アンドロイドの純情
ある博士が、一人のアンドロイドを作った。
その博士は特に理学工学の分野では大変な権威で、彼はその生涯を研究と発明に費やし続けてきた。研究を糧にする一方で恋愛沙汰に興味を示すことはなく、彼は何歳になっても独り身のままだった。
彼が定年を迎える頃には親も亡くなり、兄弟姉妹のいない彼は本当に孤独となった。
彼はその状況を嘆くこともなく、むしろ『一人の方が気兼ねなく過ごせる』と口癖のように言っていた。
しかし歳をとり、体調の優れない日が続くと彼は身の回りの世話をしてくれる存在を欲した。
博士であった彼の貯蓄は相当なもので、使用人を雇うようなことも容易だ。しかし他人を我が家に招き入れるならまだしも、住み込み同然で居すわらせることを彼は良しとしていなかった。
そこで作られたのが、メイドを模した一人の女性型アンドロイドだった。
それは傍から見れば人間と見まごうほどに精巧なもので、博士を訪れる客人も、博士が使用人を雇ったのだと勘違いをするほどだった。
彼女は多様な命令を聞き入れ、博士の生活を豊かにしていった。日中の洗濯や掃除も彼女の仕事。また彼女は、命令を聞かずとも気配りができるように設計されていた。日々の食事も彼女にかかれば、数日の献立から博士に足りない栄養素を計算して調理をしてくれるほどだ。博士の肩が凝れば、彼の立ち振る舞いからそれを察知してマッサージをした。博士の喉の調子が悪ければ、それを音声で認知して風邪薬を用意した。
彼女は、感情を有していないという点を除けば完璧だった。
そんな彼女に、さすがの博士も少しずつ愛着が湧くようになっていった。
初めは命令以外で口を開くことがなかった博士も、次第に彼女と話すようになった。あいさつやお礼を告げることから始まり、雑談をするようにもなった。博士が出かけるときには、彼女に帰りを待っているように伝えた。
当初は名前などなかった彼女に博士が名前をつけたのは、それだけ博士の中で彼女の存在が大きくなっていた証拠だった。
午後十一時。男は闇に紛れて街を駆けていた。
彼は一流の泥棒だ。
どんなセキュリティシステムも彼にとっては鍵の開いたドアと大差がない。変装の技術も持ち合わせており、それは親族さえも本人と見間違えるほどだった。
彼は、漫画や小説の中の怪盗がそのまま現実へ出てきたような存在だった。
彼の今回のターゲットとなるのは、とある博士の、その自宅だった。
その博士はとても著名な人で、資産も莫大だ。金目の物の一つや二つ、もしくは資産そのものが自宅のどこかにあることだろう。
博士の家のセキュリティは強固なものだった。しかしそれは泥棒の足を止めるほどではなく、彼は易々と目的の建物へと侵入した。
窓から侵入したその場所は、研究所のようなところだった。そこかしこに工具や材料が置いてある。もしかしたらこれらも高価な物なのかもしれないが、泥棒にはその価値がわからない。ここにはめぼしい物はないとふんだ泥棒は、部屋を移動しようと歩を進めた。
「貴方は、どなたですか?」
無機質な女性の声が暗い部屋から響き、泥棒は焦りを覚えた。
この家の主人である博士は今ここにいないはず。当然だ。泥棒は誰もいないことを知っていたからこそ、この家に忍び込んだのだから。
博士に同居人はいない。使用人も雇っていなかったはずだ。
それなのに泥棒は今、誰かの声を聞いた。
泥棒は動きを止めて、声のした方を横目で見やる。月明かりに彩られた部屋の入口に、メイド服を着た女性がいた。
美しい顔立ちだが、表情というものが見受けられない。どこか機械的な女性だった。
泥棒が彼女を凝視したまま固まっていると、彼女はまたも質問をしてくる。
「貴方は、博士の客人ですか?」
予想だにしていなかった質問に、泥棒は戸惑った。しかしそれは内心に抑え、彼は声の主と話を合わせることにした。
「そうだ」
「かしこまりました。それでは客間にご案内いたしますので、私の後に続いてください」
――こんな夜中に客人と言われて素直に信じるわけがない。これは自分を誘うための罠の可能性がある。
しかしその半面で、彼女の毅然とした態度には嘘がないようにも見えた。
