後日談2「実家に帰らせていただきます・4」
――オルゴーニュの民を見捨てて贅沢な暮らしをしてらっしゃる。さすが、王家の者だ。
突然やってくるなりそう告げられた言葉が、嘲笑と一緒に耳に残っている。
(黙れ。お前達が、めちゃくちゃにしたくせに)
人間は皆平等でなくてはならない。
結構な思想だ。自分よりいい暮らしをしている人間は殺してもいい。自分より努力できる人間は追い落としていい。自分より才能がある人間は貶めていい。自分が不遇なのは周囲に誰かがいるせいだ。突き進めば、皆平等に愚かになれる。
そう言ったのは、オルレアンの父親だったか。
けれど負い目がある。それにうまく対処できなかったのは――そんな思想に皆が縋るほど追い詰められたのは、間違いなくオルゴーニュ王家の、マリベルの家族のせいだ。
父親は自分の意見に反する者の首をすぐはねて享楽にふけった。母親は屋根すらない道ばたで震えるやせ細った母子を、汚いと馬車でひき殺した。宝石、贅沢なお菓子、可愛いドレス、それら全てが何でできているか、誰も理解していなかった。
だから、仕方ない。両親を諫めようとして疎まれていた兄は、そう言って自ら処刑台に上った。聡明な兄だった。彼が王になるまでもてば、そう言う家臣も多かった。なのに石を投げつけられて、焼け死んだ。
マリベルが生き延びたのはたまたまだ。王家を革命軍に売った裏切り者の家臣が『念のために』と自己保身の保険で助けただけだった。そしてその後の冷遇に腹を立てて、マリベルをメディシス王家への土産として提出した。それだけ。
最後の生き残りであるマリベルを駒にメディシス王家に革命軍の打倒をうたった家臣は、その場で笑顔のレジーナ女王に殺された。そしてマリベルは、メディシス王国の貴族の地位をもらった。
「あなたはまだ何もしていないから、いいのよ」
メディシス王国で革命をしのいだ女王は、そう言った。
でも本当にそれでよかっただろうか。
まだ何もできていないなら、自分は死ぬべきじゃないだろうか。
「マリベル様、マリベル様。楽しかったですね!」
「――そうね」
ぼうっと人通りを眺めていたマリベルは、慌てて姿勢を正した。相手に子供と侮られないための癖だ。
周囲では賑やかに貴婦人達がお茶を楽しんでいる。ヴァロアスイーツが立ち並ぶ街中の店内だ。『アマレッティとオルレアン様が出会ったお店を見てあげます』と無理矢理連れてこられた。
(なんなの、この状況)
のんきにお茶をしている相手は敵になるはずだった年上の女性だ。だが、相手は敵意を向けるのも馬鹿馬鹿しくなる笑顔で続ける。
「皆さん、オルレアン様のことをたくさん教えてくださって」
アマレッティがにこにこ語るのは、先程彼女がヴァロア社長夫人として参加した試食会のことだ。不満ではあったが、マリベルはアマレッティの客人として子供枠で参加した。
客人扱いされた以上に、この人を一人で試食会に社長夫人として出すことにかなりの不安を覚えていたのだが、驚くことに彼女はいつも通りほわわんとしながらその仕事をこなした。むしろ、社長夫人がくると緊張していた職人達が、喜んで菓子を試食しにこにこ笑う社長夫人にほだされていく様がよく伝わった。
(意外だったわ。腹の探り合いの貴族社会には馴染まなそうだけど)
聞けば、オルレアンが交渉に手こずる凄腕の気難しい菓子職人も、アマレッティがくればひとまず話をするらしい。アマレッティには『おいしいお菓子をたくさん作ってくれる優しくてすごいおじいさん』という認識しかないらしいが。
「いいの。使用人達に内緒で、こんな寄り道して」
「ラート君もさぼりだって言ってましたから大丈夫です! 私、いつかここで出る幻のプリン・ア・ラモードが食べたくて……で、でも今日もないです……」
しょぼんとするアマレッティはヴァロア公爵夫人だ。その気になれば命じて用意させられるだろうに、彼女はそれをしない。そのちぐはぐさが、マリベルにはよく分からない。
「こうなったらカルトさんに調べてもらうしかないかもしれません……!」
挙げ句、そんなことを真剣に言う。がっくりと脱力した。
(情報屋でしょ。プリン・ア・ラモードのために使う能力じゃないでしょ!)
ヴァロア公爵家のお抱え使用人は皆、裏稼業に通じる凄腕だ。だからマリベルは――マリベルの周囲はその力を欲しがって、マリベルをオルレアンの婚約者にしようとした。詳細をマリベルは知らない。オルレアンを婚約者として紹介されただけで、革命のごたごたで立ち消えになったと思っていた。それが何の因果か『かつてオルレアンと婚約していた』ために、押しかけ妻になっている。
そして何故か、敵であるはずの本妻に守られることになっている。
「……何がどうしてこうなったの」
「? 何か仰いました? あ、そうだお菓子をまだ選んでませんね!」
「いらないわよ、あんたさっきあれだけ試食してまだ食べるとか、太るわよ」
「えっ……お、オルレアン様は太った妻はお嫌いでしょうか」
「知らないわよ。むしろぶくぶく太らせて罵って遊ぶんじゃないの」
「そんな」
別にいじめたわけでもないのに頭を抱えて悩んでいる。そんなにお菓子が好きかと呆れた。何より、マリベルが想像していた『ヴァロア公爵夫人』あるいは『あのオルレアンの妻』と違いすぎて、マリベルもどうしていいか分からない。
(そもそも守るってなによ。私より弱そうなんだけど!)
