第1章 9 恋の相手は丸坊主
金環日食撮影から帰った父親は、そのつけが回ったらしく、このところ残業続きだった。結衣も内村のことで頭がいっぱいだったし、ウイークデーはほとんど会話がなかった。
日曜日、父親は撮影した金環日食のデータをレタッチソフトで画質を修正していた。父親は結衣にもデータを渡し、画像修正を手伝わせた。
書斎にある二つのパソコンで、午前中から親子で画像処理をした。
「母さんから聞いたぞ、結衣」父親はパソコンから目を離さずに言った。
結衣は父親が何を言い出すかわかっていた。
「いいの、聞かなくて」素っ気なく娘は言った。
二つのパソコンには、太陽と月が重なる、完全金環日食の画像が映っている。結衣は太陽光線の光具合を微調整していた。
「勉強もあるのに、ボランティアでやってあげてるんだからさ、娘の機嫌損ねるようなこと、言わないほうがいいよ」
「そうかあ、カレとうまくいってないのかあ」
父親は嬉しそうに笑った。
「いいんだ、いいんだ、それで。カレシなんて十年早い。結衣はまだ子どもなんだからな」
「子どもって言われると、カチンとくるけど……」
「結衣、月の影のところ、もう少し薄くしてみてくれ」
父親は結衣のパソコンをのぞき込んで言った。ラジオからサザンの『いとしのエリー』が流れた。父親が一緒に歌い出す。
「でも、まあ、恋愛は人間を大きくするからな。恋をするのもいいよな」
結衣は画像の修正に集中した。
「お父さん、このパソコンさ、画面で見るのと印刷するのと違うからさ、苦労するよね」
「だから、テスト印刷しながらやってくれよ」
「新しいパソコン、買ったら?」
「いいのか、おまえのレンズが後回しになるぞ」
「レンズの後に買えばいいと、わたしは思う」
「で、なんでカレとうまくいってないんだ?」
「カレとかじゃないってば」
「内村っていったら、父さんも知ってるぞ。新聞のスポーツ欄に出てたりしたからな。結衣を甲子園に連れていくなんて言い出すんじゃないか? 『タッチ』みたいに」
「なに? 『タッチ』って」
「マンガだよ、昔流行った。知らないのか?」
「知らない……」
「あの、マンガ、どっかで見たな……」
「ああ、読んだことある。お母さんが持ってたよ。小学生のとき読んだ」
「双子の兄弟がいて、弟のタツヤと兄のカツヤだ」
結衣はパソコンの印刷ボタンを押した。十数万円もする印刷機がうなる。
「逆じゃない?」
「弟がピッチャーで、恋人のミナミを甲子園に連れて行く話だったな」
「弟、死んじゃうんだよ」
「そうだ。代わりに兄のカツヤが……。結衣、そろそろ昼ご飯にしようか」
「母さんが呼びに来るよ」
「父さん、腹減ったな……」
結衣は、印刷が仕上がった写真を壁に下がった洗濯ばさみに挟んだ。父親は眺めている。
結衣も見た。
壮大なスケールの金環日食に、改めて圧倒される二人だった。
「結衣、写真はつくづく魔法だな……」父親は言った。
「うん……」
結衣は感動していた。写真のすごさと同時に、父親のすばらしさも感じた。父親の趣味が写真でよかったと結衣は思った。
「お父さん……」結衣は日食を見ながら言った。「内村くんがね、わたしのカメラに写ってた、三年生の先輩の写真を見て、わたしがその先輩を好きだって勘違いしたの……」
「勘違いか……偉大なる誤解ってやつだ。恋は勘違いがなきゃ、始まりもしないし、終わりもしない。恋に勘違いはつきもの……それで?」
「その先輩はサッカー部で、内村くんの仲のいい友達もまたサッカー部で、わたしがその先輩を好きだって、内村くん友達に言っちゃったみたい……」
「嫉妬だな……」
「嫉妬?」
「結衣を好きな証拠だよ。許してあげればいい」
「別に、許すとか、許さないとかの話じゃなくて。あの人のすることが、よくわかんなくて……」
「内村くんだって、後悔してるんじゃないか? 彼も、よくわかんなくてやってんだよ。それが恋っていうもんなんだよ」
一階から母親の声がした。
「ご飯よー」
「一休みするか、結衣」
結衣はうなずいた。
「その先輩、わたしに声かけてきたの……。モスバーガー、いっしょに食べないかって」
階段を下りる父親の背中に結衣は言った。父親は笑った。
「もてる娘をもった父親は、喜んでいいんだか、悲しんでいいのか……」
「喜んでいいと思う」そう言って結衣も笑った。
リビングに行くと母親が電話に出ていた。
「結衣ちゃん、電話」母親は受話器を結衣に渡した。
「だれ?」
「『写女』の編集者だって」
「写女?」
以前結衣が取材を受けた写真専門の雑誌だった。(なんの用だろう?)と結衣は受話器をとった。
「もしもし……」




