第3章 5 恋の行方
「あーあ、夏休みもあと一週間かあ……」
栞は冷えたアイスをおでこに当てて言った。
「早くふたつに割ってよこしな。溶けるだろ?」
佐和子が乱暴な口調で言った。
栞はアイスをふたつに割って、佐和子にひとつ渡した。
図書館前の広場には噴水があり、小さな子どもたちが水遊びをしている。
「元気だねえ、ガキどもは……」栞が言った。
佐和子はため息をつく。
「どうした? 結衣のこと?」アイスの冷たさが脳に響いたのか、栞は頭を抑える。
「あの子が元気ないと、こっちまで参るね……」
「来ればいいのにさ、図書館。気晴らしになるってのに……」
「なんにもする気しないって……重症だわ、こりゃ」
「一週間連絡がないくらいで、なによ。結衣も甘いわね。恋愛で勝つには、なんと言ってもスタミナよ。そうだ、今度バーベキューしようか?」
「そう言えば、去年結衣の家でしたね、バーベキュー。今年は、呼んでくれそうにないな」
「そもそも、する雰囲気じゃないでしょう」
「内村もさ、意気地がないよね。確かに、不運だったけどさ……」
「あーあ。甲子園に応援に行くの、楽しみにしてたのに。たこ焼き食いたかった……本場大阪のたこ焼き……」
「泣くでない、栞お嬢。このアイス、もう味がない……」
「近いうち、女子会でも開いて、パーッと結衣を慰めようよ」
「きみの意見に賛成、中性、アルカリ性……」
「……佐和子、最近、キャラ、変わったね」
「て、ゆーか、なんかこう、人生のわびさびがさあ、つくづく感じられる今日このごろでさ。おとなに一歩一歩近づいてるなあって」
「なに? ワビサビって?」
「栞は、わかんなくていいよ、わびさび」
「なにそれ」
「スター街道まっしぐらだった内村がさ、突然あんなことになったじゃん。人生、何が起こるかわかんないね……」
「結衣も、すっかり人が変わっちゃったしね……」
「ねえ……あれ、内村じゃない?」
佐和子は遠くに見える人影を指さした。
「どこ?」栞は目を細めた。「最近目が悪くなっちゃってさ……。勉強のしすぎかな」「ゲームのしすぎよ。あれ、違う?」
「待って……」栞はかばんから双眼鏡を出した。
「あんた、それ、持ち歩いてるの?」
栞は双眼鏡を目に当てて、焦点を合わせる。
「十六倍ズームっと……えーとね。結論からゆうと、内村だな……」
「ちょっと、わたしにも貸して……」
「佐和子、事件のにおいがしてきたよ」
「事件ってなによ。貸してってば」
佐和子は双眼鏡を覗いた。栞は、佐和子から手渡されたアイスキャンディーの袋をゴミ箱に捨てた。
「だれ? あの女……」佐和子は言った。
「わかんない……」
「一緒だよね。離れて歩いてるけど……女が話しかけてるし……」
「ねっ、事件でしょ?」
「もう少し図書館で涼もうってプランだったけど、仕方ないわね。あっ、見えなくなった!急げ、ワトソンくん」
佐和子は走り出した。
「だれよ、わとそんって……」栞も後に続く。
二人は交差点をいくつか横切り、ビルの谷間を疾走した。佐和子はさすがに陸上部で脚が速い。吹奏楽部の栞は文化系でも肺活量は鍛えていた。昇平とその連れの女に追いつくのに、それほどの時間は要しなかった。
「だれだろう……あの女……」栞が息を切らせて言った。
二人はビルの一角にあるコンビニに入った。昇平と女は、一町ほど離れたアクセサリーショップで立ち止まっている。佐和子はもう一度双眼鏡を覗いた。
「女、わかる?」栞が訊いた。
「髪が多くてさ。はっきりわかんない……あれ、かつらかな? かなりチャラい……」
「髪、赤っぽいでしょ?」
「結衣じゃないのは、間違いないのよ……」
「内村、結衣にメールもしないで……浮気してたとは!」
「内村となんかあったとは思ったけどね。こんな展開は読めなかったな……。でも、まだわかんないよ、姉ちゃんか妹かもしれないし」
「ぜったい、有り得ないよ」
「まあね。たまたま会った中学の同級生かもしんないし」
「内村を引っ張って、問いただそうよ」
「落ち着け、ワトソンくん」
「だからだれよ、わとそんって」
佐和子の考えは、数日後内村を尾行して、また同じ女といるんだったら黒だ、というものだった。栞は「めんどくさい。今はっきりさせればいいじゃん」と反論したが、「どうせヒマでしょ?」と言われると、ホームズに従うしかなかった。確かに尾行は探偵みたいで楽しい。
