女冒険者に踏まれるお仕事
女性冒険者に踏まれるお仕事
あいつはきっと僕より運が良かっただけだ。
ボロ布を纏った男が、イキイキと働いている。肩に担いだ麦袋はきっと10kgぐらいあるだろう。しかし、主人と談笑しながら歩いている。
あいつはきっと運が良かった。もしかしたら僕があの主人に買われていたのかもしれない。僕はタイミングが悪かっただけだ。
ほら、あそこのあいつ。
地面に倒れて動かなくなっている。多分死んでいる。
腰布すら剥ぎ取られて生傷だらけの全裸を路傍に晒している。両手首と両足首の先が無いのは手枷足枷を外すためだろう。主人が外すのを面倒くさがったか、死んだアレを放置しておいたらその辺の浮浪者やストリートチルドレンに奪われたか。
手首足首に細い鎖を巻きつけただけのものだが、鉄製だからそこそこの値段で売れる。
アレよりマシだ。
僕はちゃんと食事も貰えている。ひもじいけれど倒れる程じゃない。手枷足枷の鎖だって十分な長さがある。両手両足を肩幅より広げられる。そんな奴隷そうは居ない。
肉体労働もするけれど、家事を任されてもいる。優秀な奴隷の証なんだ。
こんな人間にはなりたくなかった。
自分より待遇の良いヤツを見て「あいつは運が良かっただけだ。チャンスがあれば俺だってあれぐらいやれた」と妬み、自分より待遇の悪いヤツを見れば「あいつより俺はマシだ」と自分を慰める。
横を見て他人と比べるんじゃなくて上を見て真っ直ぐ生きていきたいと友達に言ったのはもうどれぐらい前だっただろうか。受験戦争で他人の成績を気にしていた友人を励ますために言った言葉だ。
彼は今どうしているだろうか。幸せになっただろうか。
僕はこのザマだ。
「おい! さっさと歩け!」
ごっ、とお尻を蹴られて、前のめりに倒れた。
往来で考え事をしていた自分にも非はある。お尻を蹴られるだけで済んで良かった。少し前に熱すぎると言ってスープを投げつけられた時の火傷はまだ熱をもっている。
「すみません」
と、僕は腹から声を出す。大声を出す体力はないが、なるべく力を込めて言葉を発する。小さな声だとまた蹴られるからだ。
今僕は地面にはいつくばっている。小さな声で機嫌を損ねてはいけない。顔面へのサッカーボールキックを一度食らった事がある。アレはもうゴメンだ。
投げ出してしまった麦袋を担ぎ直して立ち上がる。
「まったく。トロトロ歩いてんじゃないよ」
「ホームに着くのが夜になってしまう」
「ほら、急いで急いで」
最後の声を発した女剣士が、しゃらっと剣を抜いた。
それで僕のお尻を小突く。
「いっ、ひっ、すみません、すみません」
お尻を突かれた痛みと恐怖でじゃらじゃらと鎖を鳴らしながらステップを踏んだ。背後の女冒険者達がゲラゲラと笑う。
実際にざっくり刺された事がある。
魔法が存在するこの世界では、回復魔法を使える人間の奴隷に対する扱いは特に酷い。
不幸な事に、俺を共同購入した女冒険者パーティには治療院を開けるレベルの回復魔法使いがいた。
何とかホームに辿り着いた。
女冒険者達も後から入ってきてガシャガシャと鎧をその辺に脱ぎ捨てたり、バサリとローブを投げたりしている。
それぞれ思い思いの席に腰を降ろしてくつろぐ。
「ふぅ~、今日は疲れたぜ」
「オーク多すぎ」
「女冒険者だけのパーティだからな。そりゃぁ寄ってくるさ」
今日はオークの討伐依頼が出ていた。
オークというのは二足歩行の豚だ。だが、豚よりずっと大きい。熊程もある巨大な豚が二足歩行で迫ってくる。僕も初見で腰を抜かした。
だが、この女冒険者達はそんな化物よりずっと強い。
僕は麦袋を台所に降ろして、玄関周りに脱ぎ散らかされた装備をちゃんとした場所に移動させる。
