第15話「奥様の昔話」
会社の裏口でラートの馬車に乗った所で、ようやくアマレッティは混乱し出した。狼狽えるアマレッティをうるさいと一喝したオルレアンは、全く普段と変わらない顔のまま馬車から窓の外を眺めて何かを考えていた。
屋敷に到着した時は既に消火が終わっており、屋敷は夜更けに相応しくひっそりと佇んでいた。火事など嘘ではないかとアマレッティが思う程、外装も内装も普段通りに見えた。
だが、ラムに案内されてオルレアンと現場に向かったアマレッティは、焼け焦げた部屋を前に呆然と佇んでしまった。火の手が上がったのはオルレアンの書斎だ。寝室まで三間続きのオルレアンの自室が、ほぼまるまる全焼していた。
広い屋敷の中、延焼したのはその一画のみだ。乾燥した冬という季節、屋敷に人間が殆ど居なかった等の条件を考えれば、不幸中の幸いだったと言うべきなのだろう。
だが自分の部屋が真っ黒に燃えて、ショックを受けない人間が居るだろうか。
「……オルレアン様大丈夫かしら、メイデンちゃん……」
役に立たないと即行で自室に追い返されたアマレッティは、いつも通りたっぷりのお湯と香油で肌を磨き上げられ、髪を梳かれ、寝支度を終えて寝台の上に居た。首輪も足枷もいつも通り嵌められている。アマレッティの周りは何も変わりない。
(安心する……けれど……)
マカロンのクッションの上に顎を乗せて、寝台の横を少し伺う。いつでも堂々と佇む鉄のお友達は、当然無言だ。
「パーティーも中止してしまって……やっぱり私が何か言うなんておこがましかったでしょうか。でも……ああ、心配です……」
眉根を寄せたアマレッティは、マカロンのクッションを抱いたままごろりと寝転んだ。
そうするとシュークリームの形をしたぬいぐるみが目に入った。
(シュークリームちゃんもトリュフちゃんも無事で良かったけれど……)
被害を受けたのはオルレアンの部屋だけだった。放火だとしたら、害意の矛先が明確で恐ろしい。
「……今日は一緒に寝ましょうね」
マカロンのクッションを脇に寄せ、シュークリームのぬいぐるみを胸に抱き締める。
明かりを落として、ふかふかのベッドに潜り込んだ。今夜は雪が降りそうだとマリーが言っていたが、暖炉の火が赤々と灯るアマレッティの部屋は十分に暖かい。火の始末はいつもラムやマリー、ベリーが入れ替わりでやってくれる。だが今日は気になって、真っ暗闇の中でも赤々と燃える暖炉の火をアマレッティは見つめていた。
「……あら?」
物音がした。気のせいかとアマレッティが寝返りを打つと、いきなり寝室の扉が乱暴に開く。
「ひっ!?」
「騒ぐな馬鹿が。僕だ」
白いシーツを握り締めて飛び起きたアマレッティに、ノックもなく寝室に乗り込んできたオルレアンが冷ややかに言い放つ。アマレッティはカンテラの明かりでぼんやり浮かび上がるオルレアンの姿に首を傾げた。
「どうなさったのですか、こんなお時間に。――まさか私がパーティーで余計な事を言ったから今からお仕置きですか!?」
身構えたアマレッティに、オルレアンは素っ気なく答えた。
「それなら逆だ、助かった。ああいう時はパーティーを中止するのが正解だからな。だがそれには、僕が脅えたのではないという理由もいる。お前はその理由を僕を立てる形で上手く作ってくれた」
「――よく……分からないです。でもお役に立てたって事でしょうか……?」
「ああ」
短いがはっきりとした肯定に、アマレッティはぱっと顔を輝かせる。
「じゃ、じゃあ私を褒めるために来て下さったのですか? ひょっとしてご褒美にお菓子を」
「調子に乗るな。そんな理由で来るか」
冷たい視線と表情に、アマレッティは首を竦める。オルレアンはカンテラを寝台脇にある棚の上に置いた。
「全焼したんだぞ、僕の部屋が。寝る場所がないだろう」
「……は、はい……そうですね」
「客間を使おうかとも思ったが面倒だ。だからここに来た」
少しだけアマレッティは考え込んで、顔を青ざめさせた。
「――私はどこで寝るんですか!? 屋敷を出て野宿しろとか……!」
アマレッティはシュークリームちゃんを抱き直して涙目になる。オルレアンは寝台に腰を下ろし、靴を脱ぎ捨てた。
「馬鹿か。お前は僕の妻だ。同衾しても何も問題ないだろう」
「え……オルレアン様、私と一緒に寝て下さるのですか!? 私を追い出さずに!?」
答えの代わりなのか、オルレアンはアマレッティの寝台に寝転がる。ぱあっとアマレッティの顔に満面の笑みが広がった。
「まあ……! 私、不安で眠れそうになかったんです。オルレアン様の事が心配で……一緒に寝れるなんてとっても嬉しいです。オルレアン様、どうぞこれ使って下さい。クロワッサンの枕です! それともマドレーヌの方が」
「いらん甘い物の類いをよこすな、普通のを寄越せ!」
「アマレッティの部屋はぜーんぶお菓子でできてます」
にこにことアマレッティが告げると、オルレアンがげんなりと目を閉じた。
「……お前の話はいい。話があ――何だぬいぐるみを押しつけるな!」
「トリュフちゃんです、可愛いでしょう? これできっと安心して眠れます」
「眠れるか! これ以上馬鹿な真似をしたら僕がこの部屋を全焼させるぞ……!」
起き上がったオルレアンが、ころころとしたトリュフのぬいぐるみを鷲掴みにして脅しかける。すぐに目をうるっと湿らせて、アマレッティは項垂れた。
「酷いです……オルレアン様はお疲れだろうから、ぐっすりお休みになって頂こうと思ったのに……」
