第7話「奥様のおつかい」
急ぎ、マリーとベリーにかしましく身なりを整えられたアマレッティは、ラートという少年が待つ馬車に乗り込んだ。付き人としてラムも一緒だ。
「奥様勝手に連れ出したらオルレアン様怒るよなー面白そう。どーなるかなー」
御者のラートは、忍び笑いをして無邪気に馬車を走らせた。ラートは要領が良く、仕事はしっかりこなすが好奇心旺盛で面白い事に目がない。オルレアンよりほんの少し年上だが、年齢相応の子供とも言えた。
ヴァロア家お抱えの使用人は皆オルレアンに忠実だが、少し普通の使用人とは違うと、アマレッティは観察する。
(お姉様に報告しておかないと)
そわそわと落ち着きなく、アマレッティは馬車の外を眺めていた。足枷も首輪も久し振りに外されて重みがないせいなのか、襟首にレースを使ったストロベリー色のドレスを着ていても、リボンで飾られた可愛らしいヒールの靴を履いていても、首元も足下も物足りない。
「落ち着きませんか、奥様」
「は、はい。何だか軽いです、首とか……足も重くないし……。それにオルレアン様に怒られたらと……」
「奥様はお仕事をなさっているオルレアン様に興味は御座いませんかな?」
茶目っ気たっぷりにラムに尋ねられ、アマレッティは首を横に振る。
(お仕事をなさっているオルレアン様。ひょっとして人前だったらまだ優しくして頂けるかもしれません……それに、会社もお菓子の国かもしれません!)
想像してみると、わくわくしてきた。それに、オルレアンの会社にこそヴァロア家の秘密が転がっているかもしれない。いつまでもあの屋敷に閉じ込められていても手詰まりなだけだ。
馬車はヴァロア公爵家の屋敷から中心街に向けて、真っ直ぐに伸びている大通りを走った。
お菓子の国などと囃し立てられているヴァロア公爵家の領地は、お忍びで貴族が行き交うことも多いためか、王都よりも立派な舗装整備が施されている。大通りの両脇には等間隔に同じ種類の木々が整列し、冬の寒さにも負けず小さな花の色がピンクと白と交互に可愛らしく咲いていた。
そうして辿り着いた建物は、お菓子をモチーフに造られてはいなかった。
「……普通の建物です……」
「会社で御座いますから」
がっかりしたアマレッティを、ラムが軽く窘める。
オルレアンの会社――ヴァロア社の社屋は、赤煉瓦で造られた五階建ての風格ある建物だった。白大理石の階段を昇った先にある正面玄関にはアーチがかかっている。真正面から見ると、まるでオルレアンの正確無比さを模したように、きっちり左右対称の構造になっていた。王城とはまた違う古めかしさと敷居の高さに、改めて社屋を観察したアマレッティはごくりと唾を飲み込む。
「奥様、ここより先はお一人で」
羊毛を贅沢に使ったクリーム色の外套の下で威圧されていたアマレッティは、ラムに促され目を瞬く。
「え……わ、私一人で、ですか?」
「ええ。そうでなくては意味がありません。書類はこちらです。非常に大切なものですので、決して他の者には手渡さず、オルレアン様に直接お渡しして下さい。私はラートと一緒に馬車でお帰りをお待ちしておりますので」
いきなりそう言われても、心の準備も何もできていないアマレッティは、書類が入った紙袋を持ったまま狼狽えてしまう。
(で……でもこれは、会社をスパイするチャンス……アマレッティ、行くのです!)