鎧は鎧立てに、ローブはローブ掛けに、帽子は帽子掛けに。
装備を脱ぎ捨てた彼女たちは、腰布しか着ていない。
トップレスだ。最初は面食らったが、彼女達が僕、つまり奴隷の事なんて何とも思ってないためか、自然すぎて慣れてしまった。
「オイ、拭け」
女戦士のお呼びが掛かった。僕はハイと返事をして、清潔な布に水瓶から組んだ水をかけて絞る。
ソファでくつろぐ彼女に、失礼します、と断りを入れてから、まず腕を拭く。
肩から上腕にかけてをゆっくり扱く。日に焼けた肌のニオイが僕の鼻をくすぐる。汗の匂いも臭くはない。食べ物が違うのだろう。香辛料や濃い味のものを避けて、よく食べ、よく動く。健康的だ。
腕を持ち上げると、豊かな胸がゆれた。ブラジャーが無い事もあって、女戦士の大きな乳房は垂れ気味だった。しかし、それがたまらなくエロい。
そう、エロいと感じる。触りたいと感じる。揉みしだいてむしゃぶり付きたいと思う。僕にはまだ性衝動は残っている。
だが、その性衝動は股間まで到達しない。ぐわっと湧き上がって、頭の先から蒸発していく。
ごりっ、と音が鳴って、僕の頭が仰け反った。
叩かれた。
「オイ、てめぇ奴隷のくせにジロジロ見てんじゃねぇぞ」
女戦士が睨んでいる。気分で僕を殴ったんじゃない。見ていただけで殴られたのでもない。彼女達には本当にそういう気配が分かるのだ。
僕はすみませんと何度も謝った。
「よし。いいだろう」
と僕の謝罪を受け入れた女戦士が再び腕を差し出してくる。
僕は彼女達の体拭きを再開した。
乳房も拭くのだが、その時は別に殴られない。乳房や局部を僕に拭かれる事を多少は楽しみにしているのかとも思ったが、全くそんな事はなかった。触ったぐらいで感じるなんて事無いんだろう。僕は女を知らない。これが現実だ。
3日に1度は街のサウナで汗と老廃物を流して水風呂に浸かるが、それ以外は僕が体を拭いている。
僕はサウナなんて上等な場所に入れない。自分で体を拭いて水で流すだけだ。井戸の周りでは僕と同じ奴隷が体を洗っているのをよく見かける。
皆傷だらけだ。大事にされている奴隷ならこんな所に来ない。
その中では、僕が一番傷が多かった。女魔法使いが面白半分で傷を作っては中途半端に傷を閉じて、僕を傷だらけにするのを趣味にしていた。
実際に大怪我を負わされた事もある。
残酷だとも思うが、毎日命の危険を感じながら働いている彼女達は、どこかネジが飛んでいるように見える。
僕を乱暴に扱う事で精神の平衡を保っているのかもしれない。
圧倒的に弱い存在を小突き回して、自尊心を保っている。
・
その日の依頼はオーガの討伐だった。
西の森にオーガの巣が出来たらしい。多くの冒険者が狩りに出た。
僕の主人である女冒険者3人組は他の3人パーティと組んで、6人体制で挑んだ。
ポーターは僕1人だけど。
「凄いっすね。パーティで奴隷所有してるんすか」
青髪の気軽そうな若者が言った。
「まぁな。奴隷商をモンスターから助けてやったんだが、それで安くしとくからって売りつけられたのさ。かなり安かったからな、あんなチビだけど、まぁいいかなってよ。そしたら言葉片言だったんだよ。よく見りゃ髪の色も目の色も顔立ちもこの辺じゃ見ねぇ。外国人だったのさ。最初はホントに手間かかったぜ。こっちが教育代もらいたいぐらいだよ」
「それは悲惨っすねー」
ゲラゲラと金髪碧眼イケメンが笑う。俺をちらりと見た。自分より遥格下を見る目だ。淀んだ感情など無い。純粋に、虫を見る程度の視線。
「おまけにもろくってさぁ、アーリアがいなきゃ何度殺してたかわからねぇよ」
「ミラミスは手加減を知らなさ過ぎるんですよ。確かに安かったけれど、それなりに大金だったんですからね」
「そうだ。ミラミスはもっと物を大事にしろ」
