なつきと淡雪2
2040年4月8日日曜日19時30分
「やっぱりなつきちはここにいたんだね」
桜花祭の喧騒が遠く聞こえる三科区画、技術開発局棟の屋上。
そこには混凝土の地面に寝そべるなつきの姿。
「ゆき、今度は何の用?」
なつきは淡雪の方を見ることなく、冷たさを含んだ口調で尋ねる。
「悠翔さんが君に目をつけた事が気になっただけだよ。あの子馬鹿なのか天才なのかよく分からない時があるから」
「一科会に誘われた……ただそれだけ」
「あら、意外と冷静なんだね。それで断ったの?」
「当たり前でしょ。面倒な事は御免だから」
なつきは気怠げに答える。
それを受けて淡雪は安堵の息を漏らした。
「──でも、避けては通れない道なのは確か。本当に不本意極まりないけど」
「いざそうなった時には私が力を貸すよ。いつまでもなつきちに負けたままじゃいられないし」
「雀の涙くらいは期待しておくよ」
淡雪自身、露ほども期待されていないことは分かっている。
だからと言って胸の中の熱いものが冷めていくわけではない。
むしろ反骨精神からより熱く燃え滾っている。
「話は変わるけど、なつきちはここで何をしているの?」
なつきはただ空を見上げる。
特に目的があってこんなところにいるわけではない。
「休息もたまには必要だと思わないかい? 強いて言えば、夜風にあたって酔いを醒ましているってところかな」
「また飲んでいたの?」
「まぁね」
なつきは会話をすることにも飽きたというように、また夜の帳が下りた空を虚ろな目で見つめる。
淡雪もつられる様に空を仰ぎ見た。
「流れ星見えないかな」
「今は見えないよ。まあ、ゆきも星を眺めていくならこれを使うといいよ」
なつきは星を掴むかのように左手を天に向けて握る。
手の中には髪留め。
それを淡雪に投げ渡した。
「ありがと」
何の意味があるのか分からない髪留めを淡雪は受け取ると、なつき同様に髪につける。
そしてなつきと身体2つ分ほど離れたところに寝そべった。
「やっぱり天気がいいと、星が綺麗に見えるね」
「僕には関係ないけど、他の新入生にとって明日は晴れの日だからね……天気が雨というわけにもいかないんだよ。それとこの星空は天象義だから綺麗じゃなかったらなかったで問題だよ」
「はぁ、なつきちには風情も浪漫もないね」
淡雪は半分呆れながら苦言を呈す。
勿論なつきは見向きすらしない。
「そういえば、代表さんは桜花祭の管理をしなくていいのかい?」
「私の役目は予算だけ出してそれで終わりだよ」
「流石は所持金が10億円もある大富豪の代表さんだ。言うことが違うね。軽く見積もって500万円程度の金額なら端金か」
「何だか、なつきちに言われると嫌みにしか聞こえない科白だね。事実として私なんかよりお金持ちだし、そもそも代表って呼び方する時点で嫌みでしかないけど」
「新入生として分相応なだけしか持っていないよ。ライヒスマルクならそうでもないけど」
「なつきち、嘘はいいよ」
「いや、本当だから」
なつきは青い眼鏡と学生証を淡雪にの元へ転送する。
疑っている淡雪は眼鏡をかけると学生証をかざした。
「えっ……嘘!?」
眼鏡の透鏡越しに見えた数値は淡雪の予想を大きく外れていた。
志波なつき。
女性。
電子金券残高10万円。
功績値60。
「──何か細工してる?」
「いや、してないよ。それがありのままの数値。」
「清和省序列5位の扱いがこんなに低いわけない……」
特別技術開発局──通称清和省。
組織内の序列36位。
なつきの直属の部下にあたる淡雪は絶句する。
驚愕、困惑、そして憤怒。
淡雪の表情は事細かに変化していた。
「序列5位というのも父、志波和貴の後を引き継いだだけの飾りに過ぎないからね。今の僕にはあの研究室兼自宅を守るだけでも手一杯。むしろ本来は剥奪されるはずだった状況に猶予を与えて貰っている。それだけでも相当優遇されているさ」
なつきは表情、声色を一切変えることなく語る。
ただ些細な雰囲気の違い。
それだけで、淡雪にはなつきの心情が読み取れた様だった。
「──酔いも醒めたし僕はそろそろ帰るよ。いつまでも人を待たせては申し訳ないし」
なつきは淡雪の発しようとした言葉を打ち消して立ち上がる。
それと同時に淡雪の手にしている眼鏡と学生証が姿を消す。
そしてなつきは出口へと向かっていく。
淡雪は紡ごうとした言葉を噤む事しかできず、ただなつきの背中を無言で見送った。