第19話「旦那様の秘密」
「マリー、ベリー、ポワゾンさん! 指輪はどこにあるのですか!?」
厨房に飛び込んできたアマレッティに、マリーもベリーも食べかけのビスケット菓子を吹き出した。ポワゾンは何やら怪しい色をしたお茶を啜っており、奥にはマリー達と同じようにカルトとラートまでが菓子を貪っている。皆でお茶をしていたようだ。
ぶわっとアマレッティの目が洪水を起こす。
「わ、私をのけ者にして皆でお菓子を食べてるなんて、ずるいですぅっ!」
「え、そっち? 話はどっちなんだ?」
「乙女の心は秋の空模様さ」
「仕方ねぇだろ、お前はオル坊の叔父貴と話してたんだから」
ラート、ポワゾン、カルトと男性使用人三人に次々畳み掛けられ、アマレッティはわっと顔を覆って嘆いた。
「わ、私はお仕事をしていたのに……!」
「とりあえず奥様、こんな所に来ちゃ駄目ですよ」
「常識考えましょうよファーストレディなんだから……」
「でもそれどころではないんです! 指輪です! 叔父様が指輪を……オルレアン様がヴァロア公爵ではなくなってしまうってお話を聞きました!」
一巡りして戻ってきた会話に、マリーとベリーは驚きもせず、あっさりと答えた。
「あーやっぱりそういう話でしたか」
「馬鹿が馬鹿と会話したって何の役にも立たないのに……」
「え……え、このお話、皆さんはご存知だったのですか!?」
「アマレッティ様以外みーんな知ってるよ、なあ」
ラートの無邪気な呼びかけに、皆あっさりと頷き返した。
アマレッティはよろけて、壁に縋る。
「し……知らなかったのは、私一人だけですか……!? 私だけ、またのけ者……!」
「……オルレアンにわざわざ教えるなって命令されてたからな」
「オルレアン様が、どうして」
カルトの説明に疑問を持つと同時に、アマレッティは解答に行き着いた。頭の中に、教鞭を持って高笑いするオルレアンの笑顔が浮かぶ。
「い……いじめなんですね……!?」
「うんまあむしろ調教みたいな?」
「愛さ」
「……元々言い触らす話ではありません。ヴァロア公爵家の秘密の一部です。易々と他人に知られては、危険です」
珍しく単独でなされたベリーの発言に、アマレッティの胸がずきりと痛む。
アマレッティはオルレアンの妻だ、他人ではない。
(でも、私スパイです)
だから手紙を書こうとしても、何を書けば良いか分からず止まってしまうのだ。愛の告白も誓いの言葉も縫えない。アマレッティはそのことにようやく気付いた。
きゅっと眉をハの字にして黙ってしまったアマレッティを、マリーが明るく励ます。
「オルレアン様が奥様如きを警戒して教えないなんてあり得ませんよ! ただの仲間はずれだと思います!」
「フォローになってねぇよマリー」
「あ……あの、じゃあ、指輪がどこにあるか、皆さんはご存知ないんですか……?」
「ああ、それについて僕達は何も言えないのさ。例え相手がオルレアン君であっても、同じことだね。それが僕達のルールだ」
粗末な椅子に座っていたポワゾンが、真っ直ぐに片足を伸ばしてから足を組み直した。横でラートがふんふんと同意する。
「僕らが手伝うとあっという間に解決しちゃうしなーそれじゃテストになんないし」
「テストって……どういう、事ですか? オルレアン様にも教えないって」
ここに居る全員が、ヴァロア公爵家の使用人なのに。
そう続けようとしたアマレッティの後ろに、すっと二つの影が立った。
「当主の指輪の行方は、あくまでヴァロア公爵になりたい者が」
「オルレアン様自身が、ご自分の力で見つけなければなりません」
マリーとベリーが、表情をなくして告げる。
髪型でなくては見分けがつかなくなった双子は、機械的に続ける。
「でなければ私達ヴァロア公爵家お抱え使用人の真の主人とはなれない。それが契約。私達にその実力を見せて頂かなければ」
「皆、そうしてヴァロア公爵になってきました。例外はありません。オルレアン様のお父様も、お祖父様もそうなさってきたのです」
「私を育てた人達も、そうやってヴァロア公爵に仕えてきたのです」
「私が育てる子達も、そうやってヴァロア公爵に仕えるでしょう」