「サリナもですよ。試し切りで奴隷を使わないで下さい。浅い傷でも命に関わる事があるんですよ。試し切りの対象にするには値段が高すぎます」
「最近は試し切りなんてしてないだろ。アレは弱すぎて練習にならん」
一同が笑う。
「回復魔法使える人が組んでくれてありがたいです」
利発そうな茶髪のイケメンが言った。
僕なんて最初から居ないみたいだ。
僕よりも大きいんじゃないかというサイズのバッグに6人分の荷物が入っている。殆どは食料だから時間と共に減っていくけれど、いつもの倍だ。荷物に押し潰されそうになりながら進む。
何kgあるか分からないけれど、地球に居た頃は絶対に背負えなかっただろう。脂肪も筋肉も消えていったけれど、技術とバランス力だけは付いたらしい。人間の体は想像以上に重いものを持てると知った。
そして、僕の前を歩く人達、この冒険者達は人間の限界を超えていた。
魔法という謎の力を操り、身体能力は多分オリンピック選手より高い。
素で2mもジャンプしてオークを真っ二つに切り裂いた時はどっちが化物か分からなかった。
僕には魔力も、身体能力も無かった。この世界の摂理の中の者ではない。
あの時確かに僕の体はバラバラになった。首の無い自分の肉片を見た記憶がある。
この世界で肉体を再構成するときに、どうしてこの世界基準で作ってくれなかったのだろうか。偶然か、気まぐれか。僕は神や女神にも出会っていない。
・
「オイ、飯だ」
ミラミスの声が掛かった。僕はハイと応えて支度をする。
慣れたものだ。最初の頃は、支度が遅いと鼻を折られ、高い塩をそんなに使うなと腕を折られた。
ミラミスは女戦士。180cmを超える長身に、筋肉質の肉体。胸も大きく、筋力があるおかげでおしりがぷりっと上がっている。
いわゆるビキニアーマーを装備している。武器の大剣は彼女の身長程もある鉄塊だが、いとも簡単にそれを振り回す。筋繊維だけでは無理な芸当をこなしてしまうのがこの世界の人間だ。
手早く食事の準備をする。
合流している3人組冒険者達にも伺いを立てて、皆の分同じ物を出す。
「んん? 美味いっすねこれ!」
「すげぇな。なんだかよくわからんが、こう…… 味があるぞ」
「この奴隷料理上手いですね」
「だろ? コイツ、てんで腕力が無いくせに手先が器用だし料理もできるんだよ」
「外国じゃ男でも料理するんですかね?」
「あ~、こいつ外国人には違い無いが、どこかで頭を打ったらしくて、狂ってるんだ。どこの国か分からない」
と、女剣士サリナがフォローした。実際僕は頭がおかしいやつと思われている。
女剣士サリナは、銀色のストレートヘアーを肩口で切りそろえた美人だ。身長は165cmぐらいか。僕よりギリギリ低い程度。
体付きは細身で、皮鎧を装備している。腰にはサーベル。長さは日本刀程もあるが、厚みの幅が違う。これが重さも相まってよく切れる。
彼女はやたらと素早い。目で追えない動きというのを現実で目の当たりにした。そのスピードから放たれる一線で、オークは胴を真っ二つに切り裂かれていた。
「頭もそこそこ良いみたいなんですよね。体が弱いのも気になります。外国の貴族とかだったんじゃないかと思うんですけど」
僕はすぐに言葉を憶えた。奴隷商でも定型文を憶えさせられたが、街で暮らし始めるとそれだけでは足りない。日常会話、それから冒険者特有の隠語や名詞などを早く徹底的に憶えた。それは必要にかられての事だが、それなりに驚かれた。買い出しの際に暗算がやたらと早かったのも驚かれた。
あの時は皆喜んでくれた。
