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お菓子の国のアマレッティ  作者: 永瀬さらさ
お菓子の国に嫁ぎます
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序章


「アマレッティ、貴方はスパイになるのよ」

 姉の突拍子もない言葉に、アマレッティ・メディシスは噛まずにサバランをごくんと飲み込んでしまった。

 花柄のティーカップに注がれた紅茶の湯気が、姉妹二人の間でゆっくりとほどける。

(私が、スパイ?)

 頭の上にはてなマークをつけた後で、アマレッティははっと蜂蜜色の目を見開く。

「わ、私、期待外れすぎてついに王女をお払い箱になりましたか……!?」

「違うわ、貴方の輿入れ先が決まったの。時間がないから半月後にはここ、王都フロレンティアを発ってもらう事になるわ」

「はい?」

 今度は驚きを通り越して惚けてしまった。

 人目のある所では完璧な笑顔を保つ姉のレジーナが、苦悩めいた表情を見せる。

「貴方ももう十六歳、縁談が持ち込まれて当然の年齢だけれど――ああ、貴方は悪くないのよアマレッティ。仮にもメディシス王家の第二王女の輿入れ先がなかなか決まらなかったのは、あの憎たらしい革命のせいですもの。私も十八になるのにまだ婚約者の一人も居ないのはどういう事だって毎日大臣達がやかましくって」

「お姉様ならば大丈夫です! とってもお綺麗なんですもの、アマレッティと違って」

「あら、貴方もとても可愛らしいわよアマレッティ。それに私達、髪の色も目の色も同じじゃないの」

「それでも全然違うのです。皆もそう言ってます」

 レジーナの言う通り、アマレッティとレジーナは母親譲りの同じ胡桃色の髪と蜂蜜色の瞳をしている。だが、アマレッティの髪はふわふわと波を打つ癖っ毛で、姉のように真っ直ぐ滑らかに伸びてはいない。睫毛の長さも違う。姉の一重の瞳はとても涼やかで美人に見えるが、アマレッティは二重だ。ぱっちりと大きな瞳と言えば聞こえは良いが、くるくるした髪の毛と一緒だと途端に馬鹿っぽく見える。何より、華が違う。姉が微笑めば大輪の花が一斉に咲いたようにと歌われるが、アマレッティが笑っても犬が尻尾を振っているように見えると言われるだけだ。

「それに何よりお姉様はメディシス王国の危機を救って女王様になった方です! ええっと、皆さん同じですよっていうお隣の国から始まった何とか革命……」

「平等革命よ、アマレッティ。特権階級制度の是非を問いかけ人は皆平等であるべきとかいう隣国オルゴーニュから始まったはた迷惑な思想による革命。でもその革命を叩き潰してやったせいで、私は今やメディシス王国の女王様。当分結婚は無理ね、ドン引きされてるもの」

「えっどうしてですか? お姉様はとても凄いのに……私なんて革命軍の方にどのお菓子を出せば喧嘩せずにお話ができるか考えていたら革命が終わってしまいました。……だから私は期待外れのアマレッティって言われてしまうんです……」

 耳に慣れた呼び名だったが、口にすると自然と肩が落ちてしまった。落ち込むアマレッティの肩を、レジーナが優しく叩く。

「大丈夫よアマレッティ。メディシス王国を救うために貴方は輿入れするのだから、もうそんな風に言う人はいなくなるわ。貴方が嫁ぐのはヴァロア公爵家なの」

「まあ、ヴァロア公爵!」

 アマレッティの頬が知らず紅潮した。世間に疎いアマレッティでもその名前は知っている。

「ヴァロア公爵って、あのヴァロア公爵ですか。お菓子の国、ヴァロアスイーツ……!」

「そう。貴方の大好きなお菓子の製造・販売で、メディシス王国どころか世界中から有名なヴァロア公爵家よ。嬉しい?」

「はい! もしヴァロアスイーツが毎日食べられたら、それだけで私、とっても幸せになれます……」

 アマレッティは目の前のテーブルにあるサバランに向けて、うっとりと微笑む。苺の赤とキュウイの緑とベリーの紫が煌めくサバランは、ヴァロア公爵領にある有名店からわざわざ取り寄せたものだ。