いったい今日は何曜日なのかわからなくなる夏休み。ただ、確実に終わりが近づいていることはおぼろげながらわかる。この時期は部活もないので、友達と過ごす時間はたっぷりある。
内村と女を目撃してから三日後。佐和子は携帯電話で曜日を確認した。
「土曜日だよ、土曜日……」
栞は大あくびをした。
「わたし、眠たい……八時だよ、まだ八時」
「内村が出かけたあとじゃ、遅いんだよ、ワトソンくん」
「内村の家、わかるの?」
「当たり前だのクラッカーだよ、ワトソンくん。ほら、運転しっかり……」
二人は自転車で内村の家に向かっていた。
「二人乗り、この前警官に怒られたよね」栞が言った。
「そんなことあったっけ?」
「内村んち、どこらへん?」
「青葉台……」
「なんでこの道? 遠回りしてない?」
「少し考えればわかることだよ、ワトソンくん」
「……内村と出くわさないように?」
「少しは、助手らしくなってきたじゃない」
「助手? わとそんって、助手って意味なの?」
「はいはい、前見て運転してね」
青葉台は似たような住宅が並んでいた。
「わかりにくいな……」佐和子がぼやいた。「日本人は、住宅からして没個性だね」
「佐和子! あれ……」栞が叫ぶ。
栞の視線の先には、自転車を漕ぐ少年の姿があった。
「しっ! 声が大きい。どこから出てきた?」
「内村じゃない?」
「ワトソン、双眼鏡!」
「助手じゃないってば……」
佐和子は栞から双眼鏡を受け取ると、瞼に当てた。
「グッド・タイミング……」佐和子が親指を立てた。「追うよ」
内村のスピードが速く、だんだん遠ざかっていく。疲れた栞に替わり、佐和子が自転車を漕ぐ。
「さすが陸上部」栞が言った。
「くすぐったいから、腰に手を回さないで」
内村との距離をキープしながら、駅前に着いた。駐輪場に自転車を留め、内村を尾行する。
「内村もさ、なんかチャラくなってるよね。服とか……」栞が言った。
「ミラノ通りに向かってるな」
「イオンに行くのかもね」
「女の姿はなしか……やっぱ、誤解だったか?」
「毎日デートって限らないしさ。このまえ聞いとけばよかったんだよ」
「いいじゃない、内村が潔白だってわかったんだから」
「佐和子、見て、あそこ……」栞が駅の南口を指さす。「やっぱり、内村、黒じゃない?」
人混みのなかにあの女がいる。内村と同じ方へ歩く。
「信じてたのに……内村」佐和子は肩を落とした。
「行こう、佐和子」
内村がイオンモールの入り口に消えた。その後を追って赤い髪の女。そしてホームズとその助手が続いた。
イオンモールに入ると、内村と女は徐々に近づき、シューズショップの前でひとつになった。佐和子と栞は、ひとつ上の二階から、二人の様子を見ている。
「話はしてるけどさ、なんかよそよそしいね。内村の方が……」栞が言った。
「内村、確か結衣を甲子園に連れてくって言ってたのよね。それが、あんなことになってさ、約束破る形になったじゃない。だからかも……」
「だからかもって?」
「男の、プライドってやつ?」
「ケガしたのは仕方ないんだからさ、気にしなくていいのにね。男って馬鹿だよね」
「来年は無理だとしてもさ、リハビリとかして、三年生でがんばればいいのに。そんなに重症なのかな……右腕……」
「でもさ、結衣をほっといて他の女とデートっていうのは、やっぱり道徳に反するよね」
「よくドラマとかであるじゃない。主人公が傷ついて投げやりになってさ、不良とかと付き合って奈落の底に落ちてゆく……」
「恋人が立ち直らせる……」そう言って栞はニヤッと笑った。
内村と女は靴をまだ見ている。
「まずは、あの女の正体よね……」佐和子は携帯電話で二人の写真を撮った。
「証拠写真はオッケイと。このこと、結衣にチクる?」
「動いた……」
内村と女は、エレベーターに乗り、二階に上がってくる。
「三階に行こうよ」栞が佐和子のシャツを引っ張る。
「栞、ここは逃げないで、急接近といかない?」
「マジで?」
「だって埒があかないよ。このままじゃ。あの女の顔、近くで見なきゃ」
「わかった……わとそんくんとか、言わないんだ」
「いいかい? ワトソンくん」
「無理に言わんでいい」
二人はサングラスをかけた。内村と女の背後に回り、少しずつ近づいた。内村と女は小物ショップに入る。後を追って探偵二人も店内に入る。小物を見入る女の顔を盗み見る。栞は女に思いっきり近づいて顔を見た。内村はしばらくして店の外に出た。