むしろここで逃走したらそれこそ怪しまれてしまう。通報のリスクを考えた泥棒は、ひとまずその機械のような女性に続き歩いた。
客間に着くと女性は「椅子にお掛けになってしばらくお待ちください」と、泥棒を残して退室した。
自分の目の届かないところで通報される可能性もある。泥棒は息をひそめて女性を追ったが、彼女は紅茶を注ぎ、茶菓子の準備をしていただけだった。毒物を入れる素振りもない。
この女性はどうやら、泥棒のことを本当に客人と思っているようだ。
「どうぞ」
「ありがとう」
一足先に客間へ戻った泥棒は、着席して女性を迎えた。
彼女は泥棒の手前にあるテーブルに紅茶とクッキーを置いた。これらに異物を加える様子はなかったが、不安はまだぬぐえない。泥棒は紅茶にもクッキーにも手をつけることはなかった。
「お飲みにならないのですか?」
「ああ、私は猫舌でね。冷めるまで待たせてもらうよ」
泥棒が適度な言い訳をすると、女性は頭を下げた。
「申し訳ございません。温度調節を怠ってしまいました」
「いや、いいんだ。それより一つ訊きたいんだが、君はいったい誰なんだ? 博士は一人暮らしだったはずだが」
「申し遅れました。私は博士の身辺のお世話をするために作られたアンドロイドです。博士からは『ミライ』という名で呼ばれております。どうぞお見知りおきを」
これは驚いた。かの博士が相当な権威とは知っていたが、これほどまでに精巧なアンドロイドを作ってしまうとは。そう驚嘆すると同時に、泥棒は彼女――ミライの感情のない声や平然な様に納得がいった。
確かに改めて見ると、ミライの肌や目や髪は、人間のそれとは微妙に質感の違うものだった。
ミライは自らのことを『博士の身辺の世話をするために作られたアンドロイド』と言った。もしかしたら、彼女には『侵入者への対応』というプログラムは組み込まれていないのかもしれない。
博士も、自分の家のセキュリティシステムを抜けてくる泥棒がいるとは思っていなかったのだろう。だからミライには泥棒へ対抗する機能をつける必要がないと結論づけた。そうなれば、ミライが泥棒である自分のことを客人と勘違いしたのはうなずける。
泥棒が勝手に納得しているうちに、ミライはさらに言葉を続けた。
「申し訳ないのですが、ただいま博士は外出中です。今回は少々遠出のようで、いつお帰りになるか見当がつかない次第でございます」
「……君は、博士が外出するといつもこうして帰りを待っているのかい?」
「はい。『待っていてくれ』という博士の命令ですので」
「……なるほど」
泥棒は、ミライと雑談をして過ごした。アンドロイドの彼女ではあったが、思いのほか会話は盛り上がった。純朴なアンドロイドであるミライに危険はない。そう判断した泥棒は、出された紅茶やクッキーを口にするようにもなった。
振り子時計が鐘を十二回鳴らす。気がつけば日付が変わっていた。
「少し長く居すわり過ぎてしまったな。そろそろ帰らせてもらうよ」
泥棒はいかにも客人というような台詞を吐いて、席を立った。
「かしこまりました。玄関までご案内いたします」
ミライが歩き出し、泥棒はその後を追って玄関まで着いた。窓から侵入した泥棒は、鞄の中に入れていた靴をミライに気づかれないようにさりげなく出し、履いた。
「またのお越しをお待ちしております」
最後にミライが一礼をして、泥棒を見送った。
泥棒はドアを閉めると、博士の家を後にした。
博士が帰ってきたのは、その翌日の深夜になってからだった。
ただいま、としわがれた声で告げる博士にお帰りなさいませ、と返しながら、ミライは異変を察知した。
「博士。声に少々異変が感じられますが、風邪ですか? 急いで薬をお持ちいたします」
「……そうだな、頼む。あと、少し疲れたから肩を貸してくれ」
「かしこまりました」
ミライの肩を借り、博士は歩いた。リビングルームまでたどり着くとソファーに腰を下ろして、ミライが風邪薬と水の入ったコップを持ってくるのを待った。
「お待たせいたしました」
「……ありがとう」
博士は錠剤の薬を水と共に呑み込み、一息ついてから、
「……ミライ、一つ聞いてくれ」
「はい」
ミライがうなずいたのを確認してから、博士は語り始めた。