 平等革命以後、財政難に陥り普段は質素な生活をしている王城では、お菓子を取り寄せるのにも気を遣う。このサバランも大して高価でもないのに、アマレッティが一ヶ月毎日のお菓子を我慢してようやく手に入れたものだった。

「でもそう喜んでもいられないの、アマレッティ。貴方はヴァロア公爵に嫁ぐけれど、それは担保としての話なのよ」

 担保という聞き慣れない単語にアマレッティは目を瞬く。意味が分からなかった。

 いつの間にか渋い顔つきになったレジーナは、アマレッティの両肩を掴んで言い聞かせる体勢に入る。

「メディシス王国はヴァロア公爵家に多額の借金があるの。先日、返済の催促がきてね。でも今のメディシス王国にそんなお金はないわ。一年の利息だけで宮殿が建つ法外な金額で」

「一年で宮殿!? も、物凄く高いお値段なのですね……」

「仕方なかったのよ。革命を頓挫させる為にはどうしても必要な資金だったの。それにあの当時、ヴァロア公爵家以外にメディシス王家に資金を調達してくれる所なんかなかったわ。それをあの家はこっちの足元をみた利率を設定して」

 苦々しくレジーナが吐き出す。だがすぐにその顔は、凛とした女王のものになった。

「ヴァロア公爵家と返済について話し合ったんだけど、全く借金を返していない以上、無担保という訳にもいかない。だから担保として貴方を輿入れさせよう、という話になってしまったの。……借金を返せれば貴方は帰ってこれるとはいえ、本当はこんな事したくなかったわ」

「え……私、帰ってこれるんですか?」

「担保ですもの。だからお姉様が頑張って借金を返すまで、頑張って欲しいのアマレッティ」

 結局担保というものがよく分からなかったが、姉がそう言うのならそうなのだろうと、アマレッティはそのまま話を飲み込んだ。

「貴方の輿入れ先だって私は十分に吟味したかったのに……ようやく財政の建て直しに目処がたったこんな時にややこしい話を持ってくるなんて、あのガキ本当に生意気な」

「えぇと……お姉様、それで、私はどうしたらいいのですか?」

「そこでスパイよアマレッティ! このままやられっ放しは癪でしょう、相手が仕掛けてきた時こそ反撃のチャンス。担保として輿入れし、スパイをするの!」

「な、なるほど。私はスパイなのですね!」

 ようやく話を戻してくれた姉の真剣な眼差しと勢いに飲まれ、アマレッティはとりあえず神妙に頷く。

「良く聞きなさい。ヴァロア公爵家にある秘密を探って欲しいのよ」

「秘密を探る……」

 アマレッティの両肩を掴む指に力を込めて、レジーナは大きく頷いた。

「そう。公爵領の癖にお菓子の国だなんて言われるだけあって、ヴァロア公爵家には古くから言われている事があるの。――ヴァロア公爵家は決して戦争に巻き込まれない。戦争の勝者を決めるのはヴァロア公爵である。だからあそこは公爵領の分際で国だなんて言われる程、発展したのよ。財産だって山のように持って……っお姉様の悔しさが分かる、アマレッティ! しかも本人はそれを当たり前だと思っているのよ。貴族の癖に働くというその進んだ発想が忌々しいわ、あんなガキいつか過労死すればいい!」

「そんな、過労死なんて……お姉様もそんな風になってしまわれたらってアマレッティは心配になります。お姉様、たまにはちゃんと休んで下さい」

 不吉な単語に煽られ涙ぐんで懇願したアマレッティに、レジーナはほろりと般若の形相を崩した。

 三年前、平等革命を見事な貧困対策と福祉政策で凌ぎ女王となってから、姉はとにかく多忙だ。レジーナの美しい目元には隈一つないが、いつ寝ているのかとアマレッティはいつも心配になってしまう。

