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 風が二人の間を吹き抜けていく。目の前の少女は巫女の朱色の袴がよく似合う、清らかに美しい子だった。黒髪は艶やかに伸び、背中で一つにまとめている。

 シノは息を呑んだまましばらく立ち尽くした。自分の記憶にはいないその少女を知っていると、もう一人の自分が気づいている。混乱は、しなかった。今になって急速に理解したのだ。これは現実の世界ではなく、その裏側の世界なのだと。

 シノが動けずにいると、少女の方から近づいて来た。そして満面の笑みを浮かべて嬉しそうに言う。

「良かった。無事着けたんだね。あなたは私の結界に入り込めた人だから、きっと大丈夫だと思ってたけど」

 両手を握って勢い込んで話すその言葉を、ちゃんとは聞いていなかった。ただ、不思議だと思って彼女を見ていた。記憶の中の香澄という人物とは、見た目も声色も全然違うのだ。それなのに脳が同一人物だと理解している。

 何も言えないままでいると、少女が言葉を続ける。

「とにかくまず旅装束をといて、今日のところはゆっくりしましょうね。こちらでは、何ていう名前で呼ばれているの?」

「……シノ」

 喉から絞り出すように声を出して、そう名乗るのが精一杯だった。まだ驚きが覚めやらないのだ。少女はすべてを理解しているように変わらず笑っている。

「良い名前ね。じゃあ私もシノちゃんと呼ぶね。私のこちらの名前はユイ。本名は言わないようにね」

 自らをユイと名乗った少女は、立ったまま話すこともないということに気付き、シノの手を引いて宿所の方へと歩き出した。

 宿所は社殿の左奥、塀を隔てた一角にあった。社殿を取り囲むように建つ白塗りの塀には木製の扉が付いていて、そこをくぐると関係者の住まいとなっているのだ。シノはいくつかある棟の一番手前に案内された。ほこり一つないほどに磨かれた板葺きの廊下は外からの日差しで輝いている。中の空気はひんやりとしていて、長旅でほてった体に心地よい。

「ここで着替えていて。私はお茶をいれてくるから」

 障子戸を開けて案内された部屋の中には、美しく調えられた巫女装束が一式用意されていた。それを見た瞬間、胸を締め付けるような懐かしさがこみ上げてきた。ほんの数日離れただけのはずなのにそう思うのは、それこそがーー巫女として生きることこそが己の本分だからなのだろう。シノは旅装束を解いた。男のなりをするために頭巾の下に押し込めていた髪が解き放たれると、本当の自分に戻れた気がしてホッとした。白いあわせに袖を通し、朱の袴を履いてしまうと、旅の疲れも薄れていくようだった。

「お待たせ。わぁ、すごい似合うね」

 着替え終えると、ちょうどユイがお茶をいれて戻ってきた。シノの姿を見て先程にも増して目を輝かせる。シノが居住まいを正そうとするのをユイが遮る。

「そんなかしこまらないで。ここは私の居室だし、気つかわなくていいんだよ」

「ここ、ユイちゃんの部屋なんだ」

 こちらに来て、初めてその名を口にした。いざ口にしてみると自分でも意外なほど違和感がなかった。その流れで、自然と問いが滑り出した。

「ねぇ、どうして本名を言ってはいけないの?」

 それを聞くと、ユイは驚いたように目を丸くした。

「それが一番に気になるの?やっぱりシノちゃんてすごい。私の想像以上」

 ぽかんとするシノをよそに、その質問に応える。

「この世界が私たちの暮らしてる世界とは違うのはもう気づいたよね。でもここも、実は私たちの世界と繋がった場所ではあるの。分かりやすくいうとね、ここは過去の世界なの」

「過去の、世界?」

「そう。過去に来るためには、現実世界の自分がちゃんと存在してることが大事なの。だからこちらでは名前も違えば、見た目も家族構成も違う。本名はね、自分の隠し名にして、現実世界へ戻るお守りにするんだよ」

 困惑半分、納得半分という気分でシノはその話を聞いていた。ここが過去だと言われれば、今となれば辻褄が合う気がする。しかし。

「てことは、現実に戻れなくなることもあるの?」

「大丈夫。私が守るから。でも確実に戻るために、本名は隠していてね」

 急に真剣な顔になって、ユイはシノの両手を握る。

「大事なことを言わずに巻き込んだのはわかってる。でもこうするしかなかったの。ここへ来てもらうには私から説明してはだめで、シノちゃんが自分でたどり着かないといけない決まりだから。あの時、現実世界で友達って言ってくれた、あなたに助けて欲しかったの。だから」

「ユイちゃん、落ち着いて」

 一気に喋るユイの言葉を、シノは静かに遮った。焦っているのだろう。言っていることの要領は得なかったが、何か必死なものは伝わった。

「現実でも言ったけど、私別に嫌じゃないよ。ユイちゃんが困ってるなら、助けてあげたいと思ってるよ」

 強く握った手が震えている。シノを真っ直ぐに見つめる瞳から、涙が伝い落ちた。よほど追い詰めることがあるのだと思った。

「だから、教えて。ユイちゃんのために、私は何をしたらいい?」

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