――オルレアンがマリベルをここに置いているのは、目の前のこの女がオルレアンに取りなしたからだ。取りなしたというよりオルレアンを楽しませて喜ばせたから、という方が正しいかもしれないが。
「……大丈夫でしょ、オルレアンはあんたをいじめるの楽しいみたいだし」
「そ、そうですよね……」
「何よ、喜ばないの? こないだだってオルレアンの部屋の前で遊ばれてたじゃない」
「あ、遊ばれていません。ただ、オルレアン様はお忙しいから……」
さみしそうに俯く姿に、溜め息しか出なかった。
(あんなぬいぐるみを必死に庇って、でもオルレアンと一緒に寝たいって)
ぬいぐるみを引き裂くことを示唆しながら自分の寝台の中に入るか否かを迫るオルレアンは、悪役の顔をしていた。と思えば甘い言葉を投げかけてみたり、完全に遊んでいる。気づかぬは遊ばれている本人ばかりだ。
最終的にオルレアンは、夫を信じて大事なぬいぐるみを差し出し震える妻の姿に大変満足したらしく、寝室に招き入れると同時に仕事に出て行くという、なんのために妻が必死になったのか分からない仕打ちをしていたが。
間に入るのも馬鹿馬鹿しいその光景を見ていて、マリベルが言えることといえば。
「……あんた、オルレアンでいいの」
「はい?」
「完全におもちゃじゃないの。離婚したら?」
親切心で言ったのに、相手はぽかんとしたあとで、きっと眦を吊り上げた。全然怖くない。
「だ、だめです! ま、まだオルレアン様の妻の座を狙っているのですか……っ!?」
「……それは否定しないけど」
「オルレアン様の妻はアマレッティです!」
馬鹿の一つ覚えのように彼女はそう口にする。
「マリベル様は私がしっかり守りますから、諦めてください。お願いします」
そして頭を下げる。馬鹿だな、と思った。馬鹿なくらい、素直でまっすぐだ。
そしてオルレアンは多分、そこを気に入っている。
「……守るってねえ。あんたが?」
「あ、わ、私、ちょっとだけ剣を使えるんですよ」
「振り回して絶対あんたが怪我するでしょ、やめなさいよ」
きょとんとしたあとに、アマレッティはにっこり微笑んだ。
「マリベル様は優しいですね。お尋ね者なのに、アマレッティの心配をしてくれるなんて」
「……そのお尋ね者って言い方やめてくれない」
「違うんですか? オルレアン様がそうだって」
「あいつ絶対面白がってるでしょ!! お尋ね者じゃないわよ!! ただ」
――何も、できなかっただけで。
子供だった自分に何ができたのかという反発心もあるけれど、何かしなくてはならないのが王族で。
「……マリベル様、お菓子にしましょう! アマレッティのおすすめがあるんです」
黙ったマリベルをどう思ったのか、そんなことを提案してきた。
下手な慰めなら勘に障ったが、この相手の場合どちらなのか真剣に分からなくて、マリベルは睨むだけにとどめる。けれどこんな時に限ってまったく脅えたりせずに、アマレッティはにこにこ笑った。
「ブリュレっていって、表面がかりかりに焦げておいしいプリンがあるんですよ」
「焦げてって……それ、おいしいの」
「とっても! 表面はぱりんって簡単に割れるんですよ。そうしたら中は甘くて柔らかくて」
自分みたいだ。表面だけ固くて、簡単に割れて、中身は甘いお子様。
「食べるととっても幸せな気持ちになります。マリベル様もきっと好きになります、絶対です!」
――なのに、その評価はなんだかマリベルを肯定してくれているようで。
こくり、と頷くとアマレッティは呼び鈴を取ろうとした。仕草が意外にヴァロア公爵夫人らしい、と思ったその時、その手が止まる。
「? どうしたのよ」
尋ねてから、分かった。
背中だ。ひやりと、鋭利で冷たいものが当たっている――刃物だ。
「立て。騒いだら殺す。そのままばらばらに、店を出ろ」
知らない男の声だ。アマレッティも同じなのだろう。顔が見るからに青ざめていた。
「――私だけでいいでしょ」
そう言って、マリベルは先に立ち上がった。アマレッティがうろたえたように視線を動かしたが、かまわずにそのまま男の言うことに従って店を出る。
巻き込めない、そう思ってしまった自分は馬鹿だ。ここで自分だけ助かるくらいの気概がなくては、あの荒れ果てた国を建て直す女王になどなれないのに。
(やっぱり私は、何もできないままかな)
――だったら。
何にもできずに生きていくくらいなら、死ねばいいのだ。




