーボールを蹴る、何の変哲もない写真。神谷結衣は、自分で撮った写真のよさをまだわからないでいた。ましてや『自分らしい写真』を意識することもない。

「教えてください、まどか部長。これのどこが、わたしらしい写真なんですか?」

「ボールを蹴ったときの筋肉の躍動感、飛び散る汗のとらえ方、影の写り様……あなたの写真には空気感があるわ。テクニックなのか、偶然にこんな写真が撮れてしまうのか……それも才能のうちでしょうけど。屋上から撮ったから被写体は斜めになるけど、構図取りのせいか、そんなこと感じさせないもの……」

「たぶん、偶然です。わたし、連写魔ですから」

「連写の合間もあるでしょ。見逃してしまう時間の隙間があるわ。どこで連写を始めるかで撮れる絵も変わってくる」

「すごーい! そんなこと考えたことありませーん」

「やっぱ結衣ちゃん、天性なのね。たぶん意識してないところでシャッターの入りどころはわかってるのよ」

「そんな、まどか部長、わたしを天才みたいにおっしゃらないでください。こっぱずかしくなりますう」

「ご謙遜しなさんな。日本フォトコンテストジュニア部門最優秀賞、神谷結衣……」

 そう言ってまどか部長は立ち上がった。結衣は真顔になって部長を見つめた。

「ごめんごめん。冷やかしてないよ。怒らない、怒らない」

「まどか部長、そのことは、あんまり言ってほしくないんです……」

「なぜって言いたいけど、察しはつくわ。いじわる言う人もいるでしょうけど、負けてほしくないの。写真から逃げてほしくないの」

「逃げては、いないつもりです……」

「『営業』ばっかりやってちゃダメよ」

「わかりました……」

 まどか部長はドアノブを取ったが、やおら振り返って言った。

「わたし、神谷結衣に会えてうれしいの。今年だけ、同じ土俵で戦えるから。秋のコンクール、わたしと真剣勝負してくれる?」

「もちのろんです! わたしでよかったら」

 まどか部長は笑顔を残してドアを閉めた。

 複雑な心境でしばらく呆然とした結衣だったが、弁当に集るハエを見るやいなや、ハエ退治に狂喜乱舞するのだった。

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