入寮式
2040年4月8日日曜日17時15分
一科の学院生寮区画からは庭園と東西に伸びる幹線道路を挟んだ向こう側。
三科の学院生寮区画からは南北に伸びる幹線道路を挟んだ対極。
学院のほぼ中心に位置する講堂には3千人強の新入生が集結し、長蛇の列が出来上がっていた。
「私たち浮いてますね」
厳密に言うと浮いているのではなく、注目の的になっている。
歩くごとに増していく人々の視線。
男子学生達は既に形成された内輪でひそひそと話す。
彩華もある程度の想定はしていたはずだったが、考えるだけと実際の体験とでは天と地すらの差がある。
「二宮さんは有名人ですから仕方のないことですよ」
茶化すようになつきが言う。
それもそのはず。
二宮彩華の生家は日本人なら知らない人がいないほどに有名な名家である。
英雄四家の1つ二宮家。
父は先の戦争で多大なる功績を残した英雄直系の末裔。
母は敏腕の政治家。
その二人の間に生まれた嫡子の彩華も未来の大日本帝国を担う役割を背負っている。
「そうですけれど……まさかここまでとは思っていませんでした」
「これからは一挙一動にも気が抜けませんね」
他人事のような一言に彩華は少し頬を膨らませる。
それも一瞬。
周りの視線を気にしてすぐに感情を殺した。
「順番が回ってきたみたいですね」
「学科と氏名をお願いします」
「一科の二宮彩華です」
「はい、それではこちらを持って2階席までお願いします」
彩華は受付から学生証と携帯電話のような機械を受け取る。
「三科、技開の志波なつきです」
「はい、それでは同じく2階席までお願いします」
なつきも同じように受付を済ませる。
しかし異なる点が1つ。
なつきは受付で何も渡されない。
その明らかな違和感に彩華は首を傾げる。
「学生証なら既に貰っていますよ。三科は特に人が多いですし、事前に貰っている人が多いのです」
三科には新入生だけでも2,300人が在籍する。
確かにその一人一人に受付で学生証を渡していては時間がかかりすぎる。
「そうでしたか。それと技開というのは何ですか?」
「特別技術開発局の略称ですよ。名前の通り科学者が研究を行っている機関です」
「そのような機関も存在するのですね」
他愛のない話をしている内に2階席に辿り着く。
もう時間が迫っているだけあってか席の大半が埋まっていた。
「志波さん、そこならば二席空いています」
二人で辺りを見渡すこと数秒。
角で偶然にも空いていた連席を発見した。
どうやら左から3席目に座っている不機嫌そうな長身の少年が席の空いている理由のようだ。
不機嫌さもさることながら、遠くから見ても目立つ白銀の髪。
初対面では流石に近寄り難さがある。
彩華も少し後込みしたのか、もう一度周囲を見渡し空席を探す。
しかしなつきは違った。
「隣、失礼しますね」
顔を合わせるように覗き込んで話しかける姿には一切の頓着がない。
柔らかな笑顔に穏やかな声色。
溢れ出る性格の良さは異性を惹き付けてやまないだろう。
「えっ……ああ」
銀髪の少年はなつきの顔を見て、一度言葉を詰まらせる。
そして何か発しようとしたところで、拡声器特有の雑音が鳴った。
「ただいまより入寮式を開始致します」
機械的な声の放送が流れる。
どこからともなく聞こえていた話し声はもうない。
今聞こえて来るのは講堂内に反響する1つの小さな足音だけ。
その足音の主が壇上に上がる。
それと同時に響めくような歓声が広がった。
「とても綺麗な方ですね……」
彩華も周囲につられて思わず感嘆する。
むしろ何の反応も示していないなつきと銀髪の少年の方が浮いている始末だ。
壇上の少女は咳払いをする。
その身長は160糎弱。
短めの黒髪に眉目秀麗な容姿。
平服の上には三科生の特徴ともいえる白衣をまとっている。
歓声のあがった一番の要因となるのは、白衣の下からでも存在を主張する胸部であろう。
「静粛に! 私はこの天和帝国大学院の学生議会代表を務める、三科3年の佐伯淡雪だ。僭越ながら当会の司会進行を務めさせてもらう」
淡雪は貴賓席に向けて深く一礼する。
そこに座するのは当学院の理事長と理事会の面々。
もちろん彩華の父の姿もある。
「始めに一つ言わせてもらうが、君達はこの国の未来を担う人間だ。まだ15歳と若く、浮かれたくなる気持ちは分からないでもないが、ここに来た以上は一大人としての自覚を持った言動をして欲しい」
講堂内を巡る鋭い一瞥。
歓声を上げていた学生達にはばつが悪くなり俯くものもいる。
「それでは本題に入らせてもらう。まずは学生証についてだ。各自に受付で配布されていると思う。それは今後ここで生活をするにあたり必要不可欠なものとなる」
淡雪は説明をしながらも、手早い指さばきで小型の電子演算端末を操作している。
目的は説明に使う資料の投影。
射影機から伸びた光は壇上の映写幕に当たる。
映し出されたのは淡雪の学生証と内部情報を読み取る機械。