あの時の皆の笑顔が今でも頭の中にハッキリ残っている。いい奴隷を買ったという意味での笑顔だったのかもしれないが、3人とも美人だ。美人の笑顔は胸にくるものがある。それから辛い事があると、きっと彼女達も環境のせいで奴隷を厳しく扱っているだけで、本当はいい人達なんだと、あの笑顔を思い出してしまう。頭の中からその記憶を引きずり出してゴミに捨てたい。
踏まれても蹴られても殴られても、虐待された子供は親についていく。親しかすがるものがないし、僅かな良い記憶を頼りに、絶望に直面しないため自分を騙して親に殴られ続ける。
児童相談所何してるの、とか、子供も早く自分で判断して逃げないと、などと思っていた。
僕はバカだが、それなりの判断は付く程度の年齢になっている。そんな僕でも条件反射でそうなってしまうのだ。脳は、心は、そうやって僕を生きさせようとする。
毎日殴られるわけじゃないし、最近はひどい怪我も無い。などと自分を誤魔化して、蹴り回される。
こんな人間にはなりたくないと思っていた。
だけど、いつの間にかなっていた。
なってしまってからは、泥沼の様に抜け出せない。
「魔力も無いし、魔法も使えないみたいですからね。大方家から放逐されたんでしょう」
そう言って、魔法使いアーリアは僕を見下し、冷笑する。
彼女は魔法使いだ。魔法こそが絶対、そんな価値観で生きている。
この世界の人々は多少なりとも魔法が使える。力の程度はピンキリだが、特に魔法使いとなる人間は、信じられない様な事ができる。
女剣士サリナに切られた傷も、女戦士ミラミスに折られた腕も、回復魔法で簡単に治ってしまった。
青いショートカットの髪を、今はフードから出している。
ほっそりした輪郭。白い肌に赤い瞳はよく目立つ。
濃い緑色の不思議な生地でできたローブをかぶり、魔法使いっぽい杖を持っている。アレは増幅装置らしい。無くても魔法は使えるが、あったほうが魔力の消費が抑えられる。
彼女は僕をかばう事が多い。
お金かかったからだ。
それ以外では、基本的に僕を見下している。罵倒してきたり、嫌がらせをしてくるのは魔法使いアーリアが一番多い。
「飯奴隷ってだけでも良いっすよー。俺達もガンガン稼いで奴隷欲しいっす」
「もちろん女奴隷な」
「おいおい、穴兄弟は嫌だぜ?」
一同が笑いに包まれ、僕は道具の整理をする。
夜営の見張りは僕だ。
このまま逃げてもいいんじゃないかと思ってしまう。だが、逃亡奴隷は死罪だ。
本当に逃げる奴隷もいる。逃げて、捕まって、公開処刑になる。
僕が見張りをしてなくても、冒険者はモンスターが近付けば起きる。
僕は火と荷物の見張り番だ。皆が寝支度を整えた頃に、僕はやっと食事にありつく。硬いパンをガリガリかじる。
硬いけれど、詰まっていてカロリーあたりの体積がコンパクトだ。
夜空に星が輝いている。
僕が見張りをする後ろでは、冒険者6人がまぐわっていた。
「鎧を着たままなんて興奮するな」
「俺、夜営でこんなの初めてっす」
「あら、かわいい」
等など、色んな声や音が聞こえてくるが、無視だ。
僕の事なんて気にしていないし、僕も気にしない。
僕に体を触られても何ともなかった女冒険者達が、男の愛撫に身悶えしている。
こんなものだ。
女冒険者達に買われた時は、まさか夜の相手も? とワクワクしたものだが、そんな事は一度も無い。
僕以外の男とまぐわっているところはたまに見るし、男娼を買ったりもしている。
僕の男としての価値は、バイブよりもずっと低い。
もそもそとパンを食べ終え、水を飲む。
いつもより3人多いから、桶の水があっという間に減っていた。これでは朝の分に差し支える。
この森には川がたくさん流れている。動物も、そしてモンスターも多い。
川は近くにあった。だからこの場所に夜営を張った。川は便所代わりでもある。
