第9話「奥様のご挨拶」
無視される、とアマレッティはまず思った。
今までがそうだったからだ。
――また第二王女だ。期待外れのアマレッティ、今度は何をやらかしたんだ?
痛い思い出が胸に響く――六年前のことだ。開催されたメディシス王国博覧祭で行われた剣術トーナメントでの失敗だった。アマレッティの剣の腕前を見込んだ従兄弟のチェルトに頼まれ、アマレッティが代わりにトーナメントに出場したのだ。だが、いくつか勝ち進んだ所で入れ替わりがばれた。博覧祭といえば、各国の大使も招いたメディシス王国の一大行事だ。その公式試合の替え玉を王女がしていたなど王家の威信に関わる。時期も悪かった。革命の兆しで王家の醜聞に皆が敏感になっていたのだ。ただ頼られたのが嬉しくてアマレッティがしでかした第二王女としてあまりに軽率な行動は内密に処理されたが、事情を知る周囲から手酷い糾弾を受けた。
それ以来、アマレッティは皆から白い目を向けられる王女になってしまった。アマレッティを中心に諍いが起きた時、見て見ぬ振りをせずに助けてくれるのも姉のレジーナだけになってしまった。他に助けてくれる人は、誰も居なかった。むしろ皆が揃って、アマレッティを通して革命で墜ちた王家の威信を嘲笑う始末だった。
だから今もアマレッティは何も言えず、縮こまる。
(私はいつも、失敗ばかり……迷惑をかけてばかりだから、今度こそお姉様の言う通りに頑張らないとと、思ったのに)
アマレッティは、皆の糾弾から庇ってくれたレジーナに泣きながら約束した。
もう二度と人前で剣は手に取らないと。
(また失敗です、もう、捨てられます……!)
怖くてオルレアンの顔がまともに見られない。視線を反らしてぎゅうっと目を閉じたアマレッティの横で、表情を崩したダミアンが両手を広げてオルレアンを迎え入れた。
「おお、オルレアン……! ようやく出てくる気になったか」
「酷いクレーマーが居て騒ぎになっていると聞いて降りてきたんです。まさか叔父上の事ではないでしょうね? 品のない怒鳴り声が聞こえましたが」
嘲笑したオルレアンに、ダミアンが顔を真っ赤にする。オルレアンはダミアンより遙かに小さな身体で、静かに威圧した。
「僕はまだ仕事が残っている。話があるなら職場で騒ぎ立てず、ラムに取り次いで頂きたい」
「とっ……取り次がれないからこうしてわざわざ話に来てやっているんだ! この一ヶ月お前は何をしていた! よもやこの間の話を忘れたとでも」
「それより」
かつかつと靴音が響いて、アマレッティの前で止まる。守衛に腕を引っ張られ、力なく絨毯の上にへたり込んでいたアマレッティは、のろのろと顔を上げた。
「社長。お知り合いですか」
「僕の妻だ」
守衛がアマレッティの腕を掴んだまま惚けた。ダミアンもぽかんと口を開ける。
オルレアンの回答に、アマレッティは瞳を潤ませた。
(妻って、今……)
ようやくオルレアンに会えた。そう気付いたアマレッティの瞳がぶわっと潤む。自信に満ちた堂々としたオルレアンの灰青の瞳には、ちゃんとアマレッティが映っていた。
「何だその情けない顔は」
「あ……あの……私、わすれ、ものを」
「立て!」
「はっはいぃっ!」
オルレアンに命じられてアマレッティの脊髄が反射した。機敏な動きに驚いた守衛がアマレッティから腕を離す。
「名乗れ、挨拶だ」
「分かりました、オルレアン様! ――初めまして皆様。私、アマレッティ・ヴァロアと申します。オルレアン様に忘れ物を届けに参りました」
嘘のように言葉がすらすらと出てくる。
優雅な微笑みまで浮かべて、アマレッティはぐるりと周囲を軽やかに見回した。
「一ヶ月前にメディシス王国からヴァロア家に嫁いできたばかりで慣れない事が多く、お騒がせしてしまいました。一生懸命オルレアン様にお仕えするつもりですので、温かく見守って下さると嬉しいです。皆様のお仕事の邪魔をしてしまい、大変失礼致しました」
最後ににっこりと微笑んで、アマレッティはドレスの裾を摘み、ふわりと羽が舞うように軽やかに頭を下げる。
(で……でき、ました……?)
しんと静まり返った周囲から、まばらに拍手が起こった。アマレッティが蜂蜜色の瞳を瞠目させた後で、オルレアンが小さく鼻白む。
「最初からそうすればいいんだ。――僕の妻が大変失礼した。何分、世間知らずでな。皆、仕事に戻ってくれ」
オルレアンの声に、皆が後ろ髪を引かれつつも仕事に戻る。顔を上げたアマレッティは、興奮してオルレアンの腕にすがりついた。
「で、できました……できましたオルレアン様っ人前でご挨拶ができました!」
「できて当然だろうが、僕が鍛えたこの一ヶ月を何だと思っている」
「はい……はい、オルレアン様のおかげです、嬉しいです……!」
感動してアマレッティは何度も頷く。オルレアンは素っ気なく、アマレッティから腕を取り返した。
「それで、忘れ物はどうした」
「あっこれです」
ダミアンを押しのけ、アマレッティは端が破けた書類をレイピアから引き抜く。そうしてうきうきと、オルレアンに書類を差し出した。
「お届けに上がりました、オルレアン様」
ひょっとして今、自分は人の役に立っているのではないだろうか。だが満足感の片隅で、かろうじて残っていたスパイのアマレッティが唐突に気付く。
(大切な書類……はっこれがオルレアン様の秘密だったのでは!?)
だが時は既に遅く、オルレアンはアマレッティから書類を受け取って首を傾げていた。
「何故レイピアで突き刺してあったんだ?」
「あ……あの、それは」
いきなり夢から覚めた気分で、アマレッティは言葉を濁らせる。
(失敗です……でも、オルレアン様のお役には立てたでしょうか……)
様子を窺うアマレッティの前で、オルレアンが書類を持ち直す。
「まあいい。読むには問題ないだろう。おいそこの守衛、叔父上にはお引き取り頂け」
「分かりました、社長」
「オルレアン、お前儂の話をっ」
「お前はこっちだ」
オルレアンに付いてくるよう目で促され、アマレッティはきょとんと目を瞬いた。
「え……よ、宜しいのですか? お仕事の邪魔では」
「帰りたいなら帰れ」
「いっいいえ! ご一緒します、嬉しいですオルレアン様……!」
会社の中を見て回る絶好の機会だ。何より、オルレアンの傍に居る事を許されたのが嬉しい。いそいそとオルレアンに続くアマレッティの後ろから、大きなだみ声が追いかけてきた。
「おい、ちょっと待て! 儂は聞いとらんぞ、お前が結婚したなど……っ! どういう事なんだ、まさかその娘がメディシス王国から指輪を持ってきたのか!?」
叔父の追及にオルレアンは振り向きもしない。追おうとするダミアンを守衛達が押し止めていた。
(指輪?)
一瞬足を止めてしまったアマレッティは、小走りでオルレアンの背中を追いかける。ダミアンの喧噪はすぐに遠くなった。
無言で階段を上がるオルレアンの背中から両手に、アマレッティは視線を落とす。小さな子供の指には、何の飾りもなかった。




