天王寺悠翔
一科構内の中心地。
国会議事堂に見立てた大会議室を始めとして、政治に関連する施設が揃う建物がある。
その内部、一科の総意を決めるための会議室である一科会室。
なつきが向かうべき場所は3階に位置した。
本来ならば、広大な敷地内の移動用に設置されている無人の交通機関を使ったとしても講堂からは10分ほどの時間を有する。
しかし世間一般で常識とされる物理法則をも無視する転送石の前ではわずか数秒のことであった。
「志波なつきです。佐伯代表より、天王寺副代表がお呼びだと聞き、馳せ参じました」
固く閉ざされた扉の端に設置された、訪問者専用の通信機。
それを用いてなつきは内部に待ち受けているであろう副代表へ連絡を入れる。
遅れること数刻。
応答があった。
「……思ったよりも早かったのね。解錠してあるから入っていらっしゃい」
聞こえてきたのは落ち着いた雰囲気を感じさせる余所行きの声。
多少、動揺を隠しきれていないことは否めないが、それといった聞き難さや特徴はない。
「失礼致します」
なつきは一言告げ、通信を切断すると扉を引いた。
内装はこの国では珍しい西洋風の会議室。
中央には長机が置かれ、その両側にそれぞれ6脚ずつの椅子が配置されている。
その最奥。
上座に当たる位置に副代表と思しき少女が腰かけていた。
「どうぞ、こちらへお掛けになって」
少女は右手で対面に当たる席を指示する。
本来、来客の訪問に対して、特に自らが招待した賓客に対しては手厚く出迎えることが礼儀であろう。
それすらもせず、ただ椅子にふんぞり返っている態度は、彼女が英雄の末裔として持ち上げられてきた故の驕りなのかもしれない。
「失礼します」
なつきは少女の尊大な態度などに気にする素振りも見せず、ただ指定された席に腰を下ろした。
「寸暇を割いてもらって申し訳ないわね。佐伯さんから話は聞いているとは思うけれど、私は学生議会副代表の天王寺悠翔よ。ここ、一科会の会長も兼任しているわ」
「本日はお招きありがとうございます。存じ上げているとは思いますが、三科新入生の志波なつきです」
悠翔に続き、なつきも簡単な自己紹介を済ませる。
悠翔はその様子を品定めするようにじっくりと眺めた後、不敵なまでの笑みを見せた。
「貴女も桜花祭を満喫したいでしょうから、いきなり本題に入らせてもらうわね」
「はい」
「一科会に入る気はないかしら? 他の人員には2回生の市倉 純、小金井 稜希、そして二宮彩華を考えているわ」
錚々(そうそう)たる名前が挙がる。
市倉家、小金井家、二宮家、そして天王寺家。
英雄四家と呼ばれる第二次世界大戦時に著しい武功を上げ、力を付けた家柄。
その権力は今も健在で、国際連合の牛耳を執っていると言われている。
その一員に誘われても、なつきに戸惑いはなかった。
「英雄四家直系の末裔が揃う中に入るなど烏滸がましいですよ。その上で三科の僕を入れたいだなんて新種のいじめか何かでしょうか?」
なつきの言葉は理由を知るためとも、暗に拒否をしているとも取れる。
その冗談混じりな返答に悠翔はくすりと笑いを漏らした。
「いじめではないわよ。私は私の悲願のために、いたって真面目にお誘いしているの」
「悲願……ですか?」
今までは自然体であった悠翔の言葉に力が入る。
場の空気は一変して緊張が高まり、なつきからも笑顔が消えた。
「そう、悲願よ。今の社会は男尊女卑の考え方が強いと思わないかしら? 現にこの学院に在籍している女学生の数も片手で数えられる……国際的に平和と平等を理念として掲げているにも関わらず、その先陣を切るはずの天和ですらも男女平等ではないのはおかしいじゃない? だから私はこの現状を変えたいと思っているの」
力強い悠翔の言葉。
その言は理に適っていて、そういうものだと直視を避けてきた大人達に取っては耳の痛い言葉であろう。
そしてなつきはその言葉を十二分に反芻した後、口を開いた。
「──慎んでお断りさせていただきます」
悠翔はまさか断られるとは予想だにしていなかったらしく、鳩が豆鉄砲を食ったような表情をする。
それから体裁を整えるまでに一刻。
悠翔はそれでもまだ眉をひそめているが、二の句を継げた。
「……そう。理由を聞かせてもらっても構わないかしら?」
「はい。確かに副代表が掲げる理念は、平等という面においてとても素晴らしいものだと思います。しかし、平和という面においては、長い目で見たときに大きな問題に発展しかねない危うさをはらんでいると思います」
そこまで言ったところでなつきは悠翔の顔色を伺う。
悠翔は視線だけで話を促した。
「話が変わりますが、過去に戦争が勃発した要因は経済的な理由が大半を占めています。表面上では宗教対立や、外交の切り札、その他様々な事を掲げていることもあります。しかし、根本を紐解けば、そのほとんどが飢餓から脱出するため。資源を確保するため。そして富むため。全ては現在のように世界経済が統括され、何不自由ない生活ができる環境下であれば、起こることのなかったものばかりだと思うのです」
悠翔はそうねと相槌を打つ。
終戦当時、英雄と呼ばれた彼女らの先祖のこれと似た考え方の元で100年停戦規約を締結し、日本と独逸が先頭に立つことで多大な経済支援を行ったと言われている。
その甲斐があってか、1941年から現在2040年までの間、地球上では一切の紛争が起こっていない。
また、各国が無理のない経済成長を遂げたことによって、争乱の火種そのものが生まれなくなった。
もちろん脅威が取り払われたことで軍事力も放棄されている。
「この状況で女性の社会参加を助長したらいかがでしょう? 確かに短期的な見方をすれば、経済を支える柱が単純に2倍となります。その上で男女間が平等化される。これだけを並べるととても素晴らしい政策だと思えるでしょう」
「しかしそれ以上の問題点があるということね」
「はい。長期的に見た場合、晩婚化による出生率の低下。育児や家事を専門に行う仕事の台頭による第三次産業の過剰な発展。その先に待つのは第一次産業に従事する人口の減少です。国力の柱を犠牲にしてしまっては、待ち受けているものは国の崩壊ではないでしょうか?」
「悪循環に陥ってしまった際には、現行の世界経済が保てなくなり、平和な社会が崩れるおそれがある──そう言いたいわけね」
「その通りです。完全に男女平等にしてしまうと前述のような状況になりかねません。また一部的に女性の社会進出を認めることも論外です。つまり未来を見据えてどこで折り合いをつけるのか。そのような部分までをきっちりと詰めた政策理念でなければ、僕は同調することはありませんし、残念ながらお力添えをすることもできません」
はぁ、と悠翔は溜め息を漏らす。
「理想ばかりを妄信していてはいけないということね。ふふっ、貴女のことが気に入ったわ。今はまだ無理でも、いつかは貴女のことを手に入れてみせるわ! 気が向いたらまた来てちょうだい」
「僕に対する評価も盲信し過ぎていると思いますよ。それではこれで失礼します」
なつきは悠翔の熱心な態度に苦笑いを浮かべつつ、頭を下げると部屋から退出する。
結果として交渉に失敗してしまった悠翔は、なつきが出て行き静かになった室内でただ一人笑い声を上げていた。