「私にそんな風に言ってくれるのは貴方だけよ、アマレッティ。皆、口を開けば冷血女王だ税が納められないだ補助金寄越せだ、挙げ句は借金を返せだ……!」

「わ……私がもっとお役に立てれば良いんですけど……でも、何もしない方がお邪魔にならないとも分かってはいるのです……」

 しょぼんと肩を落としたアマレッティに、レジーナは首を横に振る。

「いいえ十分よ、アマレッティ。貴方は私の癒しよ……貴方が居るからお姉様は頑張れるの」

「そ……そうですか……?」

「そうよ、大切なものがあってこそ人は頑張れるのだから。――私からこの癒しすら奪おうとするなんてあのクソガキいつか必ず反逆罪で処刑台に昇らせてやるわ! 笑顔でけろっと人から毟り取るだけ毟り取っていくドSが、たかが一貴族、たかが菓子屋の癖に!」

「ドS……?」

 怖い人なのだろうか。想像しようと頑張ってみたが可愛いお菓子屋さんとどうしても結びつかず、アマレッティは困ってしまう。

 一人悶えた後、幾分かさっぱりしたのかレジーナは話を元に戻した。

「とにかくヴァロア公爵家が戦争に巻き込まれずにいるその理由が大事なの、アマレッティ。現にあそこは革命の最中も全く被害がない。こうなったら嫌がらせするしかないわ、何でも良いからヴァロア家の事を片っ端から探ってきなさい。貴方なら運動神経もいいし、スパイに向いているとお姉様は思うの」

「そ、そうなんでしょうか……? 私はあんまり頭が良くないのです。とてもお姉様のように色んな事を上手くやる自信がありません……」

「だから良いのよ。ヴァロア公爵だってまさか貴方のように可愛い花嫁が、実はスパイだなんて思わないでしょう? それにあのガキは必ず貴方に引っかかるわ、お姉様自信があるの」

「で、でも私、男の方と付き合った事もないし告白されたこともありません……」

 明らかな過大評価にアマレッティは恐縮するばかりだ。だがレジーナは自信満々に微笑んだ。

「大丈夫よ、あの男は私と同じ側の人間ですもの。だからアマレッティ、これは貴方だからこそできる使命よ。私は期待しているの」

 期待、という待望の言葉にアマレッティの胸の奥から本物の高揚が沸き上がった。

(お姉様が、私を頼って下さる!)

 もうこの王宮でアマレッティにそんな言葉を投げかけてくれるのは、姉しかいない。

「分かりました! 任せて下さい、お姉様」

「やってくれるのねアマレッティ。でもあの約束だけは忘れちゃ駄目よ」

「はい、分かっています。アマレッティはもう、決して人前で剣を取りません。自分の命の危険がない限り」

 約束を一言一句違わず口にしたアマレッティに頷き返すレジーナの目は優しい。母親を生まれた瞬間に亡くしたアマレッティにとって、二つ上の頼りになる姉は母親同然だ。父は革命の最中に病死してしまい、アマレッティとレジーナはたった二人きりの家族になってしまった。

 借金を返済すれば戻って来られるとしても、輿入れするという事は一時的にでも姉と離れるということだ。ヴァロア公爵領は山脈を越えたメディシス王国領の南端、隣国との国境にある海に面した遠い場所だ。自然が豊かで気候も穏やかな住みやすい場所だと聞いているが、そこに姉は居ない。その事に気付いてアマレッティの目の奥が少し熱くなる。

「でも、お姉様と離れるのは不安です……」

「そうね。でも少しの間、我慢して頑張ってみなさい、アマレッティ」

「は、はい。……そういえば、ヴァロア公爵ってどんな方なんでしょう……」

 輿入れ前の花嫁としてようやくまともな疑問を持ったアマレッティは、サバランの乗った白い皿を手に取り顔を顰めた。

「お姉様があんな風に仰られるなんて、よっぽど怖い方なんですね……私、男の方は苦手なんです。大丈夫でしょうか。熊みたいに大きかったり、毛むくじゃらだったら……!」

「その点は大丈夫よ。一年前、先代公爵夫妻が事故で亡くなって跡を継いだばかりで」

「まあ、お若い方なんですか?」

 サバランを口に運ぼうとしていた手を止めて、アマレッティはレジーナを見る。レジーナは憎々しいと言わんばかりの口調で答えた。

「名前はオルレアン・ヴァロア。見た目はとても可愛い十一歳のお子様よ」

 ――その日一番のアマレッティの驚きは、大切なサバランを皿ごと引っ繰り返すという形で集約された。


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