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後日談2「実家に帰らせていただきます・8」

 甘い匂いがする。これはいつも妻の髪から薫る匂いだ。

 妻が大好きな甘いお菓子が、オルレアンは大嫌いだ。金にならなければ匂いだって嗅ぎたくない、吐き気がする。けれど、妻からの甘い香りには不思議と嫌悪感を抱かない。

(馬鹿だからか)

 目を開けると、横で妻が間抜け面で眠っていた。妻はオルレアンと寝所を共にしたがるくせに、おやすみなさいから三秒で眠る。それで何が楽しいのかオルレアンにはさっぱり分からない。まあ、そもそも夫婦の夜の営みについての知識がこの馬鹿にあるか怪しいのだが。

(ないな。ない方が面白い)

 笑んで、ふにふにの頬をつまんでやろうと手を伸ばし、自分の手が大きいことに気づいた。

 なんだ、夢か。ため息が出そうになった。しかも大人になる夢なんて、誰かの嫌がらせとしか思えない。

 三年で大人の男の体を手に入れられるかは、希望的観測も混じっている。せいぜい彼女と背が並ぶか、子供ではなくなる程度が現実的だろう。でもそれ以上たつと、妻の方は結婚適齢期からいき遅れの年齢になっていく。

 既に結婚しているからこそ、結婚式を挙げる時期が遅くなるのは好ましくない。だが若く美しい花嫁の横に並んでも見劣りしない花婿になること。その妥協できる時期がぎりぎり三年だ。あの馬鹿は待てと言えば五年でも十年でも三十年でも待つだろうが、たとえば十年後、オルレアンが立派な花婿になれても、口さがない連中は花嫁姿の妻の年齢をきっと笑う。どうして今になって結婚式を挙げるのかと笑う。

 分かっていてその問題を放置する気はなかった。妻に恥をかかせるわけにはいかない。年下の夫の世間に対する矜持でもある。

 大体、オルレアンだって三年以上待つのはごめんだ。

「オルレアン様……?」

 横の妻が目を覚ましたらしい。寝ぼけ眼で、ぼんやりとこちらを見ている。

「起きたのか」

 口を動かしてみると、声質まで大人の男性のものになっていた。夢にしては出来がいい。

 オルレアンの顔を間近で見て声を聴いただけで、妻はぽっと頬を赤らめ、こくりと小さくシーツの中で頷く。その仕草がいつも夫の加虐を煽るとも知らずに。

「ずいぶんよく眠っていたな。昨夜は何をしていた?」

「何って……」

「言ってみろ」

 上半身を起こしたオルレアンは、頬をますます赤らめて恥ずかしがる妻の上に覆いかぶさる。大人の男の手で触れる妻の体は、柔らかくて華奢だった。抱きつぶせてしまいそうなその力の差が、たまらない。

「言えだなんて、そんな……ア、アマレッティは何も覚えてません」

「覚えてない? なんて悪い妻だ。なら、僕が言ってやる。お前がどんなにはしたない妻か」

「だ、だめです。言っちゃだめです、恥ずかしい……」

 目を潤ませていやいやをする妻の両手を持ち上げて、鼻先を突き合わせる。

「他の男のところにいただろう。僕のところへ帰ってこなかった」

「えっ!? ど、どうしてそうなるんですか!? ア、アマレッティは昨夜は、オルレアン様と……」

 本当のことを言ったのだが、葛藤している妻はとてもとてもオルレアン好みの反応を返す。

 遊ぶ分にはなかなかいい夢だと思い直した。

「僕と?」

「……オ、オルレアン様はいじわるです。あ、あんなに昨夜は、激しくなさったくせに……」

「よかったか?」

 黙り込んでしまった。笑ったオルレアンは、希望通りシーツの下で一糸まとわぬ妻の体に指を伸ばす。

「よくなかったのか。じゃあ、僕は夫としてもう一度妻を満足させないとな……?」

「あっ……オルレアン様、駄目です。こんな、朝からなんて」

「激しいのがお気に召さないなら、優しくしてやる。お前が泣きわめいて僕にねだるまで」

「い、いやです、優しくはだめ。だめ、オルレアン様……!」




 目が覚めた。

「……いいところだったのに」

 舌打ちしたオルレアンは起き上がり、ふてくされたように呟く。夢の癖に据え膳なんて生意気だ。

「おや、坊ちゃま。いえ旦那様。お目覚めですかな」

「ああ、最悪の目覚めだ」

「大丈夫です、現実の方がいつだって最悪でございますから。――レジーナ女王がご到着されました。あさっぱから門を蹴破ってお待ちです。さすが女王様ですな」

「本当に現実の方が最悪だな」

 ため息と同時に寝台から出る。心得たように、ラムが身支度を始めた。

「マリベルはどうしてる」

「旦那様の仰せのとおり、客間に閉じこもって頂いております」

「革命軍が接触しそうな気配は」

「まだですな」

「まったく、どいつもこいつも行動が遅い。義姉上を見習え」

 舌打ちしたオルレアンを、ラムが柔らかくなだめる。

「今回の事件は革命軍の穏健派と過激派の対立が原因です。奥様を誘拐したのはあくまで貴族・王族を排する過激派ですが、奥様を殺してしまってはマリベル様が本当にヴァロア公爵夫人になってしまう。それはマリベル様を押す穏健派の力が増すことになります。奥様は無事ですよ、必ず」

「無事?」

 そう言ってオルレアンは寝台横のサイドテーブルにあるものに目を向けた。ふわふわしたさわり心地のいい髪が、力をなくしたようにへたって見える。

「僕の妻の尻尾を勝手に切り取っておいてか」

「尻尾。なるほど、言い得て妙ですな」

「何かあればすぐ報告しろ」

 マリベルとの結婚証明書を偽造したのが昨日。オルレアンがまいた餌に馬鹿な敵が飛びついてきた気配はまだない。

 ということは、時間稼ぎをしなくてはならない。なかなか骨が折れる状況だ。あんな夢を見たのも、欲求不満からに違いない。

 さっさと可愛い妻を取り戻して気が済むまで徹底的に苛め抜かねば、不満がたまる一方だ。それはよろしくない。

「さあ、義姉上と戦争でもするか」

 慣れた動作で身支度を使用人に整えさせ、ヴァロア公爵になったオルレアンは、不敵に笑った。



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