口を挟めず聞き入るだけのアマレッティに、カルトが普段より柔らかい声で話をまとめた。
「……つまりそういう事だ。俺達は指輪を探したり奪ったりする事に関しちゃ何一つ助けてやれねぇんだ、悪ぃな」
「い、いえ……じゃあ、ラムさんも……?」
「家令としては普通にお仕えしてるさ。指輪に関する事を手伝えないだけだからな」
「でも、オルレアン様はお一人で頑張ってらっしゃるんですか……まだ、子供なのに」
――そうだ、僕は子供だ。だから結果を出さなければ誰もついてこない。
(あれは、こういう事だったのでしょうか)
心の底にこびり付いてしまった言葉に、アマレッティは目線を冷たい石の床に落とす。
ラートがアマレッティの反応に、困った顔をした。
「うーん。僕らもオルレアン様を応援したいんだけど、でも贔屓はルール違反だからさ」
「……贔屓?」
「うん、だってもう一人いるだろ? 当主の指輪を持ってる奴がさ」
「そ……その人がもしオルレアン様の指輪を手に入れたらどうなるんですか……!?」
「そいつがヴァロア公爵になる。オルレアン様はクビだね、クビ」
「クビっ!? オルレアン様が!?」
素っ頓狂な声を上げたアマレッティが可笑しかったのか、ラートは笑い出す。だがアマレッティは笑うどころではない。
(あんなにオルレアン様、お仕事頑張ってるのに、クビになるだなんて……)
悲しくなった。ぶるぶる震え始めたアマレッティの肩を、いつの間にか立ち上がったポワゾンが抱いた。
「おお、嘆かないでくれよアマレッティちゃん。オルレアン君はきっと大丈夫さ」
「ほ、本当ですかっ?」
「ああ。基本的にこのゲームはヴァロア公爵家の跡取りとして生まれた彼の方が有利にできているんだ。公爵位を空位にはできないから、新しいヴァロア公爵が決まるまでヴァロア公爵を名乗るのは先代の息子であるオルレアン君。指輪が二つ揃うまでは暫定的にでもヴァロア公爵なんだ。指輪を奪う事に関して僕達の力を借りられないだけで、オルレアン君はヴァロア家の財力も何もかも使える」
「対して指輪を持ってる相手はただの庶民だったりする事もあったみたいだよー」
「その場合は指輪を持っている相手を見つけ出して、指輪を買うか脅すかするだけで終わってしまう事が多いね。先代の死を隠して勝負がまだ始まっていないと相手が油断している間にかすめ取ってしまった御方も居たと聞いているよ」
ラートの言葉に、ポワゾンが上手く具体例を教えてくれる。
「オルレアン君は幼いが賢い。きっと指輪を見つけて手に入れるさ」
「運良く指輪の献上先だった国のお姫様をお嫁さんにしちゃったんだしぃー」
「見事な政略結婚……」
いつもの調子に戻ったマリーとベリーが笑う。ずっと話を聞いているだけだったカルトが、テーブルの中央にまだ残っている丸いビスケット菓子に手を伸ばした。
「……しかも、お前の姉貴は頭が良い。相手を誘き出す体裁を整えやがった」
「え?」
「何でもねぇよ。まあそれより何だ、お前も食え。新作の試食だってよ」
カルトは皿をそのままアマレッティの方に押し出す。
皿にはまだ、ビスケット菓子が残っていた。
丸く中央が膨らんで、柔らかい色に焼き上がっている菓子を、アマレッティは摘んでみる。何も誤魔化さない、アーモンドの素朴な味と香りが懐かしい。かりっとした歯ごたえは固いのだが軽快で、独特の食感が癖になる。
「美味しい……」
「そうそう、これね。アマレッティっていうお菓子なんですって、奥様」
マリーの説明にアマレッティは顔を上げた。
約束のお菓子だ。
(私、何かできないでしょうか)
胸底から浮上した感情は、いつもと違ってとても静かだった。何かをする前のどきどきした高鳴りや、浮ついた不安もない。むしろ切ないくらいに痛いもので、それを噛み砕くようにアマレッティは柔らかくない焼き菓子を食べ続ける。
(何かしたい――オルレアン様の為に)
メディシス王家に当主の指輪は献上された事は間違いない。どう処分したにせよ、きっと姉は何か知っている。
メディシス王国博覧祭の出立日は、三日後に迫っていた。