モンスターの危険はあるが、ここから1人で川に向かってモンスターに出会う確率よりも、水が足りなくて明日の朝殴られる可能性の方が遥かに高い。というか、100%だろう。
「すみません。水くんできます」
と僕が言うと、茶髪にまたがっているアーリアからは睨まれ、青髪の腕の中のサリナからは舌打ちされた。
金髪碧眼を押し倒しているミラミスが、めんどくさそうに手を振って答えた。
僕は一礼して、暗い森の中を進んで行く。
なんで頭を下げたのかも分からない。奴隷根性が身に染み付いている。
人は暴力に屈する。どんなキレイ事も痛みの前では意味をなさない。それができる人達は聖人と呼ばれる。僕は聖人ではない。それどころか痛みに弱いヘタレだ。
木々の隙間から降り注ぐ月明かりが森の中を照らしている。この世界に来てから夜目も慣れた。
歩いて3分程度で川に辿り着く。
虫の鳴き声、わずかに揺れる茂みの音、夜風に擦れる枝葉、そして川のせせらぎ。
この世界に来た頃はいちいちびくびくしていたが、今となってはそれが自然音か人工音か聞き分けられる。慣れるものだ。
自然音に囲まれた森のなかで、人工音が響いている。僕の手枷足枷の鎖だ。ガシャガシャと金属音を立てて、川から水を汲み上げる。
2つの桶いっぱいに汲んだ。
もしもこの桶が1つだけだったら。
あの男冒険者3人と合流しなかったら。
冒険者達が6pなんてしていなかったら。
僕はずっとこのままだったのかもしれない。
川の水を汲んで野営地に戻るまで20分程度。
浅い川の水を手桶ですくって桶を満タンにしていたので時間がかかった。
その間に野営地では冒険者達が全滅していた。
・
男性冒険者達の首が落ちていた。体はどれがどれだか分からない。3体の首無し死体には何本も矢が突き立っていた。
女戦士ミラミスの体にもいたるところに矢が生えていた。胸部中央には槍が突き立っている。右腕の肘から先が無い。
魔法使いアーリアも似たようなものだった。全身に矢が突き刺さり、顔が潰れていた。
女剣士サリナは、賊に押え付けられている。肩と腹に矢を受けている様だ。サリナに跨って毛深いケツを振る男の周りには、さっさとしろと囃し立てる男が数名。よく見ればサリナの右足首から先が切り落とされている。
僕は茂みの影に隠れて、それを見ていた。
薄汚れた男達。冒険者ではない。あれは盗賊だ。垢でねっとりしたボロ布を身に纏い、その上から革鎧を着ている。中にはローブの者もいるし、ビキニアーマーの男もいる。
装備もバラバラだった。
僕は深呼吸をする。落ち着け。
僕は見つけられたのだろうか。
乱交中を襲われた。間抜けな冒険者達だ。
矢の一斉射で奇襲をかけて、先に接近していた連中が切り込んだのだろう。
あの矢の数では最初の攻撃でかなりの痛手を受けていたはずだ。
サリナだけは避けた様だが、捕まってあの様だ。
問題は、僕の事に気付いているかどうかだ。
たまたま近くにいた賊が乱交中の冒険者を襲ったのか、それとももっと前から付けられていたのか。
もし付けられていたなら、人数だって知っているはずだ。僕が居ないことにも気付くだろう。
「そういや奴隷のガキはどうした?」
男の一人が言った。
心臓が止まりそうになった。
「あれ? おい、誰かガキ殺りに行ったやつは?」
男達が顔を見合わせる。
20人を超える臭そうな男達がキョロキョロと周囲を見回す光景はなかなかシュールだった。
「なっ! お前ら、ちゃんと仕事しろよ」
「でもボス、こんな上玉久しぶりですぜ。アジトの女どもには飽きちまったし」
「この怪我だ。早くやんねぇと冷たくなっちまいますよ」
少し背が低い男がボスの様だ。後は皆髭も髪もボサボサで見分けが付かない。
「まったくよぉ、おい、お前行けよ。お前死体でもヤレる口だったろ」