手触りの良いベルベットの生地でできたドレスのスカートを掴んだり離したりしてから、アマレッティはぎゅっと目を閉じた。
「い、……いってきます!」
「いってらっしゃいませ」
ラムの深い辞儀に見送られ、アマレッティは第一歩を踏み出した。
苦手だったヒールの靴を綺麗に鳴らしながら白大理石の階段を昇る。そして金でできた取っ手を押し、両開きの扉の片方だけを恐る恐る開いた。
「お、おじゃまします……」
声をかけてみたが、建物の中は大勢の人が行き交っているせいで全く役に立たなかった。小走りで外出しようとした男性と肩がぶつかり謝られてしまったアマレッティは、おろおろ周囲を見回しながら、邪魔にならないよう、玄関から少し離れた場所にあった観葉植物の鉢植えの横に並ぶ。
(ど、どうしましょう)
一階は広々とした間取りで、黒と白の大理石葺きの床が煌めいていた。正面玄関から真っ直ぐ奥へと向かった位置に、横長の受付棚がある。そこでは、白いブラウスの上にワンピースという同じ格好をした女性が三人、訪問客に応対していた。受付嬢が着ているお揃いの茶色のタータンチェックのワンピースはヴァロア社のお仕着せなのだろう。同じように、紺色のタータンチェックのズボンを履いている男性社員の姿もちらほらと見受けられる。受付台の向こうには更に奥に向かって左右に階段があり、そのどちらにも縦縞のズボンに赤のベレー帽を被った守衛が居た。帯剣している守衛達は、不審者を通すまいと目を光らせているようだった。
真紅の絨毯が敷き詰められた手前のスペースではソファや椅子が並び、燕尾服姿の紳士から白いエプロンをつけた下女、法衣服の若者まで、様々な待ち人達が時間を潰していた。人の行き交いも激しく、アマレッティがきょろきょろと周囲を見回している間にも何人かが出入りする。後から入ってきた女性が外套を脱いで真っ直ぐに受付へと向かうのを、アマレッティは目で追った。
(あ、あそこで、オルレアン様が今どこにいらっしゃるのかを聞けば良いのでしょうか。一人では迷子になりそうだし、守衛さんは怖そうだし……)
アマレッティが育った王宮も人の出入りが多かったが、皆がここまで忙しく動き回ってはいなかった。腰が引けたアマレッティは、受付の前が空くのを待ってみたが、なかなか人の流れが途切れない。
「ご用件を承りましょうか」
「えっ」
唐突に話しかけられ、アマレッティは吃驚して振り向いた。営業用の笑顔が張り付いた背の高い男性が居た。受付の女性やたまに小走りで階段を駆け上がっていく青年達と同じ、タータンチェックのお仕着せ着ている。だが、腰から細い剣を下げていた。社員に混ざって社屋内の警備をしている守衛なのだろう。
「あ、あ、あのっ……お、オルレアン様は、どこにいらっしゃるのかと、思って」
「オルレアン様――社長で御座いますか」
「は、は、は、はい」
「アポの方は」
「あ、あ、アポ、ですかっ?」
戸惑いながら何とか声を絞り出すアマレッティに、あくまで笑顔のまま守衛は頷き返した。
「お約束がなければ社長にお取り次ぎはできません」
「えっ……そ、そうなん、ですか」
「申し訳御座いません」
頭を深々と下げられたアマレッティは、慌ててお辞儀を返す。
「い、いえ。申し訳御座いませんでした、こちらこそ」
「またのお越しをお待ちしております」
「は、はい」
こくこくと頷き返し、アマレッティは大人しく建物の外に出た。
とぼとぼと石畳の通路を歩いて角を曲がる。寒いだろうに、ラムとラートはコートを着込んで馬車の外に居た。
「アマレッティ様、随分早いですねー。オルレアン様は?」
ふわっとした栗色の髪の毛を揺らして、アマレッティより背の低いラートが首を傾げる。アマレッティは肩を落として答えた。
「どこにいるか分かりませんでした……約束がないと会えないそうです……」
スパイとして潜入をしたつもりだったが、オルレアンに会えないと突っぱねられたのはショックだった。
しょぼんとしたアマレッティに、ラートが不満の声を上げる。
「ええーそんな馬鹿な話ないって。アマレッティ様が来てるのにさー」
「……アマレッティ様。受付で名乗られましたか?」
「い、いいえ」
「えっそれじゃ駄目じゃん……」
ラートが目を丸くする。ラムが小難しい顔をし、人差し指を立てた。
「奥様の名前を申し上げれば大丈夫です」
「そ、そうでしょうか」
「っていうか奥様、メディシス王家の第二王女じゃんかーオルレアン様の奥さんじゃなくても普通に通してもらえる立場だって」
「そ……そうなんでしょうか……。私、こういう所で名前を名乗って快く迎え入れて頂いた事がないんです……だからご迷惑になるのではと思って……」
縮こまるアマレッティにラートがラムを見上げ、ラムが優しくアマレッティに微笑んだ。
「大丈夫です奥様。奥様はこの一ヶ月、オルレアン様の厳しいちょ――教育についてこられました。既にヴァロア公爵夫人としての振る舞いは身についております。後は実践だけです。だから私は今日、奥様をここにお連れしたのですよ」
「ど、どうでしょう……」
「どうでしょうでは御座いません。しかもオルレアン様は忘れ物をして困っていらっしゃるのです。アマレッティ様がオルレアン様をお助けせねば。アポなどなくともアマレッティ様はオルレアン様の妻です、堂々となされば宜しい。さあ、もう一度いってらっしゃいませ」
「も、もう一度ですか」
「もう一度です」
きっぱりとラムに言い切られ、書類を胸に抱いたアマレッティは、元来た道を戻る。いってらっしゃーいと無邪気にラートが手を振って見送ってくれた。
(忘れ物、忘れ物……オルレアン様が困っていらっしゃる! ひょっとしてこれで私を見直して待遇を変えて下さるかも……!)