「……私の命はもう、長くないのかもしれない。……自分でわかる。もう私の体は限界なんだ。若い頃は、研究ばかりでずっと無理をしてきたからな」
博士の告白を、ミライは黙したまま聞いている。
「……私が死ぬのは構わない。ただ一つ気がかりなのは……ミライ、君一人を残してしまうことだ。私が死んだら、アンドロイドの君は永遠に独りとなってしまう。だから、お願いだ――」
博士は体温を持たない使用人に一言、端的に、告げる。
「――私が死ぬ前に、今ここで、機能を停止してくれ」
「『お願い』とおっしゃいましたが、それは命令ですか?」
「ああ。私の、最後の命令だ」
「かしこまりました」
いっさいの逡巡もなく、ミライは言った。
ミライの体には、その機能をシャットダウンするための物理的なスイッチはない。起動は博士のみが知る暗証番号の入力により行われるが、機能を停止するための術は博士の命令しかないのだ。
彼女は、それまでの命令と並列の扱いで『機能停止』という命令も遂行するだけだ。
「博士」
「なんだ?」
「貴方の傍にいられたことを私は光栄に思います。今までありがとうございました」
博士は『お礼を言え』などという命令はしていない。ミライがその言葉を発したのは形式的に上辺のみの言葉を述べただけなのか、それとも今までの生活の中で少しでも人間らしい感情が生まれたからなのか。
それは誰にもわからないことだった。
「――家政婦型アンドロイド、試験体001。主人の命によりただいまをもって全機能を停止いたします――」
先程までよりもいっそう機械じみた平坦な声が、決められた文章を読み上げていく。
「――最終確認を行います。当機におけるすべての機能を停止してもよろしいですか? 肯定の場合は『はい』、否定の場合は『いいえ』とお答えください」
「はい」
「――了解いたしました」
それっきり、彼女は口を開かなくなった。
「……さて、うまくいったかな」
泥棒は、博士の顔を模したフェイスマスクを脱ぎ捨てた。
目の前にはたった今機能を停止したメイドが静かに立っている。
「フェイスマスクなんかで機械を騙せるか不安だったけど、どうにかやり過ごせて良かった。音声認証とかなくて助かったぜ」
博士は喉を悪くすることが多かった。だから、ミライが主人である博士のことを『博士』であるとするための判断材料は顔の認証に任せて、音声による認証は甘くしていた。何人もの人間に変装してきた泥棒が彼女をも騙すことができたのは、そのおかげだ。
「フェイスマスクは完璧なものを作れたとしても、声を完全に似せるのはさすがに無理だからな」
泥棒は、一仕事終わったとでもいうように伸びをする。
――泥棒は昨日ミライと雑談したときに、彼女の機能を停止する方法や博士の人物像を訊きだした。どんな質問も、彼女は素直に答えてくれた。そして帰った後に泥棒は、パソコンで博士が取り上げられたニュースやインタビューの映像を探り、その声や言葉づかいなどを自分のものとしてコピーした。また同時に、急いでフェイスマスクも作製した。
なぜそこまでしてミライの機能を停止させたか。
その動機が『盗難をするためにミライの存在が邪魔だったから』というものならば実に泥棒らしい理由だ。普段ならそんな悪事のために行動していたのだろうが、今回は違う。
――ミライの主人である博士は、数日前に亡くなっている。
外出時に発作を起こし、死んだのだという。泥棒が博士の家に盗難をしに来たのも、博士が死んで住人が誰もいなくなったことを見計らってだったのだ。しかしそこにはミライというアンドロイドがいて、彼女は博士の死を知らずにずっと主人の帰りを待っていた。
泥棒はそんなミライをかわいそうだと思ったのか健気だと思ったのか、そんなことは自分でもよくわからない。
ただ、あのまま博士を待ち続けるのはあまりにも報われないだろうと、そう考えたら体が勝手に動いていた。
泥棒は、ただただ純粋に主人の帰りを待ち続ける一人の女性を、救いたかったのだ。
「なんて、ガラじゃねぇな。こんなの」
自嘲気味にため息をつきながら、泥棒は歩き出す。彼は結局、何も盗むことなく夜闇の中へと消えていった。