「へぇ。別にいいですけど。でも他の野郎の汁まみれなのはちょっと」
「まったく。どうせガキは川に行ってんだ。ついでに水汲んで来い。それで洗え」
「へい。いってきやす」
心臓の音がうるさい。
僕は息を潜めた。呼吸が止まるかどうかのギリギリで、虫の様に息をした。
それでも心臓の音が酷い。これでバレてしまうんじゃないだろうか。
僕のすぐ近くを男が歩いて行く。
男の臭いがした気がする。臭い。何かすえた臭いがする。
足音は遠くなっていく。
これは幸運だった。
僕のなけなしの幸運は今使い切られた。次は無い。
僕は、ゆっくりと、立ち上がる。
草むらに隠れながら、少しずつ離れていく。逃げないと。逃げないと。逃げないと。
元冒険者達の夜営地、現在は盗賊の夜営地から、笑い声や話し声が聞こえてくる。「美味い」とか「どけ」とか「はやくかわれ」とか。
大きな声だった。
僕の手首と足にはめられた枷から伸びる鎖が、わずかに進むだけでも金属音を立てる。そして心臓の音だ。
何がなんだか分からない。自分の音がうるさすぎて、連中に聞こえているんじゃないだろうかと錯覚する。
「おい!!」
大声が上がって、身を縮めた。再び草むらに体を沈める。
見つかったか?
「てめぇ! もう女死んでるじゃねぇか! 長すぎんだよバカ!」
見つかってなかった。
僕は森の中に入って行く。
来た道は戻れない。わかりやすすぎて危険だ。
森のなかを遠回りして街に帰るしかない。
振り返ると、夜営の灯りが微かに見える。だいぶ離れた。
ここに来るまでどれぐらい時間がかかっただろうか。
まさか奴隷一人追うとは思えない。旨味が無い。
だけど、僕は走った。
早くここから離れなければ。
死体なら何度も見た。森の中にも街の中にも転がっている。
目の前で奴隷が殺されるところも見た。
だけど、こんな目に遭っているのに、死にたくなかった。
死体を前にすると、こうはなりたくないと本能が叫ぶのだ。
僕は必死に走ったけど、速度が出ない。
手枷足枷が重い。それに、僕の足の指は親指と人差し指以外無い。女冒険者達に切り落とされた。
高位の回復魔法なら切れた指も生えてくるらしいけど、僕は傷を塞がれただけだった。
小指は不必要なんていう話を地球で聞いた事がある。でもほとんど裸足で生活している僕には必要だった。
走ろうとするとバランスがとれずによたつく。靴があればマシだろうけど、靴なんて履いている奴隷は恵まれている。それは僕じゃない。
走った。
足首に熱を感じる。
多分足枷がスレて皮膚が切れている。
朝日が登っていく。
森を抜けた。街は目の前だ。
ふと、足が止まった。
どうして僕は街に戻ろうとしているのか。
朝日が僕の体を温める。
どうして僕はまたあんな生活に戻ろうとしているのか。
逃亡奴隷は死罪だからだろうか。
あんな酷い生活でも、奴隷の中ではまだマシな方だったかもしれない。今度はもっと酷い事になるかもしれない。
僕は地球で希望的観測をして生きてきた。辛い事があっても、我慢して、いつか何とかできるんだと。
奴隷になってからは明日の事なんて考えられ無かった。立ち止まってみると分かる。僕は何をしていたんだろうか。確かに女冒険者達に気に入られる様に努力をした。だけど、もっと違う事ができたんじゃないだろうか。
足が痛みだした。明るくなって見てみると、かなり酷い傷だった。
放置しておけば膿んで死ぬかもしれない。
温まってきた空気を体に感じながら、僕はただぼんやりと街を見つめていた。
作中に某スターゲイザーからのセリフがあります。
私も好きな言葉ですが、実際にできているかというと……
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