探偵二人は店内の一角で情報交換をした。
「だれ?」と佐和子が言った。
「わかんない……」栞も要を得ない返答だ。
「化粧がすごいね。ルージュつけてさ」
「まだ若い子よ。私たちとそう変わんない。化粧で誤魔化してるけど」
「美人だね……美脚だし」
「どっかで見たような気がするけどなあ……」
正午を過ぎ、内村と女はマクドナルドに入った。佐和子と栞はうどん・そば店に入った。そこからしか二人を監視できなかった。
「しぶいね、うどんだって……」栞が言った。
「あら、わたくしは大好きだけど」佐和子は天ぷらうどんを注文した。
「いいなあ、金持ちは……わたし、かけうどんでいい」
「かけうどん? いいわ。てんぷらひとつ、あげるから。ピーマンの天ぷらとか」
「いらない……」
二人はうどんをすすった。
「冷やしにすればよかったね」
「冷房効いてるからいいじゃない」
「でもさ、佐和子。ほんとに結衣にはなんていう?」
「一番いいのは、内村に説教して、結衣と元の鞘に収まればいいのよ。結衣は知らないほうがいいよ」
「あの女、どうする?」
「手を引くように、言えばいいんじゃない?」
「素直に言うこときくかな?」
「女子連八人で囲めば、ビビると思うけど……」
「あの女にバックがいるかもよ。暴走族の兄ちゃんとか。ありえる展開よ」
「そうなったら、こっちもバックに頼ればいいのよ」
「バックがいるの? わたしたちに? 暴走族? ヤクザ?」
「学校の先生と、警察よ……」
「佐和子、ふざけないでよ」
佐和子が笑った。勢いで、うどんを吹き出した。
「はい、てんぷら……」佐和子はてんぷらをひとつ栞のうどんに置いた。
「これ、たまねぎ? たまねぎならもらっとく……」
内村と女は、四階のゲームコーナーに入った。二人でゲームをするというよりは、それぞれ別に遊んでいる。
「変な雰囲気だね、あの二人……」栞が言う。
「まあ、恋人って感じじゃないね。でも、見方によっては、倦怠期の恋人同士」
「中学んとき、付き合ってたとか?」
「するどいね、ワトソンくん」
「しかし、わたしたちも、ほんとヒマよね。もう帰ろうよ、佐和子。実は、わたしまだ宿題が……」
「見て……結衣」
「結衣? わたしは結衣じゃないんだけど……もうぼけたか、佐和子ばあちゃん」
「違うわよ、見て……」
佐和子の指さす方を見る。二階……結衣の姿。
「結衣じゃない……あれ」栞は言った。「なんで、こんなところに……」
「来たって不思議じゃないわよ。ショッピングモールだもん」
「よりによってこんなときに……」
「不思議だねえ。やっぱドラマっぽくなってきたよ」
「佐和子、のんきなこと言ってないでさ。結衣を止めないと。あの二人と出くわしたら大変だよ」
「こっちに来なければ、問題ないんだけど……」
二人は内村と女を捨てて、結衣の後を追った。結衣は文具店に入った。
「結衣!」佐和子と栞は一緒に声をかけた。
結衣は驚いた表情を見せたが、すぐに二人に駆け寄った。
「買い物?」栞が訊いた。
「うん。二人も?」結衣が聞き返した。
「そう、そんなとこ」佐和子が答えた。
「なに買いに来たの? 結衣」
「大きめのフォトフレームとね、野球の、ボール……」
野球のボールのところで結衣の声が暗くなった。佐和子と栞は顔を見合わせる。野球ボールは、確か四階のスポーツ店にあるはずだ。
「ボールって、四階のスポーツ店だよね。四階はさ、ヤクザが暴れてて危ないよ」
栞がとんでもないことを言う。
「そう、そう。今行かない方がいいよ」
佐和子も栞に同調したが、(なにそれ?)と目配せで栞に文句を言った。
「ヤクザが?」結衣は四階を見上げた。
「行かないほうがいいよ。入れ墨入れてて、めっちゃ怖いヤクザだったから」
「写真部だし……撮っておこうかな」
結衣はカメラをバッグから取り出すと駆けだした。
「ちょっと、結衣!」
佐和子と栞は止めたが、二人の腕をするりとすり抜ける。
「栞が変なこと言うから……」佐和子がなじった。
「こりゃ、万事休すかな……」
二人はおそるおそる結衣の後を追った。結衣はカメラを構えている。
「いないよ、ヤクザさん……」
「あれー。おかしいね……」佐和子が答える。
栞は、ゲームコーナーが見えないように結衣の前に立つ。
「もう警察に連れていかれたかな?」
「残念だったね、結衣……」
「佐和子、栞、プリクラ撮らない?」
