一.過去 琴神冬子の視点
中学1年生の時である。私はひき逃げの現場を見たことがある。
横断歩道のないところを渡ろうとしていたおじいさんを、普通に走っていた車がぶつかった。
唖然としている私の前で車は急発進して立ち去った。
おじいさんはビデオの一時停止でもかかったかのように表情が固まったまま、アスファルトの上に寝そべっていた。誰かがかけよる。
私は、足が地面に張り付いたように動けなかった。
動揺したのもある。けれど、一番の原因は、そこで、ありえないものを見てしまったことなのだと思う。
車がおじいさんにぶつかって急停止して、何秒くらい時間があったのだろう。
その短い時間の間に、突然、車が何かに包まれた。その何かを説明する手段を、私はいまだに知らない。ただ、今までの人生でも、それに該当するものが未だに見つからないでいる。おそらく、そんなものはないのだろう。
あれは、この世のものではなかった。その何かは車の中に入り込み、運転していた人の中に入り込む。入り込んだ後、運転手は突然車を発進させた。
この世のものでない色をしたそれにとりつかれた人は、一瞬迷った後に逃げることを選んだ。
私は、怖くて動けなかった。
人だかりができて、おじいさんを介抱する人々。
私は動けずにいた。また、見えてしまったのだ。
おじいさんの体を、また包むものがある。眼をこらしたけれど、何かわからなかった。
けれど、一つだけわかったこと。あれは、視てはいけないものだ。
だって、みんな、この場にいる大人も子供も、それが見えていないのだから。
怖くて、おぞましくて、急に私は、世界に一人ぼっちになってしまったような気がした。