それを起動させると話を続ける。
「今回は構内に設置してある専用の機械を使って説明するが、これは個人の携帯端末ででも確認可能だ。端末も受付で配布されていると思う」
学生証が機械にかざされる。
読み取りが行われた画面には様々な情報が表示された。
「まずは上部にある情報だが、これは個人の学籍番号等、基本的情報だ。次が電子金券の残高。そして最後が功績値を表している」
淡雪はさらりと流しているが、場内は電子金券の額に揃って度肝を抜かれる。
その額およそ10億円。
17歳の少女が持つ財力ではないことは明白であろう。
「ここでは通貨を使わず、全て学生証内の電子金券で取引を行う。基本的には学生全員に月10万円ずつ支給され、その範囲内で食費以外の必需品を購入する規則だ。10万円では足りないというならば、人員を募集している仕事をして自ら稼ぐ必要性がある。ここ辺りは普通の社会と同じ仕組みだ」
淡雪は画面を資料に切り替えると、てきぱきと説明を続けていく。
三科の学生なだけはあり、習うより慣れろと掻い摘んだ説明となっているが、資料を見るだけでも分かるように工夫はされている。
「これまでの事で質問がある人は端末でこの宛先まで質問を飛ばして欲しい」
画面には電子通信を送るための表示される。
それから十数分の質疑応答が行われた。
仕事の募集要項は端末で確認できる。
店に置いていない商品は2日ほどかかるが取り寄せが可能。
保護者からの仕送りを受ける場合は事務局へ行き、所定の手続きを済ませる必要があること。
そのような内容であった。
しかしどのような仕事をすれば、そこまでの大金を手にすることができるのか。
その質問を投げらかけられるものは誰一人としていなかった。
一区切りついた所で説明が再開される。
「次に功績値についてだ。これは学内での成績や、社会への貢献度など様々な項目で学生各位を評価したものだ。この値が低ければ強制退学となることもあり、逆に高ければそれだけ充実した施設の使用や、三科の学生なら研究費の増額等の交渉が成立しやすくなる」
今がどの程度のものか気になるだろうから。
と淡雪は自身の功績値を確認する時間を取った。
「この仕組みすごいですね。どのくらいの数値が標準なのか分かりませんけれど」
彩華も学生証を読み取り、それをなつきに見せる。
そこに記された数値は400。
先程表示された淡雪の数値が5万程度だったことを鑑みると少なく感じてしまう。
「確か入学時の平均が200のはずですから、新入生の中では相当優秀な数字だと思いますよ。現在の功績値は入試の結果のみしか反映されていませんし」
「そうなんですか。卒業するためにもこれから頑張らないといけませんね」
「本来の使い方は卒業のための単位代わりではないんですけどね」
そうなつきが意味深長な発言をしたところで制止の声がかかった。
「そして功績値には最も重要な役割が存在する。それが学生議会の代表を決める選挙での票の重さだ。毎年5月に告示、そして投票が行われる選挙がある。この選挙では一人一票が与えられる平等選挙ではなく、功績値によって発言力が左右される不平等選挙が採用されている」
その発言に会場が再び響めく。
業績の良い者ほど会社での地位や発言力が高い。これは社会の摂理ではあるが、その考え方が権利にすらも干渉するということだ。
あくまでも平和と平等を理念に持つ国際情勢に真っ向から逆行した制度である。
淡雪はその事に対して、未だに鳴り止まない声を払拭するかのように咳払いを1つした。
「この学院で君達に課されるものは弱肉強食だ。例をあげるならば、代表である私にはこの学院都市の議会と対等な交渉が出来るだけの権限が与えられている。その気になれば、気に入らない学生を強制退学にすることや、日本政府に政治方針の変更を要請することも可能だ。君達も競争という魔物に喰われることのないように頑張って欲しい。以上で前半の説明を終了する」
役目を終えた淡雪はそそくさと壇上から降りていく。
無人になった壇上には『しばし休憩』という文字だけが写し出されていた。
「これって不平等過ぎませんか?」
彩華は率直な感想を口にする。
「はい、不平等ですね。それでも不平等なくして平等は存在しないものですからね。だからこそこの学院の運営は最低限の平等と、その他圧倒的なまでの不平等で成り立っているのですよ」
彩華もその言葉の真意を理解できない訳ではない。
しかしそれを受け入れるまでには至らない。
「それに佐伯代表は僕たちに発破をかけるため悪役を演じているだけですよ。それに理事会もみすみす独裁を見逃すほど無能ではないです。まあ、つまりは国民が平等な生活を送るための犠牲としてこの学院が存在し、その犠牲を未来を担う僕たちの活力に変える。そういった仕組みを採用しているということですね」
そのような考え方もあるのかと彩華は感嘆する。
しかしそれ以上に志波なつきという人間の頭の切れに戦慄を覚えていた。