「お前に気遣われる程、僕は落ちぶれてない。それより、話がある」
「……オルレアン様が私にですか?」
珍しい事もあるものだと、アマレッティはふかふかの寝台の上で、居住まいを正す。オルレアンもトリュフを放り投げ、片膝を立てて座り直した。
カンテラの柔らかい灯りに、二人の影が揺れる。
「チェルト・メディシスについてだ。どんな人間か、お前の主観でいい。話せ」
「チェルト……ってあの、私の従兄弟のチェルト君ですか?」
「そうだ。普段、どんな話をしていた」
オルレアンの口からその名が出てくる事も不思議だったが、話の糸口を垂らしてもらったアマレッティは、分かりやすく飛びつく。
「世界征服のお話です!」
「……。夢は壮大だな……」
「チェルト君、私より年下なのに色んな事を知っていて凄いんですよ。勉強なんかしなくても世の中の事は分かるって、私を部下にして下さったんです。お前は馬鹿だから俺の言う事をずっと聞いてればいいっていつも――あら? オルレアン様と同じです。チェルト君とオルレアン様、ひょっとして仲良しになれるかもしれません!」
「やめろ一瞬反省しそうになっただろう」
無感動にオルレアンは言い捨てた。
「それに僕は、まず僕に従う事を学べと言ったんだ。ずっとなんて言ってない」
「……何か違うんですか?」
「分からないならいい。話を続けろ」
「は、はい。ええと……そう、チェルト君には優秀な部下が私以外にもいるんです。ヴァリエ騎士団長と仰って、チェルト君に忠実な真面目な方です。凄腕の剣士なんですよ。六年前の博覧祭剣術トーナメントでの優勝がきっかけでチェルト君にお仕えしてるんです。お二人で時々私のお部屋に遊びにきて下さいました。レジーナお姉様とは、あまり仲が良くないみたいだったけど……」
「チェルトにはメディシス王国の王位継承権がある。だからじゃないのか」
アマレッティは首を傾げて答えた。
「チェルト君がいつも、メディシス王国みたいな死にかけの国はいらないって言うからだと思います……私、お姉様が頑張ってるのに可哀想って泣いてしまって、チェルト君に怒られてました。馬鹿っていつも言われて……っで、でもいい子なんです。怪我をした猫を拾ってきて一生懸命治そうとしたり、ワガママ王子って皆に酷い事言われても私みたいに泣かなかったり」
「それはどうでもいい」
「どうでもっ!?」
オルレアンに話せと言われたから一生懸命話したのに投げ出されて、流石にアマレッティもむくれそうになった。が、それより先に冷めたオルレアンの声が続く。
「自分の妻に他の男の良い所を語られて、気分が良くなる夫がどこに居る」
「え……あのっ違います。私、昔、チェルト君に頼まれた事を失敗してしまった事があって」
「失敗? 何だそれは」
口を滑らせたアマレッティはばっと両手で口を塞いだ。オルレアンは冷ややかにアマレッティに顔を向ける。
「僕に隠し事か?」
「いっいえその……」
オルレアンは黙って傍に転がっていたトリュフのぬいぐるみを鷲掴みにした。アマレッティの顔が真っ青になる。
「駄目ですトリュフちゃんは悪くないんですっ……あの、あの……!」
トリュフのぬいぐるみを見つめながらアマレッティは言い淀む。そのまま何も言えずに涙目になるアマレッティにオルレアンが一つ、溜め息を吐いた。
「……分かった。なら情報交換だ。お前が喋れば、僕も一つ、お前の質問に何でも答えてやる」
「えっ……ほ、本当にですか?」
驚いたアマレッティは、シュークリームちゃんを抱き締めてオルレアンににじり寄った。
「僕は嘘は吐かない」
「わ、分かりました……」
覚悟を決めてアマレッティは正座をし、深呼吸をした。オルレアンが放り投げたトリュフのぬいぐるみがシーツの上を転がる。
「アマレッティは、大罪を犯したんです……」
「は?」
「チェルト君に頼まれて、チェルト君の替え玉をしました。私達、小さい頃は背丈も変わらないしよく似ていたので……それがバレて失敗したんです。六年前の博覧祭でした。皆さんに迷惑をかけました……メディシス王家の恥だって……考えなしにも程があると……」
どんどん声が窄み、アマレッティは唇を噛み締めてしまう。オルレアンが呆れた。
「何を大袈裟な」
「お、大袈裟ではないのです! お姉様にも迷惑をかけたし、チェルト君が欲しかった物はヴァリエさんが手に入れて、最初から私なんかが出しゃばらなくて良かったのに……あんまり人に頼られた事がなくて嬉しくてつい、考えなしにやってしまった私がいけないんです。私が自分でできるって勝手に勘違いして、何にもできないのに……!」
貴方は槍玉に挙げられたのよと姉は教えてくれたけれど、アマレッティは未だその意味をよく理解できていない。
嗚咽を堪えながら訴えたアマレッティをオルレアンはじっと見つめた後で、口を開いた。
「それでお前は自分に自信をなくしたのか。馬鹿馬鹿しい」
「ばっばか……ひ、酷いですっ酷い……!」
ぶあっと心の底から溢れ出した悲しみは、そのまま大粒の涙になってアマレッティの頬を濡らす。オルレアンが心底面倒そうな顔になった。
「大罪だか何だか知らないがやろうと思えば挽回できるだろう。いつまでも引きずるな」
あっさり言い切られ、アマレッティは泣き声を上げようと吸っていた息を止める。
(挽回……そうなのでしょうか……)
そんな風に考えた事もなかった。




