第三十二章「狐」
ガラスの割れる音が響く。
床には割れた破片が散らばる。
「そのコップ高かったのに」
先生がコップの残骸を見て溜息を吐いた。
「俺に言うなよ」
その頃、割った張本人はというと
カウンターの上で毛繕いをしていた。
「今日のご飯は抜きだね」
「やめとけ、どうせ勝手に食べる」
ほうきとちりとりを持ち、破片を片付ける。
先生は他の食器をしまいながら話しかけてきた。
「時雨君、今朝のニュースは見たかい?」
「この家にテレビなんてあったのか」
先生は思い出したかのように無いね、と答えた。
「行方不明者が多発しているらしいよ」
「それは、P2の影響か」
「多分ね。最近数が増えてきているみたいだ」
「そりゃ大変だな」
他人事のように答えたが、本当に大変な事だと思っている。
「対処法とか無いのか」
「今のところは僕らが駆除するほか無いよ。
でもいずれ根本を絶たないと何も解決しない」
「その根本っていうのはもう分かってるんだろ?」
先生はまぁね、と答えて笑った。
多分特殊部隊だろうな。
「あ、そういえば。今日僕の知り合いがこっちに来るんだ」
楽しみにしててね、と言って笑う。
嫌な予感がするのは何故だろう。
八月の空に浮かぶ夏の大三角形。
デネブ、アルタイル、ベガ。
そんな事は小学生でも知っている。
逆に言うとそんな事しか知らない。
夏にどんな星座が出るのかなんて知りもしない。
なんとなく、先生に聞いてみる。
「あの星座、なんていうんだ」
「あれってどれだろう」
「夏の大三角形になってる三つだ」
「あぁ、あれね。夏の大三角形がベガ、アルタイル、デネブから
なっていることは知っているよね」
俺が頷くと、先生が話を続けた。
「ベガっていうのはこと座の一部で織姫星とも言われている。
そしてアルタイルはわし座の一部、彦星なんだ。
最後のデネブは白鳥座。十字の形をしてることからノーザンクロスと
言われることもある。まぁ、白鳥座 は知ってたかな」
「へぇ、知らなかった」
聞いたことはあるような気もする。
というか、この人星座の知識もあるんだな。
「ちなみに、わし座の左側にあるのがいるか座
右側にあるのがヘビ座だ。
そしてあのこと座の隣にあるのが・・・、なんだっけ」
先生が思い出そうと頭を悩ませていると、後ろから声がした。
「あれはヘラクレス座だな」
「あぁ、そうそう。ヘラクレスだ」
さも今までいたかのように話に入ってきた人物に対して
先生は驚きもしない。
俺は驚いて振り向く。
そこには白い着物を着て、狐のお面をつけた女性が立っていた。
「先生が今朝言っていた人か?」
「そうだよ」
そこでやっと先生が振り向いた。
「久しぶり」
「何も変わってないな、お前は」
「君もね」
女性がこちらへと近づいてくる。
髪も服も白いためか明るい印象だ。
一メートルくらいまで近づいた時、こちらを見た。
「なるほど、君が時雨君か」
また、なるほどと言われた。
「は、初めまして」
「ふむ悪くない」
そう言うと先生の方を見た。
なんだったんだ?
「範囲を調べてきた」
「ご苦労様。それで、どうだった?」
「そんなに広くはない。ほとんどが中心に集まっているらしい」
「じゃあ、やっぱり本拠地は中心部か」
「多分な、また追って連絡はする」
なんの話をしているのだろう。
「しばらくはこの辺りに滞在しようと思う」
「それは助かるよ」
狐がまた、俺を見た。
「宜しく頼む」
「はぁ」
「時雨君、彼女は巫女さんなんだよ」
先生が耳元でそう言う。
大した根拠はないがなるほど、と思ってしまった 。
「巫女といっても所詮は君たちと変わりない能力者だ。
ただ、そういった仕事をしているというだけだよ」
そう言って笑った様に思えた。
お面を付けているので表情が読み取れない。
「その恰好もそれ故か」
「まあ、そんなところさ」
そう言うと、狐はひょいっと塀の上に乗った。
着物姿でよくあんなに軽々と動けるな。
「じゃあ今日は退散するとしよう」
「次は喫茶店の方に来なよ」
「気が向いたらな」
狐は軽く頭を下げると走り去ってしまった。
「さて時雨君」
先生が俺の肩を掴む。
「授業やろうか」
本来その為に来ていたのにすっかり忘れていた。
「あぁ」
今日の授業はなんだろうな。