「今日は、ちょっと、そんな気分じゃ……ねえ、栞」佐和子が片頬で笑う。
「そうだよ、ヤクザがさ、壊したからさ」
「二人とも、なんだかそわそわしてる。撮ろうよ、プリクラ。せっかく三人揃ったんだし……」
佐和子と栞は、やれやれポーズをした。一見、ゲームコーナーに内村と女の姿は見えない。
「佐和子、あの端っこのプリクラでさ、さっさと撮っちゃおうよ。あの二人、もう帰ったかもよ」
「そうだといいけど……」
三人でプリクラに入る。プリクラの撮影機は四台あった。撮し終えて外に出たとき、佐和子は隣のプリクラに見覚えのある美脚を見つけた。美脚が外に出ようとしたので、慌てて結衣と栞を他のプリクラに押し込んだ。
「もう、佐和子。プリクラ一枚でいいって言ったじゃん」栞が怒る。
「いるのよ、あの二人。隣のプリクラ……」小声で栞に言う。
「マジで?」
「二人とも、オッケイだよ。ポーズ決めて」
結衣はプリクラのボタンを押した。
「ふざけんな、このガキ!」
「だれ? いまの……」栞が言った。
「ふざけんな、このガキ?」佐和子が言う。
「外、かな?」結衣がプリクラを出る。
プリクラとプリクラの間に、男女四人が立っていた。
「人にぶつかっておいて、無視はないだろ、無視は……」
大柄でいかつい顔の中年が、高校生と思われる青少年に怒鳴りつけた。少年はうずくまっている。結衣は、見覚えのある坊主頭に形相を変えた。
「昇平くん!」
結衣は昇平に駆け寄り、昇平を抱きかかえた。女が二人、呆然と立っている。
「ごめんなさい!」結衣は男に言った。
「近頃の若いもんはよ、礼儀を知らねーな。ひとことごめんなさいも言えねえ」
「ほんとにごめんなさい……」
結衣はもう一度頭を下げた。
「ところであんただれ? いきなりとんできて。こっちの姉ちゃんが謝るのはわかるけど……」
中年の男は、そう言って赤い髪の女を見た。女は無表情で俯いた。結衣は初めて女の存在に気づいた。
佐和子と栞は成り行きを見守った。いざとなったら男に飛びかかろうという気持ちでいた。栞は、武器にするつもりで双眼鏡を握りしめた。
「まあ、いいや。おい、兄ちゃん。幸せもんだな。謝ってくれる女がいてよ。大事にせんか、この色男」
「すいません……」昇平は立ち上がって言った。腕をさすっている。
結衣は、昇平の右腕が男に当たったんだと推察した。
「あんた、行くよ。子どもに啖呵切ってどうすんのよ」連れの女が男の手を引っ張る。
「すいません」昇平と結衣は、背を向けた男に言った。
ぶつぶつ言う男の声が聞こえたが、やがて聞こえなくなり、五人の男女に沈黙が訪れた。
結衣は、赤い髪の女をじっと見た。昇平と一緒にいたことを漸く理解した。結衣は女に近づく。佐和子と栞は、結衣が女を殴るのかと固唾をのんだ。栞は、携帯電話のカメラを構えた。決定的瞬間を撮るつもりだった。佐和子は、まさか結衣がそんなことするわけないじゃん顔で栞を一瞥した。
昇平は、結衣と女を見ている。
「水橋、さん?」
結衣の口から、意外な人物の名前が出た。
(だれ、それ?)と佐和子と栞は思った。(結衣の知ってる女か……)
「水橋さん、なの?」結衣は、もう一度繰り返した。
女はうなずいた。
「どうして、昇平くんと?」
「今日だけじゃないよ」と佐和子が割って入った。
「えっ?」
「実はね、結衣。三日前も、この二人を見かけたの。それで、今日はヒマだったから、朝から内村をつけてたの……」
昇平が佐和子を睨む。その睨みを跳ね返そうと、栞が前に出た。
「どういうつもりなのよ、内村……」
昇平は結衣を見た。
「水橋とは、中学んとき、付き合ってたんだ……」昇平は言った。
水橋は、髪をかき上げて、プリクラに寄り添った。
「昇平がケガして、黙って見てられなかった……」水橋は言った。「だから、元気出してもらおうと思って。電話したの」
結衣と水橋は見つめ合った。
「いけなかった?」水橋が挑戦的に言った。
一瞬だった。結衣の手が水橋の左頬を打った。栞は、シャッターチャンスを見逃した。水橋は左頬を抑えた。
「いいわよ。好きにして……」
結衣はそう言い放つと、昇平に向かって言った。
「明日夕方六時。海浜公園に来て。渡したいものがあるから」
「……ああ」昇平は力のない声で言った。
くるりと背を向ける結衣。
結衣の背中を見て、二人は声を合わせて言った。
「かっこいい! 結衣!」