困っているオルレアンなど想像もできなかったが、無理矢理自分を奮い立たせ、再び同じ扉の前に立った。
「おじゃまします……」
先程よりもっと力なく、扉を押し開く。そうすると、先程応対した守衛と真正面から目が合った。
「……何かお忘れ物ですか?」
鍛えられた営業スマイルに出迎えられ、アマレッティはぶんぶんと首を横に振る。
「では、何か」
「え……えっと、ええと……わ、私アマレッティ――」
名乗りかけて、アマレッティはふと気付く。どちらを名乗れば良いのだろう。
「――お客様?」
目を白黒させて黙り込んでしまったアマレッティに、不審そうな視線が投げられる。敏感にそれを感じ取ったアマレッティは泣き出しそうな顔で捲し立てる。
「もう一度聞いてきますっ」
「はあ」
相槌を背に今度はアマレッティは駆け出した。戻ってきたアマレッティを、ラートが明るく迎える。
「はは、やっぱり戻ってきちゃったよ奥様」
「笑い事ではないです、ラート。今度はどうされましたか、奥様」
「わ、私どちらなんでしょう? アマレッティ・メディシスなのか、アマレッティ・ヴァロアなのか……!」
「決まっております、アマレッティ・ヴァロアですよ奥様」
「そうでしょうか……私、オルレアン様と同じ名前を名乗って後で怒られないでしょうか、お前なんかアマレッティ・アホだとかアマレッティ・クズだとか言われないでしょうか……!」
アマレッティの涙ぐましい疑問に、ラムもラートも揃って難しい顔をした。
「……言うかもしれないなーオルレアン様だし」
「ですが坊ちゃまは空気は読みますよ」
「わ……私、良く考えたらオルレアン様の何なんでしょう……担保だしクズだし……!」
ここに来てようやく露呈した疑問と自分の境遇に、アマレッティははらはらと涙を零す。ラートがラムを仰ぎ見た。
「どうする、諦めて奥様連れて帰る? 僕、送ってってあげるよ」
「いいえ、続行です。――アマレッティ様、それを知りたければ勇気を出さねば」
「勇気……」
ぐすっと鼻を啜ったアマレッティに、ラムは深く頷き返す。
「大丈夫です。オルレアン様が万が一にもアマレッティ様を人前で拒む阿呆なクソガキであれば私が背後から頸動脈を切っ――いえ、とりあえずお行き下さい」
「で、でも」
「アマレッティ様、頑張れ!」
拳を冬空に突き上げ、ラートが声援を送る。ラムもラートの横でアマレッティを励ますように深く頷いた。アマレッティは涙に濡れた目で、そんな二人を交互に見る。
(お、応援して頂いています……!)
それは期待だ。ならば応えねばならない。
「わ、私……オルレアン様にお会いして来ますっ」
「目的は忘れ物を届ける事だからねー」
ラートに駄目出しを貰いつつも、喉の奥に不安をぐっと飲み込んで、アマレッティはもう一度、同じ道を戻った。
ぎゅうっと胸に抱き締めた書類は、既に皺ができている。深呼吸をして、今度は普通にその扉を開いた。
すると待ち構えたように、同じ守衛が立っていた。微妙な間が、二人の間で漂う。
「……」
「今度は、どのような」
守衛は笑顔こそ浮かべているが、目が笑っていない。
完璧に不審者扱いされている事を感じながらも、アマレッティは震える声を絞り出す。
「あ、あの……あの、あの、私、実はアマレッティ・ヴァ――」
「会えないってどういう事だね!」




